タツナミソウのせい


 ~ 五月二十二日(火) 帰宅

          18分34秒33 ~


   タツナミソウの花言葉 私の命を捧げます



 昨日、体調を崩したせいで。

 見事なまでにタイムに跳ね返った藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪も。

 今日は簡単に後ろで結わえただけ。


 耳の後ろに挿した妖艶なタツナミソウのように。

 少し猫背に首を垂れさせながら過ごしていたのですが。


 荷物を持ってあげて。

 ノートを取ってあげて。

 宿題を代わりにやってあげて。


 そしてお昼に目玉焼きを作ってあげたら。

 すっかり体調を取り戻してくれました。


 ……あと、君の代わりに叱られて廊下に立ったのですが。

 それはデフォなのと、なんら感謝してくださいませんが。

 おかげで俺の体調が悪くなりそうなのです。



「もう夏ねえ」


 穂咲の家、つまりお花屋さんの店先で。

 折り畳み式の踏み台に腰かけるおばさんのおっしゃる通り。


 学校から帰ってきても、まだこんなに日は高くって。

 授業が終わったら、後はインドアライフという季節から。

 一日の始まりが二回訪れる季節が始まったようなのです。


 そんなおばさんの声を継ぐように。

 俺の家でごうんごうん回っていた洗濯機が、乾燥終了の声を上げたので。

 穂咲の体操着を回収するために家に戻りました。


 毎日、穂咲が体操着を泥だらけにして帰って来るのを。

 最初はどんどん汚しておいでと応援していたくせに。

 最近では俺のせいで毎日大変とか、理不尽なことを言い出して。

 おかげで乾燥機能付きの、我が家の洗濯機で毎日洗ってあげるようになったのですが。


 ……ほんとあなたがた親子って。


「洗濯機はともかく、俺が駆り出される必要はないと思うのですが」

「なに言ってるのよ。道久君のせいで洗剤が三倍ペースで消えていくんだから、いつもの三倍働きなさいな」

「おかしい。絶対おかしい。いつもの三倍おかしい」

「いつもの三倍文句を言う子ね。じゃあ、麦茶も三杯入れてきなさい」


 穂咲にも勝てやしないけど。

 おばさんにはもっと勝てやしない。


 仕方がないので洗濯籠をレジの横に置いて。

 麦茶を注いで戻ってくると。

 ちょうど二人の女の子が戻ってきました。


 ……いや。

 体操着姿の葉月はづきちゃんだけ戻ってきて。

 はるか遠くにのたのたと走る穂咲の姿を見つけました。


「葉月ちゃん速いねえ! はい、麦茶」

「あ、いえ、あの、ありがとうございます、秋山先輩……」


 おばさんから手渡されたタオルで汗を拭いているのは、雛罌粟ひなげし葉月ちゃん。

 偶然帰りの電車が一緒になったので、体育祭の件を聞くと。

 未だに瑞希みずきちゃんとはまともに話も出来ずにいると話してくれたのですが。


 それを聞いた穂咲が、あたしが何とかしてみせるのと豪語して。

 しかも二人三脚のなんたるかを教えてあげるのと言い出して。


「……そして一分ほど離されて、今、ゴール」

「ふひい! ふひい! ……な、なかなかやるの、葉月ちゃん。でも、本番はこれからなの……」

「なるほど、君は走ってる間にどこかでおっことしちゃったんだね」

「なにをなの?」

「臆面」


 ふてくされた穂咲に麦茶とタオルを渡してあげて。

 改めて葉月ちゃんに振り返ると。

 満身創痍の穂咲と違って息ひとつ切らしていないことに気付きました。


「葉月ちゃん、ひょっとしてクラスで一番速い?」

「いえ、その……。一番速いのは瑞希ちゃんなので……」

「なるほど、さすが六本木妹。……それにひきかえ、君はあれかな? アジア圏で一番遅い?」

「うう、そんなことは無いの。体操着が違うから調子が出ないの」


 そう言いながら、秋山と字が入った体操着をぐいぐい引っ張って自分仕様にカスタマイズしてますけど。


「やめてくださいよ。ほら、お前の相方ならレジの横にいるから」


 俺が指を差した店内を覗き込んだ穂咲は。

 こいつじゃないと調子でないのと言いながらお店に入ると。



 ……予想通り、その場で着替え始めました。



 店先で、急に上着を脱いだ穂咲を見て。

 葉月ちゃんがぎょっとしていますけど。

 ああ、そうね。

 藍川家ルールを教えるのを忘れてた。


「葉月ちゃん。この状態になった時は、今の俺みたいに即刻よそへ目を向けないと面倒なことになるよ?」

「め、面倒って?」

「道久君! 見たわよね? 今のタイミングは絶対見てるわよね?」

「……これ」


 ああもう面倒です。

 その、いつも持ち歩いてる『責任を取ります』手形をほっぺに押し付けないで。


 なんなら葉月ちゃんに渡しなさいよ。

 今も顔を覆った手指の隙間から賞味してるみたいだし。


「よし! これなら同じくらいの速さで走れるの! 足を結んで練習なの!」

「は……、はい!」

「道久君はこれを洗っとくの。またちょいちょい借りるから」

「へい」


 呆れる俺の目の前で。

 穂咲は葉月ちゃんと足をこっつんこさせると。

 タオルで足を縛りながら話しかけます。


 その言葉は、優しくて、厳しくて。

 ……まるでお姉さんのようで、俺の胸にも温かく突き刺さりました。


「絶対体育祭には瑞希ちゃんと一緒に出るの。だから、負けた時に悔しいって思えるくらいに練習するの」

「あ……。それ、六本木先輩が言っていたことですよね。あたし、感動しちゃいました。でも……」


 しゅんとする葉月ちゃんの頭を。

 穂咲の手が優しく撫でながら。


「絶対、一緒に出るの」


 そんな力強い言葉に。

 真面目な彼女はひとつ頷いて。


「……そうですよね! スポーツを通して、あたしも知りたいです! 負けた時に悔しいって思いができるまで、瑞希ちゃんと一緒に頑張りたいです!」


 思わず目頭が熱くなるようなことを言ってくれました。


 なんという感動的な光景。

 そしてお姉さんな穂咲の姿に。


 ちょっぴり感心して。

 ちょっぴり誇らしく感じて。


 ……そしてちょっぴり。

 俺より大人になった姿を見て、焦りを感じました。



「さあ! 全力でついてくるの、葉月ちゃん!」

「はい! 藍川先輩に命を預けるつもりで頑張ります!」


 二人同時、真剣に前を見据えて。

 二人同時、腰をぐっと落としながら肩に手を回して。

 打ち合わせも合図もないのに、同時に結ばれていた方の足を出し。



 ……そして二歩目を出す速度が違い過ぎて、穂咲だけ無様に転びました。



「あの、さ。言いにくいのですが、葉月ちゃんに全力出せと言ったらそうなるのは当たり前です」


 あわあわと心配する葉月ちゃんに手を引かれて。

 半べそ顔でようやく起き上がった穂咲の体操服は一瞬で泥だらけ。


「……道久君のせいよね」

「違いますけど、穂咲がこれだけ頑張っているのですから、おばさんの言う通りにしますよ」


 そう言いながらお店に入って。

 洗濯籠を抱えて戻って来ると。


「……いえ、洗濯の方です」


 俺は、ほっぺに押し付けられた『責任を取ります』手形を、ビリビリに破いたのでした。

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