第9章 異世界ノ民‐3
「何なんだ? この状況は……」
元のぼやきは、薪が弾く音に吸い込まれていく。
「あ~オォサワ! その肉はゴン太のだっちゃよ!」
「はぁ? 何言っているッスか? 誰がそんな事決めたッスか? 先に取ったもん勝ちッス。よってこれは俺のッス」
「ゴン太のだちゃ! あ~もう、食べ過ぎっちゃ。御馳走になっておきながら、オォサワは本当に図々しいちゃよ」
「ゴン太にだけは言われたくないッス」
『く……くだらん』
目前でオォサワとゴン太が肉を巡って、醜い小競り合いを繰り返している。そもそも沢山の食べ物から、何故敢えてその肉に限った攻防が行われなければならないのか? しかしこれも彼らの日常なのだろう。遠く離れたナレータは、目を向けようともしない。
周囲は暗闇に包まれ、薪の明かりが周囲を明るく照らしている。薪が放つ灯りの範囲は狭く、数メートル離れると、深い闇が広がる世界だ。
「図々しいのはゴン太ッス。全くどんだけ食べれば満足するッスか? だからそんなにぶくぶく太るッスよ」
「太っていないっちゃ。これは筋肉ちゃ」
「ぶふ~。き、筋肉!? ぎゃははは〜図々しい~」
賑やかを通り越して、騒音に近い二人の遣り取りにも関わらず、ハルは黙々と食べ物を口に運んでいる。元が力なく呟いた。
「なぁ……。何で俺達、こいつらと一緒に飯喰ってんだっけ? ……なぁ~ハル~」
しつこく問う声に、一度額に手を添えてハルは目線を上げた。
「何だ?」
「情報を引き出してたんか……。飯の最中に、行儀悪いぞ。いや、だから~なんで俺達、こいつらと一緒に飯喰ってんの?」
そんな事かと言わんばかりの表情を浮かべている。更に額に手を添える所を見ると、元の苦言など気にも止めていない。
「夜が更けて、こいつらが食料を持ち合わせていなかったからだろう」
そんな事実を淡々と述べられても、元の心は晴れない。更にがっくりと肩を落とした。そんな落胆を余所に、ハルは早々に薪の炎に視線を向ける。こうなるともう誰の声も耳に入らない。元は深い溜息を吐いた。
「元さん~。元気がないっちゃね。おなかでも痛いちゃ?」
「ホントッスよ。具合が悪かったら、横になったらいッスよ。無理は良くないッス」
オォサワとゴン太が身を乗り出して声を掛けてくる。腹が満たされたのか、頬を赤く染めて幸せそうだ。
「……大丈夫だ」
そう諦め気味に小さく言葉を繋ぐ言葉に二人は、いそいそと元の隣に身を寄せた。そうしておもむろに紙を広げてみせる。
「元さん、これを見て欲しいちゃ」
「元さんの意見を聞かせて欲しいッス」
覗きこんだ紙には、獣の属性が事細やかに書き込まれていた。獣の種類は多岐に渡り、小さい文字で情報が記入されている。
「? 何だこれ」
「今まで戦った獣や、リストに書かれていた獣の一覧ッス」
「この情報をもとにシュミレーションをするのが、ゴン太達の日課なんちゃ」
誇らしげに鼻息を荒くする二人に、元はボリボリと頭を掻いた。紙はボロボロで何度も補強した様子が見て取れる。それこそ何年も、何回も広げてきたのだろう。元は諦めたように紙を手に取った。
「で?」
問い返されたことに好感触を抱いたのだろう。二人は互いに目を見合わせ嬉しそうに笑みを浮かべた。
「色々な場面を想定して欲しいちゃ。元さん、狩り慣れしてそうだから、ご教示頂きたいっちゃ!」
「自分達、ホントに弱くて、ナレータ様の足手纏いになってばっかッス。少しでもお役に立ちたいッス。元さんに、狩りの極意を教えて欲しいッス!」
鼻息を荒くする二人の姿に、元はずっと離れた場所でウッドチェアーに身を沈めるナレータに目を向けた。野蛮な人間と食事など冗談ではない……そう当然のように離れると、二人にチェアーを用意させたのだ。
「あいつ、一人で十分だろ?」
ナレータのエンダとしての能力は元も認めるところだ。スピード、パワー、狩りを本業とするエンダとして、かなりの高スキル者だといえる。加えて目に余る冷酷さも、その強さを不動のものにしているのだろう。
単純に狩りの能力を言葉にしただけだったが、ナレータへの賞賛だと受け取った二人は、グイッと身を乗り出してきた。
「元さんもナレータ様の凄さ、分かるッスか?」
「え? いや……」
「やっぱりナレータ様の強さは隠しきれるものじゃないっちゃね。ナレータ様はすごい人だっちゃ!! この地まで来れたのもナレータ様のお陰っちゃ」
興奮から顔を真っ赤にする二人に、「そんなつもりじゃ」思わず言葉に仕掛かったが、小さな溜息を一つ落とした。
「……たく、仕方ねぇな。どの獣だって?」
そうぶっきら棒に紙を覗き込む元に、二人は表情をパァと明るくし紙を指差した。
「これッス!! このタイプッス。効果的にダメージを与えるには、どうやったらいいと思うッスか?」
「ゴン太は清き光で能力を奪うのがいいと思うちゃ。それから一気に攻めた方が、効率的だっちゃ」
「ふぅん……どれどれ」
その後大木を背に、元達は夜遅くまで狩りについて語り合っていた。
夜が更けてくると世界は一層深い闇に包まれ、何もかも呑み込んでいった。小さな薪の炎だけが、ぼんやりと闇を照らし続ける。
全員が眠りに落ちた時、それは突如起こった。元の膝元に寄り添い眠りこける二人の間を抜けて、ハルの低い声が響く。
「囲まれている」
「みてぇだな」
目には映らない気配がぐるりと取り囲んでいる。元は声の方に意識を向けて、ボソリと呟いた。
「ってか、気配を読むの得意なくせに。何、こんな状況になるまで」
元の恨み節にハルを纏う空気が微かに揺れる。小さく笑みを浮かべているようだ。
「やっと出てきてくれたんだ。無碍には出来ない」
結局の所、ハルの思惑通り、まんまと意中の奴らをおびき寄せる事に成功したらしい。どうしても山賊の正体を見極めたいハルに、元は小さく溜息を吐いた。
「いいけどさ、殺(や)られんなよ」
再度空気が揺れる。小さく失笑を浮かべる気配に、元はギリリと歯を鳴らした。しかしおもむろに目線を上げると背中の剣に意識を向ける。
薪が小さく火花を散らす。その刹那、人の気配が動いた。
「先に男を殺れ!! 女はその後だ!」
どこからともなく怒号が飛んだ。世界の全てを把握する事が出来ない中、周囲が騒然となった。草木が揺れ、大勢の足音が静寂を打ち破る。元に向かって、幾多の刃が落とされた。
「ぐぁ」
「ぐふっ」
振り落とされた刃は、結局元に届く事はなく、バタリバタリと数人の倒れる音が暗闇に鈍く落ちる。
「奇襲とは品がねぇな~」
元の飄々とした声が暗闇に低く響くのと同時に、ハルの魔法が弾けると、周囲が光に包まれた。途端に闇が掻き消され、暗闇に紛れていた山賊の姿が明らかとなる。三十人近い人間が、元達をぐるりと取り囲んでいたのだ。ふって湧いた人の気配に、驚いたのはオォサワとゴン太だった。
「何ちゃ!? 何が起きたっちゃ!?」
「うぉ!! 何ッスか、こいつら? いつの間に!?」
ここまで来ると、奇襲もなにもあったものではない。騒々しい二人の焦る声は更に響く。
「あ! ナレータ様は!?」
「ナレータ様!!」
重なり合う声に、思わず開いた片手で耳を塞ぎながら、元は違和感を感じていた。
『防御だったとはいえ、俺、こいつら攻撃すんのに、何の抵抗感も無かった……。これって』
元がハルを振り返るのと同時だった。怒号を上げた男の呻き声が届いた時、周囲は戦慄に包まれる。
「ふふふ。無知とは愚かですわね。女はその後? あなた方が一番先に襲わなければならなかったのは、この私でしたのに」
ゾクリとする声だ。戦いに身を置かない者であれば、声だけで失神をさせるほどの殺気が籠もっている。
グギャ
嫌な音が周囲に響いた時、ドサリと地面に落ちる音が続く。続けて鞭がしなる音が暗闇を切り裂いた。
「さぁ、私に刃を向けたのはどなたかしら。今すぐ姿を現さなければ、この場で全員を殺します」
「ひゅ~ナレータ様、かっこいいっ」
「最高っちゃ! 素敵ちゃ―――!」
この場に不釣り合いな黄色い歓声に、元は軽く脱力感に襲われた。しかし自分と違って本気でこの場を血に染めそうな勢いだ。元は思わず奇襲をかけてきた相手をどう守ろうか……そんな事を考える始末だ。
「それは困るわぁ。ここに居る全員を殺されたら、私が頭(かしら)に嫌われちゃう。それは困るのよぉ」
ナレータの殺気をかき消すように、どこからともなくヘラリとした声がした。野太い声とは裏腹に、物腰が柔らかい言葉は、場の緊張感を一気に削ぐ。
しかし敵の外見や雰囲気に騙されてはいけない。元は経験から、警戒心を露わにして無意識に剣を構えた。神経を研ぎ澄まし、次の行動の一手を待った。
その時だ。ぽつりぽつりと、暗闇を照らす小さな光が浮き出してきた。
「え? 蛍……ちゃ……?」
「元、頭を下げろ」
ハルの低い声が響いた時だった。蛍火は一気に膨れ上がり、周囲を呑み込んでいく。ハルの魔法とは全くの別物で、次の瞬間には目の前には何もない、虚無の世界が広がっていたのだ。
「ちょっと、何ッスか!?」
混乱に慌てふためく二人に向かって、ハルの鋭い一言が飛ぶ。
「動くな! 幻影だ。一歩でも動いたら、短剣が飛んでくるぞ」
「ひえ」
ハルの言葉に、小さく舌打ちをする音が聞こえてきた。どうやら図星だったらしい。しかし次には、相も変わらない飄々とした声が何もない世界に響き渡った。
「な~んでばれちゃったの? ワタシのとっておき~だったのに。……う~ん、ちょっとワタシ達の手には余る人達だったみたい。
ちょっと怖めのおねぇさん、二度と顔を見せないから、短剣の件は許して。っていうか、忘れてね!」
その言葉が合図だったかのように、一気に大勢の気配が引いていく。同時に色を失った世界が、急激に色を取り戻しつつあった。
「お待ちなさい!!」
ナレータが体に力を入れた時だった。ゴン太とオォサワがナレータに向かって飛び込んできたのだ。
「ナレータ様~!! 無事だっちゃ? お怪我はないちゃ??」
「怖かったッス! 奇襲なんて卑怯ッス! ナレータ様、無事で良かったッス!」
しっかりと体に抱きついて離れない二人に、ナレータの激しい叱責が飛ぶ。
「離しなさい! 気配を見失うではありませんか!」
しかし動揺した二人に、その言葉は届かない。抱きついたまま、ナレータの無事に感極まっている様子だ。
すっかり暗闇が戻った世界の中で、元は深い溜息を吐いた。ボリボリと乱暴に頭を掻くと、星が瞬く夜空を仰ぐ。
いつも傍らに感じていた気配が消え失せていた。ハルだけではない。タロの姿も見えない。
「……あんの馬鹿」
苦々しく言葉にする元の呟きは、小さく落とされたまま、誰の耳にも届かなかった。
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