第10章 存在ノ理由-2

 獣が野太い足に力を込めた。

「ふむ、間髪入れず攻撃に転ずるつもりだな。顎と脚力に自信があるらしい」

 狩りの最中にも関わらず、ハルは両手を組むと、そんな言葉を呟いている。視線は獣に向けられたままだが、Aレベル相手の狩りとは思えない程の楽観さだ。

「まずは……その強靱な顎で一噛みか。その次は……」

「あのなぁ。緊張感が薄れっからヤメロ。っていうか、さっきから何の魔法を唱えてんだよ。魔法の効果、全ったく出てなくねぇ?」

 心底迷惑そうに一度睨みつけると、そのままグッと前に踏み出す。しかし獣の方が一瞬速かった。視線を上げたその瞬間には、二人に対して鋭く太い牙を向けた。

「その次なんてねぇよ」

 声を低く落とすのと同時に、元が軽々と大剣を振り上げる。その一太刀は幻影を残す程鋭く、そして速い。

「確かに、な」


グギヤァァァッァァッァァ

 そんなハルの呟きも、獣の絶叫で掻き消された。それは予想だにもしていない攻撃に、冷静さを失う獣の叫びだ。耳をつんざく絶叫は、空気を震わせ大地を揺らした。叫びの波動に、栗色の髪の毛が大きくなびく。

 元の一太刀は、獰猛な牙を数十本切り落とし、深く上顎を切り裂いていた。吹き出す大量の血に、艶やかなたてがみを染めて、獣が地面を転げ落ちる。

『この獣が弱い訳ではない。スピードもパワーも相当なものだ。しかし、もう元の敵ではないな。ゾウガンと対峙して、元の能力は飛躍的に伸びた』

 既に元は、獣の背後に回り込み大剣を構えている。

『ふ、ゲームで言えば、中堅クラスのボスとの戦闘で経験値が上がった、という所か。……勝てなかったがな』

 直後、獣の断末魔が周囲に響き渡り、狩りが終焉を迎えた。戦闘モードに入ってから数分の出来事だ。想定通りの結果に、ハルの意識は町全体に向けられている。殺伐とした空気に、意識を集中した、その時だ。

 ピシッ

『!』

 ハルの左中指に、小さな痛みが突き抜けた。痛みは一瞬で過ぎ去り、指には何ら痛みを発するような形跡はない。しかし何故かこの痛みを知っているような気がして、ハルは厳しい表情を浮かべたまま左手首に見入るのだった。


 獣が絶命したのと同時に、深いブラウン色の宝玉は地面に向かって転がり落ちる。元は血に染まったぬいぐるみを宝玉と一緒に拾い上げて、暫しの間、動かなくなった。

『この惨劇を見せるには、少し早かったか』

 ふぅと小さな溜息をつくハルの隣に、いつの間にかギヴソンが佇んでいる。そっと黒い肌に手を添えると、伝ってタロがハルの肩に駆け上がって来た。

 瓦礫に映る伸びる影は、次第に長くなっていく。既に太陽は大きく西に傾き、後僅かな時間で星が瞬き始めるだろう。

「元、行くぞ。野宿をする場所を確保しよう」

 周囲に獣の気配はないとはいえ、闇の力を得た獣は一段と手強くなる。ただでさえ廃墟となった町は、至る所に血の匂いを漂わせていて、獰猛な生き物を引き寄せてしまう。

『ずっと清めの魔法を発動していたが、とても浄化出来る瘴気ではない。この場所に人が住めるようになるには、長い年月が必要となる。

 全く獣とは恐ろしい生き物だ。何もかも根こそぎ奪い尽くしていくんだからな』

 ハルは応える声を待ちながら、そんな事を考えていた。暫しの沈黙後、元は小さく「おう」そう応えると、一度顔を腕で拭いた。


 パーティは、町から数キロ離れた展望台で野宿をする事に決めた。展望台と言っても、朽ちて屋根もなく剥き出しの岩で作られたような代物だ。道が整備されていない時代に、旅人の道標となっていた建造物である。天井がないとはいえ、地上から数メートルの高さがあり、広さも余裕があるため、野宿には最適だ。

 元は膝を抱えたまま、パチパチと火花を散らす薪の炎を瞳に映していた。

『剣の手入れをしなきゃな』

 そう思いはするものの、廃墟となった町に転がるぬいぐるみが脳裏にちらついて、中々そんな気になれない。

『ビックリした。……エンダになって、既に四年近く経とうっていうのに、獣に潰された町を見るのは初めてだった。あんな……暴力的に、何もかも壊されて奪われちまって』

 そんな事を想いながら、ハルをちらりと垣間見る。交代で火の番をする段取りのため、既に寝袋の中だ。ギヴソンが大きなイビキをかきながら寝入る隣で、よくも寝られるものだが、慣れている元達にとっては、特に耳障りでもない。タロの姿が見えないのは、恐らく寝袋の中なのだろう。

 いつもはハルの魔法で、火の番など必要がないのだが、破壊された町は想像も付かない程、危険な場所と化す。

【場を浄める魔法で、大概の獣は回避出来る筈だ。しかし今夜は何が起こるか分からない】

 寝息すら立てず、背を向けたまま微動だにしない姿に、元は唇を尖らせた。

『あんな町を見ても全然平気そうだよなぁ。そりゃぁさぁ、俺と同じような感情を持てなんて、言えねぇけどさ。感情を出さねぇこいつに、救われることもあんだけど。……想いを全く共有出来ないというのも、結構寂しいもんじゃん? もっと、言葉にしてくれればいいのに』

 長い付き合いから、ハルが言葉に重きを置いていないのは、重々承知している。それでも内に秘めた想いに触れてみたい。最近元は、そんな事を考える様になっていた。

『だってそれが仲間ってやつじゃん? 命を預けてるんだし、もっと分かりあった方がいいじゃん』

 そのまま視線を向けていると、寝袋から覗く白いうなじに、何故か目が放せなくなってしまった。栗色の髪が絹みたいで、『綺麗だ』ふとそんな感情が過る。ハッと我に返ると、大きく頭を振った。

『あ? 今、綺麗って思ったか?? 相手はハルだぞ!? 感傷に浸り過ぎて、目ぇ、おかしくなっちまったよ。てか、中身は大人でも、見た目は十代前半じゃん。……俺、やっべ』


 アワアワと焦り、不意に溢れた感情を打ち消し、目を反らした時だ。突然ハルが勢いよく半身を起こし空を仰ぐ。と同時に、薪の炎が跡形も無く消え失せ、周囲が漆黒の闇に包まれた。

「ど、どうした?」

 焦り問う元に、視線を南の空に向けたまま、低い声で呟く。

「静かにしろ。町の瘴気に誘われて、厄介な奴等が近づいている。気付かれたら難だ」

 ピクリと元が剣に手を掛け、直ぐにハルの視線に合わせた。しかし星が瞬く空に、獣の姿を捉える事は出来ない。深く長い緊張感が走る中、ハルが溜息混じりに声を落とした。

「ギヴソン……鼻息が荒い。気付かれた」

 ギヴソンの気配が一回り小さくなり、鼻息のトーンが落ちる。

「地上に行くぜ! ここじゃ、戦いにくい!」

 二人の服がバトルドレスに変貌を遂げ、一瞬で戦闘モードに切り替わった。

「あぁ」

 会話もそこそこに、展望台から身を乗り出す。着地と同時だ。至るところに光り輝く魔法陣が出現し、その場所を淡く灯した。


 バチン!!!

「ギャァァッァァァァァァァッァァ」


 突如、漆黒の空の一部に小さく魔法陣が弾け、何とも形容しがたい絶叫が広い世界に響き渡った。それが狩りの皮切りだと言わんばかりに、次々と空気を割く音が四方で弾ける。直ぐにまた闇となるが、光は獣の姿を一瞬映し出した。白い目の玉が、二つぼんやりと浮かび上がった。

「キモ! 何だよ、こいつら!! いっぱいいるぞ!?」

 全身に鳥肌が立つ感覚を何とか振り払いながら、元が声に成らない声を上げた。

 ハルの清い系の魔法は、グルリと元達を包み込み、獣の攻撃から守っている。しかしその魔法をものともせず、数十体の獣は何度も攻撃を仕掛けてくるのだ。一際大きく光りが弾けた。


 闇の中に映し出された姿は、その絶叫と等しく形容しがたい。体の殆どが暗闇に溶け込む霧の如く、全体が靄に包まれている。大気までも黒く汚し、禍々しい姿は直ぐに闇に紛れた。

「初めて見んぞ……あんなタイプ」

 元の戸惑いも当然で、ハルですら文献でしかお目に掛かった事がない。同じ獣同士であるギヴソンにとっても、異質な面容なのだろう。低い唸り声で威嚇はするが、その存在に戸惑っている様に見える。ハルは次から次へと、線香花火の様に魔法が弾ける光景を、瞬き一つせず見据えた。

「ふぅ、清めの魔法の遥か上空を漂っていたか。

 こいつらは、光が一切届かない深い闇に生息する獣だ。それこそ滅多に出てこない為、語り継がれる情報も風化している。ザルモマナフ海(五つ目の海)を越えた土地では、夜に成ればそんじゅそこらに浮いているらしいが。

 ふん、こんな場所でお目見えしようとは、な。本当にこの地の文献は役に立たん」

 相も変わらず少しずれた視点で溜息を吐く姿に、元はポカンと口を開けた。

「ザルモマナフ海をって……。え? レベルは? 何になんの?」

「ふむ……。この土地では、表現し難い。敢えて言えば、Sの四乗レベルか?」

 聞いたこともないレベルを飄々と応えるハルに、ちらりと視線を向けて、元は怪訝そうに問うた。

「どこから四って出た?」

「フッ。冗談に決まっているだろう。あぁ、そういえば剣は通じない相手だ。殺られるなよ」

 何が冗談だったのか、元は理解に苦しむ。しかしそれ以上に、自身の力が及ばない獣が存在する事実を受け入れられずにいた。

「マッジか!? てか、ヤバイじゃん! このままじゃ、俺ら全滅じゃん!?」

「しかし想像を越える闇だ。ふふ、これだから、この世界は面白い。さて、どんな攻撃が有効かな」

 隣で含み笑いと共に呟かれた声は、元の精神力を著しく低下させた。尚もブツブツと呟いているが、もう元の耳には届かない。

「えっと、ハルさん? 物理的攻撃が効かないんでしょ。倒すも何も……。あ、まさか反対魔法を使うつもりじゃないだろうな!? ここでお前が倒れたら、俺らパーティは全滅だぞ!」

 必死の苦言も耳を貸さず、ハルが右手を掲げた。その瞬間、小さな掌に柔らかな光が灯る。増大し続ける力に、魔力を持ち合わせない元ですら、全身の毛が逆立つ感覚に陥った。苦言も忘れ見入る元に、ハルが呟きを落とす。

「こいつらとヒーシャの魔法は、全く真逆に存在している。闇が深ければ深い程、光の魔法であっても獣を倒す事は可能だ」

 テキストのような回答に、元はポカンと口を開けた。しかし次の瞬間には、ハッと我に返って怪訝そうに問う。

「え、っと。じゃぁ何か? お前がこいつらを倒すてっか?」

「あぁ、これ程の闇だ。有効に効果を及ぼすだろう。ほら、見てみろ。お預けを喰らって悔しそうだ。闇が更に深くなるぞ」

「あ? 更にって」

 声に導かれる様に、元は空を仰いだ。先程まで空一面に瞬いていた星が一つも見えない。まるで、洞窟の最下層に、突然落とされたかのような錯覚を受ける。足元に淡く光輝く魔方陣だけが唯一の光源となっていた。

「囲ってやがる……」

 元はどうするべきか、考えてあぐねていた。ヒーシャが狩りの中心になるなど非常識極まりない。ヒーシャの役割は、基本後方に位置して味方の援護をする、これに尽きる。

『でもそんな常識、こいつには関係ねぇか。……んー? いや、これは、こいつの力を測る良いチャンスじゃね? いっつも余裕綽々で、底が知れねぇ』

 そう結論付けると、元はコホンと一つ咳をした。

「で、有効な効力を及ぼさなかったらどうすんだ?」

 負けてしまっては、ハルの能力の云々どころではなくなってしまう。しかし次に放たれた言葉は、とても受け入れがたいものであった。

「こいつらは、陽の光の中では生きられない。日の出前にいなくなる」

 元が恐る恐る問う。

「……日の出まで、六時間以上あるぞ?」

「あぁ、そうだな。さて、長い夜になりそうだ」

 何故一瞬でも『綺麗だ』などと思ったのだろう……今更だが隣に佇む人間の本質がどうも分からない。ニヤリと口角を上げる姿など、何処から見ても悪役そのものではないか? 元は脳裏に過ったハルの白いうなじを、必死に振り払っていた。

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