#40 タリスマン (14)

 モーレイ氏は打ち出し細工の銀製の煙草ケースを右手でもてあそんでいた。アリサにも私にも目を合わせることなくその視線は煙草ケースと珈琲の入ったカップとを行き来していた。アリサが事の経緯を話し終えて数分が経過しても彼は唇をまったく動かさなかった。濃密な沈黙が応接室を満たしていた。太古の森が湛える静謐せいひつさにある種の威厳が感じられるのと同じようにリド・ヴァレーで余生を過ごすこの男もまた沈黙の使い方を好く心得ているようだった。

 彼は飲み干した珈琲のカップをリシュカに下げさせると煙草ケースをテーブルにそっと置いた。それから鼻で息をたっぷり吸いこみながら椅子の背もたれに身体を預けた。視線を上げて私達と目を合わせながら口を開いた。唇を開けてから実際に話し始めるまでにたっぷりと間を空けるのも忘れずに。


 ……怪我はどうかね。彼は云った。君の話だと肉をいくらか抉り取られたそうだが。

 アリサは左手で右肩に触れた。鈍痛をこらえているのが横顔からもはっきり読み取れた。

 彼女は云う。まだ痺れがありますが何とか動きます。いずれは回復するでしょう。

 そう信じたいものだ。

 ええ。

 私にできることなら何でもしてやりたいところだが名誉の負傷とは云い難い結末を辿った以上そうもいかん。仕事を果たせなかったのは事実なのだからな。残念だが報酬はもちろん治療費を出してやることもできない。これもけじめだ。

 はい……。アリサはうつむいた。眉間に皺が寄っていた。――同胞喰らいのことは話には聞いていましたが実際に会ったのはあれが初めてです。文字通り手も足も出ませんでした。五体満足なのが不思議でなりません。

 サロッサ人の恰好をしていたそうだな。

 服装もそうですが瞳や肌の色も南の出自特有のものでした。

 それじゃあ君の父上のこともその男は知ってる可能性があるわけか。

 …………そこまでは。

 まあいい。もう過ぎたことだ。


 モーレイ氏は再び息を大きく吸いこんで吐いた。その吐息には失望も疲弊の色合いもなかった。無色透明の生命活動だ。あるいはさまざまな感情を込めすぎて却って色彩を欠いているように聴こえただけかもしれない。


 モーレイ氏は語った。同胞喰らいのことは組合にもう一度掛け合っておこう。あるいは重い腰を上げるかもしれん。これ以上ああした連中をのさばらせていたら君達スカベンジャーの生きていく居場所がなくなる。それは私にとっても困った事態だ。

 組合は動きませんよ。金になりません。評判ならこれ以上落ちることもないでしょうし。

 物は試しだ。老体にできるのはそれくらいしかないからな。

 ……ありがとうございます。


 モーレイ氏は頷いてから再び煙草ケースに視線を落とした。本題は終わったことを示す合図だ。

 ……ところで君の治療費はどこから出したのかね。まさか借金をしているんじゃあるまいね。

 アリサが複雑な笑みを浮かべながら横目で私をちらりと見た。

 ――へそくりを出したんです。

 そうか。なら好いんだが。

 私からも質問よろしいでしょうか。

 何だね。

 あの荷物ブツの中身を私は偶然ですが知っていました。それで訊くんですがなぜ私に運ばせたんですか。

 荷物の中身は関係ない。

 モーレイ氏は指を組み合わせて口元を隠しながら云った。

 運んでくれそうな人材が君しかいなかった。なんせ裏の品だからね。それで運ばせた。別に運んでくれるなら誰でも好いのだ。

 ……そうですか。

 ああ。

 モーレイは椅子を回して背中を向けた。それ以上は何も云わなかったし何も云えそうになかった。私は固まっているアリサの袖を引っ張って部屋を出た。

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