第7章 麗しき姫君‐10

 元は咄嗟にフェルディナンドとエミリーを庇った。

 固く目を閉じめ最後の時に備えた時……聞き覚えがある音が不意に耳に届く。いつも以上に胸を締め付ける荘厳な音色に、恐る恐る瞳をゆっくりと開けた。

「こ、これって」

 そこには神々しく光り輝く巨大な盾が出現していた。幾重もの呪文に縁取られた盾は、明らかにヒーシャの魔法だ。まるで元達を守るように光を放ち、騎士達の前に立ちはだかっている。

「くそっ!」

「壊せない!!」

 騎士達が躍起になって剣を付き立てているが、びくともしない強固さだ。手負いのフェルディナンドが発動した比ではない。

「戦士……」

 拳士の震える声に、元も返す言葉が見つからずにいた。こんな状況下で、いや、このような状況だからだろうか、発動された癒しの効果に皆の胸は強く締め付けられてしまう。

「爺さん、すげぇじゃん! まだこんな……え?」

 鼻息を荒くして振り返った元は言葉に詰まった。フェルディナンドはエミリーの腕の中でぐったりと意識をなくしたままだった。

「え……じゃ、これは……誰が」

 元は恐る恐る盾に触れた。周りを見渡しても自分達以外にエンダの姿はない。

「ヒーシャの魔法は、術者の意識が無くても発動し続けるものなのか?」

 拳士が怪訝そうに問う声に、元はある人物の姿が脳裏を過る。魔法が放つ絶対的な存在感には見覚えがあった。魔法は、術者の性質を顕著に表す。

『でも……まさか』

 

「何者だ!!」

 アッサムの震える声が渓谷に響く。計画の全てを短時間で終わらせなければと目論んでいた。しかし想定以上に苦戦し、加えてこの現象だ。アッサムの心臓がドクンと波打ち、騎士の感が警鐘を鳴らす。

「シッパイシタカモシレナイ」と。

 

「全く……。随分と面倒な事に巻き込まれているな」

 岩上から、シルバーがかった栗色の髪が柔らかく揺れた。感情なく呟く言葉からは、本心を読み取る事は出来ない。肩に乗る小さき生き物が答える様に、「きゅん」そう小さく鳴いた。頬に擦り寄って来る小動物を優しく撫で、視線を岩場に落としたまま、少女は隣に佇む獣に声を掛ける。

「さて、漸くお前の出番だ。随分と待たせたな。さぁ思う存分、大切な仲間を助けてこい」

 少女の何倍もある獣は、紅い目をぎらつかせ恨めしそうに睨みつけている。その視線は、人をショック死させる程の鋭さがあるが、少女は漫然と顔を上げようともしない。

「早く行け。魔法の効果が切れる」

 その言葉通り、少女の足元には光り輝く魔法陣が縁どられ、今も魔力が放出されている。目の前の光り輝く盾は、明らかにこの少女が発動したものだった。

 自分の不機嫌さなど微塵も興味が無さそうな態度に、一度小さく唸ってみたものの、黒々とした肌を持つ獣は、そのまま下を見据える。そして一度目を細め、一気に岩壁を掛け降りた。

「全く、ああいうのをツンデレというのか?」

 一行は元達がこの場に到着する前から待機し、事の一部始終を見届けていた。予想通りの展開になろうとも、中々腰を上げない少女に、痺れを切らした獣が鼻を押し付けてくる。まるで「早く行け」と言わんばかりだった。卑怯な手で追い詰められた元の危機に、最後は今にも飛び降りそうな勢いだったのだ。その鋭い爪で、深く抉られた岩場に視線を向けて、少女はクックックッと肩を震わせた。

『いい傾向だ』

 駆け下りる獣の後姿に目を落とした後、

「では、私はあれをどうにかしよう」

 王国の守り人、騎士の中の騎士、アッサムに視線を移しボソリと呟く。少女の耳に輝く魔石が、光に反射して小さく光を歪めた。

 

 元は何が起こったのか、いや居合わせた全ての人間が、理解出来ずにいた。光の効果が消えた……愕然とその事実を認識した時、今度は額に深紅の宝玉を携えた黒い獣が岩壁を駆け降りてきたのだ。皆が突如現れた獣の成りに震え上がり、呆然としている。

 そう、元一人を除いては。

「ギヴソン?」

 深紅の宝玉を持つ獣は、騎士達を全てなぎ倒し、ザザァと元の所に駆けてきた。

「戦士、危ない!! ……って、あ?」

 しかしその心配を余所に、その獣はまるで寄り添うかのように、元の隣に佇んだ。拳士が困惑しながら呟く言葉に、元は茫然とギヴソンに目を向けた。

「何でお前が……?」

 問われる声にも反応はない。目線はずっと騎士団を睨みつけたままだ。

「ググッ」

 なぎ倒された騎士達が、うずくまり倒れこんでいた。しかし、宝玉を額に持つ獣の攻撃にも関わらず、誰一人命を落としている者はいない。獣は全てを奪い尽くす生き物だ。それなのに何故攻撃されて生きているのか、騎士達は呆然とただ事の成り行きを見守るしか出来ずにいる。

「仲間か……!」

 口惜しそうにアッサムが唸った。獰猛な獣を前にしても、この男だけは目的を達せんと間合いを詰めてくる。ギヴソンは、元の前に立ちはだかり、鋭い視線でアッサムを睨みつけた。

『こいつが俺達を助けに……?』

 自分を守る為かどうかは疑問が残るが、ギヴソンが来たからには、騎士達に勝ち目は無い。そんなアッサムの姿を、元は不思議な思いで見続けながら、「もう……止めよう」、そう言いかけた時だった。馬車がグラリと揺れた。

「あ、姫様!」

 エンダ達が一斉に声を上げ、身を乗り出す。同時に、馬車は地響きと砂埃を立てながら倒れた。直前に繋がれた手綱が切られたのだろう。馬車を牽引していた馬が来た道を勢いよく駆けて戻って行く。


「乗っている訳がないだろう」

 砂埃が晴れた時だった。一人の少女が倒れた馬車の上で、呆れる様に声を発する。

「ハ……ハル!?」

 元の叫びに応えるそぶりも見せず、上を向いた馬車のドアを足で蹴り上げた。こんな状況下に突如として現れながら、服はバトルドレスにも変わっていない。生成りのワンピースに皮のブーツのままだ。それは、いつものハルだった。

 ハルは騎士団に向かって、感情なく言い放つ。

「こんな状況に陥れられても、お前達の言葉を根底では信じている奴らだ。もう、終りにしてやれ。どちらにしても、お前達に勝ち目はない」

 ハルの言葉と、獣の出現に観念したのか、騎士達の手元から次々と剣が落とされていく。天を仰ぐ者も居れば、肩を震わせている者もいる。その表情は硬い鎧の下だが、葛藤に苛まれて居たであろう事は、ありありと見て取れた。

 それでも、なお戦おうと剣を持ち返えたアッサムに、ハルは言葉を重ねていく。

「この事は、お前達が崇拝してやまないお姫様もご存じだ。伝言を預かってきた。これ以上、私の為に罪を重ねるのは止めてくれ、だそーだ」

 冷ややかな視線のまま、まるでトドメだと言わんばかりに感情なく付け加える。その言葉にアッサムは剣を地面に深く突き刺し天を仰ぎ見た。

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