第9章 異世界ノ民‐4

 オォサワとゴン太は、固い地べたに正座してブルブルと体を震わせていた。眼前には、仁王の如くナレータが佇み、その身体から吹き出す怒りは、今や爆発寸前だ。

「私は受けた屈辱を倍にしてお返ししなければ気が済みませんのよ。そこは勿論ご存知ですわよね? その絶好のチャンスを、何故、貴方がたから、邪魔されなければならないのか、理解に苦しみます、わ」

 凄みが増したナレータは、高いヒールで大地を踏みしめる。その度に、まるで地の底に引きずられる様な錯覚が襲う。

「邪魔だなんて……ゴン太達は、ナレータ様の御身が心配で~」

「そうッス。賊に襲われたかと思ったッス。決してお邪魔をするつもりなんて無かったッス」

「……私が、あんな輩に?」

「いえ!! 一般論としてッス!」

「そうちゃ! 勿論、ナレータ様があんなのに負けるなんて思っていないっちゃ!」

 何とか言い訳を繰り出してはみるものの焼け石に水で、ナレータの怒りは収まりそうに無い。そんな三人の遣り取りに半ば呆れながら、元は慎重にそぉっと一歩足を引いた。

『一刻も早く……』

 逸る気持ちを抑えつつ、もう一歩足を引いた時だ。パキリと小枝が鳴った。元の深い溜息が洩れると同時に、ナレータの苛立ちを含んだ声が飛んだ。

「あの女、わざと捕まったようですけど、どんな作戦なのかしら?」

 ハルに先を越されたのが悔しくて仕方がないのか、今度は怒りの矛先が元に向く。

『気付いていたか』

 あの騒ぎの中、ほぼ空気の様なハルの気配を察知した能力は、流石アサシンといったところか……元は内心、ナレータの能力を見直した。

 この言葉に慌てたのは、オォサワとゴン太だ。ブンブンと周りを見渡し、ハルが居ない事を確認すると、勢いよく大声で捲し立て始めた。

「え? ハルさんが賊に捕ったッスか!? あっ、タロちゃんもいないッス」

「元さん、何やってるちゃ! 大変ちゃ、早く助けないと、ハルさんとタロちゃんが今頃心細くしてるちゃ!!」

 闇夜には些か大き過ぎる声に、元は耳を押さえながらボリボリと頭を掻く。

「そんなタマかよ。作戦なんて無ぇ。あいつが勝手について行ったんだ。俺はあいつを追いかけっから、じゃ……」

 じゃぁな、そう言い掛ける元の言葉を遮るように、

「それでは私も参ります。そうそう、誤解なさらないで頂きたいのですけど、私はあの女を助けたい訳ではありませんから」

 ナレータがそうきっぱりと言い捨てた。

「え?」

 一番恐れていた展開に、元がヒクリと顔を歪ませる。そんな空気など一切関知せず、当然の様に従者の二人も賛同の手を上げた。

「ゴン太もハル様を救出するお手伝いをするっちゃ!」

「俺も行くッス!」

「ちょ……」

『冗談じゃねぇ。こんな連中と一緒に行動したら、上手く行くもんも行かなくなっちまう』


 その時だ。ギヴソンの低い唸り声が聞こえてきた。森の奥深く四肢を繋がれている状態で、地の底から響く様な声だ。明らかに機嫌が悪い。

「ひゃ」

「ひぃ」

 思わず二人が抱き合って、暗闇に目を向ける。元も声の方向に意識を向けた。

「ギヴソン……」

 元はギヴソンの事が、よく分からなくなっていた。決して人に慣れる奴ではない。額に宝玉を持つ獣だ。隙あらば、己の欲望の為に人を襲い、その快楽に身を委ねる獣なのだ。

 そんな獣を足代わりに出来ているのも、ギヴソンを上回る力で、押さえつけて従わせているに過ぎない。にも拘わらず、いつもピッタリと寄り添う様に旅を続け、窮地に何度も命を助けてくれた。飼い主の義務として目を光らせてはいるが、ここ一年以上もの間、民に対して危険な行為など一切していない。

 紅い瞳の奥に感じる想いはなんなのか、元はその唸り声に耳を傾けながら、迸(ほとばし)る殺気を肌で感じた。どちらにしてもこのまま放っておいたら、鎖を引き千切って駆けて行きそうな勢いだ。


『あ~もう。どいつもこいつも』

「いや、ここは俺一人で大丈夫だから。行くんならおまえら、勝手に……」

「あら、遠慮なさらなくても結構よ。私の用事が済んだら、助けて差し上げる事も出来ましてよ」

「ナレータ様のおっしゃる通りだっちゃ! 大勢の方がいいちゃ!」

「そうッスよ! ただでさえ変な術を使うエンダだったッス……って、何でエンダが我々を襲うッスか?」

 その言葉に、元はピクリと眉を上げる。オォサワが大きく頭を捻る隣で、ゴン太が身体を揺らし笑った。

「オォサワ、何言っているっちゃ。エンダがエンダを襲うなんて、聞いた事ないっちゃよ~。ねぇ、ナレータ様~」

「でもあの幻影って、明らかにエンダの技じゃないッスか?」

「う、そうっちゃね」

 訝しむ二人の言葉に、ナレータはクッと口元を引き上げ、冷やかな視線を向けている。その表情に、二人は言葉を無くし、ゴクリと息を飲んだ。

「つまりはそう言う事だ。奴らの半分は、エンダだった。だからこそ、あいつは付いて行ったんだろ」

 賊が民だけだったら、元もこんなに悠長に構えていない。エンダと結託するような賊であれば、ハルの方が上手だ。少なくとも、この土地のエンダに負けるような能力者ではない。


「えぇ~じゃぁ、何すか? エンダが民と一緒になって、道行く人々を襲ってるって事ッスか?」

「……有り得ないちゃ」

 移動手段が足や動物に限られるこの世界では、移動中のトラブルは民の悩みの種だ。未開発な場所が多い土地では、物騒な輩も多い。勿論エンダも旅を続ける以上、避けては通れないが、協会の目が光る中、エンダを襲おうとする奴らはいない。

『でも、ハッテンボルク王国の件もあるし……、この際先入観は捨てた方が良さそうだ』

 民から襲われた経験を思い出し、胸に蘇る苦々しさを元はグッと呑み込んだ。


 黙り込む元を覗き込むように、ゴン太が声を掛けてきた。

「元さん、どうやってハルさんを追うっちゃ?」

「そうッスよ。闇雲に追っても、この広い山中じゃぁ……」

 心許なさそうに呟く二人に、ナレータが暗闇に視線を移し一度クッと笑う。

「去った方向だけは分かりますわ。バラバラに散らばったように見せかけて、向かった先は一緒でしたわね。あれで逃げ切ったつもりかしら」

 クックッと不気味に笑うナレータに、元は心底嫌そうな視線を向けて大きな溜息を吐いた。

「俺、ギヴソンで行くからさ。あんたらは、あんたらの足で行きな。一緒に行ってたら、夜が明けちまう……」

 その言葉に、今度はナレータが眉間に深い皺を寄せた。片手を腰に添え、低い声で言葉を綴る。ナレータは陽の中よりも、漆黒の闇が似合う。お付きの二人が、熱い眼差しを向けた。

「冗談じゃありませんわよ。貴方のことです。賊に情けをかけて、逃がしてしまう可能性がありますわ。私の仇に、そんな事をしてごらんなさい。地の底までも追って差し上げますわよ」

 地の底までも……その言葉に、元はゾクリと冷たいものが走った。この女の真の恐ろしさは、エンダとしての能力ではない。高いプライドに対する執着心だ。ゴン太が大きな身体を揺らしながら、元に向かって声を掛けた。

「ナレータ様は蛇の様にしつこいっちゃよ。元さん、ここはナレータ様の言う通りにされた方がいいっちゃ」

「そうッス。ナレータ様は、やると言われたら、必ず実行されるッス。己の欲望に忠実っす。そんな非情な御方ッスから、一度目を付けられたら逃げられないッス。諦めるッス!」

 オォサワまでもフォローにもならないフォローを投げ掛けてくる。二人の共通の認識なのか、うんうんと頷き合うと「はぁ」そう小さく息を吐いた。そんな二人は、睨みつけるナレータの、冷たい視線に未だ気づいていない。

「まぁ良いですわ。こんな馬鹿共に付き合っている暇はありませんもの。さっさと行きますわよ!! ヤルなら、暗い内が良いですわ」

 何をヤルと言うのだろう。ナレータの言葉に、絶対にこいつら振り切る、元は固く心に誓うのだった。

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