第9章 異世界ノ民‐5

 大勢の足音が、闇に包まれる山中を駆けていく。この暗闇の中でも、やけに統制が取れている動きだった。

『……散らばっていた奴等が合流したな。随分と森奥深い場所のようだ。身を潜め生活しているのか』

 体に感じる振動が、岩や枯れ木から草のやわらかな感触に変わる。それは木々が開け、人が住まう場所に辿り着いたことを意味していた。ざわつきが消え周囲に静寂という静けさが広がる。遠くの森で梟の声が聞こえた。

 一時の時間が経過した後、重厚な門が開かれたのと同時に、多くの足音が扉の中に吸い込まれていく。後ろで再度門が閉じられる音が、振動とともに感じ取られた。

「お帰り~」

「成果はどうだった?」

 様々な場所から声が飛んだ。夜も更けて久しいというのに、内部は結構な活気に溢れている。

『感じるだけで、気配はざっと百か。女が半分……だとすると、子供もいるな。エンダは約三十か、想像していたよりも、規模が大きい。賊だけでやっていけるのか?』


「お、ロディオン帰ったか。頭(かしら)が待ってんぞ。顔、出しな」

 声が頭上から飛んだ。その言葉にロディオンと呼ばれた男が溜息を吐く。

『ロディオン? カラーのリストに名前が挙がっていた奴か? だとすると、それ相当の……』

「分かったわよっ」

 ロディオンは踵を返し、階段を上った。その後に仲間が続く。通路の奥の扉を叩くと、勢いよくドアを開けた。

「頭(かしら)ぁ、今帰りました~」

 ロディオンが感情の読みとれない声で、挨拶を交わす。その声に従うように、外から戻った全員がザッと頭を下げた。

「全員無事か?」

 部屋の奥から放たれた声は、重低音でよく響いた。声には力があるかのように、空気が小さく揺れる。ロディオンは少し躊躇してみたが事務的に報告を上げた。

「襲ったエンダに反撃にあっちゃって、エンダ一人が重体、その他十数人が軽傷ね。今ヒーシャから治療を受けているわ」

 静かにペンを置く音に、ロディオンが小さく肩をすぼめた。空気が一瞬にして緊張感を孕む。

「どんな奴らだ。エンダが関わっていたと知れたら事だ。何故皆に襲わせなかった?」

 頭(かしら)の声には、苛立ちと殺気が含まれていた。部屋に居合わせた人間の、生唾を飲む音が聞こえてくる。

「仕方なかったの。狙ったエンダが別のエンダと合流しちゃってて、そいつら人を襲うタイプの獣を従えてたのね。途中まで、その獣に気づかなくて~。その獣がどんな働きをするか分からないけど、もし加勢なんてするタイプだったら、それこそ全滅してた筈よ」

 飄々と答える中にも、頭(かしら)に対する畏敬の念が感じ取れる。その直後だ。侮蔑を含む様な、鼻を鳴らす音が聞こえた。

「精鋭部隊を連れて、その失態か」

 部屋の奥で、影のように佇む男の姿があった。薄い唇を引き上げニヤリと笑う姿に向かって、ロディオンは嫌悪感を露わにする。

「煩いわね。エンダの力は未知数なの。特に今回狙いを定めたエンダは、民ですら手を出しそうなタイプだったんだもの。まぁ、ターゲットを間違えたのは私の落ち度だけど。命があっただけ、マシって思わなきゃ」

「ふん、こんな立場に陥ってもエンダの味方とはねぇ」

「……陥ってもって、どういう意味? ちゃんと説明してくれるかしら」

 飄々とした声に、鋭い殺気が籠もった。二人の不和はいつもの事なのか、周囲から小さな溜息が漏れる。互いから発せられる殺気を打ち破ったのは、頭(かしら)の一蹴だった。

「ザッツ止めろ! 仲間内で醜い小競り合いをするんじゃない。エンダも民も関係ねぇんだ。ロディオン」

 エンダを商売がらみ以外で、人間同様に扱ってくれる民は希少だ。ロディオンは顔を高揚させて言葉を返す。

「はぁーい」

「皆を休ませろ。お前は残れ。対策をこれから協議する。

 ……おいラル、その袋の中に何が居る?」

 その声に、ロディオンがハッと仲間を振り返った。仲間の一人、大男が小さな麻袋を抱えている。出発した時には、袋は空だった筈だ。

「え……ラル、それ、もしかして」

「金目ノ、持ッテソウ、ダッタ」

 片言の言葉を発しながら、ラルと呼ばれた大男が、麻袋を床に置くと袋の口が開いた。同時に長い栗色の髪がサラリ落ちる。そこには、無感情の表情のまま凝視するハルの姿があった。

「うっそ。エンダじゃない~。ラルったら、連れてきちゃったの?」

 そう言葉にするロディオンの手元には、既に数本のナイフが握られている。しかしナイフには目もくれず、ハルはロディオンの容姿に視線を移した。

 その姿は百八十センチ程の体格に、服の上からでも分かる筋肉質の体。容姿は完全に男性そのものだが、女性を彷彿とさせる仕草の為か中性的だ。髪の毛は何かで固めているのか、上に向かって緩やかに伸び、先端が渦を巻いている。

「アジト内部に敵を入れるとは、ロディオン、大失態だな」

 言葉とは裏腹な感情を露わにして嬉しそうに言葉を綴るザッツに対して、ロディオンが小さく舌打ちをする。

「ホント、煩い奴~。そんなんだから、モテないのよ」

 腰に手を添え、冷たく睨みあうロディオンに向かって、頭(かしら)が緊張感を纏う声で問うた。

「仲間は何人居た」

「この子入れて五人ね」

「タイプは?」

「戦士一人、アサシン一人、後恐らくマジッカーとヒーシャが一人ずつ、この子は不明だわ。不思議な子ねぇ。

 怖いのは、戦士とアサシン、そしてこの子かしら」

「巻いたか?」

「場所までは特定出来ていない筈。でも~アサシンがいたからぁ……逃げ切れていないかもね」

「あいつからは逃げ切れない」

 突然ハルが言葉を発した。敵の真ん中にいて、全く動じる様子のない様(さま)に、頭(かしら)がズカズカ歩みを進める。ハルの前に立ち、スッと腰を下ろした。

『ふぅん』

 この大所帯を束ねているだけあって、トップとしての風貌を兼ね備えている。この世界の民には珍しく、体つきは元と遜色がない。浅黒い肌、鍛えられた体に、幾数もの古い傷跡が生々しく残っている。しかしそれ以上に、ハルの目を引いたのは、揺ぎない意思を湛えた瞳だ。

 頭(かしら)は、小さく視線を落とすと、淡々と問うた。

「あんたを逃がせば?」

「あれは私の仲間ではない。あの女の目的は、己の命を狙った奴に復讐する事だ。しかし常識が通じない。ここを勢いで潰しかねない」

 無感情の表情を浮かべ、更に感情無く言葉を綴る態度に、頭(かしら)は冷酷な表情を浮かべている。

「だとすると、お前を盾に出来るのは戦士か?」

「さぁな」

「答えな。あんたは人質だ。立場をわきまえろ」

 ザッツが苦々しく言葉にする声に、ハルは失笑を浮かべた。

「私が人質? ふむ……」

 そのまま言葉を閉ざすハルに向かって、ロディオンが頭(かしら)の後ろに立つと、懇願の声を上げる。

「ねぇ、ここ襲われたら困るのよ。あんたから説得してくんない?」

 体をくねらせ手を合わせる姿に、ハルの視線は頭(かしら)を通り過ぎ、真っ直ぐロディオンを貫いた。

「同胞(えんだ)を襲っておいて言える立場か? 民に反撃できない習性を利用し襲うなど小賢しい。ここを襲撃されたくなかったら、お前一人であいつ(ナレータ)と対峙しろ。それで全てが収まる」

 淡々と発せられる言葉に、山賊達に得も云われぬ感情が走った。ロディオンの表情が一瞬にして曇る。

「……仕方ないでショ。生きていく為なんだもの。ね、ワタシ、まだ死ねないの。お願い、あのアサシン説得して。ワタシじゃ手に負えないわ」

 更に突き刺すような視線を向けられ、ロディオンは一歩後ずさる。

「力が正義とも言われる世界だ。山賊に襲われて死んだとしても、その程度だったのだろう。逆も然り。力で負けたら、その時は潔く死ね」

 言葉が終わらない内に、ハルの体が宙に浮いた。

「頭(かしら)!!」

 頭(かしら)から首を捕まれ、宙づりになったハルの小さな体は、どうとでもなってしまいそうな儚さがあった。そのまま捻られたら、細い首は折れてしまいそうだ。

「頭(かしら)! 女の子なんだから、そんな乱暴な……」

 焦った声を上げるロディオンとは対照的に、ハルに動じる気配はない。ましてや気道を確保する様子もなく、冷ややかに見下ろしている。

「あんた、辛辣だねぇ。俺嫌いじゃないよ。しかもその度胸……このまま殺すには惜しいね」

 ハルの首を締める手に、グッと力が籠もった。

「頭(かしら)、駄目よ! この子を殺したら!」


 ロディオンの悲痛な叫びが部屋に響いた時、頭の腕から鮮血が飛び散った。咄嗟に放された手からハルが羽の様に着地する。その首元からタロが飛び出し、牙をむき出しにして今にも襲い掛からんばかりだ。

「頭!!!」

 腕から滴り落ちる血など大して気にしていないのか、敵陣で凛と立つ姿を見据えてニヤリと笑った。

「へぇ、異端児か。躊躇無くナイフを振り落としやがって、可愛い顔してエグいな」

 ハルの手に握られたナイフに、全員の視線が集まる。状況を把握できないまま、山賊達は一歩その身を引いた。


 小さな少女の体に不釣り合いなナイフは、鮮血を纏い鈍い光を放っている。

「何でエンダが人間を!?」

「反撃出来ないんじゃないのか!?」

 動揺する声が飛ぶ中、ハルはナイフをクルリと回すと、腰に差した皮鞘の中に仕舞った。そのままロディオンに視線を向ける。

「脅されてこの場に止まっているのであれば、助けてやってもいいぞ」

 冷徹な声にロディオンがチラリと目を向けると、ザッツがビクリと体を揺らす。しかしそのまま口元を引き上げ、小さく微笑んだ。

「止めとくわ。ワタシがここにいるのは、ワタシの意志よ」

「ほぉ……それは何だ?」

 ハルの瞳がギラリと光り、一歩前に踏み出した時だった。頭(かしら)がロディオンの前に立ちふさがる。

「そこまでだ。あんた、何モンだ? 何を探る」

 そう問う言葉にハルは口を噤む。頭(かしら)は諦めたように小さく溜息を落とすと、

「牢屋に入れておけ」

 そう言葉を残し、背を向けた。焦り声を上げたのはザッツだ。

「頭、殺さないんで? こいつ危険ですよ」

「エンダでありながら、民に攻撃出来る異端児だ。我々には殺せん」

「でも皆で襲えば……」

 頭(かしら)のギラリとした視線が突き刺さる。ザッツは一瞬たじろぎ、隠れるようにギリリと歯ぎしりを落とした。


 牢屋というよりもただの殺風景な部屋の中で、ハルは月あかりに瞳を細める。想定以上の急展開だ。

『ただの物取りでは無さそうだな。面白くなってきた』

 置かれた状況に思わず口元が緩むと、タロが膝の上で不思議そうに見上げてくる。

「ただの物取りの話で終わるのか、若しくは世界の深部に触れるのか……楽しみだ」

 ハルはその頭を優しく撫でて、まるで独り言の様に呟く。その時、タロが扉に向かって小さく唸った。

「大丈夫よ。来ると分かっていたから」

 そう逆立つ毛を優しく撫でると、扉が鈍い音を立てて開かれる様子を瞳に映した。

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