#18 出立

 その後の二日間は誰もモーテルに来なかった。アリサはそれまでの人生で散々慣れ親しんだはずの静けさの中で身の置き所が分からずにいた。ベッドに寝転んで一時間以上も部屋の天井を眺めていたこともあった。ここまで非生産的な時間を過ごしたのは久しぶりのはずだった。

 以前、とある民家で暮らしていた親子三人の家族の歴史を再生機で覗き見したことがある。ホーム・ビデオでも観賞するみたいに。居間にあったソファに身を沈めて。母と父。そして娘。――再生機の映像が移り変わる度に娘は成長した姿をアリサに見せてくれた。親子の間には人間関係の常として時おり喧嘩があり深刻な話し合いもあった。だが全体として観れば慎ましいながらも幸せな一家だった。母親が娘に料理を教えるところや父親が妻や娘を観客にしてギターを弾いてやるところをアリサは奇妙な真剣さを以て眺めていた。やがてある日、――家族三人が揃ってラジオの緊迫したニュース速報に耳を傾ける場面になった。それは開戦の知らせだった。アリサはそこで再生を止めた。


 アリサは待ち続けていた。四日目になって身支度をした。昼になっても彼女が戻ってこなかったら出発するつもりだった。太陽が天頂を過ぎて路上に二輪車を出したとき遠くから一台の車輌が走ってくるのが見えた。――邦間道路に燃えている陽炎を切り裂いて現れたのは彼女だった。それはスヴェトナだった。

 アリサはバイクを停めて彼女の方へ駆け寄った。スヴェトナは照れくさそうなバツの悪そうな複雑な表情をしていた。恰好は給仕服のままだった。彼女が乗っていたのは前時代の骨董品のような半装軌車ハーフ・トラックだった。前輪がタイヤで後輪は車輪の代わりに履帯トラックが用いられている車輌だった。暗緑色の目立ちにくい塗装が施されており天蓋のない吹きさらしの兵員室には荷物が満載されている。

 ……悪い。遅くなったな。スヴェトナは云った。旅の支度を整えるのに時間が掛かった。

 バイクじゃなくてわざわざハーフ・トラックなんて買ったのか。よく金が足りたな。

 ツェベック様の給金で買い揃えたんだ。だいたいお前達スカベンジャーがバイクに乗りたがるほうが不思議だ。トラックの方がたくさんのゴミを持ち帰ることができるだろうに。これなら牽引だって出来るしな。

 個人のスカベンジャーはそんな大がかりなもの邪魔になるんだよ……。

 まあ燃費も馬鹿にならんしな。

 その給仕服も脱いだらどうなんだ? もう必要ないんじゃ。

 アリサはスヴェトナの恰好を指さしながらそう云った。アーミー・グリーン塗装の軽装甲車輌に給仕服の組み合わせはあまりにアンバランスに見えた。

 これはケジメだ。……私はツェベック様を守ることができなかったからな。

 彼女はアリサの目を真っ直ぐ見つめながら続ける。

 ……だから今度は命の恩人であるアリサ、――お前に従うことに決めた。

 じゃあ、……返事はオッケーってことで好いのかな。

 ああ。よろしくな。

 アリサは彼女の手を持ち上げて両手で握りしめた。

 こちらこそよろしくお願いするよ。スヴェトナ。

 大げさだな。――しかしお前の手、糸巻きの芯棒みたいに細いな。私がもっと栄養あるモン作ってやるからちゃんと食べろよ。

 楽しみにしとく。


 スヴェトナは出発前にツェベック最期の地である寂れたモーテルを一望した。無言でその景色を眺め続けていた。荒野の乾いた風が目のあらくしとなって彼女の髪を洗っていた。少女は泣くことも怒ることもなく人気ひとけの絶えた廃墟を見ていた。

 ……人生って分からないもんだな。彼女は云う。いつ野垂れ死んでもおかしくない底辺からひとっ飛びに成り上がって最良のひと時を過ごした。――かと思ったらその主人が亡くなってしまった。そして今はスカベンジャーなんかのお供になろうとしている。

 私だって似たようなもんだよ。

 アリサは苦笑した。

 ……ツェベックの爺さんの最期を看取ったとき私は頼まれたような気がしたんだ。

 何をだ。

 あんたのこと。

 私?

 うん。スヴェトナをよろしく頼むって。自分はここまでだからってね。

 どうだかな。

 スヴェトナもまた目をそらして薄く笑ってみせた。

 ――あの方がそこまで気にかけて下さっていたのなら嬉しいが。


 さあ、行こう。

 アリサはバイクにまたがって始動させた。スヴェトナもトラックに乗りこむ。二人は地平線まで続く邦間道路を連れだって進み始めた。

 後にしてきたモーテルの姿をアリサはミラー越しに眺める。例の下士官風の男は云っていた。この場所はこれから道往く旅人達のちょっとした休息所になるかもしれないと。それは世界がほんの少しだけ過ごしやすくなったことと同義でありツェベックの遙かな夢と贖罪の旅路がまだ活きていることを示していた。

 スヴェトナが声を上げる。

 好い風が吹いてるな。

 ああ。アリサは応える。まったく気持ちの好い風だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る