#Ex.04 燃料缶

 打ち棄てられた大量のドラム缶が山となってガス・ステーションの敷地に身を横たえていた。再生機の映像からは汚れたヘルメットと軍服に身を包んだ兵士達がトラックに缶を積み込んでいる様が見て取れた。その時は中身は満たされていた。誤って転がり落ちた缶に足の指を踏み潰されないよう作業は慎重に続く。

 時間を進めると用済みになった空っぽの缶が同じトラックから降ろされてはひたすら積まれていくところだった。車輪止めを活用して平たいピラミッドのように。そのトラックは塵や油で汚れており乾いた黒い血潮が車体にこびりついていた。フロントガラスの穴が蜘蛛の巣を張り巡らせシートにはべったりと血がこびり付いている。荷下ろししている兵士が一人減っていた。


 たまげるような物量だな。

 スヴェトナはそう云って首を振った。

 戦時中のデポだったのかな、と再生機をかざしながらアリサは云った。私達の分も残しといて欲しかったよ。

 あらら。アリサの車に燃料は必要ないでしょ?

 と、トフィー。少女はアリサの背中におぶさりながらブランコのように身体を揺らしていた。怪我をしているわけではない。ただお願いしたのだ。アリサはそれを受け容れた。


 スヴェトナは腰に手を当ててトフィーを睨み半装軌車ハーフ・トラックのドアを手の甲で叩いた。

 こいつは魔鉱駆動じゃないからな。あとトフィー、あまりくっつくのは止めろ。アリサは疲れてるんだ。


 くず鉄拾いの少女は笑った。トフィーのももを手でおさえながらその場で一回転してみせた。金髪と銀髪が荒野の中でか細い陽光を浴びながらワルツを踊った。

 ――ほら、これくらい問題ないよ。スヴェトナは心配しすぎ。嬉しいけど、こそばゆい。

 スヴェトナはその場で足を踏み替え拳を握ったり開いたりした。

 そうか。

 少し休憩していこう。日没までまだ時間はある。

 懐かしいわね。お父さんによく連れてきてもらったわ。給油ついでにダイナーでランチをとるの。ミートパイが食べたいな。

 似たようなものならできるかも。

 ほんとう?

 パサパサの干し肉でサンドイッチ。あと缶詰の残り汁をかけたら雰囲気くらいは。

 それって最高。

 火を起こすから待ってて。

 ふふ、悪い人ね。

 どうして?

 火気厳禁よ。


 文字の掠れた標識を指してトフィーが笑うとアリサもそれに合わせて明るい声を立てた。

 スヴェトナは目をそらして背を向けた。


   □


 スヴェトナはステーションの物置に入った。使える工具がないかと金属棚や引き出しを開けてみた。パンク修理用のラバースティックとセメントがあったがゴムはひび割れておりセメントは固まっていた。床にはオイルフィルターのひしゃげた空箱が埃にまみれて散乱していた。それは本当に車に取り付けるために使われたのかあるいは消音器として銃口にはめ込むという危険な改造のために持ち去られたのかは永遠の謎だった。

 数分ほど物色してからスヴェトナは溜め息をついた。


 ――地図があったわよ。少し破けてるけど。

 振り返るとトフィーが丸められた紙を手にしていた。胸元のペンダントが紺碧に発光して在りし日にここで作業をしていたであろう人びとの姿を映し出していた。あるいは徴用されて忙しなく出入りする軍属の整備員。あるいは遺棄された施設を漁りにきた痩せぼそった人びと。同じ人は二度として現れなかった。友人らしき若い女性二人がぼろぼろの身を寄せ合って床に敷いたマットレスで眠っている光景もあった。


 早回しされる映像をスヴェトナが黙って眺めていると隣で地図を広げていたトフィーが明るい声を上げる。

 ここ、――ここ知ってるわ! と身体を跳ねさせる。観光名所よ。家族でピクニックに行ったの。

 今はどうなってるんだろうな、その名所とやら。

 さぁね、三人で確かめに行く?

 探検ごっこじゃないんだ。売れるものを探さなきゃならん。

 好いと思うんだけどな。たまには。

 アリサと私はお前と違って省エネな身体じゃないんだ。

 失礼ね。

 あと、あまりアリサに迷惑をかけるなよ。さっきも、――というか普段からくっつき過ぎだ。

 トフィーは地図から顔を上げずに答えた。あなたは確かに心配性ね。

 話をそらすな。あいつは、アリサはお前の家族の代わりにはなら――。


 そう口にしてからスヴェトナは指の関節を唇に当てて押し黙った。悪かった、という謝罪が次いで出た。

 トフィーは地図を丁寧に丸め直してからスヴェトナに渡すと手を後ろに組んだ。そしてうつむいたスヴェトナの顔を下から覗きこんできた。

 ねぇ、メイドさん。

 ……なんだ。

 ひょっとして嫉妬してるの?

 スヴェトナは三秒ほどかけてゆっくり首を振った。どうかな。わからない。

 あら、怒り出すかと思った。

 スヴェトナは再び足を踏みかえた。

 こんな、――こんな変な気持ちになったのは初めてなんだ。ゴミ箱の中にでも隠れたい。

 それはね、たぶん、あなたが立派な人間である証拠よ。外に積まれてる空っぽのドラム缶とはちがうわ。

 何が云いたい。

 燃やせるものがまだ詰まってるってことよ。あなただけじゃない。アリサもそう。たぶん他のほとんどの人達はそうじゃない。空っぽになってしまったのよ。あるいは何も詰め込める余裕がないまま育ってしまったの。でもあなた達はちがう。わたしが二人に付いていこうと思ったのもそれが理由よ。

 …………。


 スヴェトナが黙っているあいだトフィーは物置の中を歩き回っていた。棚に放置されたレンチを手に取りしげしげと検分する。防錆加工が施された実用的で無骨な金属の塊。手に取る少女、――古びた絵本から飛び出してきたかのように儚げな少女には不釣り合いな代物。レンチの先を指でなぞりながら彼女は口を開いた。

 わたしね、最後に家族と出かけたときに食べたのがミートパイだったの。さっきも云ったっけ。ここみたいなガス・ステーションのダイナーで作ってたやつ。安くて早くて美味しいのよ。冬場はホット・チョコレートもついてた。天井のあれ、シーリング・ファン。あれがくるくる回ってるのを飽きもせずに見上げてた。ぼうっとね。貝殻に耳を当てて海の音を聴いてるみたいに落ち着くの。

 スヴェトナは物置の隅に積まれたタイヤに腰かけた。それで、と先を促した。

 何もかもが焼けちゃったけど。少女は続ける。でも燃え残っているものも確かにあるってあなた達に出逢ってから気づいたの。虫食いだらけの本にも物語が宿るのと同じように灰と塵だらけの荒野にも水場はある。今日ここに来れて好かった。感謝してる。アリサだけじゃない。スヴェトナとも、あなたとも、――もっと仲好くなりたいの。

 工具を放り出してトフィーは上目遣いにこちらを見た。


 スヴェトナは視線をさまよわせた。野外に目を向けた。アリサの姿は見えない。薪になるものを探しているのかもしれない。手に温かいものが触れて向き直るとトフィーが幼い指をスヴェトナの手の甲に重ねていた。

 スヴェトナは呟いた。……こうして私達が深刻な話をしてるとこ、アリサには見られたくないな。

 どうして?

 あいつのことだ。勝手に責任を感じて距離を取ってくるかもしれない。

 あり得そうね。トフィーは微笑んだ。メイドさんは本当にアリサが好きなのね。

 恩人だからな。命の。あるいはもっといろんな……。

 スヴェトナは首を振った。

 とにかくお前の気持ちは分かった。私も大人げなかったよ。悪い。

 ちゃんとお返事を聞かせて?

 一緒に旅するんだ。私だってお前とは折よく付き合っていきたいよ。

 それで好いの。トフィーはうなずいた。それが好いのよ。


 少女はスヴェトナの給仕服の前掛けに顔を埋めてきた。離れろと訴えたが聞く耳を持たない。肩に手を乗せるとますます強い力でしがみ付いてきた。火傷しそうなほどに高い体温が厚手の服越しに伝わってくる。スヴェトナは呼吸に合わせて肩を上下させた。甘えてくる少女の内に長年溜め込まれてきた熱量のことを想った。あるいは自分の中に。あるいはアリサの中にもあるという燃料のことを。アリサが顔を覗かせて何してるんだと訊ねてくるまで二人はそうして空っぽでないことを確かめ合っていた。




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 ご読了ほんとうにありがとうございました。

 こうした廃墟の中で育まれる抒情が大好きです。

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