第7章 麗しき姫君‐9

 討伐隊は森を抜け、道の両端が切り立つ岩場に出ていた。道幅が二十メートル程ある両端には、白い岩壁が続く。岩壁の高さは、最大で数十メートル。無機質な空間は否応がなしに、エンダ達一行を緊張の渦に巻き込んでいく。


 フェルディナンドの打ち明け話から、元はすっかり押し黙ってしまった。二人の過去が脳裏を何度も巡る。

『駄目だ……どんだけ考えても、爺さんの心を軽くする言葉が浮かんでこねぇ。あんな事を言ってくるって事は、この狩りで命を落とすかもしれねぇってことじゃん。爺さん、相当な覚悟で臨んでんだ』

 勿論、それはエミリーの為だ。この世界に来てからの苦悩を目の当たりにしても、応えられない不甲斐なさに悔しさが滲んだ。

「こんな時、ハルが居ればな……」

 元はボソリと呟いた。元の脳裏にぶっきらぼうな態度の姿が浮かんだ。奇譚の無い言葉は、肝を冷やすのと同時にストレートに響く。

 悩み項垂れる元の隣で、フェルディナンドもまた、罪悪感に苛まれていた。

『この話をしたのは、元殿が初めてですが……これ程悩ませてしまうとは。狩りの前だというのに、申し訳ない事をしてしまいました』

「爺さん!」

 元が勢いよく体を向けた。大きな声に一瞬エミリーが振り返った。驚くフェルディナンドを前にして、いつになく真剣な表情を浮かべると、力強く言葉を繋ぐ。

「爺さん、俺達、全員生きて帰るからな!」

 それは元の精一杯の答えだった。鬼気迫る迫力に、フェルディナンドは言葉を飲み込んだ。

『わたくしが、エミリー様を託す気持ちを察して……』

「元ど……」

「あの角を曲がれば、問題の岩場です」

 二人の間に割り込むように、アッサムの緊張を纏った声が岩場に響いた。狩りへの緊張感にバトルドレスが反応しているのか、風もなく大きく揺れる。幾度となく獣と戦ってきた猛者達だが、今回の相手は黒の宝玉を持つ獣。どのような結果に導かれるのか、正直想像も出来ない。

 岩山は無機質に広がりを見せ、側面に広がる白い岩肌が空の青さを鮮明に映し出す。アッサムが指差す角に目を向け、白の眩しさに目を細めた。

 

 その時だ。

 元の神経がザワリと全身を駆け巡った。

「あぶねぇ!!」

 ピリッと刺した殺気にフェルディナンドを突き飛ばし、自らも大きく体を反らす。瞳に映し出された光景を認識する間もなく、向けられた剣の一太刀が虚空を切る。元の右睫毛に光る剣が掠めた。

「何で!?」

 元の声が驚きと戸惑いを含み鈍く響く二人を襲うべく剣を振りかざしたのは、他の誰でもない。風の騎士団、正義を重んじる騎士達だった。馬車を守っていた騎士達が次々と剣を抜くと、元達に剣先を向けた。

「な!?」

「何の真似だ!!」

 想定も何もない。エンダの誰一人として状況を理解できずに、岩場は一瞬にして混乱に陥った。周囲を見渡しても答えなど出てこない。一体何が……エンダ全員が息をのむ。

「失敗だ……!」

 騎士の一人が小さく唸る。経験豊富な戦士と、回復の呪文を携えるヒーシャを最初に倒す……そう目論んでいた。思惑が外れて、騎士達に一瞬動揺が走った。しかし次の瞬間には統制が取れた動きで、一斉に斬りかかってきた。部下達の行動を一瞥し、アッサムが巨大な剣を鞘から抜き出す。

「エンダ様……。申し訳ございません!」

 その剣先が定まった時、フェルディナンドの悲痛な声が岩場に木霊した。

「アッサム殿!? お止め下さい!」

 非常にも向けられる剣先はピタリとエミリーを捉えている。状況が把握出来ないエミリーは、剣を抜く事も出来ずに、茫然と立ちつくしたままだ。フェルディナンドが杖を天に掲げ、足早に呪文を詠唱するのと同時に、鋭利な剣がエミリーに向かって、振り落とされた。

「ネンオグラ クトバ シメ サシャ エィジ 届け、光の盾!」


 ギギン!!

 詠唱が終わるや否や、エミリーの前に光り輝く盾が出現した。強固な盾は、アッサムの一振りを寸での所で弾く。刃を向けられた事で、エミリーが我に返った。

「爺や!」

 光の盾に手を添え、振り返ったエミリーが言葉に詰まる。そこには肩から大量の血を流しながらも、魔法を継続させ続けるフェルディナンドの姿があった。先程の騎士の一太刀は、掠めながらも肩に深い傷を負わせてしまったのだ。一心不乱なフェルディナンドを庇いながら、元は怒号を発した。

「先ずは自分の体勢を整えやがれ! エミリーの事はそれからだ!」

 騎士達が四方から執拗に切りつけてくる。何とか剣を交え応戦するが、相手が相手だ。如何せん分が悪い。手負いのフェルディナンドを庇いながら、何時まで持ちこたえる事が出来るか……嘗てない動揺に、元の鼓動は大きく高鳴る。

『くそっ。このままじゃ、いつかやられちまう。俺らには、どうにかする事なんて出来ねぇんだから!』

 元の言葉に光の盾を壊さんばかりに叩きつけ、エミリーは涙ながらに叫んだ。

「爺! 爺や、止めて! 爺が死んだら、私生きていけない! 私は大丈夫だから、お願い。……大丈夫だから……!」

 エミリーの切なる願いが、フェルディナンドの耳に届く。

『お嬢様!』

 光り輝く魔法陣が、フェルディナンドの足元に浮かび上がる。盾の呪文を継続させながらも、回復の呪文を唱え始めた。

 複数の呪文の効果で、盾の呪文の効力が落ちる。執拗に切り付けるアッサムの剣先が盾を破りエミリーを今にも捉えそうだ。切りつけられる度に、フェルディナンドの体が小さく揺れた。魔法への攻撃は少なからず術士に影響を与える事を、元はこの時初めて知った。例えようのない感情が吹き出す。

「どけ!!」

 元の殺気を含んだ怒涛に、騎士達が一瞬怯む。その隙にフェルディナンドを担ぎあげ、命を賭して守らんとするエミリーを目指し走り出した。

「待て!!」

 これ程の騎士の攻撃を受けながら、疲れなど微塵も感じさせない。傷を負った仲間を庇いつつ、全ての攻撃を紙一重で凌いでいるのだ。その身体能力の高さに、獣を狩る為だけに存在している「エンダ」が何たるものなのか、騎士達は指先が震えるのを感じた。

 

「グぁ……」

「あっ!」

 元が悔しさに歯を喰いしばる。エンダの一人、マジッカーが騎士の剣の前に倒れた。

『こいつら、本気だ』

 目前で起きている現実に、エンダ全員が言葉を無くす。何一つ状況を把握出来ないまま、仲間を一人失ってしまった衝撃は、受け入れがたいものがあった。

『獣は? 何故、どうして我々が襲われているんだ??』

 この世界の民に刃を向けられている、その現実に思考が巧く働かない。事実を受け入れる事が出来ないまま、一歩、そしてまた一歩と、エンダ達は岩壁に追い詰められていく。

「戦士、どうする!?」

 俊敏さを生かし、何とか攻撃を回避する拳士にも疲労の色が出ている。

「どうするったって……」

 元は心の動揺を抑え切れず、言葉を続ける事が出来なかった。エミリーはフェルディナンドが受けた傷に戦意を喪失し盾の中で呆然としているし、フェルディナンドは見た目以上に傷が深く、エミリーを気遣いながらの回復の呪文は効果が出ていない。

『こんな状況で、何が出来るってんだ!?』

 フェルディナンドの光の盾は、騎士の執拗な攻撃に今や破壊寸前だ。盾に入った亀裂の隙間を、アッサムの鋭い一太刀が貫き、光の盾は高い音を立てて、粉々に砕け散った。

「させるか!」

 エミリーの頭上に振り落とされた剣を、元の剣が空高くはじき返した。

 

 岩壁にフェルディナンドとエミリー、そして二人を守るように立ちはだかる元と拳士がじわりじわりと追い詰められていく。剣を飛ばされた衝撃で、傷ついた肩を押さえながらも、騎士団長は剣を拾い上げた。未だ民を信じたい気持ちから、元は間髪入れずに叫んでいた。

「規律を重んじる騎士団が、何故こんな卑怯な真似で俺達を陥れるんだ!? 騎士団の誇りは、王国と共にあるんじゃなかったのかよ!」

 元の言葉は騎士達の心に動揺を与えた。剣を構える手が震えている者もいる。やはり本心から望んでいる訳じゃないんだ! ……そう確証しながら、更に言葉を繋げた。

「申し訳ないって詫びながら、剣を振りかざすのが騎士道か!? 無抵抗のエンダを殺すのが、お前らが言う騎士の精神かよ! 俺らは、お前らを傷つけることが出来ない。それを理解した上での行為だろーが。おめーらは、それでいいのか!? それが騎士団か!?」

 エンダの在り方……エンダは、この世界の人を意図的に傷つける事が出来ない。獣を狩るのと同義で、そう魂に刻まれているのだ。

『まさか、こんな状況で体現する事になろうとは!』

 元の言葉に居合わせた全ての者が聞き入っている。しかし元の言葉を聞いてもなお、ただ一人アッサムは剣をグッと構えた。

「団長!」

「隊長!!」

 団員が口々に叫ぶ声には、救いを求めるかのような、悲壮感を漂わせた。動揺する部下の迷いを払拭するかのように、アッサムの一喝が飛ぶ。

「うろたえるな! 私達の精神は、王国の為に……。この魂が穢れようとも、私は……私は!」

 苦悩に満ちたアッサムの声は、居合わせた全員に沈黙を促すものだった。そして一人、また一人と、意を決した騎士達が剣を持ち上げていく。

『何なんだ! こいつ! しかも「王国の為」にだって? 一体何が起きているんだ!?』

「団長に続け!」

 自分達に向かって、一斉に切りつけてくる様を見て、元は悔しさで声が出なかった。目に映った光景に、胸が張裂けそうだ。

「くそっ!」

 この世界で初めて絶体絶命な状況に追い込まれていた。まさか命を賭けて守ってきた者達から、このような形で襲われ、命を落とす事になろうとは……未だに夢であってほしいと願う自分がいる。

『こんな卑劣なやり方で、数多くのエンダが襲われ、命を落としたのか……』

 それを思うと、悔しくて死に切れない。


 皆を守ろうと剣を構えた元に向かって、アッサムが渾身の力で剣を突き刺した。周囲に鈍い金属音が響き渡り、拳士が小さく唸る。

「……!」

 ゆっくりと元が視線を左横に移すと、頬から十センチも離れていない岩壁に、アッサムの剣が深く突き刺さっていた。

『殺そうと思えば、殺せた……』

 エンダ全員がゴクリと息を飲み、迫った死を覚悟した。この世界に来た時から、獣によって命を落とす覚悟は出来ていた。しかしこんな未来など、誰が予測できただろう。

『こんな所で、こんな風に朽ち果てようとは……!』

「……苦しめたくありません。抵抗は止めて下さい」

 鉄兜の下から絞り出す様な声を発すると、そのまま剣を抜き出し空に向かって掲げる。

「我が魂は王国と共に!」

 その号令に導かれ、幾重もの剣が一斉に振り落された。

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