第9章 異世界ノ民‐26

「なんじゃ、ありゃぁ」

 元の声に集まったエンダ達は、三頭の獣に視線を合わせた。それは山のように立ちはだかる十五メートル級の巨大な生物だった。

『……初めて見る種別だ。額に宝玉が無くてあの体格か。ふむ、魔法が効かない様に施されている。ふん、流石は協会というべきか。この世界の常識では計れない』

 ハルは額に手を添えて見据えた。その形態は、馬によく似ている。しかし鋭利に尖った蹄も鋭い眼光も、気性の荒さが顕著だ。協会に大人しく従っているものの、全身から醸し出される威圧感は協会の存在そのものだった。この世界の地上の生物は、人を襲うタイプの獣、すなわち額に宝玉を持つ獣以外は、巨大なものでも五メートル級に収まる。

 口元に小さく笑みを浮かべながら、ハルは当然のように存在する獣に見入っていた。

「おい、落ち着けよ。マジ、協会の前で暴れんなって。お前を粛清の対象にさせる訳にはいかねぇんだよ」

 三頭の獣を意識しているのか、ギヴソンが大きく体を揺らす。身体中を堅くする姿に、元は諦めがちに息を吐いた。早くこの場を離れなければ、何が起きるか分からない。


 協会の調書も何とか無事に終わり(元に至っては、認識力が低いというハルの申し出で、対応は全てハルが行なった)漸く町を出ることを許されたのだ。出発を前にして、エンダ全員が町の入り口に集まった。皆が皆、長い間枯渇していた飢えを満たし、生気に溢れた顔をしている。


 結局、町は協会の管理下に置かれる事で罰を免れた。理不尽な事由で、多くの民が命を落とした事実も温情の一つとされたらしい。

「冷酷な上、残酷極まりない協会にしちゃぁ、随分と心優しい裁量だよなぁ。町を一つ潰す位、平気でやる奴らなのに」

 元が本気で驚きの声を漏らす。その言葉もその筈で、協会の中では異例中の異例の裁量といえる。ハルは冷笑を浮かべると、ぐるりと町の風景に瞳を細めた。

『ふん、この地の特産物である鉱石の掘削は、職人であるこの地の民しか出来ないからな。協会としては体よく、潤滑な資金源を得たという事だ。しかし領民にとっては、協会の管理下に置かれるのは悪い事ではない。今までよりも良い暮らしが出来る筈だ』

 ふと協会の意識が自分達に向けられている気配を感じた。ハルは輪の中心に位置するロディオンに視線を向ける。


「ロディ……」

 ボロボロと涙を溢すメロウの姿に、元がズズッと鼻を啜る。そこへディーンが神妙な面持ちで一歩足を踏み出し深く頭を下げた。

「ロディ……我々の町の為に、お前を協会に突き出すことになってしまった。本当に申し訳ない」

 頭を下げたままの姿に、ロディオンは両手を腰に当てて、軽やかに振り返った。


 ロディオンの処分については、協会本部で改めて審議される事となっている。ゾウガンの支配下での所業とはいえ、多くのエンダを陥れたが故の処遇だ。

「頭(かしら)……。ふふふ、そんな憂う姿も、す・て・き。でも皆の門出にその表情は似合わないわ~。餞別ならここにどう?」

 唇に指を添えて瞳を閉じてみせる。唇を突き出す姿に、涙を瞳に貯めたまま、

「ロディったら……!」

 メロウが涙を溢して吹き出した。漸く笑顔を浮かべた仲間にロディオンは更に笑うと、どこまでも青く澄み切った空を見上げ、懐かしそうに瞳を細める。

「ふふふ。ワタシだったら大丈夫よ。だって、ここで何が起きていたのか、それをエンダの立場で伝えられるのはワタシだけでしょ? 勿論、ワタシが犯した罪は赦される事じゃないし、どこまで償えるかも分からないけど……。でもいつの日か赦される日が来たら、またエンダとして旅に出るワ。だってワタシにはそれしか出来ないもの、ね!」

 地下に拘束されていた多くのエンダ達も、ロディオンを前にして真剣な表情を浮かべている。背の高いエンダが、グッとその腕を浮かんだ。

「あらん」

「我々は民の現状を聞いて、自らこの地に赴いたんだ。お前が何を贖罪したいのかは知らないが、そこはちゃんと説明しろよ」

「そうだ。我々に関しては、償いは無用だ。一応協会には説明はしているが、あいつらは何を考えているのか読めないからな」

 鼻息を荒くするエンダ達に、ロディオンの表情が一瞬崩れた。思わず背けた視線の先に、表情の読めないハルの姿が映る。ふぅ……と一度だけ息を吸って、

「ハル、アンタには世話になったわね~。今度会えたら、本気で一戦交えたいわ。幻影なしで、元を賭けてね!」

 そう言葉にしながら、バチリとウインクを放つ。

「あ?」

 言葉の意図が図れない元は、あたふたと周囲を見渡した。皆の視線を生暖かく感じて、何故かとても居心地が悪い。ハルも同様で、言葉の真意がつかめず、怪訝そうに目を細めている。

「ふふふ。あ、ハル。忘れるところだった。これは頭(かしら)に返せばいい?」

 ふと上着のポケットに手を入れると、小さな石の固まりをハルの掌に乗せた。大理石のように淡い柔らかな光を放つ小さな石がころりと掌で転がる。

「え、これはコアじゃないか? どうしてハルが?」

 石の輝きに視線を落とし、ディーンが目を丸くし驚きの声を上げた。希少な石は、強固な鉱石を砕く唯一のものである。しかしコアは鉱石以外には非常に脆く、領主の屋敷内で厳重に管理されている筈であった。

 石の存在に、エンダに動揺が走った。無表情でコアに視線を落とすハルをグルリと取り囲み、深い溜息を吐く。

「コアの存在があるならあると……」

「はぁ……もう、あんな思いはこりごりだ」

「全くだ。本当に死ぬかと思ったんだからな」

 口々に吐き出される言葉に、元は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、ボリボリと頭を掻くのだった。



【壁を壊す!!?】

 深い地下の牢屋の中で、エンダ達は一様に瞳を見開いた。ハルの提案はあまりにも無謀としか言いようがなかったからだ。

【あぁ、確かにこの鉱石は、最高の強度を誇る石だ。しかしこの世界で壊れない物、そう断言された物質はない】

 ハルにしては、随分と曖昧な言葉だ。あからさまに動揺し、マジッカーの男が異議を唱えた。

【い、や。そう結論付けるのは、強引では……】

【その男……元が最大限の技を繰り出しても壊せなかった壁だ。壊せるのか】

 皆の不安は相当なもので、半信半疑でハルの言葉に耳を傾けている。

【あぁ、実証された事はないから、どれ程負荷を与えればいいかは分からない。しかし協会に助けを求めた事が耳に入れば領主の事だ。確実に証拠隠滅に動く。それまでに脱出が出来なければ命が危ない】

【証拠隠滅。どんな……】

 ハルの魔法が、牢屋の内部を明々と照らす。その光の下で、小さく「さぁな」そう呟く声とは裏腹に、強い意志を湛えた瞳は絶対的な確信を感じさせた。不安そうな表情を浮かべるエンダ達に向かって、ハルの淡々とした声は続く。

【この部分に向かって、技を繰り出し続けろ。ここの壁が一番薄い】

 そう言葉にすると、以前元が技を放った箇所を指さす。不安も不平も受け付けない物言いに、エンダ達は互いに顔を見合わせ、再度壁に視線を移すのだった。


 元やハルが連行された後も、エンダ達は交代で壁に向かって技を放ち続けた。

 ガイが渾身の力で壁に向かって拳を落とす。「息吹の実」で心身ともに回復した。にも関わらず、一筋のヒビも入らない。ガイが膝を付いた時だ。掌が水分に濡れた。

【え……水滴?】

 怪訝そうに落とされた声に、全員が口々に叫び声を上げた。

【え、え? 水? 本当だ……何でこんな地下に?】

【ちょっと、水かさが増えていない? そういえば、さっき地上を繋ぐ扉が開いた音がしたけど……まさか?】

 全員が重なるように視線を合わせると、じっと耳を澄ます。微かだが水が流れる音が聞こえた。未だ靴底にも満たない水位だが確実に水かさは増えている。

【溺死させる気か!!?】

 悲鳴にも似た声が地底に鈍く響く。しかしどんなに叫んでも助けが来る筈がない。ガイが壁に向かって思いっきり拳を叩きつけた。鈍い音だけが壁を伝わり途切れるだけだ。

【代われ!】

 拳士が低い位置で大きく構えると、精神を統一するように大きな息を長く吐いた。体から吹き出す闘志が大気を揺らし、拳に淡い光が纏う。

【ハッ!!!】

 放たれた衝撃は、渦となり壁を直撃した。一瞬、壁面が大きく波を打つ。

【やったか!!?】

 牢屋を揺らす程の衝撃だ。逸る期待に胸を苦しくしながら向けた壁に、全員が落胆の溜息を吐く。牢屋の壁は黒々とした輝きを保ったまま、不変の様に立ちはだかっている。拳士が目を見開き力なく膝を着くと、水が小さく波を打った。

【もう無理だ……。いずれここは水に沈む】

【獣に負けて死ぬならまだしも、溺れ死ぬとは……】

【領民を誰一人救えず……これでエンダと言えるのか……?】

 力なく落とされ続ける声は、膝下まで水位を上げた水面に落ちる。空腹と痛みに耐えた長い夜が、このような形で終焉を迎えようなどとは思っても居なかった。

 打ちひしがれるエンダ達の前に、ガイの怒号が飛んだ。

【まだだっ! まだ我々には残された可能性がある。ここで諦めたら、以前の自分達に戻ってしまうぞ。我々は生きてここから出るんだ!】

【そうよ。あの二人だって戦っているんだもの。私達は私達に出来ることをするの。皆で、外に! あの陽の光の中に帰ろうよ!!】

 重ねるようにメロウが必死に訴える。一人、そしてまた一人大きく頷くと、代わる代わる技を繰り出し続けた。やがて水位が首まで上がり、目指す壁も既に水の中となっても、誰一人として諦める者達はいない。

 エンダの中で一番身長が低いメロウが水の中に沈んだ。

【メロウ!!】

【だ、大丈夫。私……なら、大丈夫だから】

 牢屋に走る緊張感は最大に膨れ上がり、エンダ達を飲み込んでいく。その時だ。何百も打ち付けられた壁が、鈍い音を立てた。

【壁に!!】

 黒い壁に大きな亀裂が走った。皆が目を見開き見入る中、水の音を跳ねらせ階段を下る音が響き渡った。

【だ……誰か来る】

【やっと、やっと壁が崩れかけたというのに】

 頭に過ぎる最悪な結末に、エンダ達が絶望の声を上げた時だ。黒い長い影が伸び、曲がり角から姿を現したのは、想像を超えた人物だった。

【ロ、ロディ!!?】

 息を切らせ顔を真っ赤にして現れたロディオンの姿に、それ以上の言葉が見つからない。

【皆、待たせたわね! もう大丈夫だから!】

 嬉しさで跳ねるように紡がれた声は、暗い地下に差し込んだ一筋の光の様に、絶望の日々を終焉に導いたのだった。



 自分を取り囲む不満に、やっと気が付いたのだろう。ようやくハルが意識をエンダ達に向けた。肩に上がって来たタロの体を優しく撫でながら、平坦な声を繋ぐ。

「この土地では壊せないのでは、と言われている壁だ。壊せる事が証明が出来ただけでも大きな意味があった。何回打ち付けてヒビを入れたんだ? さて、情報を修正しておかなければ」

 表情のない顔が小さく緩む。見入る程可愛らしいが、醸し出す空気は冷酷そのものだ。水が肩まで迫った恐怖に、全員がブルリと体を震わせた。エンダの一人が大きく体を反らす。

「え、やっぱり壊せないって言われていたんじゃ。それに、その小動物がコアを持って来ると知っていれば……」

 なおもまだ吹き出す不満に、ハルが口元を上げたのを見届け、ロディオンは小さく溜息を吐いた。

「タロちゃんたら、ゾウガンの従者を威嚇しながら、地下の入り口でワタシを待っているんだもの。それもハルの指示?」

 気持ちよさそうに身を委ねるタロの仕草に、ハルは目を細めている。代わりに元が、ボリボリと頭を掻いた。

「タロ、コアを探して持ち出すなんて。そんな芸当まで……?」

 何故かショックを受ける元の姿に、ガイが大きな笑い声を上げた。

「生きているからこそ、出来る会話だ」

「あぁ、今でも信じられない。あそこから出る事が出来たなんて……!」

 陽の光の中で見るエンダ達は、水を得た魚のように今は生気に溢れている。元は頬を高揚とさせて、皆を見渡した。

「せっかく外に出られたんだ。あまり無茶すんなよ」

「協会がカラーのある町まで送ってくれるらしい。二人はどうするんだ?」

 掛けられた言葉に、元は大きくかぶりを振る。離れた場所から意識だけを飛ばしてくる協会に、不快な感情を露わにして言葉を繋ぐ。

「俺らはいいよ。なぁ、ハル。だってあいつら、ギヴソンを狩れってうるせぇし。あんな奴らと居たら息が詰まっちまう。たく、自分らはあんなデカイの引き連れてるくせにさ。あれに比べたらギヴソンなんて可愛いもんじゃねえ?」

 ハルは暫し考えた後、未だ痕が残る左手に視線を落としたまま小さく頷いた。真剣に問う声に答えられる者はいない。ギヴソンクラスの獣と何故 旅が出来ているのか、不思議でならないのだ。暫しの静寂に頬を膨らませつつ、

「皆、元気でな。ロディ、ちゃんと努めを果たしたら、またエンダとして頑張れよ」

 そう声を掛ける元に、ロディオンは勢いよく抱きついた。厚い胸元に顔を埋めると、回した腕に力を込める。

「あぁん。そんなぶっきらぼうな物言いも、好き! 待ってて、必ず会いに行くからぁ」

「おいおいおい」

 本気で困惑の表情を浮かべる元や、抱きついたまま離れないロディの二人を見て漸く皆に笑顔が戻る。

 賑やかな空気から少し距離を置くハルの隣に、ディーンが立った。

「世話になった。領民を救ってくれてありがとう。どう礼を尽くしても、尽くしきれない」

 そう言葉にして、頭を下げ掛けたディーンを制するように、短くハルは言葉を返す。

「礼など不要だ。お前達の為にやったのではない」

 まるで心が遠くに離れているような物言いに、思わずディーンはその姿に魅入っていた。何に心を奪われているのかすら図れないまま、 

「……父は」

 思わず口から着いた言葉だった。恥じる表情を浮かべる姿に、ハルはちらりと視線を向ける。自らが望んでいた結果とはいえ、協会に親を引き渡したのだ。ディーンの意識の奥底に蠢く葛藤を感じ、ハルは瞳を細めると、はっきりと言葉にした。

「協会から口止めされているが、どうしてもと言うならば応えてもいい」

 ディーンは、ハッと表情を強張らせた。ゾウガンに関わる一切の事象は、全て協会の管轄とされている。いくら実父の事とは言え、協会の知る事となれば只では済まなくなるだろう。ディーンは小さく拳を握り、

「……いや。必要はない。俺には領民を守る役目がある。その為だけに生きてきた。それはこれからも変わらない」

 そこまで言葉にして、ディーンは更に声を低くした。

「前に……首を締めて悪かったな」

「首? 何の事だ?」

 本気で覚えていないのだろう。怪訝そうに頭を捻る姿に、安堵の表情を浮かべ、ディーンはハルを見据えた。

「ハル。協会の管轄に置かれたとはいえ、この町は住み良くなる。いや、そうしてみせる。だから……」

 そういい掛けて、ディーンは我に返って言葉を止めた。

『何を俺は。エンダを町に留める事など出来ない事くらい、分かっているじゃないか。なのに……狩りで命を落としてほしくないなんて、どうかしている。エンダは獣を狩る為に存在しているのに』

 何故一緒にいたいと思ったのか、その感情の意味さえ分からない。しかし顔が熱くなるのを感じて、思わず視線を外す。次の言葉を待つハルの体が突如宙に浮かんだ。元がハルの体を抱え、自身の腕に乗せたのだ。

「何、こっそり二人で話してんの?」

 不機嫌な感情を隠すことなく向けられた声に、ハルは「雑談だ」とだけ応えた。そして広がる地平線に視線を移し「行くぞ」そう呟く。

「おぅ!! やっと狩りに戻れるぜ」

 元は大きく息を吸う。今回ばかりは、己の脆弱さが身に染みた。ゾウガンの言葉が何度も蘇る。


【絶対的に経験が足らない】


 元がギリリと歯軋りを鳴らす。肩の存在に意識を飛ばし真っ直ぐ前を見据えた。

『もっと強く成るんだ。ハルを守れる位に』

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