第10章 存在ノ理由-4

 ギヴソンは、昇り始めた陽の光で見事なコントラストを描く世界を一心不乱に駆け抜けていた。元はその背に乗り、真っ直ぐ前だけを見据えている。右手には手綱を、もう片方の手には、原型を留めていない地図が握られていた。

「俺ぁ、地図が読めねぇんだよ」

 もともと地図を頼りに行動を決めるタイプでは無い。縮小された地図を見ると頭が痛くなるレベルで、道が分岐しようものなら一旦ギヴソンの足を止めて立ち止まらざるを得ない。その度に焦りから地図を投げ出してしまう。

「くっそ~ハルだったら、こんなに手間取ることもねぇのに!」

 苛立ちから何度この言葉を呟いただろう。しかしハルは、元の背中に紐で体を括り付けられ、意識を失ったままだ。倒れてから既に半刻が経とうというのに、意識を戻すどころかピクリとも動かない。

 元は地面に投げつけた地図を拾い上げ、背中のハルに視線を向ける。その表情は一切の赤みを失ったままで、流れ落ちる汗の滴に、「戦ってやがる」そう思えて仕方がない。反対魔法を唱えれば意識が覚醒するまでに、数日を要する事もある。しかし今回倒れた原因が、二人が束になっても勝てなかった相手、ゾウガンに関係するとなれば、その焦りも当然と言えた。

 元はグッとギヴソンの手綱を持つと、大地を蹴り上げ背に跨がる。そして町の方向を再度地図で確認すると、「行くぞ!」そう険しい表情のまま声を上げた。


 陽も高く昇った頃、元は街の入り口に位置するカラーの扉を大きく引き開けていた。勢いよく店に飛びこんだものだから、扉が豪快に閉じられ建物自体がミシリと音を立てる。

「あんちゃん~店を壊す気かい? もう少し丁寧に扱ってくれよ。町の建物はエンダの怪力に合わせて、作られている訳じゃないんだからさ」

 眉間に皺を寄せると、大きな腹を揺らし店主が苦言を放った。カウンターの中から飛んだ声に、勢いよく体を翻し大股で駆け寄る。グイッと身を乗り出す元に、店主は思わず身を引いた。

「お、な何だい!? そ、そりゃ、カラーは幾分がんじょうに……」

「親父っ、ヒーシャの巡礼地って何処だ!? 地図に記載されていないんだ。えっと、えっと~何とかの森って言うんだけど!!」

 森の正式名称を思い出そうと躍起になる元に向かって、店主は怪訝そうに両手を広げた。

「あんちゃん、それって正邪の森の事かい? だったら地図に載っている訳がないさ。正邪の森は、基本ヒーシャしか踏み入れちゃいけない場所だ。おいそれと地図に載せられな……」

「何処にあるのかって聞いてんだろ!!?」

 力の加減が出来ないまま振り落とされた拳は、長いカウンターを粉々に砕いた。至る場所で瓶やグラスが割れ、小さな叫び声が漏れる。店主は騒然とするカラー内に視線を向けると、焦りの声を上げた。

「おいおい~」

 エンダはこの世界の民を傷つけてはならない。元の行為を危険だと判断したのだろう。店員達がピクリと行動を止めた。これに焦ったのは店主だ。カラーでエンダが拘束されるようなことがあれば、店の運営を協会から咎められかねない。目を付けられたが最後、店一つを潰すなどたわいもない奴等だ。

「あんちゃん、ちった~落ち着きな! 正邪の森がどうした? 見たところ戦士だろ? あんちゃんには、何の価値もないただの森だよ」

「だから……!」

 焦りから更に詰め寄ろうとする元の腕に、背後から優しく手が添えられた。そこにはストレートの長い髪をサイドに流し、白い旅服に身を包む女性姿があった。頭に血が上っているとはいえ、女性に対して乱暴な事は出来ない。言葉に詰まる元に向かって、笑みを浮かべたまま優しい声が紡がれる。

「背中の女性はヒーシャですね。見た所、穢れにより重体化されているようです。一刻も早く正邪の森に行かなければ、手遅れになりますよ」

 ヒーシャ特有の穏和なオーラに、気持ちが僅かばかり落ち着く。しかし背中のハルを思うと、途端に焦る気持ちが溢れ出てしまう。背中に触れている場所がゾッとする程に冷たい。

「場所が……ど、どうしても分からなくて」

 女性は微笑みを浮かべたまま、元が握りしめる地図に手を掛けた。そのまま促すように広げてみせると、ある一カ所を指差す。

「この草原、ここがそうです。草原の様に記載されていますが、ここに森があります。とても深い森なので、近くに行けば直ぐに見つける事が出来るでしょう」

 元が蒼白な表情のまま、地図に視線を落とすと、そこには広大な草原が描かれていた。震える手で草原に赤丸を付けて大きな溜息を一つ吐く。

「あ、ありが……。俺、焦っち……」

 何とか気持ちをと思うのだが、声が震えて巧く伝えることが出来ない。女性はにっこりと微笑むと、次には表情を真剣なものに変えた。

「ヒーシャ以外は、森に着いただけじゃ駄目です。中央に辿り着くまでが大変なんです。いいですか? 森の中にある印を探して、その印が示す通りに進まなければ、中央に近づけない仕組みになっています。まず森の入り口を探して下さい。どこかに印がある筈です」

 放たれた言葉は、元を不安に陥れた。地図を読むのも一苦労したのだ。にも関わらず、森の中にある印を探せという。正直自信がなかった。恐る恐る問い掛けてみる。

「し、印って?」

「分かりません。ヒーシャは印が無くても受け入れてくれる場所なので、語り継がれていないんです」

 その言葉通り、元が周囲を見渡しても、店にたむろするエンダ達は首を振るばかりだ。それでも小さく「印」そう呟くと、店主に身体を向けた。

「乱暴な事して悪かったな。これ、弁償代だ」

 そう言葉にすると、灰色が斑に入った宝玉を差し出す。それはハルが狩りで倒した、闇の獣のものだ。

「契約したもんじゃないから……」

 言葉もそこそこに、情報を与えてくれた女性に深く頭を下げると、来た時と同じような勢いでカラーを飛び出す。けたたましく閉じられた扉に、店主は丸い身体を揺らし溜息を吐いた。

「全ったく、契約もしていない獣って事は、出現したばかりの獣だろ? たく二束三文にもなりゃしない。エンダに合わせて作ったカウンターだぞ! 足が出ちまうじゃねぇか」

 そうぼやきつつ、手渡された宝玉に目を落とすと、大きく目を見開いた。

「この色は……」

 目まぐるしく記憶を遡っても、この石に該当する契約はない。しかしこれ程までに複雑で深い色彩は、この土地に於いて未だ嘗てお目見えした事はない代物だ。店主の顔が商売人の表情に豹変すると、ニンマリと口を上げた。

『確かにリストになければ、倒しても懸賞金はお情け程度だ。しかしレアアイテムになると話は別。協会から報奨金がたぁんまり出るからな。あの、あんちゃん、一体これを何処で……』

 元が出て行った扉に一度視線を向けた。しかし興味は直ぐに石に移り、何度も宝玉を撫でる。そしてほくほくと顔を赤らめ、店の奥に消えた。


 カラーで教えてもらった通り、地図が示す場所に森はあった。聖者の加護を受けたヒーシャの聖地とは思えない程、暗く深く生い茂った森だ。懸念していた印は、意外な程すんなり見つける事ができた。朽ちた石標に刻まれた文字は読めない。しかし方向を示す印が刻まれている。

「これか。よし、行くぞ! ハル、頑張れよっ」

 そう声をかけると、深い森の中に足を踏み入れたのだった。

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