#06 追跡劇

 明け方に追跡が始まった。昨日に比べて銃声はまばらになっていた。三人は瓦礫の間を注意深く進み続けた。弟を殺した男にも銃弾は確かに命中しており教会付近に乾いた血痕が点々と残っていた。それさえ見つかれば充分だった。再生機は彼が逃げていった方角を指し示し負傷した肩の傷の具合を的確に伝え漏らされた悪罵や独り言をひと言も余さずに記録していた。

 瓦礫の山と化した赤レンガ造りの庁舎を乗り越えていくと戦闘の跡が見つかった。アリサは散弾槍を構えながら瓦礫を駆け下った。群がっていた禿鷲たちがこちらをじっと睨んだのち順番に飛び立ってゆく。死体のひとつは昨日出発した別のスカベンジャーであり遺品はすでに持ち去られている。柱にもたれかかったのち力尽きて倒れたらしく引きずられたような血痕が残っていた。下顎から首元、胸にかけて禿鷲に喰われており顎と首の骨格だけが不気味なほどきれいな桃色をした肉片と共に露出していた。


 兄が死体の傍に腰を落とし切断された腕や脚の断面を見つめる。そして立ち上がって云う。……この領邦でも人喰いか。

 食糧が足りないのはどこでも同じだろ。アリサが答える。ましてやこんな瓦礫ばかりの街じゃね。

 連中を地獄に送ってやる理由がまたひとつ増えた。それだけ分かれば俺には充分だ。

 少女は肩をすくめた。

 老人が瓦礫のてっぺんに留まっている禿鷲に眼を配る。

 今日は略奪者の連中も大人しいな。銃声もほとんどせんし割に合わんと引いたかな。

 俺たちの仕事にちょっかい出すからだ。

 そういう私らもスズメバチの巣を引っかき回したようなもんだろ。お互い様だな。


   ◇


 しばらく歩いてかつて街を流れていた川に架けられた橋に差し掛かると兄はふたたび再生機を用いた。男は下水に逃げこんでいた。さらに時をさかのぼると何十人もの男たちが行き来しておりそこが彼らの隠れ家のひとつであることは見て取れた。三人は顔を見合わせた。

 兄が云った。……なあ。付いてきてくれるのはありがたいけど無理に付き合う必要はないぜ。

 私が教会に行ったのがそもそもの原因だしケジメはつけないとね。

 そんなこと気にする奴には見えないが。

 失礼だな。これでも義理堅いんだ。

 義理。スカベンジャーが義理ね。兄が老人に向き直る。――あんたは?

 まあ乗りかかった舟だしな。同胞の復讐を手伝う。神に告白する善行としては悪くない。

 あんたと話してると頭が混乱してくる。


 橋の横に設けられた階段を下りて切断された金網を潜り血痕を辿っていく。黴の臭いのほかは悪臭もなかったが戦時中に亡くなったまま放置され鼠に喰いつくされた遺体が壁に空けられた穴に投げ捨てられていた。下水に逃げこんで最後まで抵抗した兵士か。あるいは末期の逃げ場所を求めてさまよい込んだ市民か。


 兄がつぶやく。爺さんも似たような経験があるのか。都市ひとつを丸ごと浄化するなんて離れ業。付き合わされた方にとっては地獄だな。

 まあゲリラには悩まされたよ。かくまう者も同罪だなんて触れ書きが出されても効果は薄かった。下水だってそれこそ虱潰しに探した。文字通りね。今でも覚えているのは酒蔵の地下に隠れていた連中だな。自爆しかねない覚悟で応戦してきて手が付けられなかった。降伏を呼びかけるのは禁止だったし皆殺しにされるのはあちらさんも承知していた。おまけに私のいた連隊には魔鉱石なんて洒落た道具も配備されてなかったしな。

 それでどうしたんだ。

 仕様がないから入口を爆破して閉じこめたあと削岩機で地下室の天井に穴を空けて燃料を流しこんだ。それで火をつけたんだ。穴を伝って地獄から遣わされた使者のような絶叫が聴こえてきた。どうも忘れられんねあれは。

 そんなことが積み重なってあんたはおかしくなっちまったわけだ。

 あれはそれまで私が伝え聞いていたどんな戦争とも違っていた。いやそもそも戦争という戦争のすべてがあんなものなのかもしれん。ただ残虐さが増していくだけでいつの時代も本質は変わりないとね。――とにかく最後に起こったそれの残虐さは我々人類とこの星が持ちうる限界を超えていたわけだ。私は完全に狂ってしまう前に軍を離れた。今でも英断だったと思うよ。


 アリサが立ち止まり手を挙げた。横手に作業員が出入りする通路があり痕跡はそちらに続いていた。さらに歩いていくと制御室にたどり着いた。セキュリティ・ゲートが行く手を塞いでいて再生機の映像からは複数の男が待ち伏せていることが窺われた。

 少女が小声で二人に合図すると彼らはうなずいた。ゲートの左右に貼りつき呼吸をそろえて鉄製の扉を開け放した。略奪者たちも知恵を付けたのかすぐには発砲してこない。だがそれも老人が散弾槍の銃口を覗かせて徹甲弾を撃ちこむまでだった。弾丸は制御室に置かれていた計器類を貫通して破片をまき散らし背後に隠れていた男の顔に直撃した。苦悶と怒号、そして巻き起こった銃声のために狭い制御室は大騒ぎになった。アリサは相手の叫び声から位置を再度確かめると油紙に包んでいた魔鉱石を取り出して部屋に投げこんだ。術式を口にすると同時に爆音が鳴り響き銃声はそれが起こったときと同様に唐突に鳴りやんだ。その隙を逃さずに兄が部屋に突入し散弾をまき散らしながら空間の隅々まで薙ぎ払った。アリサと老人もあとに続く。狩猟にも使われる大口径の散弾の嵐が治まるとあとには壁や天井、計器類にべちゃりと貼りついた遺骸の欠片ばかりが残されていた。すさまじい血の臭いだった。

 ……大人しくそこでくたばってろ。

 散弾槍の排莢をおこないチョークの絞りを替えながら兄が吐き捨てた。


 廃教会の少女の父親は制御室のさらに奥、ポンプ室に横たわっていた。ほかにも昨日の戦闘で負傷した男たちが何人もぼろぼろのマットレスに横たわっていた。彼らはひと言も発することなくこちらを見つめている。

 兄が弟の仇に散弾槍を向けた。――やっと見つけたぞくそ野郎。

 待って。

 アリサは青年の肩に手を置いて前に進み出た。父親のそばに腰をおろし彼が娘と並んで映っている写真を見せた。彼は写真を一瞥するなりはっと顔を上げた。か細い声が漏れた。

 ……お前は。

 頼まれてきた。あんたの娘さんに。

 生きていたのか。生きてくれていて、そして俺を。

 ああ。遺骨だけでも拾ってやりたいと必死に頼んできたよ。

 彼は負傷した肩を押さえながら膝立ちになり祈るように写真を両手で受け取った。

 好かった。本当に。

 あんたはどうしてこの街に残ってたんだ。

 生きるためだ。それ以外に何がある。他にどうすれば好かったのか分からなかった。

 ――死ねば好かったんだよ。兄が一歩踏み出した。なあどういうことだよ。お前ずっと黙ってたのか。云っておくがこいつを生かして連れて帰るってんなら俺はお前だろうと吹っ飛ばすからな。だいいち組合からは何も人探しの依頼は回ってきてねえぞ。直接契約は規約違反だろうが。


 アリサは立ち上がった。青年の視線から顔をそらして呟くように云った。

 ……分かってる。

 分かってるかどうかじゃねえ。どっちの味方なんだ。俺の弟を殺した奴を助けるってのか。

 アリサは深呼吸した。

 私は、……わたしはスカベンジャーだよ。それは変わらない。

 兄が先台を引いた。決まりだな。


 父親がにじり寄ってアリサの服にすがりつく。ほかの負傷者たちも起き上がりざわつき始めた。

 悪かった。すまなかった。助けてくれ。娘に会いたいんだ。頼むよ。

 アリサが振り払えないでいると老スカベンジャーが前に出て彼の腕を取りマットレスまで引きずった。そして腰から補助用の拳銃を取り出し撃鉄をおろした。父親は叫ぶように命乞いを続けた。兄は顔をゆがめ引き金に指をかけた。

 ――俺はお前の事情なんてどうでも好いんだ。お前が俺たちの事情も何も知らずにいきなり弟を撃ち殺しやがったようにな。起きちまったことは天地がひっくり返っても元に戻らんしこの街の有様と同じくあいつはもう還ってこない。だからもう何も喋るな。黙って殺されろ。


 負傷者のひとりが枕元の拳銃に手を伸ばした。兄がそちらに気づいて撃った。破裂音と共に放たれた散弾はフル・チョークで絞られており銃に伸ばされた腕を正確に引きちぎった。それが合図になった。再び騒ぎが持ち上がったが長くはかからなかった。アリサが身を伏せて頭をかばっている間に事は片づいた。顔を上げるとスカベンジャー以外に身動きする者はひとりもおらず廃教会の少女の父親もほかの略奪者たちも肉塊に姿を変え街の廃墟と同じような風化していくだけの存在になり果てていた。アリサは身動きせずに父親の残骸を見つめた。老人がアリサの肩を叩き兄が散弾槍を背負った。

 ……行こうぜ。こんな奴らの物を漁っても気分が悪くなるだけだ。

 少女はようやく立ち上がると転がっていた父親の頭部と彼が身につけていたロザリオを拾い上げた。そして殺戮の跡を一度だけ振り返ってから血と火薬の臭いが充満する空間から逃げ出した。

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