第9章 異世界ノ民‐22★

「!」

 言葉が終わるや否やハルの視界がグルリと反転し、その体は闘技場に向かって投げ出されていた。

「ハル! ……え?」

 元は獣の頭に跨がり、剣を振り上げた時の事で、ふと目の端を掠めた光景に釘ずけになった。遠目に見えたハルの表情が、今だ嘗て見たことのないものだったからだ。

 

 その表情は、まるでそう……悔しそうだった。


 まさかと元がもう一度、眼をこらして見た先には、投げ出されたハルが体を反転させて、易々(やすやす)と体勢を整える姿があった。フワリと落下する間、深く眉間に皺を寄せて、噛みつくような視線をゾウガンに向ける。その小さな身体から噴き出す闘志に、元は思わず見入ってしまった。

「あ、やべ!!」

 そんな一瞬の隙を突かれ、元もまた地面に叩き落とされていた。

「いてて」

『てか、重力の影響を受けないのは、魔法じゃなかったのか』

 ハルが差ほど離れていない場所に、軽やかに降り立つ。元は倒れたままの体勢で、獣の牙を防ぐ傍ら、僅かな隙間からその姿を追った。しかし垣間見た表情には、もう僅かな感情すら映し出されていなかった。見間違いかと思わざるを得ない程、相変わらず何を考えているのか計り知れなく、ただただ空気みたいに佇んでいる。

「……大丈夫か?」

 獣の牙を振り払いながら問う元の声に、ゾウガンを見据えたまま、ハルは口を開いた。

「元、後一太刀でしとめるんだ。あまり労力を掛けるな。真の敵はあいつだ」

 感情無く発せられる声の中に、並々ならぬ緊張を感じて思わず身震いが起こる。元が視線を向けた先には、両腕を組んで仁王立ちをしたままのゾウガンの姿が目に映った。

『……あんな奴に、もう出来る事なんて無くない? でも協会が来るってんのに、やけに落ち着いてやがるな』

 しかしハルの事だ。何らかの根拠があって言っているのだろう。長年の経験から、無意識に頷くと獣を見据え「ふぅ」と小さく息を吐いた。

「たく、簡単に言ってくれるよな」

 ハルが狩りの内容に言及してくるのはレアな事だ。元の能力について苦言を施す事はあっても、二人の狩りは比較的自由だった。

『ま、お互いの癖やら何やら、分かっているからって事もあるけど』

 そうボソリと呟き、大きく剣を振り落とすと、獣に視線を合わせる。そこには底なしの体力を持て余し、ただ憎しみや欲望に苛まれる獣の姿があった。その姿を見据え、

『考えてみれば、こいつも見せ物みたいに扱われてさ、この部分だけは同情するかな……』

 元は剣を持ち返ると大きく息を吸った。勿論倒さなければ、欲望のままに人を襲う殺人兵器だ。

「あぁ、一太刀で終わらせるよ」

 まるでハルの言葉を復唱するかのように、体を低く構え剣を引いた。

「ホーリースカイ」

 元の姿は瞬く間もなく、獣の目の前にあった。大きく振り切られた剣が、獣の身体に触れた先から光の粒子となってその巨体を包み込んでいく。剣が振り切られた時には、身体の半分が消滅していた。


 ゾウガンは消えゆく獣に差ほど興味がないのか、冷ややかに視線を落としたままだ。そこに目前まで迫ったディーンが身を乗り出し悲痛な声を上げた。

「父上、これ以上罪を重ねるのはやめて下さい!! 逃げた観客達も、外で我々の仲間から拘束されています。貴方もその罪を償って……!」

 息子の切なる声に、ゾウガンの侮蔑した笑いが闘技場に響く。ディーンの脳裏に、幼少の頃共に過ごした日々が突然過ぎった。確かにゾウガンは金と権力に固執するタイプだった。しかしそれでも、人の命を面白可笑しく扱うような人間ではなかった筈だ。それが十数年程前から、何かに憑かれたように、ただただ非道な道を突き進むようになった。それは本当に突然の事で、領主の名のもとに当然の様に行われ始めた。

 ディーンの成長を皆が期待し始めた頃だった。そのカリスマ性を危惧して、ゾウガンは多くの民を人質にしてディーンを山に拘束したのだった。

「ふん、数年前に親子の縁は切れている。今更父と呼ぶのは止めろ。山から下りれば、全員を殺すと言った筈だ。のこのこと現れて、愚かにもエンダに肩入れするとはな!!」

 ディーンを見据える表情には、親子の縁(えにし)など一切感じ取る事は出来ない。冷酷な視線に、ディーンは驚く程ショックを受けて一瞬たじろいでしまった。

『人はこんな表情をする事が出来るのか……?』

 呆然と立ちすくむ姿に、ハルの一喝が飛ぶ。

「ディーン! それ以上、近づくな。その男は、ただの人間ではない。危険だ!!」

 振り返ったディーンの表情には、苦しい胸の内がそのまま浮かんでいる。今やその思考は、荒れ狂う海の様に混沌としていた。領主の息子として何をするべきか、分かっているつもりだ。しかし父親を目の前にすると、その決心が鈍る。

「ハル……」


 獣の宝玉に視線を落としていた元は、思わずその手から落としていた。

『……ディーン? ハル、だぁ?』

 見つめ合う二人に(少なくても元にはそう見えていた)、心中穏やかではない。

『一体いつから名前を呼び合う仲に……』

 思わず過ぎる思考に、元はブルブルと頭を振った。何故こんなにも気になるのか分からないまま、

『いやいや~ハルは基本、全員呼び捨てだし~。たく、俺ってば過保護過ぎるな。……今は戦いに集中、集中!』

 そうやって無理矢理、思考をシャットダウンする。頭を掻きながら周囲に視線を向けると、今や闘技場内にはゾウガン、ディーン、そして元とハルの姿しか残されていなかった。

「ほほぉ、多勢に無勢か。ふむ……」

 そんな状況に陥ってもなお不敵に笑って、突き出したお腹を大きく揺らす。そして闘技場内の一カ所を指差し、籠もった声で言い放った。

「エンダ同士で戦わせるのも、一興か」

 そう言葉にして、ザッツ親子が連れてこられた扉を指差す。ハルの瞳がギラリと光った。

「出てこい、ロディオン!!」

 怒号に近いゾウガンの声で、扉がゆっくりと開かれた。

「あ?」

 声が指した先には、笑っているのか困っているのか、表現する事が難しい、複雑な表情を浮かべる男の姿があった。名を呼ばれたから出てきた、そんな空気を多大に纏い、褐色の肌を持つロディオンは一歩前に踏み出す。

「久しぶり~」

 小さく胸の辺りで掌を振りながら、にっこりと微笑む。その姿に元が苦々しいと言わんばかりに大きく息を吐いた。

「……未だにあんな奴の言いなりか?」

「そんなに怒らないでヨ。ワタシにはワタシの事情って言うものがあるの! 大体、皆して何なの~? 朝起きたら、男衆が全員いないじゃない? ホント、焦っちゃったわぁ。ねぇ、頭(かしら)! 何故ワタシだけ、仲間外れなのかしらぁ?」

 何処か掴み所の無い存在感のまま、頬をぷっくりと膨らませ、上目遣いでディーンを睨み付けた。


「私が頼んだ」

 ハルの感情の無い声に、ロディオンがピクリと体を揺らす。視線を闘技場に戻すと甲高く笑った。

「あはは。何時(いつ)~? 全然気が付かなかった! って言うよりもどうして貴方生きているの? 元はともかく、貴方には相当分の毒を盛ったのよ?」

「お前!」

 一歩前に踏み出す元を左手で制し、ハルは首を小さく捻った。

「お茶を催促した時にな。それとヒーシャは毒に耐性がある。人によって差はあるが、あんな量では死なない」

「ふぅ~ん。あれ以上盛ったらカップから溢れちゃうわ。あ、ねぇねぇ、いつから私がゾウガン様の手下だ~って気が付いたの?」

「集落でナレータが来るまでの間に……お前が私を訪ねてきた後だ。ディーンが部屋を訪れて、お前がゾウガンと繋がっている可能性を示唆してきた。そもそもあの場所に一年以上もいる時点で怪しいだろう。反して他のエンダ(やつら)は、全員が全員民と一線を引いていた。恐らく集落にいるのは数ヶ月。それからどうなったかは知らんがな」

 どこまでも淡々と続く二人の会話に、元は理解の範疇を越えていた。相も変わらずハルに感情の起伏は感じられない。ロディオンに至っては、殺そうとした相手に向かって薄笑いを浮かべている始末だ。何度二人を交互に見ても点が線にならない。

「……頭(かしら)から疑われていたなんて、悲しすぎるワ。彼らは逃げちゃった、という事になっているわネ。協会にでも逃げ込むかと思っていたけど、人質に捕られた仲間を想ってなのか、誰一人通告するエンダ(ひとたち)は居なかったわ〜。ま、ワタシとしては、ワタシ以上に優秀な人材が居ると立場が悪くなっちゃうし、結果的には良かったって訳」

 興味が無さそうに言葉にすると、手入れをされた爪を愛おしそうに撫でた。二人の会話が全く理解出来ないながらも、その声や言葉、そして動作に、元は不快さから胸にもやが掛かる。

「こいつ……何言って?」


 皺を寄せて問う言葉を塞ぐ様に、ゾウガンの耳障りな声が闘技場に響き渡った。

「再会に花が咲いているようだが、あまり時間が無い。ロディオン、この二人を殺せ。ショーを台無しにしてくれたんだ。楽しませてくれよ」

 そう言葉にすると、ドサリと椅子に深く腰掛ける。そのふてぶてしい態度に、たまらずディーンが足を踏み出した刹那、

「ディーン、お前は皆を守る役目があるだろう。ここは私達に任せて、協会が来るまで外を頼む」

 背を向けたままのハルが、鋭く声を放った。確かに先程から外が騒がしくなってきている。

『大勢の観客達を押さえきれなくなっているのかもしれない』

 ディーンは一度拳を震わせたが、次には体を翻し外に向かって駆け出した。その後ろ姿に、ゾウガンは小さく鼻を鳴らしたが、「まぁいい」そう呟くと視線を闘技場に戻す。


「さてと……では私が相手になろう」

 無感情に落とされたハルの言葉に驚いたのは元だ。いくらハルとはいえ、戦闘タイプに真っ向勝負を挑むなど正気の沙汰ではない。加えて魔法が使えないのだ。元は焦って二人の間に立ちはだかった。

「馬っ鹿、何言ってんだ!? 勝てる訳ないじゃん。ここは俺に任せろって」

 そう言葉にして剣を抜く元を「ドン」と押しのける。

「ハル!!」

 体勢を崩しながらも、なお前に出ようとする元に向かって、ハルは小さく言葉を落とした。

「これは喧嘩ではない。お前に同胞(えんだ)は殺せない」

「ぐっ……何だよう、自分だって」

 出来ないくせに……そう言い掛けて、しかしその体から発せられる並々ならぬ決然とした態度に言葉を飲み込む。ハルは本気だ。

「ヤバいって判断したら、勝手に助けるからな!!」

 不機嫌な表情を浮かべる姿に、ハルはほんの一瞬視線を向けて小さく微笑む。

「私が倒れるような事があれば、協会が来るまで皆を頼んだぞ」

「え……」

 呆ける元を横目に、次にはロディオンを見据えると、更に一歩前に踏み出した。躊躇なく歩みを進める姿に、ロディオンは小さく後退さり口を尖らせる。

「本気? ヒーシャなんでしょう? ナイフ位じゃ、ワタシには勝てないワ。て言うか、止めときなさいな。貴方、こんな所で死んでいいの?」

 そんな脅しにも、ハルは小さく微笑みを浮かべた。

「あぁ、ヒーシャだが、あの男を楽しませる位は出来るだろう。あぁ、だからと言って遠慮はするな。本気でやらないと、お前の命が危ない」

 状況を楽しむ様に瞳を細める。見た目からは想像も出来ないような圧迫感だ。ロディオンは息苦しさから小さな溜息を吐くと、

「アンタも相当変な奴よね」

 そう諦め気味に言葉を落とした。

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