#Ex.07 ホリデイ

 レイノルズは駅のプラットフォームに直に腰をおろしていた。砲弾と火災によって駅舎は吹き飛ばされ焦げ跡が刻まれたコンクリートのフォームだけが残されていた。線路は一本しかない。その先で行き止まりだった。焼き尽くされた原野の只中に剥き出しになった乗降場だけが横たわるさまは黒い海に浮かぶ小島のようだった。


 レノは鉛筆を指で回した。スケッチブックの白紙の頁に視線を落とした。

 彼は云った。描くもんが何もありゃしねェ。


 しばらくしてオスヴァルドが戻ってきた。軍用のバックパックを左肩に担ぎ右腕には例の馬鹿でかい散弾槍を携えている。脚はふらつきがなく視線は前を向いている。彼はホームの階段に片足を載せて呼びかけた。

 大丈夫だ。道は生きてる。行くぞ。

 はいよ。レノは荷物を負って立ち上がる。あんたえらい大荷物だな。いつも以上に。

 テントが入ってる。

 野宿かよ。

 サロッサはオーデル以上に歓迎されない。どこの集落も。どのねぐらもな。

 あんたがそう云うなら余程だな。

 なんだと?

 人目なんて一ミリも気にしないあんたが警戒するなら間違いないって云ったんだよ。

 サロッサには行ったことないのか?

 ねェよ。話だけなら何度も聞いた。俺らみたいな人種はお呼びじゃないってな。


 前を歩くオズが荷物を背負い直した。大男のバックパックには色褪せたワッペンが二枚縫いつけられていた。一枚は山を背景にヘルメットとツルハシのシンボルが描かれており二枚目は燃える山と監視塔のシルエットだった。

 ――だいたいはお前の云うとおりだ。オズは云った。あっちの連中はオーデルやセントラーダとはちがう。スカベンジャーを必要としていない。戦禍には巻き込まれたが破滅の時代は生き延びた。戦争の終盤になって真っ先に独立したのも奴らだ。

 独立ってなんだ?

 レノの質問にオズは前を向いたまま鼻で嗤った。

 ……目に見える線路や二階建てバス以外にも人間が創ったものがむかしはたくさんあったんだ。紙切れに書かれた言葉をひとつ唱えるだけでそこに住んでる連中の人生がガラッと変わることだってあった。

 まるで魔術だな。

 魔術?

 教授から借りた物語に書いてたんだよ。

 確かに魔法だな。ある意味では魔鉱石よりも強力だったのかもしれん。二度と使えない魔法だ。


   □


 オスヴァルドは慣れた足取りで焼けただれた山道を歩き続けた。歩調に乱れも遠慮もなかった。レノは小走りになって付いていった。前をずんずん進むオズの背中に何度も悪態をついた。やがて山道を抜けて広い道路と合流した辺りで植生が目立つようになった。焦土となった原野は下生えが目につくようになり草木の丈は伸びていった。レイノルズは左右に首を巡らしながら木の樹皮が描き出す複雑な模様を観察した。それは砂塵には刻むことのできない世界の地図の断片だった。


 検問に行き当たって初めてオズが立ち止まった。左右に監視塔が二つ。道の幅が竜の歯で半分に狭められており土嚢を積み上げた銃座も見えた。軍服を着た兵士が何人か詰めており一人がオズに気づいて手を挙げた。オズも応えて右手を肩の前に掲げる。宣誓でもするかのように。二人が近づくとゲートは対話を挟む前から音を立てて開いた。


 ――あんたが連れなんて珍しいな。

 兵士が煙草を指に挟みながら云った。ヘルメットをしておらず軍服は裾を出しており靴は泥で汚れていた。他の兵士らも同様だった。

 彼は続ける。息子さんか?

 馬鹿を云うな。

 分かってるよ。冗談の通じないやつだな。

 こいつは同業だ。

 云っとくが出すものは二倍だぞ。

 承知している。


 オズは小袋の中身を兵士の手のひらに落とした。魔鉱石の欠片が二つ。兵士が簡単な術式を唱えると赤と緑に発光する。彼はうなずく。

 ……いいか。きっかり明日の同じ時間だぞ。

 いつも通りだな。

 しつこいようだが時間厳守だ。破ればお前ごと撃たなきゃならなくなる。連れが息子さんだろうが嫁さんだろうがね。

 ああ。


 レノはよほどガキ扱いするなと口を挟もうかと思ったがこらえて観察に努めた。兵士らの持っている突撃銃は戦前の品だがレシーバーの塗装が剥げており錆びが浮いていた。死神のスカベンジャーの得物である巨象のごとき散弾槍なら百人がかりだろうと返り討ちにできそうに思われた。


 検問を抜けて見えなくなったのを確認してからレノはオズに云った。

 びっくりしたぜ。組合以外にあんたが紳士的に振る舞う相手がいるとはね。

 奴らはこちら側だ。俺が約束を守る限りはな。

 あんなちっちゃな魔鉱石で取引になるのかよ。

 サロッサでは貴重なんだ。魔鉱兵器に怯えずに済んだ代わりに動力源に餓えている。

 そこまでして俺に見せたいものってなんだ?

 見せたいもなにも――。オズは云った。別に付いてこいとはひと言も云ってないだろう。お前が勝手に追ってきた。

 あんたが珍しく大荷物だからてっきり儲け話かと思ったんだよ。

 当てが外れたな。今回は報酬も売上もナシだ。

 じゃあどうしてこんな遠くまでわざわざ。


 問いかけるレノをオズはかえりみた。再び鼻で嗤ってみせた。眼光は変わらず鋭かった。だが口元が綻んでいるように見えた。歩き方はこれでもペースが遅いくらいだった。少なくともいつもの時分よりかは。

 オズは内緒話を打ち明けるかのように呟いた。

 ――休暇だ。


   □


 最初に水音が聴こえた。誰かが洗濯でもしているかのようだった。二人は木立を抜けて河の岸辺で足を止めた。レノは口を半開きにして言葉を探した。足を何度か踏み替えた。荷物をそっと地面に下ろした。そして水気の含まれた新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。

 夕陽に照らされた大河の水面から魚が盛んにライズしていた。日没とともに対岸の湿地からさまよい出てくる羽虫めがけて数百という魚が跳ね上がっていた。水飛沫が飛び散り何千何万という波紋が川面いっぱいに広がった。時ならぬ雨が降っているかのように。


 ――どうだ。隣に立ったオズが云った。遠路はるばる来た甲斐はあったか。

 すげえよ。別世界だ。

 ああ。オズはうなずいた。この星にこんな場所はそう幾つも遺されてはいないだろう。彼は声の調子を落として続ける。……だが入り浸りすぎるなよ。俺達は不法侵入者だ。夢を視るのは一日限り。明日には出ていかなきゃならん。

 あれか。テーマパークみたいなもんか?

 また本の知識か。

 そうだよ。俺と弟が暮らしてたところは遊園地どころか公園さえなかった。

 それは失敬。


 レノは再び深呼吸した。そして大河の景色を眺め渡した。遠くのほうに橋が見えた。鋼鉄とワイヤで造られた頑丈な橋のなれ果てだった。巨人がおもちゃ遊びにでも使ったかのようにねじれて半ば崩落していた。戦前は無数の人と物資を両岸に渡していたはずだった。


 オズは云った。戦前はこの河がサロッサとセントラーダの境界を分けていたんだ。今となってはランドマーク以外の意味はないが。

 どうでもいいよ。レノは答える。きれいな河だ。魚も美味うまそうだ。それ以外に何が必要なんだ?

 珍しく意見が合ったな。


   □


 野宿の経験なら数え切れないほどある。だがテントは初めてだった。レノは手伝おうとしたがそばで突っ立って見ているだけだった。オスヴァルドは木立の中に見つけた平坦な空き地に防水シートと毛布を敷いた。それからキャンヴァス地のテントを地面に広げて丈夫な張り綱を二本の木の幹にくくりつけた。綱を手繰ってテントを引き起こし頂点部分に無段階に伸縮できるポールを立てた。最後に四隅をペグで固定し入り口に蚊よけの薄布を取りつけて一夜のねぐらが出来上がる。それは二人が足を伸ばして寝るには狭すぎた。しかし焚火のそばで丸まって眠るよりかは快適なはずだった。


 夕食は固いライ麦パンと焚火で温めたポーク・ビーンズだった。トマトとオレガノで味付けされた真っ赤な料理が皿に盛りつけられるころには空はほとんど真っ暗になっていた。

 レノはさっそく木のスプーンでかきこもうとしたがオズに制された。

 ――なんだよ。

 焦ってがっつく必要はない。何度も云うが今日は休日ホリデイなんだ。

 俺は待てって云われて待てるほど躾のできた犬じゃねェぞ。

 考えてもみろ。舌を火傷して最高の夜を台無しにするつもりか? ヒリヒリと痛んでせっかくこしらえたテントなのに寝付けなくなるのはいやだろう。いいか、――ここにはお前を襲う奴は誰もいない。銃弾もなければ爆発もない。せいぜいが虫けらだ。


 レノはスプーンを持ったまま首を振り向かせた。木立の奥から垣間見える大河には白い靄がかかっていた。カエルか虫か。はたまた何かが鳴いていた。それだけだった。それ以外は遥か彼方にあった。


 ……わかったよ。レノは云った。でも慣れないんだよ。こういうの。

 ああ分かるよ。

 オズはうなずいた。


 時間が経ってからようやく二人は料理を口にした。ひと口目を咀嚼しているあいだレイノルズは目を閉じていた。それから時間をかけて皿の中身を胃に流し込んでいった。二皿目からはライ麦パンをつけてふやかして食べた。鍋が空っぽになるまで食べ続けた。鍋の底や側面に付着している汁もパンにつけて食べてしまった。器具を洗う必要がないくらいだった。一滴も残らなかった。

 食後の珈琲を飲むまで二人は無言だった。

 その時になってレノはようやく気付いた。

 ――なあ。

 なんだ。

 あいつらはどうした。

 奴ら?

 鬱陶うっとうしい隣人様だよ。

 ああ。オズはうなずいた。禿鷲か。

 やけに静かだと思ったんだ。

 俺にも理由は分からん。だがここまでは奴らも付いて来ない。

 …………冗談だろ?

 嘘じゃない。

 なんでだよ。

 分からんと云っただろう。だがおかげで気晴らしになる。

 一生ついて回るもんだと思ってたのに。

 今だけだ。あまりこの状況に慣れすぎないほうがいい。

 けどよ。

 もう寝ろ。本ばかり読んで睡眠不足だろう。

 ……はいよ。


   □


 ――おい。俺を描くな。題材は他にいくらでも転がってるだろ。

 別にいいだろ。

 あまり痕跡を残したくない。どんな媒体にも。

 死神のスカベンジャーが呑気に釣りしてるだなんて誰も思わねぇよ。

 お前も釣れ。せっかくロッドも二本持って来たんだ。

 あんたが馬鹿みたいに楽々と釣ってる姿を見てるほうが楽しいんだよ。


 レノは鉛筆を走らせながらそう云った。初めての釣り。二時間ちかく格闘して未だに釣果はゼロだった。それに対して大男はこれまた大きなカワカマスを何尾もねじ伏せていた。ンなでかい魚いくらなんでも喰いきれねぇよとレノは云った。分かってないなとオズは首を振った。検問の連中に土産として渡すのだという。次回もこころよく通してもらうために。なるほどね、とレノはうなずいた。


 魚と駆け引きを楽しんでいる腐れ縁の男をスケッチしながらレノは訊ねる。

 ――あそこに架かってるでっかい橋だけどさ。

 それがなんだ。

 爆撃でああなったのか?

 少しちがう。サロッサの連中が自分で爆破したんだ。

 なんでまた。

 これ以上の難民の流入を止めるためだ。独立直後の出来事だった。ちょうど魔鉱兵器が使い出されたばかりだったからな。オーデルやセントラーダ。さらには北のドリステンから十万単位で生き残りが逃げてきたんだ。

 それで避難してくる連中を締め出すために橋を落としたって?

 ああ――。オズは釣り竿のラインの先を睨みつけながら云った。だが爆薬が不十分だった。あるいは不発か。とにかく橋は完全には崩落しなかった。それで避難民は荷車やら家財やらを棄てた。最低限の荷物だけを携えて傾いた橋桁を渡り出したんだ。一人ずつ。一家族ずつな。長い長い列になった。上から眺めると蟻の行列みたいに見えただろう。

 彼はそこでひと息を入れた。

 で、――当然だが全員が無事に渡れたわけじゃなかった。折しも季節は晩秋だった。河の水は俺だって思わず飛び上がっちまうくらいに冷たかったはずだ。小さい女の子や年寄りが何人も足を踏み外して橋桁を真っ逆さまに転がり落ちていった。時には手を繋いだ家族全員がそっくり河に呑み込まれることもあった。その度に行列が止まって悲鳴が上がった。落ちた奴はすぐに浮かんでこなくなった。今も川底をさらえばその時の遺骨が見つかるだろうよ。


 レノはスケッチする手を止めて話を聞いていた。オズの姿とスケッチで描いた死神とを交互に見た。それから云った。あんた、やけに詳しいな。

 オズは答えなかった。

 その場にいたのか?

 男は無言だった。

 レノはスケッチブックに視線を戻した。いやいい。――忘れてくれ。


   □


 オズは内臓を抜いたカワカマスを豪快にもローストにした。貴重な柑橘かんきつ類やバター、ニンニクに香辛料を惜しみなく投入してソースを作り鉄板で焼いたカワカマスに振りかけた。ひと口食べたときレノは思わず目をしばたかせた。オズがどうしたと訊ねてきたので首を振ってごまかした。こいつはすげぇや、と彼は云った。次の言葉は喉の奥に引っ込めた。弟にも食べさせてやりたかったよ。


 キャンプを引き払う前にレノは大河を今いちど眺めた。調理する前にオズに持たせてもらったカワカマスの重みを再現するかのように両腕を上下させた。カマスはすさまじい力で身をくねらせた。もう少しで逃げられるところだった。レノが必死になって命の重みを押さえ込んでいるあいだオズは笑っていた。いや笑っている声が後ろから聞こえた気がしたのだ。彼が心から笑っている姿を見たことがないし後から訊いても否定するだろう。オズはレノからカマスを引っ手繰ると尾の部分をしっかり握って丸太に頭を叩きつけた。それで獲物は二度と動かなくなった。


 レノは河の流れを見つめながら傾いた橋を渡っている自分の姿を想像した。自分の手をすり抜けて川に転がり落ちていく本好きの弟の姿を思い描いた。生まれた時代が違えば弟の死因は銃創ではなく冷たい水による溺死の可能性もあった。レノは首を振った。考えるなと自分に云い聞かせた。河から目を離して歩き出した。並んで歩きながらオズが云った。

 ――また来ればいい。

 ああ。

 悪くはなかったろう。

 ああもちろん。

 分かってるとは思うが。

 誰にも云わねぇよ。当たり前だろ。

 なら好いんだ。

 ――でもあいつになら話しても好いかもな。

 どいつだ。

 金髪の同業者。

 あの甘っちょろいお嬢さんか。

 きっと気に入るだろうなって思っただけさ。

 気に入りすぎて現実こっちに帰ってこれなくなるんじゃないか。

 どうかな。むしろ落ち込みそうな気もするけどな。

 なんでだ。

 ここに自分の居場所はないとか余計なことを考えて。

 オズは鼻を鳴らした。――あの子の父親ならいかにも云いそうなことだ。

 俺はこの際だから楽しむことにしたけどさ。レノは爪で頭をかいた。ちょいと劇薬すぎたよ。今でも夢みたいだ。夕べだってテントで寝たときは起きたらオーデルの荒野にいるんだろうなって馬鹿みたいなこと考えてた。

 それくらいでちょうどいい。オズは云った。それでいい。


 レノは思い出した。そういえば今回の旅では一度も噛み煙草をやらなかった。鼻の奥が煙草の味を求めてうずいたが今はやめることにした。あれは前に読んだ物語に登場した赤い錠剤のようなものだ。いつかは苦い味を噛みしめて目を覚まさなければならない。

 でもそれは、――今しばらくは先の話のはずだった。

 レイノルズは歩き続けた。禿鷲は然るべき場所で然るべきゴミを処理しなければならない。途中でニオイシダの生い茂っている窪地を横切った。踏みしめられたシダの葉から立ち昇る甘い香りを嗅いだ気がした。深呼吸だ、と彼は想った。この匂いは覚えておかなければならないのだろう。


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ご読了に感謝いたします。本当にありがとうございました。

キャンプ旅ということで、描くならこの二人がぴったりのような気がしました。

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