シャスターデージーのせい


 ~ 五月二十六日(土) A.M. ~


   シャスターデージーの花言葉 全てを耐え忍ぶ



 のんびり揺れる土曜の車窓は体操着姿を二つ映して。

 席はたくさん空いているのに、いつもと同じドアの前。

 今日は眠たそうな少年は、見慣れたぼさぼさの髪を気にしていじって。

 今日は昨日よりも一日分大人になったお姉さんは、お隣に立つ少年の、脇のあたりをぎゅっと握る。


 いつものカーブで右に傾くと。

 服を引っ張る力が増して。

 軽い色に染めたゆるふわロング髪が背中に乗って。

 ちょっとドキドキしてしまう。

 

 かんかんと鳴くトラ縞を越えたあたりで元の位置に戻ると。

 今度は逆に引っ張られるので、肩がこつりとぶつかって。

 ちょっとドキドキしてしまう。



 いつもと違ういつも通り。

 田んぼの上を伝う、真っ白なロープの光と追いかけっこ。

 いつもと違ういつも通り。

 ドアの向こうの少年があくびをするのに合わせて。

 俺と女の子も大あくび。


 春と夏とのあいだっこ。

 だからもう少しだけ待ちなさい。

 夏になったらったらサナギを脱いで。

 花を求めて舞いなさい。


 少女は上着に手をかけて。

 扉が開くのを待ちわびて。


 そう、来るべき夏が扉の向こうに見えたとき。

 少女たちは上着を脱いで駆け出して。

 広大な大海原を舞う、大人の蝶へと姿を変えるのです。


 子供な男子を、黄色いお日様が焼きつける砂浜に残したまま。

 それぞれの海に浮かぶ、それぞれの夏の扉を開いて。

 青いお月様に見つめられながら。

 白い宮殿で真っ赤なバラに酔いしれるのです。



 キイと、習いたてのヴァイオリンを鳴らして電車が止まる。

 今日もまた、少女が一つ階段を上るために世界へ飛び出す。



 今、上着を脱いだあなた。

 俺の肩に手をかけるあなた。



 ちょっとだけ。

 夏へ向かって走り出すのを待ってはくれまいか。


 君が猛ダッシュで夏の扉を駆け抜けるせいで。


 ……日本で唯一の放送が流れる駅として。

 ここが有名になってしまったのだから。




『駆け出し降車は大変危険ですのでおやめください!』




 そんな放送が終わる前には。

 改札を抜けて通学路へ踊り出す。

 二人三脚の特訓が始まってから、ずっとそう。


 駅員さんに叱られるのは、いつものように俺の仕事。

 ……二人三脚の特訓が始まってから、ずっとそう。



 まだまだ君は、子供のまんまで。

 君が蝶になる夏の扉。

 もうしばらくは、開きそうに無いのです。




 ~🌹~🌹~🌹~




 校庭の隅っこに作った五十メートルの短距離コース。

 夏待ちの、眩しい光が木漏れてたゆたう特訓場所。

 シャスターデージーの庭に沿うように、二週間前に引いた石灰はすでに消え。

 その代わりに、今では二人分の汗が染みついてラインの代わりを果たしている。


 別名、『香穂かほロード』。

 あまりの回数、二人が転んだおかげで。

 驚くなかれ、ここだけ他よりくぼんで溝になっていたりするのです。


「……良かったね、穂咲」

「なにがなの?」

「君の陳列棚はともかく、ここだけはへこんでいますよ?」

「今に見ているの。夏には砂時計のようなスタイルをお披露目するの」


 ふふんと鼻息も荒くご機嫌なので。

 俺が、上から見た図を想像していたことは内緒です。



 さて、いよいよ明日は本番。

 基本的にスタートとゴール間際で二回転ぶ二人ですが。

 何回かに一度はまったく転ばずに走り抜けることが出来るようになりました。


 午前中も目いっぱい練習をして。

 今は、お昼ご飯の到着を待ちながら休憩タイム。


 そこには、数日前から特訓に参加している葉月ちゃんの姿もあるのですが。

 いよいよ不安は増すばかりといった表情なのです。


「今日も遅いなあ六本木君は」

「ほんと。でも、連絡がないところをみると大丈夫なんじゃない?」


 渡さんが携帯を振りながら。

 水筒から暖かいお茶など飲んでいますけど。


 ……スポーツをして、温かい飲み物。

 ちょっと信じがたいのです。


 でも、温かいものを常飲することは。

 陳列棚に効果があると聞いたことがあります。


 それを裏付けるかのように。

 地べたに正座して、両手でペットボトルを持って。

 くぴくぴと君が傾けるその冷たい乳酸飲料。


 ちらりと目に入った熱量表示は。

 なかなかどうしてキロカロリー。


 しばらくは。

 欠品することのない優良店舗でいてください。


「しかし遅すぎる。不安なのです。……葉月ちゃん、まさかとは思うけど、生徒会長が不戦敗を見逃してくれるわけはないよね?」

「はい……。しかもお姉ちゃん、瑞希ちゃんが私の誘いを拒んでいることも知っていまして。どうする気なのと、昨日はさんざん追及されました」


 しょんぼりと、やはりホットの紅茶を手にする葉月ちゃん。

 今はそれどころじゃないけれど。

 どうしても細身な彼女とホットドリンクとの関係性に思いをはせてしまいます。


 するとそこへ。


「待たせたな!」


 昨日と同じ抑揚で。

 耳に届いた元気な声。


 どうしましょう。

 絶望的。


 まさか、また失敗しやがったのかと恐る恐る顔を上げてみれば……。


「おお! 瑞希ちゃん!」

「こ、こんにちは、秋山先輩……」


 どうでもいい六本木君の背中に隠れるように。

 待ちに待った瑞希ちゃんが、大きなお弁当包みを持って立っていました。


 ……だから、どうでもいい方。

 邪魔だから暑っ苦しい笑顔でVサインとかやめなさい。




 ~🌹~🌹~🌹~




 さて。

 あとは若いものに任せて。


 ……などという訳にもいかず。

 なんとか彼女を説得しないといけません。


 未だに六本木君の後ろで。

 居づらそうにする瑞希ちゃん。

 困った様子の瞳を一瞬捉えると。

 辛そうにそれを逸らすのです。


 でもご安心ください。

 実は昨日、遅くまで練りに練って。

 瑞希ちゃんが、走りたくない理由を自然に話したくなるトークというものを準備してきたのです。


 本題から遠いあたりから初めて、自然な流れで本音を聞き出す。

 そんな、俺の華麗なトーク術。

 ちょっと緊張してるけど。

 いざ、開始です!


「ととっ、時は永禄十一年っ!」

「ひっ!? ……急にどうしたんですか、秋山先輩?」


 ……撃沈。


 六本木君、後のことは任せた。

 本題から遠いあたりから初めて、自然な流れで本音を聞き出す。

 そんな、君の華麗なトーク術。

 見せてください!


「ほら、瑞希! お前がグズグズ言うからこんな沢山の連中が迷惑してるんだ! とっとと事情を白状してごめんなさいして、明日に向けて練習しろ!」

「あたし、やっぱ帰る。……みなさん、お弁当は置いて行きますので頑張って下さいね……」

「うおいヘビー級チャンピオン! ゴングと同時に試合を終わらすな!」

「ちょっと隼人は邪魔だから、コンビニで燕の子安貝を買ってきなさい」

「一生帰って来れねえだろ。瑞希を連れてきた功労者になんて事言うんだお前ら」


 その功労者。

 あっという間に成果をどぶに捨ててしまいましたけど。

 あわれ、甲斐性無しな男子コンビのせいで。

 せっかくのチャンスが消えてなくなりそう。


 でも、そんなとき。


「ま……、待って! 瑞希ちゃん!」


 どれだけ逃げ出したいと彼女が願っても。

 返した踵がその場に止まるほど。

 そんな悲痛な響きで、必死なトーンで。

 葉月ちゃんが叫びます。


 でも。


「何度も……、言わせないで。あたしは出ないから、二人三脚」

「こら瑞希! そんな言い方ねえだろうが!」

「おにいには関係ないでしょ! 香澄お姉ちゃんの言いつけ通り、早く蓬莱の玉の枝を買ってきなよ!」

「なんか訳があるんだろ? 友達なんだから、葉月ちゃんに話してやれよ」

「友達だからイヤなのよ!」


 瑞希ちゃんは髪を振り乱して叫ぶと。

 六本木君の胸を突き飛ばしてしまうのです。


 友達だから嫌。

 どういうことなのでしょう。


 冷たい水が浴びせられたような世界。

 寂しくて、泣き出しそうな風景画から逃げ出そうとした瑞希ちゃんは。

 再びその足を止めることになりました。


 いつの間に近づいていたのやら。

 逃げようとした瑞希ちゃんの行く手をさえぎるように。



 ……生徒会長が立ちふさがっていたのです。



「休日も練習とは見上げたものです。……ですが、体育祭に参加もしない者がいるでは邪魔に思う方もいることでしょう」


 渓流の、清々しいほどに厳しい流れ。

 それを体現する美女が、俯く瑞希ちゃんの顎をくいと指で持ち上げます。


 急なことに驚いて、慌てて目を背けた瑞希ちゃん。

 生徒会長は、そんな彼女に淡々と言葉を投げかけるのです。


「別にあなたは悪くありません。勝手に、二人三脚などという取るに足らない競技へあなたをエントリーしたのは葉月なのですから。どうぞ大手を振ってお帰りなさい」


 とび色の瞳を切れ長の縁に滑らせて、瑞希ちゃんから葉月ちゃんへ冷ややかな視線を移す生徒会長。

 彼女の物言いに、誰もが瞬時に反逆の炎を燃えたぎらせました。


 特に、この二人が黙っているはずはありません。


「誤解されているようなので正します。二人三脚は、れっきとしたスポーツ。取るに足らぬなど、生徒会長ともあろう方が口にしてよい言葉ではないと思います」

「そうなの。なんでそんなこと言うの?」


 これまで二人は必死に練習してきたのです。

 当然の反抗です。


 より一層、悲しさが増した世界に耐え切れず。

 涙をこぼし始めた葉月ちゃんが。

 震える手で、俺の裾をぎゅっと握ります。



 助けて。



 彼女の思いが流れ込んでくる。

 そして悲しくなるほどに。

 それは自分ではない、他の誰かを思いやる気持ちに溢れているのです。


 ……でも。

 彼女が助けたいと願う人は?

 渡さん。

 穂咲。

 それとも……。


 俺がそこに思い至ったとき。

 やっと気付いたのです。


 渡さんが、眉尻を跳ね上げて怒っているのに対して。

 穂咲は。

 この、人類皆兄妹少女は。



 欠片も怒った様子はなく。

 きょとんと首をひねっているだけだということに。



 会長の悪意ある言葉。

 でもそこに、こいつは悪意を感じ取ることが無かったようで。

 ただ、その言葉が理解できないとでもいうように。

 首をひねっていただけなのです。



 ……そんな君を見ていたら。

 生徒会長を信用しきった君を見ていたら。

 自然と分かりました。


 危うく勘違いするところだったよ。

 生徒会長は、本当に強くて優しい人なんだね。



 俺は、ほんとに。


 君のそばにいられることが、幸せなのです。



「葉月。一位になれなければ家に入れないという約束を忘れたわけではないですよね? どうするのです? 友達を選ばないからこういうことになるんです」

「そ…………、そんなこと言わないでください!!!」


 いまだに続く、厳しい言葉。

 それにとうとう声を荒げて抗う瑞希ちゃん。


 生徒会長の制服をぎゅっと両手で掴みながら。

 涙を流して声を上げました。


「あなたは、葉月とは競技に出たくないのでしょう。それを助けてあげているというのにどうしたのです?」

「ちがうんです!」

「埒があきません。ならば、出場したくない理由が他にあると言うのですか?」

「そ、それは……」


 言いよどむ瑞希ちゃん。

 その肩を持つように、六本木君が強引に割って入ります。


「瑞希、言いたくないなら言わないでいい。……おい会長さん。事情があるからこいつは黙ってるんだ。おいそれと聞くんじゃねえよ」


 ……おお、なんてカッコいいセリフ。

 イケメンの真剣な表情は、有無を言わせぬ説得力があるのです。


 この場の悪。

 葉月ちゃんに厳しい言葉を投げつけ。

 瑞希ちゃんと葉月ちゃんの関係を軽んじ。

 そして穂咲と渡さんの努力を否定する。


 そんな生徒会長に立ち向かう六本木君は。

 瑞希ちゃんの気持ちを察して護ってあげるべく。

 こうして盾になってあげているのですが。



 ……でもさ。



 目を丸くして六本木君を見上げていた瑞希ちゃん。

 そのくりっとしたネコ目が。

 あっという間に吊り上がるのです。


「最低!!! おにい、さっきあたしに、すぐ白状しろって言ったのに!!!」


 ですよねえ。


「うぐっ!? そ、それとこれとは……」

「どう違うってのよ! いつもいつも適当な事ばっかり言って!」

「お、お前を守ってやってるのにこいつ……っ!」


 一瞬にしてバトルロワイヤル。

 さてこの場合、誰が誰の敵になるのやら。


 葉月ちゃんが俺の服を掴む手に力を籠めるので。

 俺は、できるだけ自然に微笑んであげました。


「大丈夫なのです。ここには、優しい人しかいないようなので」


 俺にそれを気付かせてくれた穂咲も呑気に近付いて。

 強張った葉月ちゃんの手を優しく包んであげます。


「……なるほど、なんという非常識。この男は、自分の犯した罪を反省することなく、他人が行うときは糾弾する男なのですね?」

「うぐっ!?」

「……そういうとこあるわよね、隼人」

「うぐぐぐっ!?」

「それに二人三脚だって、おにいのせいで怖いんだからね!」

「ぐはあっ! …………え?」



 ……夏の扉がもうすぐ開く。

 その知らせを運ぶ柔らかな風が。


 優しさのせいでお互いに道を譲って。

 くるくると渦を作って大渋滞。


 そんな渦に巻かれて、上着を一枚脱いでみれば。

 中から意外なお話が姿を現しました。




 つづく

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