#70 背骨を粉砕せよ
酒場のカウンターに突っ伏して涎を垂らしながら爆睡していたリシュカは肩を揺すられて覚醒した。鉛と化した脳を叱咤して顔を上げるとクロエがこちらを覗きこんでいた。青ざめており今にも泣き出しそうだった。何どうしたの寝かせてよと伝えるとますます揺さぶられてリシュカは椅子から転げ落ちた。同じように酔い潰れたスカベンジャーの骸で床が埋め尽くされていた。ほとんど全員が外套を脱ぎ散らかしており最早どちらの派閥に属しているのか定かではない。クロエに助け起こされながらリシュカは頭を抱えて呻いた。
あー、……――やっちゃった……。
やっちゃった、じゃありませんよ。私にも無理やり飲ませて。
シスター志望の少女の声は涙と酒焼けで惨いことになっていた。カナリアからハシブトガラスへと変貌を遂げており終末の世界にはよほどふさわしいものに思えた。
リシュカは唇を引きつらせて笑う。――クロエ、あんた結構すごかったよ。酔っ払って豹変する奴は今まで何人も見てきたけど昨夜のあんたに比べりゃ同一人物みたいなもんだ。
そ、そんなに酷かったのですか?
何も覚えてないの。これっぽっちも?
だから訊いているのです。
ピアノを奪い取ってハードバップにアレンジした讃美歌を弾き鳴らしたり土足でカウンターに上がって大の男連中を相手に延々と説教してた。賭けてもいいけどあれのおかげで信仰を取り戻した奴が数人はいると思うよ。感極まって涙を流して懺悔してたし。
…………ご冗談でしょう?
リシュカが無言で首を振るとクロエの海色の瞳がすうっと光を喪い深海のごとく陽が届かなくなった。ふらつきながら酒場の外に出ていく少女をリシュカは追いかけた。床に転がる男達につまづき悪態を吐きながら。
□
外に出ると給仕を務める少女が店の前の石畳を箒で掃いていた。片目を覆う黒い眼帯が朝陽にさらされており奥の眼窩まで透けて見えそうだった。リシュカが連れの居場所を訊ねると少女は無言で路地を指差す。ちょうどシスターが胃の中身をまとめてぶちまけているところだった。雨で濡れた石に胃液がぽたぽたと波紋を広げる。
あー……。リシュカは頭の後ろに手を当てて嘆息した。悪いね飲ませすぎた。あとで片付けとくから。
少女は無言で首を振ってから微笑んだ。
もしかして掃除してくれるの、とリシュカは訊ねてみた。
少女は笑みを浮かべたままうなずいた。
ありがと。――リィラちゃん、だっけ。あんたマスターの娘さん? それとも親戚?
否定の首振り。
そっか。ごめんね立ち入ったこと訊いて。
もう一度首振り。
また飲みに来るよ。今度は適量でね。
微笑みのうなずき。
失敬してきたミネラルウォーターの瓶をクロエに渡すと彼女はそれで口の中をゆすぎ残りをひと息に飲み干した。
……あ、ありがとう、ございます。
あたしこそごめん。たまにはあんたにも気晴らしでも、と思ったんだけど。まさかあんなことになるなんて――。
すみません聞きたくないです。
了解。
やっぱりお酒は悪魔の飲み物です。
そうね。リシュカはうなずいて同意した。でも悪魔の力を借りなきゃやってられなかったんだよ。あたしも。店の中で転がってる連中も。あるいはこの世界の誰もが。
例えばリシュカさんの故郷でも、ですか。
そう。ひどいところだった。信じられないかもしれないけど酒よりも麻薬のほうが安く手に入った。正直あまり故郷とは呼びたくないな。
リシュカは建物の壁に寄りかかって空を見上げた。雨は上がり晴れやかな青が広がりつつあった。かつて真っ赤に染まったであろう天穹を目撃した人びとのうちどれだけが今も命を繋いでいるのだろう。
クロエに袖を引っ張られて振り向くと日記帳が差し出された。無言で受け取ると少女は云った。
……リシュカさん、昨日ひと通り読ませていただきました。
読まなくてよかったのに。すっきりしたくて独り言を書き殴っただけだし。
あなたのご友人、――スヴェトナさんは本当に大切な方だったのですね。
……酔い覚ましに少し歩かない?
ご一緒します。
明け方のセントラーダの街を歩きながらリシュカは親友のことを話した。一度はもう忘れてしまおうと思ったこと。でもそれは不可能だったこと。本当にたった一人の、――唯一無二の友人だったこと。それが手からこぼれ落ちてしまったこと。
……本当は何となく分かってるんだ。スヴェトナがあたしを置いてあのスカベンジャーに付いていった理由。リシュカは濡れた地面を見つめながら続けた。別にあいつはあたしのことが嫌いになったわけじゃない。ただ、あたしはモーレイ様のもとで五体満足で暮らしていた。少なくとも安全だ。対してあの金髪はいつ死ぬとも知れない旅だ。守ってやりたい方に付いていった。それだけだと思う。
でも気持ちとしては整理がつかない?
リシュカはうなずいた。だがすぐに首を横に振った。
本当に死んじまうかもしれない仕事なのにスヴェトナはためらわなかった。それが、――つまり、悔しいだけ。こんな執着捨てるべきなんだって善き本にも書いてあるんだろうけどそんな簡単に放り投げられたら誰だって苦労はしないよ。昔の人は便りがないのが好い便りなんて云ってたけど今の世界じゃそれは通用しない。便りがないってことはつまり死んでるかもしれないってことなんだ。あいつはいつもそうだ。気まぐれな猫みたいに何処かにいってそのまま何ヶ月も連絡を寄越さない。かと思えば急にふらっと姿を見せて親友面。待たされるあたしの身にもなれってんだ。
早口になっているのに気づいてリシュカは呼吸を整えた。そして続く言葉を溜め息として吐き出した。二人は無言で歩き続けた。街の中心を流れる橋を渡る。激戦があったというのに奇跡的に当時の面影を伝える戦前の遺産。橋の真中まで差しかかったときクロエが口を開いた。
リシュカさんのスヴェトナさんへのお気持ちは、愛ですか?
え、――いきなり何?
答えてください。
リシュカは紅梅色の髪をいじりながら返答する。……分からない。本当に分からない。
クロエは微かな笑みを漏らした。
やっぱりあなたは聡明な方です。
どういうこと。
自信満々に愛だって肯定されたらどうしようかと思いました。
あんたの云いたいことは分かるよ。無償の愛がどうたらってことなんでしょう?
仰るとおりです。あなたはスヴェトナさんをお慕いするだけでは足らず彼女からの見返りを求めています。それがないから苦しんでいるように思えるのです。
リシュカは立ち止まった。クロエの方を振り向こうとしたが首を振って再び歩き出した。手は握りこぶしを作っていた。
それのどこが悪いの? 報酬があって然るべきでしょ。ましてやこんな世の中なのに。
相手を気にかけるという気持ちと善意を押しつけるという行動は別物ですよ。
それってクロエが今まさにやってることでしょ。リシュカは銃剣のように声を鋭くして云った。あんただって心の底では見返りを求めてる。あたしと仲好くなりたいからこうして親身に接してる。この前だってそう。あの司教がモーレイ様に口利きしてくれるって提案してきたときあんたは真っ先に反対した。もっと一緒にいたいって。あたしの執着とあんたの下心、――いったいどこに違いがあるっての?
リシュカは振り返らなかったのでその言葉にクロエがどんな反応を示したのかは分からなかった。いくぶんか小さくなった声で返事を聞いただけだった。
――……そうです、仰るとおりです。だから私はまだ正式なシスターになれないのです。あなたとご一緒するのが。こうして名前で呼んでもらえるのが。その、――嬉しくて仕方がなくて。
初めてのお友達なんです、と彼女は囁くように付け加えた。
リシュカは爪で頬をかいた。責めてるように聞こえたらごめん。あたしだって別に、――あんたのことを悪く思ってるわけじゃないんだ。ただ気持ちに余裕がないってだけで。
ええ。分かってます。
右手に柔らかい感触があった。歩きながらクロエが手を握ってきたのだった。炊事や清掃の日々で逆剥けた肌。昨夜に彼女が幸せそうにピアノを弾いていた姿を思い出した。酒精で紅潮した顔に満面の笑みを湛えて。リシュカは想像を巡らせた。戦前に生まれていたらあたしはゴシップ誌の一面を飾っていたかもしれないのと同じように彼女も信仰の道に進まずに有名なジャズシンガーにでもなっていたかもしれない。
二人は手を繋いで静寂に包まれた朝の街を歩き続けた。橋を渡り終えて組合酒場への道を戻りながらクロエが云った。
……ある聖人様がこう云い遺されたそうです。最も救いを求めている人びとほど最も我々の助けを拒んでいるものだ。そうした人びとにこそ手を差し伸べなければならない。そこには謝礼も賞賛も伴わないだろう。でもそれでいい。もしも感謝や評価を求めてしまったならそれは献身ではなく自らの願望と欲求による行動に他ならないのだ、と。
リシュカは静かに笑った。
あたしには遠い世界のお伽話に思える。
だからこそ尊いのでしょうね。
クロエも笑って握る手に力を込めた。リシュカはしばらく間を空けてからその手をそっと握り返した。
□
酒場の建物のすぐ外に人の姿があった。リシュカはあっと声を上げた。モーレイの屋敷を放り出された最初の日にリシュカを家に泊めようとしてくれた赤毛の青年だった。声をかけられた青年は肩を跳ねさせてこちらの姿を認めると笑顔を形作ってみせた。
――あ、ああ。お前か。しばらくぶりだな。死んでないとは何よりだ。
あんたはなんでここに?
お前こそどうした。酒はもう飲むなって別れ際に云ったがどうやら忠告は守ってもらえなかったようだ。しかもよりによってくず鉄拾いの根城なんかに。
大きなお世話。ここのマスターがなかなか好いお酒を出してくれるんだよ。
相変わらずだな……。
青年は前に出会った時よりも季節外れに厚着していた。早朝とはいえ陽射しはもう十分に熱を持っている。リシュカと話しながらも視線はしきりに酒場の方へと向けられ足を何度も踏み替えていた。
リシュカは訊ねる。なに、マスターに用事?
いやそうじゃない。
案内しようか。
もう帰る。お前はどうするんだ。
片付けを手伝うよ。中で雑魚寝してる粗大ゴミを集めて叩き出さなきゃ。
つまり連中は酔い潰れてるんだな?
連中って?
くず鉄拾い達だ。
うん。
確かか?
そうか――。青年は顔を伏せつつうなずいた。教えてくれてありがとう。
……どうしたの?
なんでもない。そいつは連れか?
クロエを指して彼は云う。シスターは胸を張って答える。
私はリシュカさんの親友兼保護者です!
なに偉そうにしてんのよ。
頭を軽くはたいてやるとクロエはえへへと笑った。そんな二人を青年は透き通った瞳で見ていた。彼は云った。――前よりずっとマシな顔になってるぜ、お前。
そ、そうかな……。
ああ。
なんか複雑。
なんでだ。
こいつが調子に乗るから。
ご名答ですリシュカさん。
あんたは黙ってて。
青年は微笑んだがすぐに唇を引き結んで云った。
よく聞けよ。――お前が今どこで食いつないでいるのかは知らんがこのまま帰れ。今日一日はここに来るな。いや数日はこの近辺に近づかないようにしろ。
……え、なんで。
どうしてもだ。いいな。
赤毛の青年はそれだけ云ってしまうと背を向けて歩き始めた、リシュカが口を半開きにしているうちに数歩進んだところで彼は振り返って云った。
――そういえばお前の盗まれた荷物、見つかったんだ。うちに最近入ったガキが盗んでた。あのときはそうと気づかなかった。金はいくらか使っちまってたが他のものは大体無事なはずだ。
本当に? というか
俺の用事が済んだら取ってきて返すよ。ずっとお前を探してたんだ。大切なものが入ってたみたいだしな。
…………。
二人の少女を交互に見ながら彼は呟くように小さな声で述べた。……そいつとの繋がり、大事にしろよ。
リシュカが返事する前にクロエが進み出て答えた。もちろんです。――それと先日は申し訳ありませんでした。不道徳とか何とか。ひどいことを申し上げてしまいました。こんなことを云える立場ではありませんが、――あなたは善き人です。
それは好かった。
彼は去っていった。リシュカは組合酒場の前で立ち尽くしていた。朝陽に洗われる彼の服は戦前のものだった。
□
入れ違いにやってきたのは緑服のスカベンジャーのリーダーであるハーゲンだった。日課のジョギングをしてきた帰りなのだと云う。二日酔いの兆候はなく健康的に汗をかいていた。昨夜あれだけ飲んでいたのに凄まじいバイタリティだった。外套や上着を脱ぎ去っており引き締まった手足の筋肉が見てとれた。平原を何十キロと駆け抜ける草食動物を思わせた。昨夜は肉や魚を用いた軽食には手をつけていなかったので事によると本当に草食性で視界が左右に百五十度ずつくらいあるのかもしれない。
どうした君達、――入らないのか?
とハーゲンは訊ねてきた。クロエが答えようとしたのを遮ってリシュカが話した。
知り合いと話し込んでしまって。
ああ赤毛の若者か。さっきすれ違ったよ。なかなか澄んだ悪くない目をしていた。
リシュカはうなずいて同意した。それからハーゲンに訊ねた。
昨夜の話の続きをお聞きしたいのですが。
いいよ。なんだい。
再生機を用いない。散弾槍も使わない。それは分かりました。ではどうやって生計を立てているんですか。この二つの道具がなければたとえ手つかずの廃墟都市であっても拾えるものには限りがあるはずです。効率も遥かに劣ります。
ハーゲンはタオルで汗を拭いながら疑問に耳を傾けていたがリシュカが話し終えると人差し指の先端を色の薄い唇に当てた。しばらく間を空けてから云った。……どうしてそんなことが気になる?
あたしもこの街に住んでそこそこ長いのでスカベンジャーのことはある程度知っているつもりです。やってることは派手ですが暮らし向きは決して裕福には見えません。なのにハーゲンさん達は服装も清潔だし身体は健康そのもの、――少なくとも蒸留酒をひと瓶流し込んだ翌朝に走り込みをできるくらいには頑強です。
はは、昔から酒には強いんだ。父親譲りなのかな。
だから、つまり、――興味が湧いたんです。気になっちゃって。
なるほど。ハーゲンは緋色の瞳を細くしてうなずいた。我々の生計の手段やら健康の秘訣やらを参考に君は自分を変えたいと思っているわけだ。
リシュカはうつむいた。そこまではっきりと考えてるわけじゃ……。
隠さなくていい。君の顔にそう書いてある。彼女は茶化すように笑った。まァ、――もったいぶる必要もないから教えよう。実に単純な話だよ。君の云うとおり物拾いだけで食っていけるなら誰も苦労はしない。だから私達はコミューンを築いて本業のかたわら畑を耕し野菜や穀物を育ててる。これがまた高く売れるんだ。新鮮な野菜なんて金持ちしか買わないし何より強欲な組合を通さなくていいからな。拾ってきたものじゃなくて自分達の土地で作ったものだから。これもまた散弾槍を持たない理由の一つだ。まさか額に汗して耕した大地を自分から穢す道理はあるまい。――それで健康の秘訣? もちろん野菜をしっかり食べているからだ!
ハーゲンは
クロエが同じく日々の仕事で汚れた両の手を打ち合わせて云った。――それで赤服のみなさんはあなた達を環境団体とか何とか野次を飛ばしていたのですね。
ハーゲンは曖昧な笑みを浮かべた。……奴らが我々を嫌う理由はそれだけではないが。でもそんなところだな。
□
ハーゲンと共に組合酒場に戻ったリシュカとクロエは昨日とまったく同じように入り口で立ち止まることになった。戦場跡の死体のように折り重なっていたはずの赤服のスカベンジャー達が全員起き上がって散弾槍を抱えて座っておりこちらを猛禽の目つきで睨んでいた。ハーゲンが引き連れてきた緑服の若人達は訳が分からないといった様子で店の隅に追いやられていた。
――君達とうとう堕ちるところまで堕ちたかっ。ハーゲンがハスキー声で抗議する。公共の場に散弾槍を持ち込むなど!
老スカベンジャーはテーブルの上にあぐらをかいて座っており緑服のリーダーの一喝を鼻で
なんだとそれが宴席を共にした
巻き込まれたくないなら下がれと云ったんだよこの人は。赤服の一人が返答する。これだから素人は。
リシュカは目を
……久方ぶりの同窓会、いつしかぶりかの宴席、――みんな揃って楽しくやっていたのにこれだ。老スカベンジャーがいつもの虚無的な笑みを深めて云った。こいつは酔い覚ましの礼をたっぷりしてやらんといかんな。
彼が云い終えると同時に赤服達は各々の再生機を一斉に起動させた。ブウウンという音とともに灯りの絶えた薄暗い酒場は色とりどりの光の洪水で満たされた。それと同時に並び立った老人達の背後に戦前の軍服をまとった若い兵士の姿が墓標のように次々と現れた。中でも一際輝いて見えたのは十六か十七という少年といっても差し支えない兵士だった。彼は映像の中で無垢の名残を保った笑顔を口に貼り付けたまま静止していた。
老境に達したくず鉄拾いの一人が口を開いた。
生かしてくれたことに。
他の者が続けて唱和した。
あるいは生かされてしまったことに。
全員が空になったグラスを掲げると同時にリシュカ達の背後、――店の外から何台もの大型車両が路上に停車する音が地響きのように伝わってきた。次の瞬間に視界が水のように流動化し気づけば天井を見上げていた。クロエと二人してハーゲンに腕を強く引っ張られ床に倒れ込んでいたのだった。
ハーゲンの叫び。――頭をかばえ! 耳を塞げ!
訳もわからず両腕で頭を抱え込み息を止めた次の瞬間、――床を軋ませる轟音がリシュカの身体を持ちあげた。それは何度か聴いたことのある散弾槍の甲高い発射音だった。ガラスの割れる音と金属の引き裂かれる音が混じり合って鼓膜に喰いこみ身体がびくっと反射的に震えた。場違いに柔らかな感触に目を開けるとクロエが腕を伸ばして必死にしがみついてきているのが分かった。リシュカは
銃撃が止んで恐るおそる顔を上げたときにはすべてが終わっていた。くず鉄拾い達の散弾槍からはまだ煙が上がっていた。再生機は在りし日の戦場の名残をこの世界に留めていた。酒場の一角の壁が巨大な蜂の巣となっており窓ガラスは一枚残らず死んでいた。
沈黙を破ったのはカウンターから顔を覗かせたマスターのひと言だった。
――これでまた借金が膨らんだよまったく。
それを合図にスカベンジャー達はグラスに残った酒をあおったり煙草を口にくわえたりし始めた。排莢を済ませた散弾槍を背負うと各々に拳銃やマチェットといった小型のサイドアームを手にどやどやと店の外に出た。まるで往来で盛り上がっている決闘の見物に出かけるかのような気の抜けた調子だったが勝負はすでに終わっており彼らの目的は襲撃者の肉体にとどめの一発を見舞うためだった。
リシュカはクロエを助け起こそうとした。少女は腰が抜けて立てないようだった。かろうじて生き残った椅子に座らせ自分も外に出ようとしたが袖を引っ張られた。シスター少女は無言で首を左右に振り言葉にならない声を伝えてきた。行かないでください。ここにいて。
リシュカは震える少女の拳を両手で包みこんでからゆっくりと引き剥がした。
――すぐ戻るから。待ってて。
クロエはうなずいた。
リシュカは往来に出てすぐ咳き込んだ。布で鼻を覆った。ちょうど赤服のスカベンジャー達が瀕死だろうがすでに死んでいようがお構いなく襲撃者の頭に一発ずつ撃ち込み始めている最中だった。それは激突でもなければ応戦ですらなかった。純粋無垢な殺戮だった。手に汗握る緊張に満ちた睨み合いもなく。どちらが先に銃を抜くかの固唾を呑むような駆け引きすらない。それどころか襲撃者と被襲撃者、――両者が生きて顔を合わせることすらなかった。トラックで乗りつけてきた者達は銃弾を一発も放つことなく皆殺しになった。
ねえ、――あんたこれは一体どういうこと?
リシュカは老スカベンジャーに訊ねた。彼はちょうど末期の息を漏らしている男の頭をそっと踏みつけて首筋に銃弾を撃ち込むところだった。リシュカは顔をそむけて耳を塞いだ。それから溜め息をついて返答を待った。
ちょいと揉め事があってね。老スカベンジャーは静かに云った。前に若いのが一人、こいつらにやられた。かろうじて生きてはいるが復帰は難しい。それで探りを入れていたのさ。こちらにも落ち度はあった。蜂の巣を
あんたらひょっとして先走ったんじゃないの。話し合いの余地はあったんじゃ――。
いんや。こっちが隙を見せる好機を窺っていたのさ。再生機にもしっかり映像を残してる。ついさっきも奴さんの一人が偵察に来ていた。もうちっとばかし賢かったならちがう結末になっていたかもしれんね。
ついさっき――?
リシュカは酒くさい胃液を吐き戻してしまわないよう
リシュカが黒煙と血肉にむせながら現場を一周するころには老スカベンジャー達は処理を終えて武器を背負い何処かへと歩き始めているところだった。その時になってようやく部下をまとめ直したハーゲンたち緑服が酒場から飛び出してきた。――おいどこに行くんだ君達!
決まってるよォ。赤服の一人が答える。こいつらの隠れ家まで御礼参りさ。わざわざ向こうからご足労いただいたんだ。こちらも表敬訪問の一つはしとかないと失礼だろうが。
待てそれなら我々も同行する。赤服とはいえ今は同胞。助太刀せねば。
巻き込まれるぞあんたら。足手まといだ。
失敬な。これでも鉄火場を潜り抜けた経験は一度や二度ではない。何より君達だけに任せていては野次馬の一般市民が巻き添えを喰らいかねん。これ以上スカベンジャーの品位を貶めることはこの私が許さない。
だから俺達の評判が今より堕ちることはないって云ってんだろ。
――それは君達がいつまで経っても身の振る舞いを改めないからだろう!
彼らは云い争いながら歩き去ってしまった。
リシュカは空を見上げた。おびただしい数の禿鷲が空を旋回し陽光を隠さんとしていた。思わず二、三歩後ずさってしまった。いったいどこに隠れていたのだろう。まるで散弾槍の銃声を聴きつけて集まってきたかのように見えた。墓地に木霊する鐘の音を聴きつけて冥府より舞い降りる死神の隊商。一羽が酒場の建物に留まってツルハシのような
老スカベンジャーに肩を叩かれてリシュカは我に返った。よっこらせ、と掛け声を上げて古ぼけた散弾槍を担ぐ彼の仕草はまるで炭鉱におもむく鉱夫のような趣があった。
お前さんはシスターと聖堂に戻っているといい。彼は云う。心配はないと思うが念のためな。
リシュカは老人の胸倉をつかんだ。――ちょっと待ってよ。あんた気づいてるんでしょ。
何がだね。
しらばっくれないで。彼のこと。――あの日あたしを家に泊めようとしてくれた人!
ああ。赤毛のね。そう、彼が斥候だった。念のため監視させていたら案の定だ。いま再生機で行動を辿らせているが真っ直ぐアジトに戻ったようだ。どうやら私らに喧嘩を挑むにはちいっとばかし
リシュカは消え入りそうなほど小さな声で云った。
…………あんたは、彼も撃つの?
まさかとは思ったよ。だが今さらどうしようもない。例外を認めたら尾を引いちまう。こちらも前に一人やられたしな。
そうやって、――いつもいつも仕方ないのひと言で済ませてきたんでしょ。それで沢山の人を平気で殺したんだ。
老人は笑みを浮かべたままだった。表情はぴくりとも動かなかった。
そうさね……。かつての兵士はゆっくりと答えた。まったくお嬢さんの仰るとおりだ。人ひとりのかけがえのない命で心を動かされるには我々はちょいとばかし長生きしすぎたよ。脇目にして通り過ぎた
さぁ――、そこをどいとくれ、と老人は云った。リシュカは呆然と従った。彼もまた歩き去り禿鷲の大群が後を追いかけた。立ち尽くしているとクロエのか細い声が
リシュカを抱擁しながらクロエは勇気づけるように囁いた。
追いかけましょう、あの人達を。
でも、――私達にできることなんてもう。
何ができるかは現場に着いてから考えればいいんです。後悔しないようまずは足を動かさなければ。
…………わかった。
クロエの肩に顔を埋めながらリシュカは静かにうなずいた。
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