#14 正当な報酬

 朝まで交代で見張りをしながら短い休息をとった。状況が落ち着いてどっと疲れがやってきた。肩から首にかけての筋肉が鉛に変わったかのように重かった。右耳は鼓膜を損傷していた。スヴェトナに消毒薬を塗ってもらうと痛みは多少マシになった。


 空が明るみ始めると禿鷲が集まってきて襲撃者たちの亡骸をついばみ始めた。骨をも砕く鋭いくちばしが皮膚を突き破り肉を剥ぎ取っていった。アリサは彼らのするがままに任せて廃車に腰かけて煙草を吸っていた。アリサの隣には車止めの柱に手錠で繋がれた捕虜がいた。彼はかつての仲間たちが風葬されていく光景を呆然と見つめていた。


 様子を見に来たスヴェトナが口を手で覆いながら云う。

 ……これはあまりに酷だ。追い払えないのか。

 あいつらのおかげで命拾いした。正当な報酬だよ。

 掃除の手間が増えたな……。

 心配ない。本当に骨だけにするから。掃除屋と呼ばれているだけはあるよ。

 従者の少女は首を振って立ち去った。


 禿鷲が嘴を入れるとその動きに合わせて遺体の頭がぐらぐらと動いた。まるで眠っているところを起こそうと揺さぶられているかのようだった。灼熱の太陽にさらされてすでに死骸は腐敗を始めていた。餌を嗅ぎつけた羽虫も集まり始めている。

 捕虜の男が呻き声を上げて項垂うなだれた。彼の髪や肌は赤褐色に染まっていたがそれは日焼けのためでも元からそのような色をしていたわけでもないようだった。アリサは以前にもそうした人間に出逢ったことがあった。


 彼はうつむいたまま云った。

 ……スカベンジャーは悪魔だな。噂通りだよ。

 逆に訊くけどさ。アリサは云い返す。あんた達みたいなゴロツキがこのご時世にちゃんと葬ってもらえると思ってんのか。司祭様をお呼びして鎮魂の聖句をご所望と?

 私たちは無法者ではない。あんな人喰らいどもと一緒にしないでほしい。

 ――じゃあなんでツェベックの爺さんを襲おうとしたのさ?

 襲おうとしたのではない。交渉しようとしたのだ。

 交渉? あんな馬鹿でかい機関銃まで持ち出して?

 ツェベックは私兵を持っている。対等な交渉に武力は必要だ。

 何が目的だったんだ?


 男は顔を上げた。……私たちは戦前まであの爺さんに雇われていたのさ。魔石の鉱山で採掘作業をやらされていた。あそこがどれくらい危険な現場かくず鉄拾いなら知っているだろう?

 まあ話だけなら。

 これでも真面目に働いていたんだ。私の父親も同じ鉱山で働いていたんだが作業中の事故で死んでしまった。術式が施される前の魔鉱石はほんのちょっとの刺激でも加われば力を解放する。それを骨董品みたいなオンボロの機械で掘るんだよ。爆発に巻きこまれた父は小指の骨さえ見つからなかった。

 その鉱山の経営者がツェベックの爺さんだったと?

 ああ。あのブルジョワはそれで戦前に巨万の富を築いたんだ。私たちが毎日のように死傷者を出しながら作業をしている傍らでな。

 気の毒ではあるけどその分の手当は貰えていたんだろ。

 男は黙って首を振った。――給与の支払はしょっちゅう遅れていた。死んだ作業員の遺族には何の補償もなかった。奴は戦争で利益を上げるだけ上げた後に会社を畳んで私たちを前線送りにするとそのままどこかに姿をくらませたんだ。その後の破滅の時代を私たちは必死に生き抜いてきた。――そして最近になって奴が再び姿を現したと風の噂で知った。


 アリサはいつの間にか廃車から立ち上がっていた。心臓が早鐘を打っていた。

 ……それで、ここまで来たってことなのか。

 ああ。――私たちは奴に復讐するつもりなんてなかった。今さらどうでも好いことだ。ただ支払われていない“正当な報酬”を貰おうと思ってここまで追ってきたんだ。

 男はアリサを見上げた。彼は片目の光を失っていた。

 ……それをお嬢ちゃんはまとめて殺してしまったんだ。

 アリサは立ち尽くしていた。呟きが漏れた。……嘘をつくな。

 嘘じゃない。見てほしいものがある。胸のポケットを探ってくれないか。


 アリサは云われた通りにした。彼のポケットから見つかったのは油紙に包まれたプラスチックの板だった。鉱山労働者を証明する登録カード。それは数十年の星霜を経て変色しながらも彼のとうに終わってしまった人生の残滓ざんしを留める役目を未だ捨てていなかった。

 男は云う。――これをあいつに突きつけてやるつもりだったのさ。


 全身の力が抜けてアリサは廃車に座りこんだ。言葉を探したが何も見つからなかった。禿鷲たちは食事を続けていた。元・鉱山労働者の男は力なく呟いた。まさかあいつらがこんな所でくたばるなんてなァ……。

 アリサの唇からか細い声が漏れた。…………知らなかったんだ。

 彼は首を振った。

 謝る必要はない。今の時代じゃどんな言葉も空しいものだ。

 続いて男は禿鷲たちを見つめながら語った。――あの鳥どもにしてみれば目の前の死骸が生前に悪党だろうと労働者だろうと関係ないんだろうな。ただの肉が詰まった袋だ。戦争とそれに続く破滅の時代でも似たようなことが起こった。ほとんど総ての人間が身分も肩書きも喪ってただの動物に戻った。私たちだって戦場でもその後の生活でも生きていくために殺さざるを得ないことが沢山あった。――本当に怖いのはそこなんだよお嬢ちゃん。戦乱も飢餓も疫病も悲惨といえば悲惨だった。――だがそれ以上に破滅的だったのは人間がそれまで人間たらしめていたものをことごとく放り捨ててしまったことなんだ。人間が人間であることを辞めていったんだよ。


   ◇


 禿鷲が食事を終えて飛び去るのを見計らってスヴェトナが掃除を始めた。アリサも手伝おうとすると彼女は首を振って断ってきた。

 お前はまだ耳の怪我が治ってないだろう。

 作業する分には支障はないよ。

 これくらいはさせてくれ。お前は身を挺して私たちを助けてくれた。

 ……分かった。


 アリサは立ち去ることなくスヴェトナの作業を見つめ続けていた。彼女は骨と皮になった遺体をてきぱきと一輪車に積みこみ道路に散乱した車の破片を拾い集めた。だが焼死体だけはさすがの彼女も持て余したらしく結局アリサも手伝うことになった。

 ありがとう。スヴェトナは汗を拭って云う。お前も要領が好くなってきたな。

 うん。

 スヴェトナが微笑みを引っこめる。

 ……どうしたアリサ? 具合が悪いのか?

 アリサは顔をそらした。……スヴェトナは、ツェベックの爺さんが戦前に何をやってた人なのか知ってるのか。

 ああ。“大”の付く企業家でかつ爵位を持っておられた。破滅の時代が訪れるまでは戦争政策にも大いに関与していらっしゃったらしい。

 戦争政策?

 あ、しまった。スヴェトナは口に手を当てて気まずそうに目をそらす。まァ、――お前になら話しておいても好いか。……ツェベック様は魔鉱石の採掘会社も経営していらっしゃったのだ。戦争遂行には必須の事業だから勢い軍の関係者とも繋がりが出てくる。政治家への献金もそれはもう莫大だったから政府と軍部の管轄である戦時経済にも深く関与できたわけだな。

 なんでスヴェトナはそんなことまで知ってるんだ?

 昨夜のことを思い出してほしいんだがあの方はお酒が入ると昔のことを遠慮なく口に出してしまう危ない傾向がある。私のような従者相手でも例外じゃない。そこがあの方の魅力でもあるんだが……。

 そうなのか。


 スヴェトナは視線を戻してアリサの顔をじっと見つめた。

 本当にどうしたんだ。休みたいなら部屋に戻れよ。後は私一人でも大丈夫だ。

 アリサはしばらく迷っていたが意を決して捕虜の素性を明かすことにした。スヴェトナは掃除の片手間に聞いていたが話が終わるころには手が止まっていた。

 ……なるほど。従者の少女は呟く。あいつ、私の前では黙秘を貫いていたのにお前には打ち明けるんだな。

 あんたに話すと歪んだ形でツェベックの爺さんに伝わると思ったのかも。

 元・鉱山労働者だったとは。肌や髪の色が赤黒く染まっているのもそのせいか。

 アリサはうなずく。魔鉱石の瘴気に長くあてられるとああなる。

 ――それでお前は悩んでいたのか。あいつらが根っからの悪党ではなかったから?

 “根っからの悪党”なんて元々そういるもんじゃない。……だけど少なくとも話し合いの余地はあったはずなんだ。私はそんなことも分からずに殺られる前に殺るしかないと決めつけて考えてた。――いつもみたいにね。


 スヴェトナは黙っていた。血や汚物で汚れた耐油手袋を外すとアリサの肩に手を置いて真っ直ぐに見つめてきた。空色の瞳と藤色の瞳が正面から向かい合う。互いの瞳に相手の顔が映りこむ距離だった。スヴェトナは数秒のあいだ目を伏せた。そして再びアリサを見つめ返して云った。

 ……あのとき私が先に出向いていたら間違いなく殺されていた。ツェベック様を差し出すくらいならいさぎよく死を選ぶだろうから。私がお前の立場でもためらいなく引き金を引いていただろう。あるいは自分には関係ないと云い張って逃げ出していたかもしれない。だから奴の素性なんて関係ない。私にとって大事なのはアリサ、――お前が命の恩人だってことだ。


 アリサは首をほんのわずかに上下させた。同じように手袋を外すとスヴェトナの手をつかんでそっと肩から下ろさせた。そして彼女の手のひらに自分の手のひらを重ねた。触れるような握手だった。

 ……気持ちはとてもありがたいよ。

 従者の少女は無言で頷く。

 スヴェトナ、――あんたは優しい奴だ。

 甘すぎるとも云えるだろうな。

 いや……。アリサは首を振った。今はその優しさがありがたい。

 助けが必要なときは云ってくれよ。ちょっとした相談でもいいからさ。

 スヴェトナの手のひらはアリサと同じく荒れていた。決して綺麗とは云えない肌だった。父母を亡くしてからというもの十年近くにも渡る歳月の労苦の跡がその手には刻まれていた。アリサは彼女の手のひらをいたわるように優しく撫でた。スヴェトナがためらいつつも手を握りこんでくるとアリサはもう片方の手も添えて力を込めて握り返した。

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