#09 出郷

 邦間道路に面したそのモーテルは三棟建てだった。駐車用スペースを囲うような形で建ち並んでおり錆びついた廃車が墓石か何かのように点々と鎮座している。駐車場にはドラム缶。そして椅子代わりのブロックが置かれておりかつて誰かが焚火に使っていたらしかった。アリサはドラム缶を覗きこんだ。人間の大腿骨らしきものが何本か放りこまれていた。

 乾いた風の吹き渡る好く晴れた午後だった。空は荒野の色を写し取ったかのような黄土色。すでに夕刻が近かった。アリサは二輪車を邦間道路から見えない位置に隠すと散弾槍の安全装置が掛かっていることを確かめた。そしてモーテルの部屋から布や家具の一部、古新聞を失敬してドラム缶に放りこみ魔鉱石で発火させた。


 焚火で温めた缶詰の中身は小魚をシシケラの実から絞った油に漬けこんだものだった。それを食べながらアリサは何度かうなずきを挟んだ。うん、うん、と独り言が漏れた。食べ終えて二つ目の缶詰を開けるべきか思案していると道路のほうから一台のトラックが入ってきた。砂塵や風雨にさらされて塗装がはがれたその車両は撤退を続ける敗残兵のように汚れていた。防護のためか前面と側面に錆びついた金網が貼りつけてある。アリサは散弾槍を構えたまま黙って闖入者ちんにゅうしゃを見つめていた。


 運転していた男も車に負けず劣らず汚れていた。アリサの記憶違いでなければ彼が着ているのは戦前の軍の作業服であるはずだった。彼は両手を上げてゆっくりと運転席から降りてきた。

 ――銃を下ろしてくれ。男が口を開いた。敵意はないんだ。信じてくれ。

 アリサは微動だにしなかった。

 あんたスカベンジャーだろ?

 …………。

 彼は名乗ってからトラックの助手席を振り返った。妻らしき女性と女の子が乗っていて二人は夕陽を反射する散弾槍の銃口をまぶしげに見つめていた。女の子の恰好はダンボールにしまい込まれた古い人形のようだった。


 アリサは口を開いた。……そのままゆっくり荷台に回ってくれないかな。

 載ってるのは家財道具だけだ。

 いいから歩いてくれ。

 男の云う通り荷台に変わったものはない。服を検めたが彼は拳銃一丁すら持っていなかった。

 アリサは散弾槍を下ろして云った。このご時世に武器のひとつもないのか。

 持ち出す暇がなかったものでね。

 変な話だな。何が目的?

 安全だよ。今の私たちにそれ以上必要なものがあるかい?

 今となっちゃ贅沢品だよね。安全も。自由も。

 同感だ。

 あんた達と焚火にあたって夜を過ごすとして私に何の得がある?

 食料を分けよう。あまり余裕はないが。

 煙草はある?

 え。お嬢ちゃんが吸うのかい?

 私しかいないだろ。

 ……分かった。交渉成立だ。


   ◇


 陽が落ちて夜になった。アリサとその親子はドラム缶を囲んで食事をとった。父親はブランカ酒を飲んで少しずつ陽気になり戦前の歌をいくつか教えてくれた。思っていたよりも歌うのが達者だった。妻が手拍子をして娘も笑顔を見せるようになる。アリサは干し肉を噛みながらそんな家族の様子を黙って見ていた。


 ――ああ。楽器が欲しいところだね。昔はよくギターを弾いたものだよ。

 父親の言葉にアリサはうなずく。私には歌詞の内容がうまく呑みこめない。ラジオだって聴き流してるだけだし。でも昔のひとが音楽を愛した理由は何となく分かるつもりだよ。

 きっと想像もつかないだろう。毎週のように新しい音楽が生まれた。おいあの曲はもう聴いたか、ってのが私たちの合言葉だった。

 悩みらしい悩みといえばその日に着ていく服をどうするかって時代だったんだろ。

 父親は笑った。歯が何本か欠けている。

 ――だがこいつと結婚したのは戦後になってからだ。この子を授かったのもまた戦争の後の話だ。戦争の前だろうと後だろうと私たちの営みに変わりはない。悩みも幸せも本質的には一緒さ。

 そうかな。

 そうだよ。


 男の妻がカップを膝の上に置いて話しかけてきた。

 ……ねえ。あなたはどうしてくず鉄拾いを?

 アリサは彼女を見返した。答えなきゃ駄目かな。

 ごめんなさいね。でもスカベンジャーって危険なことだらけじゃない。まだ子供なのにそんな大きい銃を携えて……。

 ……私の父さんがそうだったから。

 え?

 父さんはスカベンジャーだった。それで私もそうなった。それだけの話だよ。

 他に選択肢はなかったの?

 アリサは目を細めて云った。誰からも尊敬される憧れの職業なんかじゃない。それは確かだよ。否定はしない。でも後悔もしていない。あんたが今手に持っているカップだって元は戦前の品であり私たちがせっせと拾い集めてきたものだ。私の仕事についていろいろ噂があるのは知ってるし残念ながらそのいくつかは事実だ。――でも旦那さんがさっき云った通り戦前でも戦後でも人びとの営みに本質的な違いはない。需要がある限りは供給を満たしてやる必要がある。そのために私たちがいるんだってことは知っておいてほしいな。

 妻は目を伏せてうなずいた。ええ。……そうね。ごめんなさい。


 父親が戦前の話に花を咲かせているあいだ女の子はアリサをじっと見つめていた。アリサはぎこちなく微笑みかけてみせた。やがて娘はアリサの服のすそを引っ張るようになり最後には膝のうえに座るまでになっていた。夫婦は微笑んだ。

 おやおや……。父親が云う。すっかりお嬢ちゃんのことを気に入ったようだな。

 アリサは女の子の身体を支えながら答える。姉みたいに思われてるのかな、私。

 同年代の友達も年長の子供もいなかったからなぁ。

 妻がうなずく。ほんとうは学校に行かせてあげたかったのだけどね……。

 友達くらい作ればいいさ。父親が答える。――新しい場所で。新しい仕事を見つけてな。


   ◇


 家族とアリサはモーテルの別々の部屋で寝ることにした。アリサはおすすめの部屋を案内してやった。父親がどうしてその部屋が好いのかと理由を訊ねてきた。死体がないからだよ、とアリサは答えた。


 埃っぽくはあったが久々にちゃんとしたベッドで横になることができた。そのせいかいろいろなことが頭に浮かんできた。アリサは寝転びながら考えを巡らせた。自身の父親が話してくれた戦前の話を。だが記憶を遡っても在りし日の文明的な生活のことは親子の話題の俎板にあまり乗らなかったことに気がついた。あるいは父は話したくなかったのかもしれない。理由は分からない。

 アリサは何度も寝返りを打った。静かすぎる夜だった。


 明け方近くになってトラックのエンジンが掛かる音がした。魔鉱駆動の甲高い音はモーテルの一室にもはっきりと響いた。アリサは窓辺に近寄ってブラインド越しに外を見た。トラックは邦間道路に出ると速力を上げて遠ざかっていった。みるみるうちに小さくなる。

 念のため外に出て隠しておいた二輪車を点検し何も盗まれていないことを確かめた。アリサはトラックが走り去っていった方角をしばらくのあいだ見つめていた。それから部屋に戻った。


   ◇


 数時間して別の一団がモーテルにやってきた。三台のトラックに十数人の兵士が分乗している。あの親子が乗っていたものと同型だが手入れは行き届いていた。口ひげを蓄えた壮年の男が助手席から降りて落ち着いた声で話しかけてきた。

 屍肉しにく漁りか。

 ああ。

 単刀直入に訊く。昨日の夕刻から夜にかけて男が来なかったか。妻子を連れていたはずだ。

 アリサはトラックの荷台からこちらを見ている兵士たちの顔を順繰りに眺めた。それから云った。……ああ来たよ。

 出発は。

 今朝方けさがた早くに出てった。

 向こうの方角だな。

 ああ。

 感謝する。

 男は手を差し出していくらかの金を渡してきた。アリサは受け取った。それから何気なしに訊ねた。

 ……あいつ何をしでかしたの?

 裏切り者だ。端的に云うとだが。

 それを追いかけるためにわざわざ三台に分乗して?

 余計な詮索は無用だ。寿命を縮めたいのか。

 分かったよ。


   ◇


 彼らが去ったあとアリサはドラム缶のそばまで歩いていき昨夜と同じ場所に座った。そして再生機を取り出して映像を出力した。女の子が昨夜と同じようにアリサの膝の上に腰かけた。体重も体温もないままに。アリサはしばらくそのままでいたがやがて首を振って映像を消した。そして男から貰った煙草を取り出して時間をかけて吸った。電柱に留まっている禿鷲が翼を羽ばたかせて乾いた音を立てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る