エリゲロンのせい


 ~ 五月二十一日(月) 社会科見学 ~


   エリゲロンの花言葉 遠くから見守ります



 春の陽気に誘われて出てきたわけではなく。

 本日は、社会科見学のために学校を離れ。

 山肌をのんびりと進むバスからの素敵な眺めを堪能するうち。

 ……すっかり乗り物酔いした藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 今日は訳あって、ワラビやゼンマイの形に頭に結って。

 その間を飾るかのように、エリゲロンが三つ、四つ。

 春の山肌、どこにでも見かける風景なのです。


 しかしキク科のお花の見分けづらい事。

 エリゲロン自身も二百種類くらい存在するお花ですし。

 下手に名前を当てようとすると、大恥をかくのです。



「あ……、危なかったの。大恥をかくところだったの」

「良かったですね、ひとまず目的地に着いて。ああ、エリゲロンが落っこちかけてますよ?」

「うぷ……、その名前は無しなの。今は、わざとハルジオンかヒメジオンと間違えて欲しいの……」


 バスが到着したのは、稼働しなくなってから一年半となる木材の加工場で。

 近隣の学校に工場体験をさせてくれるために解放されていたようなのですが。

 いよいよ我が校の見学をもって、解体することになっています。


 見学先は数か所あったのですが。

 最後の一校となる特別感に、ついつられ。


 多数決で希望を取ってみれば、こちらへの見学は俺たちのクラスだけ。

 改めて、このクラスは変な奴ばかりを集めたのだと認識させられたのです。


 まあ、ほんとはもう一つ理由があって。

 みんな洗脳されたかのようにここをセレクトしたんですけどね。


「やれやれ、なんでこんなとこに来てるんだ、俺たちは」

「それはね、六本木君。君が見かけによらず山菜ソバ好きだからだよ」


 多数決を取る直前に、工場見学は昼飯が山菜ソバかとはしゃぎ出して。

 あのトロっとしたつゆに、春の香りが溶けだして美味いんだよなあと。

 名水で知れたあたりだから、ソバもきっと、香り、味、のど越しと三拍子そろってるんだろうなあと。


 そんなこと言うから。

 みんなよだれを垂らしながら挙手することになったのです。



 さて、到着してトイレ休憩の後。

 先生の号令で、入り口へ整列して。

 工場の方への御挨拶。


 大きな事故に繋がるから、絶対に気を抜かないようにと前置いて。

 見学の要領を説明して下さいました。


 その間も、穂咲は神尾さんに付き添われて。

 列から外れて座り込んでいますけど。


 きっとゆっくり回復を待つより。

 お昼ご飯のお蕎麦屋さんへ連れて行くだけですぐに良くなると思うよ?


「……よし! では、事前に決めたメンバーで自由に見学するように! 明日、レポートを書いてもらうからしっかり勉強して来ること!」


 ここからは班行動。

 工場に入って、気になった機材を実際に体験してみる時間だ。


 俺たちの班は、穂咲と渡さん、それに神尾さんと六本木君と、岸谷君の六人。

 真面目女子が二人もいるためノートを取る必要は無く。

 穂咲の面倒すら任せておけるという素晴らしいメンバー構成なのです。


「奇跡です。今日は穂咲に迷惑をかけられそうにありません」

「そうかあ? 道久らしくもねえ。警戒してないと大きな事故に繋がるって、工場の人も話してたじゃないか」

「……まさかあれが、穂咲の取り扱いについての注意だったとは」


 六本木君とバカ話をしながら。

 みんなに支えられる穂咲を伴って。


 まずは大きな機械じゃなくて。

 静かなものを見ようとパンフレットを捲っていたら。

 岸谷君が、壁に取り付けられた面白いものを発見しました。


 それは、映画の中で、船とかに備わっている金属パイプ。

 遠くにいる人と話すための、トランペットみたいなあれです。


「これ、面白そう」

「ほほう、秋山君も興味があるのかね? これは伝声管でんせいかんと呼ばれるもので、今では見かけなくなった大変珍しい通話装置なのだよ」


 そして岸谷君が長々と伝声管の解説を始めてしまったのですが。

 残るメンバー揃って苦笑い。

 しかも工場の方が俺たちの様子に気が付いて。


「君たち、これに興味があるなら実際にしゃべってみるかい?」


 そんな、パンフレットにも載っていない提案をしてくれました。


「これでお話しできるの? まるで糸電話みたいなの」

「そうだね。でも、糸電話より遥かに性能はいいはずだよ?」

「ここのラッパ、どこに繋がってるの?」

「工場の向こうの端。トラックが見えるだろ? あそこまでさ」

「……ウソ!? あんな遠くまでなの?」


 具合はまだ悪いというのに、なぜかこいつに興味を持った穂咲が工場の方に聞いた伝声管の出口は。

 だだっ広い工場の反対側、歩いてる人の顔すら見えないほど遠くなのです。


「道久君! おしゃべりするの! 待ってるの!」


 さっきまでの様子はどこへやら、慌てて後を追う渡さんと神尾さんを従えて。

 穂咲は毎朝鍛え上げた脚力を披露します。


 そして、呆れてため息をつきながら見守る男子三人の目が遥か彼方で影が立ち止まったのを確認したので。

 俺はさび付いた伝声間の蓋を開きました。


 ……でも、いつまで待っても声が届きません。

 しばらく放置されていたみたいだし、壊れてしまったのかしら。


 俺の様子を見て、男子二人、そして工場の方も。

 伝声間に耳を寄せたその時。


 これほどの距離があるというのに、あんなに遠くで発せられた音が、見事に届いたのです。




「う……、うえ……。(規制規制規制規制規)~」




 …………慌てて蓋を閉じました。


 具合悪いってのに全力疾走。

 そりゃあそうなるよね。


「……すいません。なんと言いますか、ほんとにすいません」

「ああ、これは取り壊す予定だから気にしないで……」


 そう言いながら、苦笑いを浮かべる工場の人に深々と頭を下げた俺たち三人は。

 耳に残る音の影響で、楽しみにしていた山菜ソバへ箸もつけることが出来ませんでした。


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