第9章 異世界ノ民‐24
元がハルの隣に立ち、グッとその顔を覗き込んだ。
「……何だ」
「いや~、どんな顔していたのかなって思ってさ。たく、勝てないなんて弱気なこと言うから心配したじゃん」
グイグイと間近まで迫った顔をそのまま掌で遠ざけ、ハルは体を翻す。元もまた瞳を細めて、傍観を決め込むゾウガンの姿に視線を合わせた。思惑が外れたというのに太々しい態度はそのままに、仁王の様に佇んでいる。
「私はあの男に対して言ったんだ」
「はぁ?」
見る限り何の特徴もないただの人間だ。武力に精通している様子もなく、人を引き付けるカリスマ性もない。財力だけでこれ程の権力を行使できるものなのか? ……元は大きく首を傾げた。
「何であんな奴に誰も逆らえない訳? こう言っちゃーなんだけど、相手は王様って訳じゃぁねぇんだからさ」
「本能だけで殺戮をする獣の方が、まだ可愛らしい。あいつは見た目通りの人間ではない」
「……ふ、う~ん」
どう見ても、権力の塊と言わんばかりの腹が膨れた親父だ。カリスマ性なら息子のディーンが何倍もある。納得をしない様子に、ハルは少し遠い眼差しを向けた。
「私も、あれが何か分からない」
「へ? ゾウガンって名の領主だろ? それ以外に何があるてんだ?」
ちらりと視線を向けた元は、その表情に驚いた。栗色の瞳を見開き、額に汗を浮かべている。しかし何より驚いたのは、その口元だった。ハルには珍しく、大きく引き上げられていたからだ。
「……何がそんなに面白い訳?」
問われて初めて、自身が笑っている事に気が付いたのだろう。ハルは口元に手を添えて、一瞬驚きの表情を浮かべた。元は元で、瞳をギラつかせた表情がハルではないように見えて、全身に鳥肌が立つ。
「……どちらかと言えば嬉しい。あれに近い波動を持つ奴に会えたのは初めてだ。……出来れば生きてここから出て、あの男の事を色々と調べたい」
独り言の様な言葉に、元は気持ちを切り換えて頭を捻る。まるで勝てない相手を前にして嬉々としている反面、苦悩しているかのようにも聞こえた。
「ハル?」
「元、得体の知れない奴だ。死ぬかもしれない。生きて狩りを続けたいなら……」
「ふん、嫌だね。俺はアイツにちゃんと反省させんだからさ。こんなに好き勝手やられて、ここで逃げたら、一生後悔する。それに、死んでいった奴等が浮かばれねぇじゃん」
無表情に垣間見た並々ならぬ覚悟を感じて、急いで言葉を遮った。牢屋で地を這うように生きるエンダ達の姿が脳裏を過ったのだ。選択肢など無い。元の揺るがない言葉にハルの表情が和らぐ。しかし次の瞬間、見開いた瞳を更に大きくした。
「元、剣を構えろ」
「え?」
放たれた言葉が理解出来ずに、元は視線を前に向ける。そこには観覧席から身を乗り出す、ゾウガンの姿があった。非人道的な人間とはいえ、魂に刻まれた制約に元は慌てた。反射的に駆け出したい衝動をハルの声が押し留める。
「早くしろ!!」
怒号が響いた瞬間だった。何故か目の前にゾウガンが立っていた。値踏みするかの様に斜めから見据える様は、何ともふてぶてしい。それどころではない、にも係わらず、その姿から目が離せなかった。
「は?」
目を見開く元を嘲笑うかの様に、ゾウガンは醜く口元だけを吊り上げる。その手には、金銀で彩られた剣が握り締められていた。
いつもであれば、反射的に動く体も相手が民だとそうはいかない。一瞬動作が止まった元に向かって、ゾウガンは颯爽と剣を振り上げた。ハルが歯を噛みしめる音がやけに耳につく。
ドン!
元の体が大きく弾き飛ばされた。そこには躊躇なく振り落とされた剣を、ハルが小刀で受け止める姿があった。
「ハル!」
民の攻撃など、例え護りに徹するヒーシャといえど、子供を押さえ付けるよりも容易い。しかし剣を両手で受け止めるハルの腕は、徐々に圧され始めた。「嘘……」意図せず元の口から言葉が漏れた。
「元、こいつは民とは別物だ」
苦しそうに落とされた声は、ゾウガンを更に興奮させた。口許を大きく歪ませ、剣を持つ手に力が籠る。二人の姿に、元はギリッと歯を食い縛った。
「ハルに刃を向けんじゃねぇよ!!」
キィン……
交り合う剣が火花を散らす。元の剣は斜めに弧を描き、確実にゾウガンの急所に向かって放たれた。しかし易々と塞がれた上、次の瞬間大剣は大きく宙に弾き返されていた。
あまりの衝撃に、元は一瞬我を忘れた位だ。それ程圧倒的な力だった。何が起きたのか、何故手元に剣がないのか、瞬時に判断出来ない。
「元!!」
吐き出されるような声に、ハッと我に返る。もうその時には、ハルが大地を蹴り上げ、小刀をゾウガンの首もとに振り落としていた。長い栗色の髪の毛が大きく唸り顔の半分を隠す。
「遅い!!」
ゾウガンは瞬時に剣を縦に持ち換えると、ナイフを容易に弾き落とした。反動でハルの小さな体は跳ねるように、堅い床に叩き落とされた。
「え? え?」
元は訳が分からないまま転がる剣を拾い上げると、佇むゾウガンの姿を仰視する。受け入れがたい状況だ。そのせいで色々と判断が鈍る。
「何が起きてんの?」
固い地面の冷たさを歯がゆく感じながら、ハルは体勢を整え口許を拭うと、瞬時に距離を置く。
『一見、いつものハルだが』
しかし、よくよく見ると、肩が上下を繰り返している。どんなに巨大な獣を前にしても、どんなに劣悪な状況であっても動じない姿はどこにも無い。しかしそれは元にも言えることで、今や心臓は痛いほど高鳴り、全身から噴き出す汗は余計に気持ちを荒立たせる。
『この俺が民の、しかも片腕から繰り出される攻撃を凌げなかった。あんな素人みたいな攻撃なのに……。てか、人間なのか? 剣を交えるのに抵抗がなかったぞ?』
幾重にも重なり合う思考に、元の思考はパンク寸前だ。しかし既にゾウガンは次の攻撃に備え、剣を持ち直している。
「来るぞ!!!」
まさしくハルの声と同時だった。再度、剣の交じる音が闘技場に響き渡る。
「ググググゥ」
二つの剣は、力の均衡によって一寸たりとも動かない。それでも脇の甘さを狙って、元が剣の刃先を返すと、一気に突き刺す。
渾身の力で放った一撃だった。獣でさえ、その硬い皮膚を突き破る程の鋭さだ。咄嗟とはいえ、民に向ける刃ではない。一瞬躊躇する剣に迷いが出て、刃先がぶれた。
ゾウガンは剣を振り上げると、難なく元の一撃を跳ね返す。
「フッ」
ゾウガンが嬉しそうに笑い声を上げた。
「いいぞ!!! 中々見所があるエンダだ! 力もスピードも、どれを取ってもバランスがいい! 何より感がいぃ! しかぁしぃ、甘い!!」
そこに間髪入れずハルの蹴りが入る。しかし、ズシリと重いその蹴りも、片手で易々と止められてしまった。
「まだだ、もっと本気で来い!」
耳に付く声を苦々しく感じながら、二人は次々に攻撃を繰り出す。目にも止まらない攻撃ですら、全くかすりもしない。それどころか、ゾウガンの動きは攻撃を交わすごとに鋭く速くなってくる。
『やばい、やばいって!! このスピード!!』
圧倒的な力の差だった。まるで子供の喧嘩のように、剣をただただ振り回しているかのようだ。敵を捕えられない焦りが、これ程自身にダメージを与えることを初めて知った。
「ふむ。しかし絶対的に経験が足りないな。まぁ、ここの地では仕方がないか。ザルモマナフ海(五つ目の海)を越えてくれば、それ相当になりそうだが……しかし残念だ」
そう言葉にすると、一回小さく頷く。
「ここで死んでしまう運命だからな」
冷酷な声は骨身に直接響き、背筋が凍る。ギリリと歯を食い縛った時、攻撃を止められたハルが首元を掴まれ、吊し上げられた。
「ハル!! ぐっ」
身を乗り出す元の眉間に、鋭い刃先がピタリと止まった。
「しかし、面白いと言ったらお前だ。ただのエンダじゃない。……お前、何を抱えている?」
手にぐっと力が籠り、その細首は今にも折れそうだ。しかし質問に応えるつもりはないのだろう。ハルは静かに見下したまま微動だにしない。
「クックッ」
ゾウガンはニヤリと口角を上げると、ハルを元に向かって投げ付けた。それはまるで、玩具を投げ捨てるかの様な気軽ささえある。咄嗟に抱え込む元に向かって、二人ごと突き刺す為に、ゾウガンは剣を振り上げた。
突如閃光の光が爆発的に広がった。眩(まばゆ)く差す光に目が眩む。
「チィ!! 魔石か!」
閃光の効果は一瞬で、次の瞬間には周囲が色を取り戻した。ゾウガンは大きく溜息を吐きながら、壁に背をつける二人に視線を向けた。
「やれやれ、足掻くものだ」
元は気休め程度の「息吹の実」を口にして、小さな呟きを落とす。
「負けんじゃねぇ?」
そんな問いにすら、ハルは一片すら表情を変えない。しかし口から紡がれた言葉は、非情なものだった。
「あぁ、勝てないな」
「そんな簡単に。どうすんの?」
「ふむ。残念だが、どうする事も出来ない。後は運に任せる」
「お前が運に頼るようじゃぁなぁ」
飄々とした物言いに、元はボリボリと頭をかいた。エンダの特性か、日々狩りに明け暮れているからなのか、確実に訪れる瞬間を冷静に受け止めた。不思議と精神は落ち着きを払っている。
「息吹の実」で体力も気力も回復したが、とても今の自分が勝てる相手ではない。刃を合わせた瞬間に分かっていた事だった。
「あ~あ、一太刀でも喰らわせたかった! てか、何なんだ、あいつ!!」
ゾウガンが一歩前に踏み出す。
「足掻く人間は嫌いじゃないが、如何せん時間がない。協会が来たら、流石に厄介だ。そこそこ楽しめた。礼を言おう」
口許に感情のない笑みを乗せて、一歩、そしてまた一歩と歩み寄る姿に、元がぼそりと呟く。
「なぁ、死ねない事情があるんだろ? 一瞬だろうけど、俺が盾になっから逃げろ」
「不要だ」
「だな。言ってみただけ」
この上なく不機嫌な声に、元は「ははは」と笑う。どんな状態になっても、ハルは絶対に退こうとしない。分かっているからこそ、生き延びて欲しいと願う。
『それが母親の事だったんだな』
以前聞いたハルの言葉が脳裏を過る。
死神の如く死へ誘う風貌をたたえ、不気味に近づく姿に、元は大きく息を吸った。
「来んぜ」
「あぁ」
二人が武器を構えた時だ。ハルが表情を変えた。
「ギヴソン!! 来るな! お前がどうにか出来る状況じゃない!!」
ゾウガンがハッと意識を向けた先に、黒々とした影が宙を過ぎる。ギヴソンは野太い鋭い爪でゾウガンを捕らえると、その頸(くび)元を牙で喰らい付く。
その牙が肌に届く間際だった。
一瞬大気が揺れた。水面に落ちる一滴の水滴の様に、ゾウガンを中心にして波動が波を打つ。その波が到達する度に、肌が恐怖に震えた。五メートル強の獣が抑え込もうとしているにも関わらず、ゾウガンの体は不動のまま動かない。
「ギヴソン?」
獰猛な獣の牙は、ゾウガンの肌の手前で静止したままだった。ハルの焦りを含んだ声が飛んだ。
「ギヴソン! そいつから離れろ!!!」
硬直した体の呪縛から解放されたかの様に、ギヴソンは反射的に離れる。一歩、そして一歩と回り込みながらその場から遠ざかった。まるで叱られた子犬のようだ。
ギヴソンは進まない足で何とか二人の所に辿り付くと、恐る恐るゾウガンに目を向けた。
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