第9章 異世界ノ民‐21

 ハルは子供の体を拘束する鎖に手を掛けると、次の瞬間には難なく鎖を引き千切っていた。

「おねぇちゃん、力持ちなんだね!」

 瞳を丸くして顔を覗き込む姿に、ハルは頭をガシガシ撫でて、「もう少しの辛抱だ」そう呟く。これに慌てたのは両親だ。

「こ、こら。エンダ様に向かって」

 身を乗り出す母親の鎖も、続けざま無表情で取り除く。どこからどう見ても可憐な少女が、太い鎖をまるで糸を扱うように難なく千切るのだ。人類の脅威である獣と対等な力を持つとはいえ、まともな狩りを直接見たことなど無い。夫婦はそっと顔を見合わせた。

『こんな力を持っていながら、我々に手が出せないなんて……。もしその制約がなかったら……』

 この町の人間は、エンダが人間の為に命を賭けている、その事実を目の当たりにしてきた。しかし獣と同等の力を有していると思えば、やはり恐怖も感じてしまうのだ。入り乱れる思いに、ザッツ夫婦は畏怖の眼差しを向けた。

『はは。化け物じゃんて思われているのかな。ま、確かにこの世界の民からしてみれば、過ぎた力か』

 元はそんな事を思いながら、ハルの手元から鎖を取り上げる。そして掌の中で丸めると、一つの鉄の玉を作り出した。

「じゃ、三人を頼んだぞ」

 そのまま腕を大きく振りかぶり、獣に向かって一気に放つ。鉄玉は鋭くスピードを加速させて、一直線に獣の後頭部を直撃した。獣にとって、痛くも痒くもない攻撃ではあったし、目前に居る数多く観客の方が断然魅力的である。しかし今まで受けた屈辱の蓄積に本能が鈍った。

 獣はゆっくりと体を捻り、群青の色味を差した瞳を元達に向ける。低い唸り声を上げて、ジュルリと舌を啜った。

「ふむ、獣らしい判断だな」

 ハルの無機質な言葉が落ちた気がするが、今は言葉を返す余裕はない。元は獣を見据え一歩前に踏み出した。


 エンダが取った一連の行動にゾウガンは、身を乗り出し高笑いを上げた。

「馬鹿な奴らだ! 命を無駄にしおった!!」

 大きく身を乗り出す領主の姿は、身に余る権力を持て余すように膨れ上がった風船のようだ。

「随分と品の無ぇ領主様だな」

 不快感を露わにする元の声に、ハルが「同感だ」そう冷ややかに眼を細める。


 獣を前にして、元が大きく息を吸った時の出来事だった。

「ケン!」

 低く響く声と共に、大剣が元に向かって放たれたのだ。

「何!?」

 ゾウガンにとって予想だにしない出来事だったのだろう。難なく剣を受け取る元に鋭い視線を向けると、口惜しそうに歯ぎしりを鳴らす。

「ケンじゃねぇ。俺は名前は元だ。覚えておきやがれってんだ!」

 そう怒号を返すものの、剣を持つ感触に元はホッと息を吐く。これ程長い間、剣と離れていたのは初めてだった。思っていたよりも剣の状態が良かったことも、元を安堵させた。

「何故お前達が!?」

 眼を見開き、ゾウガンは観客を守っていた筈の近衛兵を睨み付けた。その中でも一際大きな体をした男が一歩前に出る。

「父上、もうこんな馬鹿げた真似はお止め下さい。じきに協会がここに到着します。貴方も、この場にいる者達も、もうお終いです!」

 そう言葉にすると、男は兜を投げ捨て鬼気迫る表情で睨みつけた。兜の下に現れたのは、山の集落で頭(かしら)と呼ばれていた男だ。

「わぁい、ディーン様だぁ」

 男の子が嬉しそうに名前を呼ぶ。

『親子だったのか』

 元はディーンの苦悩を肌で感じながら、ふと暴君であった父親を思い出していた。感傷からか同情か、胸の奥がチクリと痛む音を聞いたような気がした。


「協会……ですって?」

 ディーンが言葉にした「協会」という一言に、ざわりと会場の空気が揺れた。観客席から悲鳴に似た声が沸き上がる。

「あの男……協会と言ったか? 待ってくれ、冗談じゃないぞ!?」

「嘘でしょう!? こんな場所に協会が来たら、私達すべてお終いですわよ!?」

「ゾウガン、どういうつもりだ!? 我々を嵌めたのか??」

 パニックに陥った観客達は、居ても立ってもいられずに出口に殺到を始めた。先程までの混乱など比ではない。全員が顔を蒼白とさせ、突きつけられた現実から逃れようと必死だ。

 それもその筈で、協会とはこの世界で絶対的な支配力を固持する組織なのである。厳格且つ絶対主義。Another worldの民と異世界の人間であるエンダが、均衡を保っていられるのは、ひとえに協会の存在による所が大きい。

 特にエンダは協会が最も深く関与している事柄なのだ。見せ物にした挙句、獣に襲わせていた事を協会が知れる事にでもなれば、例え一国の王と言えど、二度と陽の目を見る事は叶わない。


 混沌とする会場に目を向けて、ゾウガンは立ちすくみ動けない従者に手を挙げた。

「エンダが居る地下に水を注入しろ」

「し、しかし……ディーン様が仰られたように協会が関与して参りましたら……ヒッ」

 目にも止まらない早さで、ゾウガンは従者の首元を掴んだ。怯える姿を冷酷に一瞥すると、低く無情な言葉を向ける。

「ディーン如きに何が出来るか言ってみろ。地下のエンダ共を始末すれば、どうとでも言い逃れが出来る」

 その声はゾウガンを通り越して、もっと別の場所から発せられているような錯覚を受けた。従わざるを得ない強制力に、従者は瞬きも出来ずにいる。無意識にゴクリと息を飲む姿に、クッと低く笑みを落とすと、

「それとも何か? 協会がくれば、全てが丸く収まるとでも思っているのか? 協会にワシが連行されれば、従者のお前も、そしてエンダの拉致に関与したこの町の全てが無事では済まんぞ。

 お前などその最たるものだろう? 自分可愛さに多くの仲間を売り渡していたのだからなぁ?」

 従者の額から、一筋の汗が落ちた。

『確かにゾウガン様の言う通りだ。それが自らの意志ではなかったとしても、そんな事を聞き入れる組織(きょうかい)じゃない』

 視線すら動かすことが出来ず、体を硬直させる従者に向かって、ゾウガンは口調を優しいものに変えて、諭すように耳元で囁いた。

「分かったらさっさと行け、あの二人(エンダ)は俺が殺る。協会が来る頃には全てが解決しているだろう」

「は……はい」

 従者はまるで言葉に支配されるかのように、フラリと扉を開けて、その場をあとにした。


 ハルは観客席の仲間に親子を預けると、獣と対峙する元に視線を戻す。エヴォリューションで進化を遂げたとはいえ、剣を得た元の敵ではない。しかし渾身の力で獣を押さえ込んでいた疲労は、着実に元の体力を奪っていた。大剣を数振りしただけで、既に荒い息が上がり、攻撃力も通常の半分程度だ。発達した脚力で四方から鋭い攻撃を仕掛ける獣に、想定以上に苦戦を強いれられている。

「この~ちょこまかと動きやがって……。剣が定まらねぇだろっ」

 そう恨み節を呟いた時だ。目前が霞み獣の姿を一瞬失った。ハッとした表情を浮かべる元に、ハルの鋭い声が飛ぶ。

「上だ!」

 襲い来る気配を感じ、元は咄嗟に剣を天に掲げた。


ガギン!!!


 元の足が地面に食い込む。獣は比重が増した体重を掛けて腕を振り落としてきた。間一髪で、元の剣が獣の爪を凌ぐ。腕にのし掛かる負担に、筋肉が嫌な軋み音を上げた。

「ギギギギッギ~」

 何とか渾身の一撃を凌いでみたももの、獣が地面に着地した瞬間、その脚力で弾き飛ばされた。

「ぐっ!」

 重点的に脚力が進化した。そう言っても過言ではない。体に食い込む脚の感触をリアルに感じながら、次の瞬間、身体ごと壁に打ち付けられていた。全身を巡る重たい痛みに耐え、何とか膝を上げる。

『落ち着け。戦況的には未だ有利だ。こんなの、俺の敵じゃねぇ』

 そう何度も自分に言い聞かせてみるが、大半の力を使い果たした今、焦りから冷静になりきれない。

「いつもより息が浅い。一呼吸、置け」

「え……おわっ」

 疲労よりも緊迫感から大きな息を吐く元の隣に、いつの間にかハルが立っていた。てっきり親子と共に観客席にいるとばかり思い込んでいたのだ。

「何出てきてんだ。あぶねぇ、お前も観客席に居ろ!」

 一人焦っていた気持ちをひた隠しにして、思わず叫び声を上げた。

「言われなくても、ゾウガンの首を押さえる。その前に……これを食べておけ」

 差し出された木の実に、元は視線を向けると溜息を吐いた。どす黒い豆粒程の大きさの木の実は、見た目から不味そうだ。

「……えぇと、俺腹は減ってねぇんだ。ちょっと疲れているだけで。てか、それ超苦げくて、俺キライ」

「この実の効力は、必要な栄養素が取れるだけではない。体力、気力、魔力をある程度回復させる効果がある。魔法のサポートが出来ないんだ。一気に片をつけろ」

 焦りを見透かされた気がして、元はプィッと視線を外した。獣が次の攻撃に備えて、全身に力を貯めているのが視線に映る。

「ま、こんなの喰わなくても全然楽勝だけど。でも喰っといてやるよ。魔法が使えないせいで負けたとあっちゃ、お前も後味悪いだろうからさ」

 元の軽口にハルは小さく口元を上げたが、次の瞬間には視界から消えていた。

「相変わらず、身が軽い奴」

 元は一度天を仰ぎ、意を決すると、木の実を口に入れボリボリと噛み砕いた。えぐい苦みが全身を駆け抜けていく。元は渋い表情を浮かべ、痺れる舌をベロリと出した。

 しかしハルの言う通り、木の実が砕けて体に触れた瞬間から、嘘みたいに体に気力が蘇ってくる。元は「ちぇ」そう呟くと剣を掲げ、獣に向かって駆け出した。


「ふん、息吹の実か……。そう言えば、そんな木が献上されていたな。しかし市場に出回っていない希少な実だぞ。良く気が付いたものだ。エンダのクセに、この世界の事に精通しているとみえる」

 ゾウガンは、背後から首元にナイフを突きつけるハルに向かって、小さく溜息を吐いた。

「どのような手を使って魔力を封じている? どれ程の威力を秘めた魔石でも、エンダの能力を完全に封じるなど不可能だ。加えてヒーシャの反対魔法を知る人間など、そうそう居るものではない……お前、何者だ?」

 首元に突きつけられたナイフは脅しではない……そんな冷酷さを含んだ声だった。

「ほぅ?」

 脅しでもエンダが民に刃を向けるなど考えられない。突きつけられたナイフの冷たさを肌で感じながら、ゾウガンは口角だけを引き上げた。

「異端児か」

 返答の代わりに強く押さえられた刃の感触を楽しむように、ゾウガンはクックックッと笑い声を上げた。

「ふん、中々楽しませてくれる。エンダとしての能力も相当なものだ……。

 しかし所詮人間レベル。ワシの敵ではない」

 ピクリと眉を上げるハルの気配を感じながら、ゾウガンはニヤリと口元を引き上げた。

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