ミズキのせい


~ 五月九日(水) 放課後  5分54秒03~


  ミズキの花言葉 成熟した精神



 ゴールへ滑り込むなり、もつれ合うように倒れた二人。


 体育祭までの間、毎日練習しよう。

 そう決めた初日から、お互いに手抜き無し。

 この必死な様子には心打たれます。


 気迫が、真剣さが、結果に直結しないこともあるのがスポーツとは言え。

 彼女たちの必死な走りに、俺は今回、確かな手ごたえを感じました。


 五十メートル。

 一人で走れば、女子なら平均で十秒を切るところ。

 さすがに二人三脚では少し遅くなるのが道理。


 でも今回は。

 ともすれば一人で走るよりも素晴らしい結果が出たのではなかろうか。


 ストップウォッチを止めたばかりの六本木君へ振り向くと。

 彼は落ち着き払った声音で、驚異的なタイムを口にしたのです。



「ただ今の記録。五分五十四秒零三」

「さっきより縮んだの!」



 そうですね。

 コンマ三秒も縮めるなんて、大した成長です。



 頭を抱える渡さんの横で。

 ふんすとVサインなど向けて来るのは。


 中学時代、十三分台という前人未到のタイムをたたき出した経験の持ち主、藍川あいかわ穂咲ほさき

 三年前の統計資料を見たときに。

 短距離走の平均タイムが、中学二年生だけ心持ち遅いのはこいつのせいです。


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をポニーテールにして。

 少しでも空気抵抗を減らすために。

 頭に挿していたミズキの枝を俺に押し付けていますけど。


 純白なミズキの花も。

 君の図太い神経に呆れて、くすんだ色になり始めた気がします。


「立っている時間があまりにも短くて驚きました」

「参ったわ……。まさかここまでとは……」

「やれやれです。六本木君から、なにかアドバイスある?」

「一番早く効果を発揮できる練習方法は……」

「方法は?」

「棄権することだ」


 こと、スポーツに関して妥協を許さない六本木君ですら匙の大遠投。

 俺も激しく同意です。


 でも、負けず嫌いにして真面目っ子にして努力家の渡さんにしてみれば。

 この酷評も、燃料投下に置き換わってしまうのです。


「練習あるのみよ、穂咲! 努力はきっと裏切らないわ!」

「わかったの!」

「……努力は裏切らないと思うのですが、きっと穂咲が裏切ります」

「ひどいの!」

「否定できないわ……」

香澄かすみちゃん!?」


 眉間を指で押さえる渡さんに、穂咲は慌てて頑張ります宣言をしていますけど。

 君の場合、努力がお笑いの方に実を結ぶ可能性を否定できないのです。


 そんな俺たちに、聞きなれない声がかけられます。


「おにい!」

「おお、瑞希みずき葉月はづきちゃんも、こんにちは」

「こ、こんにちは……」


 聞きなれない声とはいえ。

 見覚えのある二人の一年生。


 彼女たちは、上履きを間違えて履いてしまったことによりトラブルを起こして。

 それを穂咲が救ってあげたことがあるのです。


 元気な方が、六本木君の妹、瑞樹ちゃんでしょう。

 そしておとなしそうな子のお名前は、葉月ちゃんというのですね。


「おにい、こんな校庭の隅っこで何やってるの?」

「体育祭に向けて特訓中。お前たちもちゃんと練習しておけよ? 出る競技は決まったのか?」

「わざわざ練習なんかしないわよ。それに、まだ決まってないし。金曜の放課後に決めるの」


 兄妹らしい、独特の温度感で会話する二人を前にして。

 渡さんが泥だらけの服を慌てて払ったりしていますけど。


 六本木君の妹さんに、かっこいいお姉ちゃんなところを見せたいですよね。

 俺は足を縛る紐を外してあげて、二人に手を貸して立たせてあげました。


 すると。


「きゃー! こんなとこでお会いできるなんて!」

「あ、あの、先日はありがとうございました……」

「そうだった! ありがとうございました! あたしたち、あの事件をきっかけに友達になったんです!」


 穂咲に向けて、一年生コンビがお辞儀をしているようですが。

 ケンカでもしていないかとちょっと気にしていたので。

 仲良しさんになってくださってよかったです。


 穂咲は随分と一年生に優しくしていますし。

 学校の内外かかわらず有名人ですので。

 人気があるのです。


 だから気を使って、穂咲から一歩離れたのですが。

 なぜか一年生コンビは俺を見上げながら。


「お会いできてうれしいです! 秋山先輩!」

「……は?」


 不意を打たれたせいで。

 思わず低い声で返事をしてしまいました。


「あ、その、ご迷惑でしたでしょうか……」

「いえ、迷惑なんてことは無いのですが。穂咲と話したいなら、別にマネージャーの俺を通さなくても構わないよ?」

「きゃー! やっぱり面白い!」

「そ、それに、お優しいです……」


 ええと?

 なんだこれ?


 俺の頭に浮かんだ無数のはてなマークが、渡さんには見えたのでしょう。


「昨日話したじゃない。二人とも、秋山のことを応援してるのよ?」


 そのように教えてくれたのですが。

 納得できるはずはありません。


「どうして俺を?」

「秋山先輩、実は水面下で人気があるんですよ?」

「ばかな。穂咲ならともかく」

「その藍川先輩にやさしくしている姿がキュンキュン来るんです!」

「やさしくて人気? 嘘を言ってはいけません。かっこいい男がやさしいから人気が出るんです。ですよね、穂咲」

「そうなの。道久君みたいなへちゃむくれがのがやさしくても、人気どころかちょろいって思われるだけなの」


 まったくその通り。

 こないだテレビで見たときに確信したのです。


 男性が女性に、女性が男性に求めるものアンケート。

 男女とも、二位が「見た目」。


 たくさんの選択肢の中で、これと決めるには最も抵抗感のある回答。

 だというのに二位ということは、実質一位なんだと思うのです。


「俺がもてる要素なんて、世間的にはどこにもないでしょうに」

「そう、だからみんなからはかっこ悪いって言われているんです」

「何言ってんだよ瑞樹。お前、さっき道久が人気あるって言ってたじゃねえか」

「うん、だからね? 表立ってかっこいいって言えないけど……」

「あ、あたしたちみたいに、こっそり応援してる人が結構いるんです……」


 はあ、なるほど。

 納得はいかないけど、理解はできました。


「秘密結社みたいですね」

「そうなんです! そんなあたしたちは、隠れミチヒタンって言われているんです!」

「俺を踏み絵にして遊んでそうな名前ですね」

「すごいじゃない秋山!」

「話半分も信じてませんよ」


 多分、ミチヒタンに所属しているのはこのお二人だけだと思うよ?

 しかもファン的なものじゃなくて、面白がっているだけでしょうし。


 だというのに。

 こいつは過剰に反応してしどろもどろになっています。


「み、道久君が人気あるなんて何かの間違いなの!」


 なんで君が動揺しますか。

 ピエロを見て楽しんでいるようなものですって。


 とはいえ、冗談でもそんなことを言ってくれて嬉しかったのです。

 お礼くらいしないと。


「えっと、瑞樹ちゃんと葉月ちゃん」

「はい!」

「はい……」

「半分こして、お部屋にでも飾りなさい。このお花もミズキっていうんだ」

「え? …………ええっ!? お花をいただけるんですか!?」


 大きなクリっとした目をこれでもかと広げて。

 ミズキを手にした瑞樹ちゃんは、しきりにお辞儀をしてくれて。


 葉月ちゃんも、嬉しそうに微笑んで。

 丁寧なお礼を言いながら、帰っていきました。


「ふう。喜んでもらえてよかったのです」

「あた、あたしのお花……」


 穂咲が珍しく。

 お花を後輩に上げて喜んでもらえたというのにおろおろしていますけど。


 そんな穂咲を見つめた六本木君が、渡さんに話しかけます。


「これは……、俺では判断できん! 香澄、ジャッジは任せた!」

「あたしにだってわからないわよ。穂咲が判決を言い渡しなさい」


 なにやら不穏なお鉢が穂咲のもとに回ってきましたが。


「じゃ、じゃあ、この、あたしの写真を踏んでみるの!」

「どうしてそんなの持ってるの?」


 疑問しかありませんが踏めと言われたら従うまで。


 えい。


 だというのに、写真を踏ん付けるなり、こいつは泣き出しました。


 ……そして俺は。

 六本木君と渡さんに、これでもかと踏みつけられました。


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