ノイバラのせい


 ~ 五月二十五日(金) 始業前

           10秒02 ~


   ノイバラの花言葉 素朴な可愛らしさ



「おしかったのー!」

「ほんと、あとちょっとだったのに……」


 努力は必ず花開く。

 信じがたい結果をたたき出しつつも。

 大台に乗せることが叶わず悔しがるのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は流線形に結って後ろへ流し。

 何やら自転車のヘルメットのような形になっているのですが。


 ……本人は真剣なようですが。

 バカと言うか、とっても気持ち悪い形状なのです。



 穂咲からすぽんと抜いたノイバラを手にする葉月ちゃん。

 真っ白なお花のブーケを胸に抱えた彼女と共に、俺は穂咲たちの健闘を称えます。


 でも葉月ちゃんはすぐにしょんぼりモードになってしまうのですが。

 それも仕方のないことで。


「そんな顔しないで。きっと大丈夫だから」

「はい……」


 六本木君が、妹をなんとか説得してみると言ってくれたのですが。

 いまだ、兄妹どちらの姿も現れず。

 とっても心配なのです。


 ……それにしても。

 葉月ちゃんの心配そっちのけで。

 この二人のうるさいこと。


「なんで穂咲はスタートダッシュで手を抜くの? あれがなければ十秒切れてたのに!」

「そういう香澄ちゃんだって、最後の最後でスピード落とすの! ちょびっと届かなかったのは香澄ちゃんのせいなの!」


 ぎゃーぎゃーとかみつき合っていますが。

 俺は二人の練習にずっと付き合ってきたからよく分かります。


 穂咲は、スタートが遅い渡さんに合わせてダッシュせず。

 渡さんは、最後に失速する穂咲に合わせて減速しているのです。


 それをこの二人は全部理解したうえで。

 こうしてケンカしているのです。


「……羨ましいです」

「ほんと。俺もそう思います」


 騒がしい二人を見ていると。

 何でも言い合えるという関係が、とっても清々しく感じるのです。


 でも。


「素敵なお友達ですよね。信頼し合ってて」


 葉月ちゃんが、ノイバラのブーケをぎゅっと握り締めて。

 俺を見上げながら言った言葉。


 それはちょっと違うので。

 話しておきましょうか。


「えっとですね。二人とも、そうは思ってないのです」

「え? ……えっと、それはどういうことでしょうか」

「だって、二人は信頼し合ってないからケンカしてる訳ですし」


 俺の言葉に、きょとんとしたまま固まってしまいましたけど。

 ええとですね。

 どう言ったら分かるでしょうか。


「つまり……、えっと、二人はお互いに、友達ではないと言い続けているのですよ。だから友達になろうとしてケンカしているのです」

「え? 友達じゃない? それは? え?」

「困ったな、えっとね。まず、穂咲はスタートで遠慮しちゃっているのを、なんで信頼してくれないんだと渡さんに怒られているわけで」

「……じゃあ渡先輩は藍川先輩から、最後までペースを落とすなと叱られてるのですか?」

「そうそう。二人して、自分を信頼しろって怒ってるの」


 葉月ちゃん。

 口をポカーンと開けたまま。

 未だに騒ぐ二人を見つめていますけど。


「……ええと。だから友達ではないと?」

「俺はこんなに分かり合ってる友達、他に知らないのですけどね。二人がそうだと言っている以上、きっとまだ、友達ではないのです」


 ううむ。

 俺は説明が下手だなあ。


 葉月ちゃんは。

 理解はしてくれたものの。

 納得がいかないという顔なのです。


 するとそこへ。


「待たせたな!」


 朝っぱらから元気な声が聞こえたのですが。

 ……君が一人で来たってことは。


「すまん! 駄目だった!」


 やっぱり。


 両手を合わせて頭を下げた六本木君。

 どうやら瑞希ちゃんの説得に失敗したようなのです。


 俺たちは揃って肩を落とし。

 渡さんに至っては、六本木君の耳を上に引っ張ったりするのですが。


「いたいいたいいたいいたい!」


 それ、やられた人だけわかるんだよね。

 本気でいたいやつ。


「役立たず! お兄ちゃんなのにどうして瑞希ちゃんを説得できないのよ!」

「いでででで! おにいだから説得できねえんだよ! 兄妹ってなそういうもんなんだ。瑞希にとっての我が家のヒエラルキーは、瑞希、おふくろ、ポチ、おやじ、そしてレンジのチン介の下が俺だ」

「無機物に負けないでよ情けないわね!」

「ポチはいいのかよ」

「ポチはいいわよ。かわいいから」


 穂咲の家に行くと。

 俺のポジションはテレビのテレ太くんより下なので。

 ちょっと分かる自分が切ない。


「葉月ちゃんの家ではどうなの? お姉さん、厳しいよね」

「そう、見えますよね……」


 あれ? どういうこと?


「違うの? 家では厳しくないの?」

「いいえ、家ではもっと厳しいです」

「ウソでしょ? それじゃ、家に居づらいでしょうに」

「逆です。お姉ちゃんは、私に居場所を作るために、あのような態度をとっているんです」


 今度はさっきの真逆で。

 俺が混乱していると。

 葉月ちゃんはそれを察して、分かりやすく話してくれました。


「……なんでもできるお姉ちゃんと違って、なんにもできない私に、両親はとても厳しかったのです。それが心から辛いとお姉ちゃんに打ち明けたら、私に対する態度をがらりと変えてくれたのです」


 ぽつりぽつりと語る葉月ちゃんに気付いたみんなは。

 騒ぐのをやめて、静かに耳を傾けます。


「……厳しく私に当たるお姉ちゃんの姿を見て、おかげで逆に両親の方が私をかばうようになりました。だから、例えば体育祭で一位になれなかったら、きっとかつての我が家だったら私は両親から責められていたはずです。でも、おそらくお姉ちゃんが厳しく私を叱る様子を見て、両親は私をかばってくれることでしょう」


 …………なんという愛情の裏返し。

 よそのご家庭事情に口出しするようなものじゃないから。

 俺は黙っていたけども。


 ちょっぴりさみしくて。

 そしてじんわりと胸が温かくなりました。


 こんな話を聞かされて、黙っているわけにはまいりません。

 俺たちは一斉に六本木君を見ると。

 このイケメンは、どんと胸を叩きながら宣言しました。


「明日! 絶対明日には何とかするから!」

「あてにならないわ。こっちで作戦会議!」


 渡さんと六本木君が離れると。

 代わりに穂咲がそばまで来て、体育座りなどしていますけど。


「……君は会議に参加しないの? 君が何とかするんじゃなかったっけ?」

「絶対、葉月ちゃんは瑞希ちゃんと一緒に出るの。そして一位を取るの」

「だったら会議に出なさいよ」

「あたしが行かなくてもだいじょぶ。一緒に出るの」


 そう呟く穂咲の頭の上。

 ちょうちょが二匹舞っているのですけど。


 ウソでしょ? 口だけ?


 だというのに、葉月ちゃんは嬉しそうに微笑むのです。


「やっぱり藍川先輩、あったかいです」

「いえいえ。これは絵に描いた酸辣湯サンラータンです。ホットな気分になってるだけです」

「それが、私のさびしかった気持ちを救ってくれたんです」


 葉月ちゃんは、穂咲の隣に腰かけて。

 改めて、頑張りますとか言ってくれますが。


 ……これはもう。

 六本木君になにがなんでも瑞希ちゃんを説得してもらうしかなさそうなのです。


 などと、彼岸の火事を見つめながら心を痛めていたら。

 背中の柴に火をつけられました。


「よし、いい作戦だ!」

「それでいきましょう!」


 不穏な声を上げて近付いてきた美男美女。

 俺の寸法を測ってますが。


「なにしてるの?」

「瑞希は、隠れミチヒタンだからな。等身大道久をプレゼントすることにした」

「まて。等身大ミチヒサくん人形ならわかるけど、今の話だと俺が箱詰めされることになる」

「……勘がいいな」

「おい」

「隼人、やっぱり箱詰めじゃなくて、リボンつけて渡さない?」

「ちょっと」


 渡さん。

 六本木君とお付き合いを始めてから、ちょっとおかしくなりましたよね?

 呆れながらもなすがままの俺でしたが、そこにもう一人。

 もとからおかしいやつが参加して、かき混ぜ始めるのです。


「そんならいいのがあるの」


 何でも出て来る穂咲のカバン。

 まさかレースのヴェールを取り出して俺にかぶせるとは思いもしませんでした。


「葉月ちゃんのために、一肌脱いでくるの」

「勘弁してください。葉月ちゃんも見てる前でなんてかっこさせるんです」


 悪童ばかりが居並ぶ中で。

 葉月ちゃんだけが心配そうにしてくれて。


 ……心配そうにしてくれながら。


「なぜツルバラのブーケを俺に持たせます?」

「な、なんとなく……」




 モウオレハ、ナニモシンジナイ。




 とめどなく流れる涙を拭きもせず。

 俺は教室へと駆け出しました。



 その日、学園の七不思議に一つ。

 泣きながら走る花嫁という怪談が加わったのです。


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