#36 タリスマン (10)

 彼は笑っていなかった。怒ってもいなかったし哀しんでもいなかった。ただ目の前にいる男達を見ていた。右手に握られた四五口径はだらんと垂らされて地面を狙っている。赤みがかったダーク・ブラウンの肌をした肢体は過不足なく引き締まっており大型で俊敏なネコ科の動物を思わせた。

 彼はソンブレロの帽子を被っていた。帽子のつばは幅広く一日のうちのほとんどの時間休みなくその役割を果たしていた。つまり彼の目元に濃くて暗い影を提供してやるという役割だ。彼に相対する男達の視線は口ひげの下で真一文字に結ばれた唇に向けられている。彼の口元の険しさときたら例えこの世界が二度目の破滅を迎えようとも決して妥協しないことを静かにそしておごそかに宣言しているようだった。


 切り株に腰かけた男。焚火に手をかざしていた男。爪の間に挟まったゴミと格闘していた女。三人の誰もが音を立てずに腰を持ち上げて各々の得物に手を伸ばした。――拳銃。マチェット。銃身を切り落としたショットガン。彼らはまばたきひとつせずにソンブレロの男を凝視した。

 切り株に座っていた男が声をかけた。唸るような低い声音だ。

 ……なんだあんた。予定の時間にはまだ早いぞ。

 赤褐色肌の男は何も答えなかった。

 女がショットガンのトリガーに指をかけながら云った。

 ――こいつ取引相手じゃないよ。来るのはいつも十六か七くらいの女の子だ。こんな護衛もいやしなかったね。


 代役、……――ってことはないよな。やっぱり。

 マチェットを持った男が問いかけた。刃はノコギリ状になっておりよく使いこまれ新品同様に念入りに研がれていた。

 その外套。あんたスカベンジャーか? 通りがかりならここには碌なもんはないぜ。

 と彼は朗らかな笑みを顔に貼りつけながら続ける。

 あんたのその恰好、南の出身か? サロッサ? それともエスポルト? ――見ての通りここは戦前の監視塔だ。俺の死んだ親父はその監視員をやってた。森林火災が起こったときに無線で当局に連絡する孤独な仕事だよ。仕事柄、家には滅多に戻ってこなかった。でも戻ってきたときにはいろんな土産話をしてくれた。立派な牡鹿おじかを見かけただの監視塔の近くの湖で遊んでる地元の女子学生達を双眼鏡で“監視”してただの色んな話をな。好かったらあんたもこっちにきて火にあたれよ。今日はよく冷えるし――。


 ソンブレロの男は無言のまま左肩に担いでいた散弾槍をスっと前に回してリアグリップを左手で握った。あまりに自然でかつ淀みない動きだった。相対する男二人と女は目が覚めたように慌てて各々の得物を構え直した。男の散弾槍は一般のものよりも小型だが好く使いこまれており各部は軍隊仕様のプラスチック製でリン酸亜鉛による防錆加工が施されていた。

 マチェットの男が呟く。……どうやら仲よくお喋りとはいかないようだな。

 ――あんた何のつもり? ショットガンの銃口をくず鉄拾いに向けながら女が云った。薄汚い屍肉喰らいが。今すぐ私達の前から消え失せな。それとも蜂の巣にされたいのかい?


 スカベンジャーは顔をわずかに持ち上げた。頬からこめかみにかけて古い裂傷があり左耳の一部が欠けていた。話すだけで古傷がうずくとでもいうように彼は顔をしかめながら唸った。

 ……世の中にはどうしようもなく愚かな連中がいる。と彼は云った。例えば相手が誰であろうと構わずタフぶろうとする手合いだ。溺れながら猫に威嚇するドブネズミみたいなもんだ。お前さん達、――長生きしたいならその銃は然るべき時までケツのポケットに大事にしまっておくこった。


 彼の声は乾いていた。ついさっきまで砂の下に埋められていたミイラのようだった。ざらついた声のトーンはどんなに優しい言葉がその口から飛び出そうとも会話の相手を安堵させることは決してないように思われた。

 男二人と女は横目で目配せをした。何の意味もない合図だった。それが屍肉喰らいには好く分かっていた。

 ……目的はなんだ?

 と拳銃を構えた男は云う。

 スカベンジャーは肩をすくめる。

 お前さん達こそなんでここにいる。

 教えたらここから出ていくか?

 考えてみよう。

 待ち人だよ。取引だ。我々解放戦線の士気を維持するためにはどうしてもそれが必要なんだ。お前はお呼びじゃないランチの席にずかずかと土足で上がり込んできたマナーの悪い客だ。――さァお引き取り願おうか。


 スカベンジャーの男は頷くことも首を横に振ることもしなかった。眩しそうに目を細めて監視塔の手すりに留まった禿鷲に視線を向けた。それから再び男二人と女を見た。歪んだ笑いが傷の目立つ顔に浮かんだ。砂嵐に旅人を引きずりこんで殺すという伝承に出てくる亡霊のような形相だった。

 ――解放戦線ね。なるほど多少は鍛えているようだ。しなやかなだけでなく肉質も悪くない。それほど飢えてはいないということかね。

 彼は云った。

 ……俺は山越えをしてきてね。ここ数日雪を溶かした水でふやかしたビスケットしか口にしていない。ひどく腹を空かせてる。虐待を受けてるペットの犬のようにね。


 女は散弾銃の先台を強く握り直した。――だったら何?

 お前さん達は本当に俺を知らないのか。懐かしい顔だろう? もう三年か四年になるかな。あん時は世話になったよ。そして今度もまた世話になりにきた。厄介なお客さんなのは重々承知しているが俺にも養うべき“家族”がいるもんでね。


 彼がそう云った途端に無数の禿鷲が森の木立から一斉に飛び出して監視塔に留まった。数え切れないほどの猛禽達はしきりにわめき立てながら翼を広げて三人を威嚇した。


 ……なんだよこりゃあ。

 マチェットの男が呻き声を上げる。それに答えを返すかのように拳銃の男が云う。

 分かった。分かったぞ。お前は――。


 それ以上は言葉にせずに彼は引き金を引いた。乾いた音と共に放たれた銃弾はしかしスカベンジャーの五十センチ右の空間を虚しく切り裂くに留まった。

 屍肉喰らいは左手の散弾槍を素早く持ちあげて腰だめに一発撃った。構えるまでの動作は瞬間的で恐ろしいまでの早さであり三人にはまったく見えなかった。その弾速もまたちゃち・・・な拳銃とは訳が違った。発射された十数発の尖頭弾は男の顎から肩にかけて命中し体内で横倒しになって組織をぐちゃぐちゃにしながら貫通した。射出口にザクロが弾けたような大穴が空き一拍遅れて血が噴き出した。男は背骨を抜かれたかのようにくにゃりと崩れ落ちた。吹き飛んだ下顎したあごから呼吸に合わせてごぼごぼと血の塊が吐き出され監視塔の基礎となっているコンクリートの色を塗り替えていく。


 女が甲高い叫び声を上げながら散弾銃をぶっ放した。だが屍肉喰らいは岩から岩へと飛び移るヒョウのように横っ飛びして銃撃をかわす。間髪入れずに右手の四五口径で女の右肩を撃ち抜いた。後は一方的だった。女が取り落とした銃を左手で掴もうとするとその手の甲を撃った。立ち上がろうと踏ん張った両膝に一発ずつ撃ちこんで骨を割った。這って逃げようとすればその足首に正確な銃弾を撃ちこんだ。彼は女の方へと一歩ずつ歩み寄りながら一発も外さずにそれらをやってのけた。


 うつ伏せになって動けなくなった女を足で転がして仰向けにするとスカベンジャーは屈みこんだ。そして彼女の末期の顔をじっくり観察してから口に四五口径の銃身を差しこんで引き金を引き息の根を止めた。

 最初に撃たれた男もすでに息をしていなかった。二つの血だまりが静かに広がっていった。屍肉喰らいは人差し指で血をすくい取ると舌で舐めて味を確かめた。そしてひとつ頷いた。


 最後に残ったマチェットの男は得物を放り捨てて後ずさりしながら両手を挙げていた。彼はなおもその朗らかな笑みを捨てていなかった。引きつっていて友好的な雰囲気を幾分か減じながらも。

 ……なぁ、なあ。ここまでにしよう。――な? 俺は元々あんたを歓迎するつもりだった。そこに転がってる二人とは違うんだ。あんたを邪険にもしなかったし銃をぶっ放したりもしていない。――そうだろ?

 ああそうだな。

 話せることはぜんぶ話すよ。それで見逃してくれ。

 ――俺のことは思い出してくれたかな?

 男は唾を飲みこんだ。彼の喉仏は首を切られた鶏みたいに盛大に跳ねた。

 ……ああ知ってる。知ってるよ。

 云ってみろ。

 四年くらい前に現れて俺達も北の連中もめちゃくちゃにしていった。あれのせいで休戦協定も捕虜交換もぜんぶご破算になっちまった。その時はあんた一人じゃなかったけどな。

 ふんふん。大体合ってる。


 そう云いながらソンブレロのスカベンジャーは左手の散弾槍を引き下げて男の右足を撃った。彼のふくろはぎは一瞬でただの肉塊と化した。絶叫に近い悲鳴を上げながら倒れ伏す男に笑いかけながらスカベンジャーは再び膝を折って屈みこんだ。あまりに紅い陽射しを背中に受けながら。


 俺の話はもう充分だ。

 顔に傷のある男は云った。

 ――次はお前さんの話をじっくり聞かせてもらおうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る