#Ex.03 鳥かご

 なんだコレ、と呟きながらレイノルズはドーム型の入れ物に手を触れた。見たことない。変な形だな。

 続いて部屋に入ってきたオスヴァルドが唸るように答える。

 鳥かごだ。

 鳥? ギャアギャア鬱陶しいあいつらを押しこんでおくのか。

 禿鷲じゃない。もっと小さい奴だ。カナリヤとかインコとかな。

 聞いたことないな。

 お前はきっと禿鷲や鴉以外の鳥なんぞ見たこともないだろうな。

 悪かったね無知で。

 戦前は俺も家で飼っていた。

 カナリアを?

 ああ。

 あんたが? 想像できねぇな。

 仕事で一時期使っていたんだ。鉱山で働いていた時期にな。

 鉱山で鳥。

 ああ。オズは吸い終えた煙草を律儀に携帯灰皿に入れながら云った。小鳥は身体の大きさに比して多量の空気を吸う。つまり有毒ガスの影響を人間よりも強く受ける。

 なるほど。

 設備管理のついでにカナリアの世話も任されていたんだ。

 ふーん。

 ガラスみたいな声で甲高くさえずるんだ。好く晴れた日の朝に耳にすれば多少は前向きな気持ちになれるかもしれん。

 それが今じゃ可愛げのない大量の禿鷲につきまとわれる羽目になってるってわけだ。

 そうだな。


 オズはそれっきり沈黙して空っぽの鳥かごを目を細めて見つめていた。鳥かごの小扉は開け放たれており中には鳥の骨はもちろん羽根や糞といった痕跡さえ残されてはいなかった。塵と埃ばかりが降りしきる。他のインテリアも同じだった。この部屋で幾ばくかの時を過ごしていたであろう子供の痕跡もまたほとんど残されていなかった。唯一皺だらけのままめくり上げられたベッドのシーツだけが過去の記憶を偲ばせた。


 オスヴァルドは鳥かごから目を離してベッドに腰をおろし云った。まぁ、少し休憩するか。依頼は果たした。

 珍しいな。寄り道なんてしないと思ってた。

 前にセントラーダでまとまった金が入ったからな。急ぐ理由もない。

 あーそれ聞いたぞ。禁制品を密輸したんだろ。なんで組合から処罰されないんだ。

 奴らには俺が必要だからな。

 羨ましいお立場だよまったく。


 次の煙草を吸いながら黙想している腐れ縁を見ているとレノはどうして自分が未だにこんなおっかねぇ大男と共に仕事をしているのか分からなくなってきた。奴さんに倣って噛み煙草を口に放り込みたくなったが子供部屋でくちゃくちゃとやり始めるのはためらわれた。たとえそこが永久に誰も住まわないまま朽ち果てていくとしても。


 代わりに手帳と鉛筆を取り出したレノは部屋のスケッチを始めた。鉛筆の芯が数センチにも渡って露出するほど削りこんでいるのは前に仕事を通じて知り合いになった“教授”のアドヴァイスだった。

 しばらくのあいだ煙草の煙を吐き出すオズと鉛筆をしゃっしゃと走らせるレノの音が交互に手を取り合って部屋の空間をたゆたっていた。だいたい形になってきたスケッチの細部に手直しを加えているとオズが立ち上がり手を伸ばして手帳を引ったくった。


 ――おい何すんだよ。

 大方完成したんだろ。

 してねぇよ。つーか完成って言葉は使いたくないんだ。描こうと思えばいつでも続きを描ける状態にしておきたい。どのページのどのディティールもな。

 オズは唸るように笑った。一丁前に芸術家らしい口をきくじゃないか。

 ほっとけ。観たいなら素直に観たいって云えばいいだろ。

 ……これは本当にスケッチなのか。ずいぶん実際の部屋の様相と違うようだが。

 あー、まぁな。レノは指で鉛筆を器用に回しながら云った。この部屋はモチーフだよ。それを使って俺の描きたいものを描いたんだ。

 想像を膨らませて描いたってことか。

 大げさだがまァそんな感じ。

 以前は見たままにしか描いてなかったな。

 描きたいように描いてみたくなったんだよ。

 ほう。読書を始めた甲斐があったな。

 それ関係あンのか。

 大ありだ。今に分かる。


 レイノルズが手を伸ばしても大男は手帳を返してこなかった。いつもはちらっと見て三秒で済ませるはずだった。レノは諦めて部屋の静けさに耳を澄ませた。外では雷鳴が木霊を広げている。禿鷲の羽音も聴こえない。鳥かごは沈黙を続けておりレノが決して知ることのないカナリアの唄声を想像の中で奏でている。

 壁に貼られているポスターに眼が留まった。戦前に人気のあったコミックに登場するヒーローがその色褪せたマントの輝きをこちらに届けようとしていた。剥がして組合に持って帰れば相応の価格でマーケットに出回り小さな子供が親にねだって買ってもらえるかもしれない。あるいはそれは“教授”が教えている学校の生徒かもしれない。親がいないその子供達は勉強の合間にこなす仕事でわずかばかりの賃金を得る。


 結局レノはポスターを剥がさなかった。代わりに手帳に閉じこめたその風景だけを鳥かごの中の小鳥のように大事に持ち帰ることにしたのだった。




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 ご読了に感謝いたします。本当にありがとうございました。

 久しぶりにこの二人を書くことができて嬉しいです。

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