#28 タリスマン (2)

 煤埃すすぼこりの層の下から顔を覗かせたのはすみれ色の宝石だった。


 私は作業の手を止めてほとばしる光輝にじっと耳を澄ませた。溺れ死んだと思われた人が突然息を吹き返したかのようにドラマチックでまばゆい光だ。乾いた布を手にして残った汚れを拭き取っていく。大手術に臨む外科医みたいに慎重に。余計なきずを付けようものなら価値が致命的に損なわれてしまう。

 部屋には他にも洗浄を終えた小物やらガラクタやらが幾つもある。床に広げた新聞紙の上に置いて乾燥させているのだ。そのどれもが紫電のように光り輝くこの装飾品と比べたらいかにもチンケな小物だった。宮廷で踊るバレリーナと鳥小屋で喚くガチョウを比べるようなものだ。


 窓辺に立って宝石を陽光に透かし見ていると主人が戻ってきた。

 ――私の新しいご主人様だ。

 街に着いた時は豊かな金髪も幾分くたびれていたが今は水分が戻って夕陽にも負けないほど優しい色合いに染まっている。砂塵にさらされながら幾星霜と過ごしているはずなのに大したものだった。彼女はきっと何処でも高く売れるはずだ、と考えが及んだところで目をぎゅっとつむって打ち消した。


 アリサは私を見つめながら何度か足を踏み替えた。――夕飯、買ってきた。

 わざわざ出来合いのものを? 私がいくらでも作ってやるのに。

 いつもあんた、――スヴェトナにやってもらうのも悪いしさ。

 私はもうお前の従者だぞ。遠慮するな。

 従者ね。

 なんだ?

 主人は噛み煙草を間違えて飲みこんでしまったかのような顔をしていた。

 ……何でもない。

 そうか。


 スカベンジャーの少女は微笑んだ。唇の端がひきつっていた。

 作業は順調?

 ああ。見てくれ。

 これまた綺麗になったもんだなぁ。

 汚れた状態のまま納品しようとしたお前の神経を疑う。査定とやらに響くだろう。

 銃の手入れは苦にならないけどこういうのは途端に面倒になるんだ、とアリサ。たぶん拾ってしまった後の品には興味が持てないんだな。私が気になるのは品物そのものよりもそれにまつわる歴史というか縁起や由緒にあるんだと思う。

 それでいつまでも貧乏から抜け出せないんだろう。

 否定はしない。――それにしたってスヴェトナの綺麗好きはほとんど病的だと思うけど。

 ……清潔であるに越したことはない。

 私はそう云いながら自分の下腹部を腕でぎゅっと抑えつけていた。

 汚れることは、悪いことだ。

 そんなものかな。

 確信をもってイエスだ。


 アリサは肩をすくめて話を打ち切った。それから私が手に持っている装飾品を指さす。

 ――で、それは?

 ああ好かったな。掘り出しものだぞ。見てくれこの嵌めこまれた宝石の輝き。大きさも申し分ない。こっちで云うところの御守りタリスマンか? ――とにかく好い値がつくことは間違いない。こんな特上品を他と十把一絡げに組合に出そうとした私のご主人様は天下一の大馬鹿者だ。そんなんだから育ち損ねた青豆のサヤみたいにひょろひょろと痩せているんだ。

 なっ、――そこまで云うことないでしょうが。

 くず鉄拾いの少女は愛想笑いを止めて小さな癇癪を起こした。こちらに歩み寄りタリスマンをひょいと引ったくる。しげしげと観察している主人を横から見ながら私は云った。

 しばらく食うに困らんことは確かだ。

 ふぅん。

 ――その金でたまには栄養のあるものを食え。私のフルコースをお見舞いしてやる。このままじゃせっかくの綺麗な金髪がチリチリの針金になっちまうぞ。

 ……あんたは私のことを本当に主人だと思ってるのか。それとも体のいいサンドバッグとでも?

 お前の体調を気遣っているだけだ。従者として当然だろう。

 …………。


 アリサは沈黙した。タリスマンを私の手に押しつけると口を開いた。話し始める前に私の耳にも聴こえる程度には大きく息を吸いこんだのが分かった。

 その御守り、――あんたにあげる。

 は?

 信仰が違うというなら無理に押しつけないけどさ。そん時はスヴェトナが自由に処理してくれて構わないよ。

 ――私の云ったことは耳に入っていたよな?

 ああ。聞こえてたよ。大きなお世話だ。

 アリサ、お前……。

 主人は溜め息をついた。タリスマンを突き返そうとする私の手を押しとどめながら云った。

 お金を稼ぐなら他にも方法はある。タリスマンを売って得たお金も別の手段で手に入れたお金も価値は平等だ。――でもこの御守りは今ここにしかないんだ。それならスヴェトナが使ってくれた方が私にとっては価値あることなんだよ。

 私なんかにこんな高級な品が似合うわけないだろ。

 似合うよ。だってそれに嵌めこまれてる宝石、あんたの瞳の色とそっくり同じだ。


 私は菫色の散光を放つ宝石に視線を落とした。

 …………本気なのか。

 ああ。私に栄養をとってほしいってんならスヴェトナこそ少しはお洒落をした方が好い。こんな世の中だからこそ大事なことだ。スカベンジャーという職業は端的に云えばもう使われなくなった品を誰かに与えることで成り立ってる。ならこれはいちばん理想的な形。


 それ以上は何も云わさずにアリサはタリスマンに二重に紐を通して私の首にかけてみせた。空色の瞳がすぐ目の前にあった。宝石よりもよほど澄んだ瞳だった。その瞳に見つめられると私は決まって彼女の最期を想像してしまう。禿鷲達は用無しになったアリサの瞳をいの一番に狙うだろうことは容易に思い描くことができた。私がもし奴らになったとしたら同じことをする。それは確実だ。


 ……うん、やっぱり。思った通り。

 一歩離れてスカベンジャーの少女は云った。

 ――よく似合ってる。

 私は何も云わずに胸元で光り輝いている宝物をそっと握りしめた。


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