#53 汚れた指先
双子の少女の遺体を埋葬した。サイモンとクライクの隣だった。アリサに水の入ったコップを渡しながらトフィーはお疲れさまと労ってくれた。泣き腫らした目は未だに涙で潤んでいたが朝陽に照らされた白銀の瞳は見ていると吸いこまれそうな精彩があった。
アリサがコップを持ったままその瞳を見つめ返しているとトフィーはふっと笑って両腕を広げ正面から抱きついてきた。勢いでコップの水がこぼれそうになった。頭ひとつ小さな背丈の少女。その身体は高熱が出ているのではないかと思えるほど体温が高かった。アリサも今ではその何処か懐かしい温もりの正体を知ることができた。それは熱を持った魔鉱石と同じ温かみだった。
トフィーはアリサの胸にぐしぐしと顔を押しつけた。ありがとう、と呟いた。
アリサは水をひと口飲んでから云った。――離れたほうがいいよ。汚いから。
だいじょうぶ。わたしの方がもっと汚れてる。
……
その奥にある、あなたの本当の匂いをわたしは知ってるわ。
アリサは水を飲み終えるとトフィーの背中にそっと手を回した。軽い
…………今回も結果的に大勢の人を殺してしまった。
でもわたし達を助けてくれたわ。
付きまとってくる禿鷲の数がまた増えちゃう……。
スカベンジャーさんらしくて好いじゃない。
――戦うならもっと完璧に切り抜けたかったよ。奇襲は受けるし二人に怪我をさせちゃうし最後も結局は私だけの力じゃどうにもならなかった。おまけに“きれいなまま”でいたかった双子ちゃんだってあの有様だ。
トフィーは身体を離した。うつむいたまま云った。
メイラとリッサは、――たぶんこれで好かったのよ。あのままずっとあそこにいても寂しいだけよ。
二人に意識はあったのかな。
幼い少女は首を振った。
焼かれる苦しみはなかったんだ。少なくとも。
ええ。
なら、――ほんのちょっとだけ。救いにはなったかな。
□
施設に戻るとスヴェトナがちょうど半身を起こして身体の節々を伸ばしているところだった。まとめられた藤色の髪も今は解かれ給仕服ではなく寝間着をつけていたため見た目相応の少女に戻っていた。
――スヴェトナ、もう起きて大丈夫なの?
従者の少女は微笑んだ。笑い方を思い出そうとしているかのように唇の端がひくついた。……正直まだ気分は悪いが、おかげさまでな。さすがに塹壕掘りには参加できそうにないが。
ちゃんと寝てないと。
頭では分かってる。でも……。
スヴェトナはバツが悪そうに視線をそらした。声量を落として云った。
……こんな静かで暗い場所に置き去りのまま一日中何もしないなんて
トフィーは黙って微笑んだ。
スヴェトナは続ける。……すまないが車椅子か何かで同行させてくれ。それに捜索を依頼されたご遺体はあと一人、――フレイド少年だけなんだろ。それほど時間はかからんはずだ。真っ二つになってたり散らばったりしてるのはもうゴメンだがな。
いえ、――心配はいらないわ。トフィーが口を挟んだ。すぐ近くにあるから。
アリサは訊ねた。
どこにあるの?
大きく息を吸いこんでから少女は云った。
――わたしの棲んでる宝石店。
□
宝石店への道中はスヴェトナの腰かけた車椅子をトフィーが押した。アリサは念のため散弾槍を背負いながら先導を務めた。施設の構造がすっかり頭に入っていたとはいえ襲撃者の生き残りがいないとも限らなかった。
道の途上でアリサは周囲を警戒しながら声をかけた。
……トフィー。
どうしたの。
さっきお墓を掘ってて思い出したことがあるんだけど。
ええ。
ずっとここで暮らしていて一度も外に出ていないんだよね? 戦争が起こってからは。
そうね。
その割に初めて会ったときからスカベンジャーのことを知ってる風だった。戦後に生まれた職業なのにだ。覗き見されてた初日の時分も私達はスカベンジャーのことは何も話してないはず。
ああ。それね。
戦後にスカベンジャーの誰かが漁りにきたのかな。
そうじゃない。
じゃあ何故。
そこまで訊ねたところで宝石店にたどり着いた。後で話すわ、と述べてからトフィーは店の奥に入っていった。事務室だった。中を確認してから手招きしてきた。アリサはスヴェトナと顔を見合わせてから後に続き埃の積もった書類が散乱する事務室に入った。
二人を迎えたトフィーは目を閉じていた。呟いた。
――ここよ。ここにフレイドがいるわ。
彼女が指し示したのは事務室に据え付けられた冷蔵庫だった。
□
保存のきく缶詰や乾物の類は兵士達の略奪かさもなくば最初の避難生活で大方がすでに誰かの胃袋に収まっておりトフィー達に残されたのはほんの僅かだった。毎日スーパーの倒れた棚を手分けして引っくり返しまだ食べられそうなものを探した。同じ場所を数日かけて何度も捜索することもあった。時間の無駄だとは分かっていた。だが他に手立てはなかった。
砲火の音はすでに遠ざかって久しく空もわずかながら晴れてきた。世界は恐ろしいほどの静けさに包まれた。暗闇に質量があるのと同じように
やがて最後の缶詰を開けるときがやってきた。分かりきっていたことだったので二人はわざわざそれでお仕舞いだと確認することはしなかった。だが酒はまだ幾らか在庫があった。いくらか栄養はあるからと薦めたがフレイドは口にしなかった。それどころか自分の分の缶詰をトフィーに譲ろうとしてきた。
……いらないわよ。
いいから食っとけよ。
いらないったら。
おれだっていらない。
なに。それも善き本に書いてあったことなの。施しの精神ってやつ?
フレイドは自身の汚れた指を見下ろした。すでに二人はフォークといった食器を使うことも止めていた。じっと黒ずんだ爪を見ながら何事か考え込んでいるフレイドの姿。そのボロ切れのような服と相まって大人びた少年というよりも異国の修行僧のようだった。
まぁ、――どうしてもいらないのなら有難くいただくわよ。
ああ。
トフィーが缶詰を片付けている間もフレイドはじっと汚れた指を睨んでいた。
□
あれからも父の連絡は続いていた。だがペンダントの魔鉱石が温もりを以って光を発する頻度は徐々に下がっていった。集団脱走があって監視が厳しくなったのだという。逃げ切れた者は一人もいなかったとも父は云った。
トフィーは毎晩待ち続けていた。いつ来るかも分からない知らせを頼りに寝袋にずっと潜りこんでいるとさまざまな感情の渦が去来して天井に向かって叫び出しそうになった。自分にもまだそんな激情が残ってたんだと驚くほどだった。
すでに父のほか十数人を除けば商業施設で捕えられた者の全員が射殺されるかさもなくば使い潰されていた。母の行方は分からなかった。世界は最初から男しかいなかったんじゃないかと思えるほどだと彼は語った。
父はやがて近況を語るのを避けるようになった。まだ平和な時代に枕元で読み聞かせてくれていた物語の内容をうろ覚えの記憶を頼りにしながら語った。時には物語の細部どころか大筋が父の創作にすり替わることもあった。そしてそのすべてがハッピー・エンドだった。語られた物語に登場する人物の誰もが指先を畑の土で汚してもいないし射殺された仲間の血で濡れてもいないはずだった。それは真っさらできれいな赤子のような指であるはずだった……。
□
トフィーはその後も読書にふける日常を過ごそうとしたがそれは数日ともたなかった。頭が回らなくなり文字を読み進めようとすると目が霞んだ。できることなら最期の瞬間は活字の海の中で迎えたいものだった。関節の痛みを訴える足を奮い立たせて寝床から起き上がり本屋から面白そうな本を手当たり次第に引っ張り出しては宝石店に運びこんだ。本で出来た一本の木は林になりそして森になった。あるいは都市に。あるいは小さな惑星に。作業のあいだフレイドの姿は見かけなかった。陳列棚に隠された幻の食品でも探しているのかもしれない。
仕上げに金庫からかき出してきた小粒の魔鉱石を寝袋の周りに散りばめカーテン代わりのベッドカバーでカウンターの周りを締め切った。そしてランタンに火を灯した。トフィーの築き上げた小さな小さな世界に光が訪れた。明かりは魔鉱石に反射して色とりどりの淡い輝きをベッドカバーの裏地に投げかけた。それは棺桶であると同時に揺籠だった。始まりでありそして終わりでもあった。トフィーはふらつきながらも作業をやり終えて一つうなずいた。少なくとも終の住処としては納得のいく仕上がりであるはずだった。
□
すでに空腹は感じず頭痛だけが続くなかでそれでも本を読もうとしていると店の外から音がした。最初はいよいよ幻聴まで鳴り出したかと思ったがそうではないようだった。布や金属のこすれる音がしばらく続いたあとフレイドのしわがれた声がベッドカバー越しに転がり込んできた。
……生きてるか。
まだね。
ならよかった。
なにか用?
少し、間が空いた。
――食糧を探してた。見落としがあるんじゃないかと思って。
あれだけひっくり返したのよ。ないに決まってる。
だな。
他になにか。できれば骨と皮だけになった死体をあなたに見られたくないの。
……最後にお前の父さんから連絡があったのはいつだ?
トフィーは開いた本のページを鼻に押しつけた。紙の匂いを吸い込んで気持ちを落ち着けた。
――なんで、知ってるの。
向かいの店で寝起きしてるんだぞ。何かぼそぼそ喋ってるのは聞こえてた。
でも……。
最初は本の朗読でもしているのかと思ったがどうも違った。そんで“このペンダントさえあればお父さんと繋がっていられる”とか何とか繰り返すもんだから合点がいった。それくらいお安い御用なんだろうな。仲間を錯乱や自殺に追いこむ力があるんだから。
まだその話を引っ張る気?
たとえ結末は変わらなかったとしてもおれは許してないぞ。あいつらは自分なりの死に方を自分なりの形で選べたはずだったんだ。
……話はそれだけ?
いや――。今のはついでだ。
じゃあ何。まどろっこしいわね。
…………。
フレイドが黙っているのでトフィーは苦痛に顔を歪めながら立ち上がりそろりそろりと店の外まで歩いていった。カーテン代わりのベッドカバーを手でよけて少年と対面した。
トフィーは彼の痩せこけた顔と彼が運んできた道具類とを交互に見やった。二度、三度、そして四度と。防水シートにバケツがいくつか。さらに大小のノコギリが数本と料理包丁。金属鍋に食器類。ポリ容器に溜められた水。そして家庭用のカセットコンロと予備のガスボンベが数本あった。
トフィーの全身から力が抜けた。その場に尻餅をついた。後を追った本がバサッという音を立てて着地した。
フレイドは少女を見下ろしたまま淡々と云った。
――前に雑誌で読んだんだ。人間、本当に餓え死にしそうになると水も食べ物も受け付けなくなる。
ええ。
消化したり吸収したりする体力さえ残ってないからそのまま死んじゃうんだと。
……ええ。
だから、決断するなら早いほうがいい。
――御託はいいから
フレイドは背を屈めてその場に膝をつきトフィーと視線の高さを合わせてきた。
お前は、――おれよりもう少し長く生きる必要がある。
トフィーは顔を上げた。
…………え?
お前の父さんはまだ生きてる。おれには分かるんだ。
ちょっと待ってよ……。
最期にお前の声を聞かせてやれ。そのことにどれだけ意味がなかろうと、――少なくとも救いはある。
フレイド……。
それでおれの人生にも何か意味ができるのなら、別に構わない。
トフィーが呆然として動けないでいると彼は少女の手を取り自身の両手で包みこんだ。彼の体温はあまりに低くその皮膚はかさついていた。決して
彼はトフィーの手を放して深くながい息を吐いた。そして咳き込んだ。音は掠れていた。眉間に皺が寄るくらいに強く目を閉じていた。
少年は云った。……任せちまってすまない。引き受けてくれ。
トフィーは頷きもせず首を振ることもしなかった。
彼は続けた。
そのペンダントの力なら多分それほど苦しむことなく往けるはずだ。ひと思いにやってくれ。
トフィーは黙っていた。フレイドに手を引っ張られて立ち上がった。二人は向かい合った。
長い時間が経ってからトフィーは首を縦に振った。
……――わかった。
頼んだぜ。
フレイドもうなずいた。
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