第9章 異世界ノ民‐2

 ハルの小さな体が、吹き飛ばされそうになった時だ。光り輝く巨大な魔法陣が獣の足下に出現した。魔方陣は光の粒子となって、その巨体を包み込んでいく。

 光の粒子が大気に馴染んだ時、獣は腰が抜けた様に力なく座り込んでいた。大きく項垂れる様子を、ハルが仁王立ちのまま感情なく見下ろし、その手が獣に伸びた時、頭上から不機嫌そうな女性の怒号が飛んだ。

「馬鹿ナンス!! 貴方、どうしてそんなに役立たずですの? 今日という今日は本当に許しませんわよ!?」

「許さなかったらどうするってんだよ」

 声に触発されるように、元が苛立ちを含んだ声で苦々しくいい放つ。

『たく、この広い世界で、よりによってこいつに会うか? 確か名前は……』

 突如割り込んできた声に、ナレータはピクリと眉を上げる。怒りから周りが見えていなかったらしい。そのまま元の姿を一瞥すると、苦々しく眉間に皺を寄せた。

「……あら? ご機嫌よう。こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわ。相変わらず、他人(わたくし)の事情に口を挟むのがお好きですのね?」

 そう言葉を吐き捨てたまま、バカナンスの背から侮蔑を含んだ視線を向けている。突如、二人の間に火花が散った。人懐こい元には珍しい事で、その関係性の悪さは目を見張るものがある。まるで一発触発の雰囲気だ。

『顔見知りか』

 ハルが小さく目線を向けたその時、茂みが大きく揺れた。

「な、ナレータ様ぁ~! よかったちゃ。馬鹿ナンス落ちついたっちゃね」

「もう~馬鹿ナンス、どうしたッスか。突然暴走したりして。ビックリしたッスよ~」

 はしゃぐ声をまき散らしながら、オォサワとゴン太が飛び出してきた。殺伐とした空気が一瞬にして揺らぐ。ニコニコと笑みを零しながら駆け寄る二人が、元の隣を通り過ぎる間際、ふと視線を向けた。

「……げ」

「何で居るッスか~!?」

 加えて細い手綱一本で繋がれているギヴソンの存在に、二人は走る動作のまま固まって動けない。

「こっちの台詞だって」

 苦々しく呟く元と、更に輪をかけて機嫌の悪いナレータを見比べながら、二人は顔を見合わす。

「あっちゃ~。もう早速、一悶着あったみたいッスよ」

「相容れないタイプっちゃ。あ、もしかしたら、あの黒い獣をよこせって、まぁた言ったのかもちゃ」

「えぇ~マジッスか? まだ諦めてないって事ッスか? あれは俺達の手に終えないッスよ?」

「ナレータ様にも困ったもんちゃ。あ~嫌ちゃ。あんな獣の世話をする位だったら、馬鹿ナンスの暴走なんて可愛いもんちゃ~」

 二人は額を付け合わせ、そんな言葉を呟きあっている。とは言え、静かな山中だ。声は殆ど筒抜けだった。

 ナレータの鞭が、バカナンスの上から大きくしなる。剥き出しの岩石が真っ二つに割れた。

「ひえぇぇぇ」

 オォサワとゴン太は思わず抱き合うと、身を縮まらせた。しかしいつもの事なのか、ナレータは然程気にする様子も見せず、バカナンスに視線を落とす。

「お前達の処分は後ですわ。今はこの馬鹿な獣のお仕置きが先です。主人の言葉を聞かずに、好き勝手する下等動物の末路を思い知らせてあげます」

 吐き捨てる様に紡がれる言葉からは、旅を共にする仲間に対する愛情など一切感じ取る事は出来ない。元は無意識にギヴソンの手綱を引き寄せていた。

 ナレータの怒りを敏感に感じているのか、バカナンスは小さく身体を震わせている。元は更に深い皺を眉間に刻む。

「オォサワ!!」

「YA!」

 ナレータがバカナンスの背から、スラリと伸びた指先を差し出す。オォサワが伸ばした腕に手を添えると、ナレータは絹のようにふわりと降り立った。均整の取れた体にフィットした漆黒の旅服は、陽が柔らかく差すこの場所に不釣り合いなものに見えた。

「さて、どうしてくれようか。いい加減……」

 端麗な顔に、残酷な笑みが零れ落ち、一瞬にして空気が張りつめていく。その体から迸る殺気という名のオーラに、ハルは「ふぅん」小さく呟いていた。

 

 元は小さな舌打ちを落とすと、思わずナレータから眼を背ける。今も昔も一番理解しがたい人種であり、その美しさですら吐き気を催す位だ。

 しかし元よりも先に、足を踏み出したのはハルだった。無言でナレータに近づき一気に距離を縮めていく。

「お、おい」

「?」

 怪訝そうに顔を歪めるナレータの前に、危険を察知したオォサワが立ち塞がるが、いとも簡単に押しやられてしまった。ゴン太の嘆きが漏れる。

「オォサワぁ。そんな女の子に……。どこまでひ弱だっちゃ」

「ゴン太、煩いッス。この子、何だか怖いっッス。ヤバいタイプッス」

 相反するタイプの二人が対面する様は、元でさえもゴクリと息を飲む。二人が退くようなタイプではないのは、元が一番分かっていたからだ。

「なんですの? 何か……あっ」

 言葉を遮るように、ナレータさえも押しのけて、バカナンスに向かって手を差し伸べた。その仕草にバカナンスは一度ビクリと体を揺らしたが、静かに身を委ねている。

「ちょっと貴方!?」

 ナレータの掌が空を切った。

「えぇ! 消えちゃったッス」


 元とナレータは、ほぼ同時に視線を上に向けた。ハルの長い栗色の髪の毛が、ふんわりと上空を舞う。

『チッ……綺麗に飛ぶ』

 重力の抵抗をまるで感じさせない。羽根のように舞う姿に、一瞬視線が奪われてしまう。

 ハルはそのままバカナンスの背中に舞い降りると、静かに膝を落とした。その目線は背中に深く刺さる短剣の柄に向けられている。脂肪が深いのか致命傷にはなっていない。しかし血痕が広い範囲にじんわりと広がっていた。

 ハルはそっと柄に手を添えると、

「一瞬傷みが走る。我慢しろ」

 そう言葉が言い終わらない内に一気に引き抜く。バカナンスの悲鳴に似た呻きが木霊した。しかし痛みは一瞬で、痛みから解放された安堵感から、大きな息を一つ吐く。鼻息で木の葉が宙に舞った。

「へぇ? なんでそんなモンが背中に。そりゃぁ、暴走もするってぇの」

 いつの間にか、元がハルの間近で見下ろしている。少女の手に握られている短剣に、ナレータを含む三人は大きく目を見開いた。

「え、短剣? そんな物が馬鹿ナンスに刺さっていたッスか!?」

「傷みであんな暴走をしたっちゃ!? 可哀想だっちゃ」

 オォサワとゴン太が、必死で騒ぎ立てながら、ナレータにチラリチラリと視線を向ける。バカナンスに向けられた怒りの矛先を何とか反らそうと必死のようだ。そんな二人の事など、意識の先にも入っていないかのように、ナレータの視線はハルに向けられたままだった。

「……貴方、そんな事で私に恩でも売ったおつもりかしら?」

「……」

 食い入るように短剣に見入るハルに向かって、ナレータは低い歯ぎしりを鳴らす。怒りの波動からか、足元の地面に大きな亀裂が走った。

『ひぇぇぇぇぇ―――――――――――――』

 あまりの迫力に、オォサワとゴン太は互いの身体を押し合うと、

「このままじゃ、あの子殺されるッスよ」

「オォサワ止めるっちゃ」

「無理。ゴン太行くッス!」

「答えなさい。私、無視をされるのが一番嫌いなんですのよ!?」

 ナレータの金切り声にハルが一度目線を上げた。元が顎をクイッと上げた仕草で、漸くナレータに視線を合わせた。

「何の事だ。私はこの生き物の苦痛を取り除いただけだ。ところで……」

 そう言うや否や、スッと短剣を構えるとナレータに向かって投げつけた。鋭利な刃先がナレータを襲う。

「キャ―――――ナレータ様!!」

 二人の叫び声と同時に、「ふん!」ナレータの鞭が大きくしなる。そのまま短剣はたたき落とされ、粉々に砕け散り跡形も残らず消滅した。

「その短剣、お前の物か?」

 投げつけた事など気に止めず、ハルが感情無く呟く。ナレータは、両手で鞭を大きく弾いてクッと口角を上げた。

「……やはり野蛮人のパーティには、野蛮人しか集まらないという事ですわね。人に対する礼節が成っており……」

「お前の物かと聞いているんだ」

「貴方……死にたいのかしら? どのタイプのエンダか知りませんが、戯れが過ぎますわ。調子に乗ったエンダの成れの果てを思い知らせても宜しくてよ?」

 ナレータの鞭が周囲の木々をことごとくなぎ倒していく。オォサワとゴン太が焦った声を上げて、二人の間に割り込んだ。

「あ、あの、人に短剣を投げつけておいて、その態度はないっちゃよ。それにそんな短剣、ナレータ様は使わないっちゃ。ナレータ様のは、もっと高価でお洒落っちゃ」

「そ、そうッスよ。まずはその事を詫びるべきッス」


 その瞬間、ハルはナレータの前に舞い降りていた。展開の早さに付いていけず、お付きの二人はポカンと口を開けたままだ。

「そうか、獣の躾に刃物を使う奴であればと思ったが、失礼したな。しかしこの短剣がお前のものではないとすると、狙われたのはお前だ。短剣で狙われて気付かないとは……」

 消え入りそうな小さく繋がれた言葉に、ナレータはこめかみに青筋を浮かべた。握り締めた鞭がギリギリと軋む。

「え? ナレータ様のお命を?」

 二人が茫然と立ちすくむ中、ナレータの鞭が生き物の様に跳ねた。振り落とす度に、地面に大きな亀裂が走る。

「おい、森を荒らすな。たく、公道だって事、忘れんなよな」

 そんな元の忠告も耳に入っていないのか、ナレータは口元を醜く引き上げた。

「私の命を狙ったですって? どこぞの誰かが? そもそもそんな短剣で? この私の命を狙ったですって? ……ふ、ふふ」

 肩を小さく震わせる様子に、仲間の二人がゴクリと息を飲む。全身に纏う怒りのオーラが、大気をユラリと揺らす。

「オォサワ! ゴン太!」

「YA!!」

「事もあろうか、私の命を狙った不届き者がおりましてよ。なんとしても、その愚かな人間を突き止めるのです! 行きますわよ!!」

 ナレータの怒号に、二人は踵を鳴らす。そのままナレータはバカナンスに飛び乗ると、手綱を引き上げた。突如発せられた指示に、バカナンスはのっそりと立ち上がるとゆっくりと踵を返す。

 

 来た道を戻るパーティに目を向けて、元はハルに視線を向けた。当のハルは三人と一頭の動向に、栗色の瞳を細めている。

『出来れば、このまま……』

 そう心の中で、祈りに似た願いを呟きながら、諦め気味に問うた。

「なぁ、あいつに何て言ったんだよ」

「アサシンも大した事がないと言ったまでだ。しかし、気配遮断に秀でるアサシン相手にナイフを投げつける程の民か……。面白い」

「アサシン? 暗殺者って事? え、エンダにそんな職業があったの?」

 エンダの職業は多岐に渡るが、そんな職業聞いた事がない。しかし風の噂では、遊び人や吟遊詩人、どういう訳か盗人なども居るという噂だ。

「そんなに数は多くないだろうが、実在する職業だ。その能力の性質上、本人が職業を語れない為、あまり認知されていない」

「で、で? どうしてあの女がアサシンだと分かんだ? 見た目? っていうか、お前あんなに素早く動けたの?」

 そう次から次へと問う声に、ハルは応えず元のシャツを一度つまむ。

「我々も行くぞ」

「は?」

 当然のように向けられた声に、元は心底落胆し肩を落とした。

「我々も、って何だよ」

 既にハルの意識は遠い彼方なのだろう。問う言葉に答えようとしない。そう、いつものことだ。また悪い癖が出た、そんな嫌な予感に元は拒絶を露わにした。

「おめぇなぁ、何だかんだ言って、何にでも首を突っ込むの良くないよ。っていうか、あいつらと一緒に行動なんて冗談じゃねぇんだよ」

 どんなに苦言を言っても拒否しても、絶対に聞き入れないだろう事は分かっていた。分かっていても、言わずにはいられないのだ。そんな元の心情など気にも留めず、ハルはヒラリと肩に飛び乗ると、視線を前に向けた。

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