第10章 存在ノ理由

第10章 存在ノ理由-1

 自らが廃墟とさせた町の中心部で、獣は興奮に悶え快楽の余韻に浸っていた。鉄壁の壁を突破して、未だ半日も経過していない。にも拘わらず、町は破壊しつくされ、瓦礫に渇いた風が通り過ぎていく。巻き上がる砂埃は、嘗ての町を灰色に染める。


 獣の姿は獅子の形態に良く似ていた。地面に着きそうな程の長いたてがみ、盛り上がった筋肉、そして一歩踏み出す毎に、地面に食い込む鋭い爪。四肢を地面に付けた状態で、巨体は優に五メートルを超える。

 人間を糧として、この世界の頂点に君臨する生物。総じて「獣」と呼ばれる生き物である。


 ビッシリと生えた牙を朱の色に染めて、周囲に人間の気配が消えたのを確認すると獣は雄叫びを上げた。命の灯が消えた町に君臨した証を残すかのようだ。その咆哮は一片の隙間なく、町を埋め尽くしていく。

「ガルッ」

 獣が牙に挟まった異物を口から吐き出した。地面にズチャリと落とされたそれは、血に染まった小さな小熊のぬいぐるみだった。

「グルゥ」

 ここから離れた場所の気配に身震いが起こる。更に自分の欲求を満たす気配を感じ取ったのだ。つい先程までどっぷりと浸っていた快楽が沸々と蘇ってくる。何度も襲う身震いで体を揺らし、野太い足でぬいぐるみの欠片を押し潰すと一歩足を踏み出す。


 ふとその時、視界の端に映った影に意識が向いた。

「グル?」

 光の錯覚か……そう獣が影を追った時には、既にそれは獣の前に佇んでいた。自分の倍以上ある生物を前にして、全く動じる事なく剣を大きく構えている。

 本能的に獣が一歩足を引いた。


 この世界の民は、獣に対してとても無力だ。ひとたび襲われれば、どれ程の兵力を有する大国と言えど、ものの半日で廃墟と化す。長い年月を掛けて築き上げた歴史も、未来も、想いですら跡形も残らず虚無と化してしまうのだ。それは獣の糧として位置付けられた、人間の運命(さだめ)とも言えた。


 しかし世界は、獣を作り出したのと同時に抗う力も授けた。

 畏れという感情を一切排除した獣が、唯一警戒する生き物。獣と同一の力を持つ、異世界の民「エンダ」の存在である。


「ォギギギギイィッ」

 警戒心を露わにして、獣が低い声を上げた。唸り声は衝撃波となり積み上がった瓦礫の山を崩す。元は眉間に深い皺を寄せ、怒りに声を震わせた。

「てめぇぇ! 町をこんなにしちまいやがって!! 絶対に許さねぇ!!」

 元の絞り出されるような声を聞きながら、深紅の宝玉を額に持つ獣、ギヴソンが瓦礫の上に降り立つ。距離は離れているが、同じ場所に獣が二頭存在するのは非常に珍しい事だ。餌が被った時だけ、その名の通り死闘を繰り広げる。

 しかし一番不可解なのは、ギヴソンの頭の上に座する小さな生き物 タロの存在だろう。元来、プライドの塊である獣が、自身の体に生物を乗せるなど有り得ない。それにも関わらず、元とハルのパーティである二頭は、静かに事の成り行きを見守り続けている。


「少し落ち着け。剣が鈍る」

 頭に血が上った元を諌める様に、ハルが隣に音もなく立った。相も変わらず表情は無感情のままだ。しかし栗色の瞳には、血で染まったぬいぐるみの欠片が映し出されている。

『……』

 一度目を伏せ、今度は視線を周囲に流す。瓦礫に紛れ、至るところに槍や剣が転がっているのが映った。ハルは瞳を細めると、小さな溜息を吐く。

『獣相手に無謀だ。女子供も居るというのに……』

 町が標的にされても民は土地を離れない。無謀に抗う民を守るため、エンダは獣が町に到着する前に、何としてでも倒さなければならなかった。



 エンダでごった返すカラーで、獣のリストに視線を落とし、ハルは淡々と言葉を綴る。

【元、どれ程ギヴソンを走らせても、獣の到達が先だ。町は救えない。それでも行くか?】

 まるで「明日の天気は晴れだ」と言わんばかりの声のトーンに、元はポトリと肉の塊を落とす。

 相当数のエンダが存在するとは言え広い世界だ。神出奇抜に出現する獣に全ての民を救える筈も無く、どうやっても後手に回る事も多々あった。

【今すぐ出発しても、か?】

 元はそう言葉にしながら、既に身体は外に向かって歩き出していた。契約を完了させたハルが、後ろにぴったりと付いて行く。

【あぁ。到着した頃には全てが終わっているだろう。近くにカラーが無い上に、Sクラスに近いAクラスの大物だ。エンダも容易に手が出せない。十中八九、獣を止める事は出来ない。しかし次の標的に移る前に狩れば、それ以上の犠牲は阻止出来る】

 脇目も振らず足早に町を抜ける元は、苦々しく眉を細める。その表情には、民を想い苦悩する感情が有り有りと浮かんでいた。

【だったら行くさ! 一人でも多くの民を守る為に!!】

 ハルがふわりと元の肩に飛び乗ると、額に手を添える。

【では行こう。多くのエンダを退けてきた奴だ。経験値はクラス以上だ……獣名は必要か?】

【いらねぇ。どうせ狩る獣だ。絶対にリストから名を消す!】

 多くの民が犠牲になる一つの要因に、そのランクが上げられる。獣と同等の力を持つとは言え、自分よりも強い獣には手が出せない。それは生きて狩りを続けていく上で、当然の線引きだった。その為、ランクの高い獣であればあるほど、野放しにされる事も少なくない。


 ハルが予測した通り、町に到着した時には、人っ子一人いない廃墟と化していた。もっと早くに契約をしていれば、前のカラーで獣の存在に気付いてれば、叶わない「もしも」に、エンダはいつも苦しみ葛藤を繰り返す。

『くそ、くそ、くそ!!』

 踏みにじられたぬいぐるみが目の端に映り、元は息をするのも苦しくなる。こんな獣を前にして、どれ程の恐怖だっただろう。涎を滝のように流す獣を前に、ハルから以前聞いた話が脳裏を過る。


【人間を糧にする獣も、生きる為と言えば、世界の一部だと認めざるを得ない】

 元はピクリと眉を上げた。

 ホールサイズのケーキにフォークを突き刺した反動で、テーブルが大きく揺れる。

【何言ってんだ? 獣こそ忌むべき存在だろ!? エンダが言っていい台詞じゃねぇぜ】

 鼻息を荒くする元に向かって、チョコケーキを一口頬張り、

【では我々はどうだ? 肉も魚も植物さえも、命を繋ぐ為に口にする。獣は、それが人間だったというだけだろう?】

 真っ直ぐな視線が容赦なく向けられた。カフェテラスには燦々と暖かな日差しが差し込み、町の雑踏が心地よく耳に届く。甘い物に目がない元が、強引に立ち寄ったカフェでの一幕だった。

【そ、それは、植物連鎖ってやつじゃん。そうやって命の営みが続いているってやつで】

【獣もそうだろう。食物ピラミッドの頂点が獣だというだけだ】

【あ、食物か。へぇ、ピラミッドが正しいの? 連鎖じゃなくて? って、今はそうじゃなくて!】

 次々と持論を唱えるハルに、元はフルに思考を張り巡らせる。どちらにしても、口でハルには勝てない。しかし獣の存在を認めてしまえば、犠牲になった民が救われない。元は頭を大きく振った。

【獣の下位に人間が居たとしても、抗う力があれば、抗うさ。ただで命をくれてやるなんて出来ねぇだろ!? えっと、だから、獣の存在は、やっぱ許しちゃいけねぇて……いうか】

 論点が大幅にずれていることに、元も気付いていた。それでも獣の存在を認めるなど、絶対に出来ない。顔を赤くして反論する姿に、ハルはフッと息を付く。意見を笑われたと感じて、元が大きく口を尖らせた。しかし次に口から紡がれた言葉は、予想から反するものだった。

【あぁ、それが命を有する者達の当然の姿だ。しかし獣は、糧にするだけの目的で人間を襲うのではない】

【あ?】

 ハルがチョコレートケーキを、一口大に割いた。中からトロリとチョコが流れ出る。割いたケーキに、流れ出たチョコを一撫でして、ハルは流れるように言葉を繋ぐ。

【生命の維持だけを言及すれば、獣は数年食物を口にしなくても、生き長らえる事が出来る。しかも襲うのは民だけだ。家畜などには目もくれない。

 獣は人間を糧として襲うのではない。一時の快楽を得るためだけに、人間を襲う生き物なのさ】

 元の額に汗が吹き出す。言葉にならない元とは相反して、特に憤る訳でもなく、ハルはこう締め括った。

【何処までも世の中の理から外れた奴らだ。本当に不思議な生き物だな……】



 深い紫の宝玉を額に持つ獣は、同色の瞳を爛々と輝かせている。獣の嗅覚に、エンダの存在は反応しない。しかし、姿形は人間そのものだ。ノコノコと現れた二人に、ジュルリと舌を舐めた。

 その姿に嫌悪感を抱きながら、

『ハルの持論だ。どこまで本当かは分からない。……でも』

 興奮に身を震わせる獣を前にすると、納得もしてしまう。それを思うと尚更、守れず多くの民が犠牲に成った事が悔やまれて仕方がない。

 元は一度大きく息を吸った。そして低く剣を構えると、視点を獣に合わせる。筋肉がグッと大きく盛り上がり、その体に大気が纏う。それと同時に、ハルがスッと腕を上げた。周囲に幾つもの魔法陣が浮かび上がり、魔法の効果で荘厳な音が響く。それはまるで、死者を弔う鎮魂歌の様でもあった。


 獰猛な獣を前にして、エンダは命を賭けて狩りに臨む。獣によって命を落とす民を救う為に、日々狩りに明け暮れ生きていくのだ。それはこの世界において、異世界の民 エンダの唯一の存在価値でもあった。

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