第9章 異世界の民‐23

「仕方ないわね」

 ロディオンは、仁王立ちのままのハルの姿に、大きく溜息を落とした。半ば諦めた様に呟く両手には、十本近いナイフが握られている。しなやかな動きで片手を上げると、その腕を一気に振り落とした。長い腕から放たれた五本のナイフは、規則正しい鋭い小さな音を立てて床一列に突き刺さる。進入を拒むナイフの威嚇を、ハルは躊躇なく跨(また)ぐと、更に距離を縮めていく。

「……」

 二人の距離が五メートルにも満たなくなった時だ。ロディオンは一度瞳をギュッと閉じると、もう片方の腕を振り落とした。

「ハル!!」

 今度は威嚇などではない。ナイフはハルの眉間を目掛けて襲いかかる。しかし元が驚愕したのは別のことだった。放たれた五本のナイフが、十本、二十本と螺旋状に膨れ上がっていく。それは瞬く間で、ナイフは数百本にまで増殖し闘技場を埋め尽くした。

『ただの幻影じゃないわヨ。退くチャンスはあげたからね、ハル!』

 波のように襲いかかるナイフに、ハルは大きく瞳を開くと、体を反らし攻撃を凌ぐ。その咄嗟の行動は目にも止まらないもので、瞬時に壁付近まで移動していた。しかし、

「グッ!」

 ハルの低い呻き声が地面に落とされる。肩から鮮血が飛び散り、黒々とした壁の一部を朱色が染めた。

「ナイフが……」

 鋭利なナイフは軌道を変えて、次から次へと襲いかかった。何とか小刀で応戦するが、如何せん数が多すぎて、避けるだけで精一杯だ。執拗に追いかけてくる凶器は、今や一つの大きな固まりとなり鋭くうねっている。カチカチと無機質な音を立てる刃に、ハルの体力は次第に陰りをみせ始めてきた。

「ハル!」

「元は後で。二人の勝負に水を差さないで!」

 咄嗟に剣を掲げて駆け寄る元にロディオンの叫び声が飛んだ。同時に帯状のナイフの束が、元の眼前に立ちはだかる。何百もの刃先が向かう光景にゾクリと背筋が凍る。思わず半身を退いた。

「ロディ! おま、本当はこんな事、やりたくねぇんだろ!? 俺らが手を合わせれば、お前の仲間だって絶対助けられる!」

 訴える元の言葉に、ロディオンは小さい失笑を浮かべた。スッと視線を上げると、瞳にゾウガンの姿が映し出される。寝首を掻こうと画策した日もあった。絶対的な支配者、異世界の民であるエンダであっても抗えない現実にそんな夢も見なくなって久しい。

「ふふふ。絶対か~。……元て、本っ当に甘ちゃんだよねぇ。エンダであれば、全ての民を救えるって思っているんだもの。神様にでもなったつもり? 馬鹿みたい」

 可笑しくて仕方がないと言わんばかりに、腹を抱えて笑い出した。意のままなのか、今の瞬間だけは、ハルを狙うナイフも動きを止めて微動だにせず宙に漂う。

 ロディオンはあらかた笑うと、大きく息を吐いた。次には侮蔑した視線を冷ややかに向ける。

「アンタ、ゾウガンの怖さを知らないから、そんな甘っちょろい事が言えるのよ。……いい? 私が仲間を助けようとする度に、見せしめで仲間が死んでいったわ。大勢の民と共に、公開処刑という名の下にね。私の大切な仲間は、もう後数人しか残っていないの。みすみす死なせる訳には行かないのよ!

 アンタにどれ程の力があるっていうの? 仲間が助かるなんて保証、どこにあんのよ!」

 その瞬間の出来事だった。元を見据えたロディオンの頬に、ハルの蹴りが直撃したのだ。その蹴りが振り切られた時には、派手なバトルドレスが壁に打ち付けられていた。

「ハル!!」

 元の安堵を含んだ声が、闘技場に響き渡る。しかしその声は、絶望という名の下に、次の言葉を噤んだ。

 ハルがハッとした表情を浮かべた様な気がした。元は瞬きも出来ず、目の前でナイフの渦に飲み込まれていく姿を追う。膨れ上がった固まりが地面に落ちる様子に、

「ハル―――――……」

 元の体がグラリと崩れ落ちる。

「痛ぁーい。たく、ヒーシャの蹴りじゃないわ」

 赤く腫れ上がった頬に手を添えて、ロディオンは壁に身を寄せた。口の中の血を吐き出し、

「何だかんだ言っても、ハルも甘かったって事ね。蹴りなんかじゃなくて、ナイフを使うべきでしょう? あんな蹴りで私を倒せるなんて、舐められたものね」

 そう小さく笑いを浮かべる姿にも、元は膝を落としたまま、ピクリとも動かない。

「元~。ほらぁ、立たないと、今度はアンタの番よ。逃げなきゃ、死んじゃうわ」

 そんな声にも顔さえ上げる事が出来ず、大きな体を小さくさせると、握りしめていた剣がゴトリと床に落ちた。とても戦える状態ではない。ロディオンは、感情を無くした表情のまま片手を上げた。


 ナイフに埋め尽くされた二つの固まりに、ゾウガンの高笑いが落ちる。耳障りな声にロディオンは小さく視線を伏せた。

「ロディオン、よくやった! 全く、己の世界すら変えられない屑がいきがりおって!! あぁ、気分がいいぞ。よし、これは褒美だ。取っておけ!」

 そんな高らかな声と共に、扉が大きく開け放たれた。そこに現れた二つの姿に、ロディオンの表情が一気に崩れ弾けた。

「ロディ!」

「嘘でしょう、ガイ~! メロウゥ!!」

 三人は堅く抱き合うと、涙を流し再会を喜びあった。ロディオンにとっては、この瞬間の為に生きてきた……そう言っても過言ではない。その為に、口では言えないような罪を重ねてきたのだ。メロウが涙を溢れさせ、何度も「ごめんね」そう呟く。その度に、ロディオンは首を振った。

「ワタシこそ、ごめんなさい! 力が足らなかったばかりに、皆を守れなかった。二人にも辛い思いをさせて……」

 言葉に詰まる姿に、ガイがその肩を抱く。

「皆の事は仕方がない。もうそこまで自分を責めるな。分かっている。全ては我々を生かす為だったのだから」

 優しく紡がれる言葉に、ロディオンは涙を拭うと二人を見据えた。ずっと焦がれていた。一年以上も仲間から離されて、二人の生死も定かではない中で、その存在だけが生きる希望だった。

「……ワタシ、罪もない人々を沢山陥れて来たの。二人が無事に生きてくれさえすれば、もう思い残す事なんてない。……ワタシ、協会に行って罪を償うわ」

 そう言葉にして、ニッコリと微笑みを向けた。揺るがない想いを向けるロディオンの姿に、二人は表情を変えた。協会に出向けば、二度と出ては来られない。メロウが必死に首を振り、ガイが必死の形相で訴える。

「なんて事を言うんだ! 我々を生かす為だったのだろう!? 協会の処罰はそれは厳しいものと聞く。生きて出て来られないぞ!」

「だからって、許される事ではないもの。本当に酷い事を……」

 言葉に詰まる仲間の姿に、涙を流しメロウは優しく腕を掴むと、小さく言葉を落とした。


「ねぇ……ロディ。黙っていれば分からないわよ」


「え?」

 その声はあまりにも小さく、ロディオンは首を傾げた。

「痛!」

 掴まれた腕に、鈍い痛みが走る。二人の顔から、途端に表情が消えた。

「そうだ。ロディ、お前は悪くない。騙されて、死ぬ方が悪いのさ。こんな生きるか死ぬかの世界で、そんな簡単に死ぬ奴なんて、どうせこの先 早々に死んでいただろう。ほら、そこに転がる奴等のようにな」

「ガイ?」

「そうよ、それに私達が死ぬ訳にはいかないでしょう? だって、前の土地では、リストに上がる程の実力者なのよ。名も知られていないエンダが多少減ったからって、それは世界の摂理というものよ」

「メロウ……?  え? ちょっと二人ともどうしたの!?」

 唖然とする表情を浮かべるロディオンの腕を掴み、二人はゾウガンに向かって歩き出した。振り返った二人は、何故か口元に薄笑いを浮かべている。悪夢よりも更に悪い夢を見ているようだった。

「さぁ、これからもゾウガン様の為に生きていくの。ロディは、もっと沢山のエンダ達を連れてきて!」

「そうさ。我々は、そんなエンダや民を殺す獣を狩る。我々はずっと一緒だ。そうだろう? ロディ」

 重なり紡がれる声は、脳裏に直接流れ込んでくる。ロディオンは必死に抵抗を試みるが抗えない。引きずられ、もうゾウガンは目と鼻の先だ。

『ワタシは二人に生きて、ここから出て欲しかった。それだけがワタシの生きる希望だったの』



「ハル、アンタでしょ!? もう止めて!」

 ロディオンの悲痛な叫びが木霊した。



 その瞬間、世界が音を立てて崩れ落ちたのと同時だ。ハルの掌に握られた魔石が粉々に砕け散る。涙で溢れた瞳を再度開いた時、眼前で腕を組んで冷ややかな視線を向けるハルの姿があった。

「……アンタ、本当に性格悪いわ」

「毒のお礼だ。良かったな、いい夢が見られて」

 恨めしそうに呟かれた声に、首を小さく掲げてそう感情なく言葉を落とす。ギリリと歯軋りを落とすロディオンと、冷やかに口元を上げるハルの様子を交互に見入り、元は瞳を丸くした。

『何だ~? ハルが何かをポケットから出して、そしたらロディが動かなくなって。そしたら次の瞬間に、ロディが叫んで?』

 ロディオンは深い溜息を吐いた。体から全ての気力がはぎ取られ、立っているのもやっとだ。何よりも、腕に残るリアルな感触に、今でも胸の高鳴りが痛い。


 立ち竦んだまま戦意を喪失した姿に、ゾウガンは苦々しい声を落とした。

「……チッ、魔石を使ったな? 荷物は全て奪っておいた筈なのに、隠し持っていたか!」

 この世界の魔石には、様々な効力が秘められている。身につければ、全スキルを効率良く上げる事も可能だ。身体能力の高い獣と戦うエンダは、何かしら魔石の恩恵を承けていた。現にロディオンも、多くの魔石を身に付けている。

 しかし所詮は石がもたらす効果だ。元やハルは、能力の向上を石に頼るのを嫌った。

「スキルを上げる魔石じゃないって所が、アンタらしいわ。相手の能力を吸収して跳ね返す石って訳か。だからこそ本気でやれってね。まんまと乗せられちゃったわ」

 気怠く項垂れるロディオンの眼前にまで迫り、ハルは何の感情も表に出さず佇んでいる。白い肌に浮き出るような大きな栗色の瞳は、全てを見透かすようにその姿を映していた。


 途端に全ての力が体中から抜けた。がくりと膝を付くともう顔を上げることも叶わない。

「もう、どうにでもなさいな。どうせ仲間だって、殺されているんでしょう? 分かってるのよ。いいように使われているって事位……」

 ポタリと涙が地面に落ちる。

「でも、でも大切な仲間なんだもの。こんな幻影しか使えないワタシに、必要だって、仲間だって言ってくれた。どうやっても助けたかったわ」

 狩りの精度を上げる為のパーティだとはいえ、そこには仲間という強い絆があった。果てしない狩りの日々に、全てを投げ出したくなる夜も、皆がいたから乗り越えられた。

「お前の仲間など知らない。しかし出会ったエンダ達は、劣悪な状況でも民の為に生きようと必死だ。あぁ、地下に幽閉しているエンダをあの男は水攻めにするつもりらしいな。牢はここと同じ鉱石で囲まれている。早く行かないと溺れ死ぬぞ」

「そ、そこにガイやメロウは!?」

 目を血走らせ、ロディオンは顔を上げた。今にも食い付きそうな形相だ。

「さぁな、自分の目で確かめてこい」

「え」

 出来る事なら、今すぐにでも駆け出したかった。しかし刺すようなゾウガンの視線が、その気持ちを押し止める。葛藤に苛まれる表情を一瞥し、更に低く言葉は繋がれて行く。

「どちらにしても、お前はここで終わりだ。あの男がお前を許すとは思えない。あぁ違うな。エンダ全員を抹殺し、証拠隠滅を図るだろう。暗い地下で這うように生きてきた者達に会える最後のチャンスだ」

『謝罪したいのだろう』

 そんなハルの声が聞こえた気がする。ロディオンは導かれる様に立ち上がり、フラリと背を向けて駆け出していた。そこに苛立ちを含んだゾウガンの声が飛ぶ。

「無駄だ! 今頃は全てが水の中だ!」

 ゾウガンから植え付けられた恐怖が先立つ。反射的にロディオンの足がピクリと止まると、更にハルの声が被さった。

「我々が死ぬのを赦されるのは、狩りの中だけだ。その数多の道を絶って来たのならば、生きてその罪を償え。お前がやらねばならないのは、真実を語り二度と同じ悲劇が繰り返されないようにすることだ」

 ロディオンは振り返り、ハルを暫し見据えた。

「ハルって、そんな顔もするのね」

 そう一度だけフッと笑って、しかしその後はただただ真剣な表情を浮かべ小さく頷くと、扉の中に吸い込まれていった。

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