第9章 異世界ノ民‐6

 ナレータが鉄壁の要塞、巨大な門の前に立った。煌々と松明が焚かれる前で、その影は森に向かって深く長く伸びる。風格すらある仁王立ちの後ろ姿を、元はギヴソンに跨がったまま項垂れ見ていた。

『何でこんな事……』

 何度自身に問いかけてみても答えは出ない。そもそも一緒に来るつもりなどなかった。ギヴソンとバカナンスの足だ。余裕で振り切れる試算だった。


 賊が逃げた方向をナレータから聞いた直後の出来事だった。

『よっしゃ、一足先にハルと合流して、こいつの対策練らにゃぁ』

 元が手綱を握り締めたのを合図にして、ギヴソンが前足に力を込めたその時だ。ナレータがまるで独り言のような淡々とした言葉を落とした。

「そうそう、私、民を手に掛ける事が出来ますのよ」

 思い出したかのように綴られる言葉に、元の虚を突かれ思わず耳を疑う。

「……は? 何言ってんだ」

「貴方、異端児という異名を持つエンダをご存じ?」

 突如感情無く放たれた言葉と、話す内容も合間見合って、胸に苦いものを感じる。元は苦々しく吐き捨てた。

「……何てーの? 都市伝説みたいなモンだ」

「ほほほ。それでは、その伝説が目の前に居るという話ですわね。ご存じのようですので、改めてお伝えすることもないですけど、異端児は民を躊躇なく襲う事が出来ますのよ。えぇ、エンダの魂に刻まれた忌まわしい制約なしに、ですわ」

 オォサワとゴン太が暗闇の中で、大きく縦に頭を振っている。元はその気配を感じ取ると、鋭い視線をナレータに向けた。

「だから? 眼前で民が襲われて、俺が黙って見逃す筈もねぇけどな」

 空気がピクリと揺れて、今日幾度目かの緊張が走った。双方が大きな獣の上に座り、互いに視線をぶつけ合う。オォサワとゴン太が無意識に互いの袖を掴みあうと、ゴクリと息を飲んだ。


 しかし緊張の糸を断ち切るかのように、ナレータは緩く笑う。

「ふふ、私も馬鹿ではありませんわ。何の罪もない民を襲えば、協会に粛正されてしまいますしね。異端児だと知れれば、それだけで有無を言わせず粛正の対象になりますし。でも今回は山賊でしょう? どれだけでも言い訳は出来ますわ。

 ……でも、私もそこまで非情な人間ではありませんのよ。ですから私にナイフを向けたあのエンダだけ、そう合法的にお仕置きがしたいだけですの。そうしたら、誰も手にかけたりしませんわ」

 言葉は至極丁寧で柔らかい。しかしその表情は石の様に固まったままだ。ナレータの言葉は、ただただ闇に更なる闇を落とす。

「あんたが民を襲わねぇって保証は、どこにあるんだよ」

 元の低く通る声だけが、ナレータから発せられる闇に逆らっていた。

「ご心配ならば、貴方が見張っておけば宜しいのよ。お見かけしたところ、能力には自信がおありのようですし、いざとなったら私を倒してでも、お止(と)めになればよいでしょう?」

 そう言いながらも、「戦士如きが私を倒すなんて、出来ませんけどね」そんな声も響く。


「……」

 殺伐とした空気が更に加速していく。こんな奴がエンダなんて……今まで対峙した事のないタイプだ。葛藤に苛まれる元をよそに、ナレータの言葉は感情なく綴られていく。

「私こんな性格でしょう? 思い通りにならないと何をしでかすか分かりませんわ。ですから私を振り切って行こうなんて、くれぐれもお考えにならない事ね」

 その締め括られた言葉に、元はギヴソンの手綱を強く握り締めた。ここにハルが居ないことが悔やまれて仕方がない。どれ程策を練っても、自分一人ではこのエンダを止められないのだ。それは元が一番分かっていた。

『力でねじ伏せるなんて……相手は女だし。……くそっ!!』

「他の奴らには、手出ししねぇんだな?」

「ふふふ。約束致しますわ。私も、無駄な労力は使いたくないですもの」

「……分かった」

 そう何とか言葉を返したものの、元の思考は重く沈んだままだ。更に追い打ちを掛けるように、ギヴソンを抑えるのにとてつもない労力を要した。一気に山を駆け下りようとする衝動を何とか押さえ込み、バカナンスの足に合わせなければならなかったからだ。数十メートル進む度に、不服そうに振り返ってくる。

「……分かってるって。お願いだから、ここは我慢してくれ。くそ~ハルの奴、面倒かけさせやがって」

 再度ギヴソンの紅い瞳が振り返った時、元は手綱に顔を埋めた。


 既に世界は白み始めている。見張りも眠りについているのだろうか。人が動く気配はない。ナレータが眼前にそびえたつ強固な門の前に、一歩足を踏み出した。

「さぁ……出ていらして!!」

 ナレータの冷酷な声が無情に響くのと同時であった。門が縦に真っ二つに割れ、激しい地響きを立てて粉々に砕け散る。それはまるで柔らかいビスケットを潰すかのようだった。いとも簡単に瓦礫と化していく。

 後方で従者の二人が声にならない呻き声を上げた。

『……止められねぇ動きじゃねぇ。でも、入るタイミングを見間違うと、こいつ何をするか分からねぇ。俺らは狩りを生業にしている分、、血気盛んな奴らが多い。でも、こいつは、それじゃ収まりがつかねぇ。……恐らく力は五分。それでも俺には、エンダを手にかけるなんて事……対峙すれば、俺は負ける』

 元は生き物のような鞭の動きに眼を細めながら背中の剣に手を掛けた。

「出てこなければ、全てを破壊致しますわよ!!」

 門だけではない。城壁すらも粉々に打ち砕き、周辺は激しい砂埃に包まれた。周辺に悲痛な叫び声が上がり、大勢の人間達が混乱に追い込まれているようだ。元は握り拳に血を滴らせ、なんとか踏み留まっていた。


『これ以上は……』

 元が背中から剣を抜いた時だ。飄々とした声が砂埃の中から現れた。

「ん、もう。許してねって言ったのに。やっぱり来ちゃったんだ?」

 ナレータが鞭の動きを止めると、瓦礫の上に立つ男性の姿が映し出された。カラフルなバトルドレスに身を包み、両手を腰に添えている。色黒で筋肉質の体は、フィットした服の上からでも分かる程だ。耳に付けられた魔石がキラリと光る。

「許す? 私にそんな半端な感情はございませんの」

「あはは。面白い人ねっ。半端って基準が既に意味不明なのよ~。さっすが、アサシン~。無いわぁ」

 アサシンと呼ばれた瞬間、ナレータの眉がピクリと上がった。相も変わらず口元には、薄い微笑を浮かべているが瞳は一切笑っていない。オォサワとゴン太に至っては、普段の浮かれ気分がなりを潜め、顔面を青白くさせている。

「……本当にお口が過ぎます事。……ふふふ。私の前に現れたという事は、ある程度の覚悟がおありと言うことですわね」

 瓦礫の上でロディオンは、両手を広げ肩をすぼめた。

「覚悟なんて無いわよぉ。ホントは逃げる満々だったのに、あの子がワタシにお仕置きをするまで、あんたが諦めないなんていうから~」

 その言葉に、いち早く反応したのは元だ。身を乗り出し、必死の形相で訴える。

「あの子ってハルか? おい、無事なんだろうな!?」

 元に向かってクルリと体を向けると、ロディオンは頬に手を添えて、一度体をくねらせた。色黒い頬を、ピンク色に染めて「あらん……イイ男」そんな一言を呟く。

「あの子ハルっていうのね。あんな子、無事に決まってるでしょ。でもその人がこれ以上壊しまくるようだったら、建物の保証は出来ないわ。ま、大丈夫デショ。自分の身は自分で守れるタイプだわ」

 そう笑うとウインクを投げる。投げられたウインクに、困惑の表情を浮かべながらも、元はホッと安堵の息を落とした。


 その時、何十人もの足音が重なる様に響いた。騒ぎを聞きつけた仲間達だろう。ナレータの鞭が興奮気味に何度も跳ねる。瓦礫の間から、男の怒号が飛んだ。

「おい、敵は何人だ!」

「待ってろ、今からそっちに行くから!!」

 仲間の加勢に、ロディオンが一際大きな声を上げる。

「来ないでちょうだい!! ここはワタシが片を付けなきゃ駄目なの! じゃなきゃ、皆殺されちゃうわ!」

 その落とされた言葉に、仲間達の動揺する様子が、元の場所からでも分かる。吹き出すように、ナレータが口を挟んだ。

「ほほほ、殺すだなんて、人聞きの悪い。あくまでお仕置きですわ」

「あはは。お仕置きついでに、うっかり殺しちゃったわ~なんてね」

「ほほほ」

「あはは」

 瓦礫の向こうの混乱も乗じて、周囲は一気に騒然と化す。炎が繰り出す風に、ナレータの巻き毛が大きく揺れた。元の位置からはその表情は読めないが、恐らくゾッとする位に美しいのだろう。お付きの二人が不安そうな表情を浮かべ、視線をそらす事も出来ず、互いの腕を握りしめている。

 ナレータが小さく首を傾(かし)げた。

「無駄話はそこまでですわ。さぁ、己の失態を死ぬ間際に、後悔なさいな」

「失態ねぇ。あ、ねぇねぇ」

 ロディオンは、両手一杯にナイフを携え、両腕を大きく広げると、嫌に平坦な声で言葉を綴った。後ろで上がる火の手を背にする様子は、この世のものとは思えないほど、幻想的だ。

「ワタシを狙ったなんて、誰にも言わないでよね。アサシンなんかに命を狙われたなんて、恥ずかしくて生きていけない~。ほらぁ、アサシンて、エンダの出来損ないだからぁ」

 ロディオンの言葉を最後まで待たず、ナレータが大きく腕を振り上げた。と同時に、鞭の鋭い先端が、ロディオンの眉間をめがけて襲いかかる。それはまるで生き物のような動きだった。残酷かつしなやかに、一切の迷いなく空を切っていく。

「ヒッ!!!」

 思わずオォサワとゴン太は正視出来ずに、互いに抱き合う。突如始まった戦いに、元は剣を地面に突き刺し、二人の動きを逃さんと目を凝らす。


 カッカッカッ!!!


「!」

 ロディオンのナイフが、鞭に突き刺さる。鞭は大きく軌道を外し、外壁をなぎ倒した。勢いよく舞い上がる砂埃や、空を赤く染める炎に、眼を開けているのもやっとだ。

 ナレータは感情が欠落した表情で、再度大きく腕を振り上げると、鞭は彼女の手の中に戻っていた。そこに間髪入れず、無数のナイフが雨のように襲いかかる。

「あ、危ないっちゃ!」

「避けてくださいッス!」

 渦中の二人には、もはや外部の声など届いていない。殺意を剥き出しにして、その瞳は相手のみを映すのみだ。そんなエンダ二人に目を向けて、元は自身の胸がギリリと痛む音を聞いた。

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