ジャーマンアイリスのせい
~ 五月二十六日(土) P.M. ~
ジャーマンアイリスの花言葉 素晴らしい出会い
乙女とは、護られるべき存在。
その言葉は、父ちゃんの口癖のような物で。
俺も気付けばそう考えるようになりました。
でも、初めてその言葉を聞いた、茜色が差し込む定食屋で。
父ちゃんは涙をこらえていましたね。
俺は涙のわけを知っているけれど。
知らない事にしてあげています。
だから母ちゃん。俺の記憶の中の母ちゃん。
父ちゃんを殴った、マナーの悪い客を追い払って。
定食屋で大歓声に包まれながら勝鬨をあげるのはやめてあげてください。
乙女とは、護られるべき存在。
その言葉は、父ちゃんの口癖のような物で。
でも、今は父ちゃんの手を離れ。
すっかり俺の言葉になっていますけど。
とても弱くて。
とても泣き虫で。
乙女を表す形容詞は、何と言いましょう。
……今は昔。
縮こまる六本木君を囲む女性三人。
そんな乙女たちを守ることなんて、俺には絵空事でしかないのです。
それでも俺は、言い続けます。
乙女とは、護られるべき存在。
だってそう言い続けないと。
明日は我が身なのですから。
~🌹~🌹~🌹~
見事、天岩戸が開き。
瑞希ちゃんが葉月ちゃんの申し出を拒否し続ける理由が判明したのですが。
結局それはどういうことなのか。
1/3スケール六本木君への尋問が開始されます。
それにしても女性というものは。
共通の敵を見つけると、途端に仲間意識を抱くもので。
今の今まで敵だった生徒会長を旗印に据えて。
被告を責め立てるのです。
「全部おにいのせい!」
「ちょっと隼人! どういう事よ!」
「六本木隼人。事情を分かるよう説明なさい」
「知らねえよ! 俺が聞きてえ!」
六本木君が噛みつくように瑞希ちゃんをにらみますが。
兄妹ならでは。
まったく同じ目をして瑞希ちゃんがにらみ返します。
「なんであんな大事件起しといて覚えてないのよ!」
「何のことだよ!」
「……大事件? さもありなん。この非常識が、一体何をしでかしたのでしょう」
さっきまでは敵に挑むがごとく掴んでいた生徒会長の服。
その姿はまったく同じなのに。
今はすがるがごとく掴んだままに、瑞希ちゃんは説明します。
「あたしが小学校一年生の時の運動会で、おにいが二人三脚に出たんです!」
うん。
…………ん?
なんだろう、既視感。
というか既聴感。
「一生懸命応援してたら、二人して豪快に転んじゃって。あたしが心配して駆け寄ったら、この人、友達が血を流してるのに指差して笑ってたんですよ!」
中野くーーーーーーん!!!
「なるほど、非常識な六本木隼人のせいで二人三脚が怖くなったと」
「あたしが、と言うよりは、一緒に走る人を怪我させてしまうんじゃないかって」
「……では、あなたが加減して走れば済むのではないですか?」
「う。……いえ、それは、あの」
会長から、ぱっと離れてしどろもどろになる瑞希ちゃんですが。
たしかにそうですよね。
そんな二人も気になりますが。
こっちの二人は爆発寸前です。
「……最悪ね、隼人」
「子供の頃の話じゃねえか!」
「何か申し開きがあるなら、まずは仏の御石の鉢を持ってきてからにして」
「一生返事が出来ねえっての!」
なんだか妙な展開になってまいりましたが。
俺の服は、未だにくしゅっと握られて。
大きな問題が放置されたままだということを教えてくれるのです。
「ええと、みなさん。六本木君のせいだと判明したのはさておいてですね……」
「別に俺のせいじゃねえだろ」
「中野君、未だに傷が残ってるのに?」
「…………俺のせいじゃねえ」
「瑞希ちゃん、未だに膨れてるのに?」
「…………俺のせいじゃねえ」
「渡さん、龍の首の珠を持って来なけりゃ月に帰るって顔してるのに?」
「…………俺のせいだ」
いつものバカなやり取りも、場合が場合なので誰も笑いませんでしたが。
でも、生徒会長だけ噴き出しそうになっていたのを俺は見逃していません。
実はお茶目な方なのかも。
「隼人、いつでも夢中になって走るからそうなるのよ」
「夢中になるだろうよ。だって勝負なんだぜ?」
「だからって、二人三脚で大怪我させるなんてやり過ぎよ。相手のことを考えてペースを合わせなきゃ」
渡さんの発言を聞いて。
ああ、この二人はやっぱり夫婦なんだなあと実感してみたり。
だって、そんなことを言ったら。
バトルロワイヤルがさらにめちゃくちゃになってしまうのです。
「イタイイタイ! 穂咲!? 急に何するのよ!」
渡さんの背中をポカポカ叩き出した穂咲ですが。
君は何と言いましょう。
無駄にまっすぐですよね。
「香澄ちゃんが誤解してるみたいだから正すの。二人三脚は、れっきとしたスポーツなの。相手のことを考えて呑気に走る、取るに足らない競技じゃないの」
「そうなのです。さっき渡さんが自分で口にしたことなのです」
ががーんと、この才色兼備が雷に打たれたような顔でよろめいていますけど。
あわれ、夫婦そろって自分の意見を自分で否定することになろうとは。
そして六本木君の隣に正座すると、1/3スケールに縮こまる渡さんなのです。
「ほらみろ、俺が正しかっただろうが!」
「そ……、そんなこと……」
「六本木君は、大変な中野君を指差して笑ってたので違うと思うのです」
「うぐぐっ!」
「そうなの。これはスポーツなの。スポーツは、友達になるために欠かせない勉強なの。だから学校で習うの」
穂咲は反省中の二人を放っておいて。
一年生二人ににっこりと微笑みます。
……友達になるための勉強。
なるほどね。
一年生コンビはきょとんとしていますけど。
きっと君がこれからやる事を見たら、もっと呆然とすることでしょうけど。
ストレッチなど始めたら。
止めるのも無粋なのでしょうかね。
「では穂咲。お前がスポーツってやつを、……いや、渡さんと友達になりたい気持ちってやつを見せてやりなさい」
「がってんなの」
地面につかない前屈と。
気を付けと変わらない上体反らしを終え。
靴ひもと口元をきゅっと結わえ直して。
そしてタオルで俺と足を結まてまてまて。
「俺を巻き込まずに、ばばーんと見せてやりなさい。俺を巻き込まずに」
「そいつはできねえ相談なの」
俺の肩に手をまわし。
「ちょっとまて! ほんとに俺が巻き込まれる意味が無うひゃう!」
穂咲は夏の扉に向けてダッシュして。
二人仲良く、盛大に転びました。
「ぎゃふん!」
「いてててて! ふざけるなです!」
ああもう、ほんとにもう。
君が見せたいものに俺を巻き込まないで!
ほらご覧。
生徒会長の呆れ顔ったら。
「な……!? あ、藍川穂咲。あなたは何をやっているのです?」
「これくらいなんともないの」
「なんともない? 体中傷だらけになっているじゃありませんか」
「香澄ちゃんと勝ちたいから、平気なの」
「だったら俺じゃなく、渡さんと走りなさいよ!」
「………………あ、ほんとなの」
とぼけた顔で飄々と立ち上がって。
渡さんと足を結び始める穂咲を見て。
葉月ちゃんは何かに気付いてくれたようですが。
瑞希ちゃんは、目を背けてしまいました。
……でも。
彼女の扉は、微かに開いたようで。
だから、こんなことを口にしたのです。
「藍川先輩は、怖くないんですか? 自分のせいで怪我をさせてしまうかもしれないのに。……香澄お姉ちゃんのお友達になりたいんですよね?」
「うん」
「だったら、なんで……?」
「だって、二人三脚のパートナーが決まった時にね? 香澄ちゃんが、頑張りましょうねって言ってくれたの。だから頑張れるの。きっと二人で一位になるの」
記憶力の悪さには定評のある君ですが。
俺は覚えていませんけど、でも、きっとそう言われたのでしょう。
穂咲のお隣に座る渡さんが嬉しそうな、悲しそうな顔を浮かべていますけど。
その後半の表情を浮かべているようでは。
まだまだ友達とは言えませんね。
「頑張ったせいであたしが転んで怪我をしても、あたしが香澄ちゃんを恨むことなんてないの。きっと香澄ちゃんもおんなじ。……でも、それじゃまだ足りないの」
「……そうね。これは、スポーツなんだから。穂咲はきっと、最後まで失速しないで走ってくれる」
「うん。香澄ちゃんは絶対、あたしと同じ速さでスタートダッシュしてくれるの」
「だから、本番でも最後まで手を抜かないわ」
「信頼してくれていいの。あたしも全力でダッシュするの」
「……ええ、信頼して」
そして二人でいつものスタート地点に立つと。
スタートするなり転んで。
すぐに立ち上がって駆け出して。
ゴール手前でまた転んで。
……ここのところよく見かける、五十メートルで二回転ぶペース。
それでもきっと、取るに足らない競技として参加する方と比べたら圧倒的なスピードでゴールイン。
「なんでスタートで手を抜くのよ穂咲!」
「香澄ちゃんこそ、やっぱり最後は遅くなったの!」
何度も見ていたはずの葉月ちゃんも。
ほぼ初見の会長さんと瑞希ちゃんも。
羨望の眼差しで、罵り合いながらスタート地点に戻る二人を見つめるのです。
「……でも、あたしは無理」
「まだ言うかお前は。今のを見て感動しなかったのか? 今にも走り出したくならなかったのか?」
スポーツ脳な六本木君に対して。
おそらく普通少女な瑞希ちゃんは抵抗します。
「おにいはなんで平気なの? お友達でしょ? 彼女でしょ?」
「バカ言うな。スポーツなんだから、これが当たり前だろ」
「この脳筋!」
「なんだと!? お前の方が脳筋だろうが!」
……ん?
「競争って聞いただけで、後先考えずに走る筋肉バカのくせに!」
「そう! あたしこそ脳筋クイーン! だから葉月の誘いを断ったのーーー!」
な……。
なんだって!?
「あたしと一緒に走ったら、百パー葉月を怪我させるに決まってるーーー!」
顔を覆って悶える瑞希ちゃんを、今度は俺たちが呆然と見つめるターン。
ああ、なるほど。
それで拒否していたのか。
でも。
だったら。
すっかり凛々しい表情になって。
いつの間にやら俺の服から手を離して一人で立っていたこの子なら。
きっと、君の良いパートナーになってくれると思うよ。
「……瑞希ちゃん」
「うう……、葉月ぃ……」
「あたしと、友達になりたいって言ってくれたよね」
「うん。……友達を怪我させたくなんかないの……」
「それで、なにも言わずに逃げていたのね。……でもそれじゃ、友達になれない」
淡々と話す葉月ちゃんの目は、遠くを見据えていて。
だから瑞希ちゃんは勘違いしちゃったんだろうね。
ぼろぼろに涙を流して、大声を上げました。
「そんなこと言わないでーーー! 友達でいてよーーー!」
「ううん? 違うわよ。私たちはまだ友達じゃない。……これから友達になるの」
「そんなこと言わないでーーー? え? ……どういうこと?」
凛々しく頷く葉月ちゃん。
そう、言ってあげなさい。
君の覚悟を。
……瑞希ちゃんの友達になりたいという思いを。
「秋山先輩!」
「ん? ……なぜ俺?」
急に俺の名を呼んだ葉月ちゃん。
べったり手の平を付けて前屈して。
これでもかと上体を反らして。
靴ひもと口元をきゅっと結わえ直して。
そしてタオルで俺と足を結まてまてまて。
「ちょっとまて! 今度こそほんとに俺が巻き込まれる意味が無うひゃう!」
葉月ちゃんは夏の扉に向けてダッシュして。
二人仲良く、盛大に転びました。
「いでででで! なんてことすんの!?」
「秋山道久! きさま、妹になんてことを!」
「庇ってあげたいよ!? 後輩だしいい子だし! でも今の暴挙に俺が叱られる道理がどこにあるの!?」
穂咲たちも慌てて駆け寄って来た事故現場。
そんな嵐の中心で、飄々と立ち上がる葉月ちゃんに。
会長は声をひっくり返して問いただします。
「どうしてこんなことを! 非常識です!」
「お姉ちゃん。……私、スポーツを通して知りたいのです。負けた時に悔しいって思いができるまで、頑張りたいのです。……自分が友達になりたい人と。二人で」
これは、六本木君が話していた言葉だ。
「二人で勝つんだから、まずは私の覚悟を見せたの。怪我なんかこわくない」
そしてこれは、穂咲がみんなの目を覚まさせるためにやった事。
「瑞希ちゃんが私を転ばせたって平気。私だって、瑞樹ちゃんを転ばせる気で、全力で走る。信頼したいから。信頼してほしいから。……いっぱい戦って、いっぱいケンカして、それを越えて。……友達に、なりたいから」
そして。
……最後のは、俺が教えてあげた言葉だ。
きっと俺たちが、先輩から教わってきたもの。
それをどなたに教わったか思い出せないけれど。
勝手に自分が手に入れたような顔で、こうして君に教えて。
でもそれを、今みたいに誰かに教える時。
俺たちの顔は、思い出さないで欲しい。
誰かから教わったものが。
自分の中に溶けて、自分の中の当たり前になって。
それを教えてあげて欲しいんだ。
瑞希ちゃんは涙を拭こうともせず。
擦り傷だらけになった葉月ちゃんに抱き着いて。
「……勝とうね! 必ず、あたし達が一位になろうね!」
とうとう、友達への一歩目を踏み出す勇気を奮い起こしてくれたのでした。
そんな二人へ。
そして暖かな気持ちになった俺たちへ。
厳しく清々しい渓流の響きが届きます。
「……もっとも愚かしい結論に達しましたね。それでは、この方と一緒に出ると、あなたはそう言うのですね?」
「はい」
「一位になれねば家には入れぬという約束、まさか忘れてはいないでしょうね?」
「もちろんです。……必ず、一位になります」
「………………勝手になさい」
そんな一言を残して生徒会長が去っていく姿を。
みんなはすこし渋い顔で見送ります。
なんでそんなに冷たい事を言うのと言わんばかりですが。
「……くすっ」
「やはり、穂咲には分かりますか」
「当然なの。なんだか役者さんみたいなの」
俺と穂咲、あと、葉月ちゃんもくすくすと笑い出すのです。
「お前ら、何がおかしいんだよ」
「六本木君、気付いてないのですか?」
「なにをだよ」
ふてくされる六本木君の両隣。
渡さんも瑞希ちゃんも怪訝顔ですけど。
そんな三人へ。
葉月ちゃんが笑顔を浮かべて教えてくれました。
「お姉ちゃんは悪者になって、私の願いを叶えてくれたんです」
「どういうことだよ」
「ええとですね。瑞希ちゃんが走らない訳を話させてくれたのは誰でしょう」
「…………あ」
「そうなの。お父さんお母さんから叱られないように、葉月ちゃんを守ってくれる会長さんだから当然なの。いつだって葉月ちゃんのことを考えてるの」
種明かしを聞いて、ようやく満面の笑顔を浮かべた三人と共に。
振り返りもせずに校門を出る、厳しい態度を自分に課した優しいお姉さんへ向けて、俺たちは深々とお辞儀をしました。
そして、ようやくキラキラとした笑顔を取り戻した葉月ちゃんが。
涙をごしごしと拭く瑞希ちゃんの手を取ります。
「練習しよう!」
「ううん? ……特訓よ!」
そして同時に上着を脱いで。
全開になった扉へ向けて、飛び出して行きました。
彼女たちの夏の扉は。
今日、みんなより一足先に。
まばゆい光を伴って開いたのでした。
つづく。
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