#03 廃墟都市へ
トロッコは暗い地下鉄の軌道上を不気味なうなり声を上げながら進んでいった。黄ばんだヘッドライトが前方を照らしていたがその光はあまりに弱々しかった。仮にレールが外れていたとしたら脱線する前に停車させることは不可能であり乗りこんでいるもの全員が外に放り出されるのは間違いなかった。しかしくず鉄拾いたちは気にも留めずにブランカの蒸留酒を回し飲みしたり煙草を吸いながら思い想いに過ごしていた。四輌編成で二十人以上は乗っていたはずだが誰もが言葉少なで互いに眼を合わせることはなかった。ほとんどは散弾槍を脇に抱えていた。銃剣を取りつけた小銃のように長い得物が立ち並ぶさまは屋根のない貨車に乗せられて戦場に向かう兵士の一団のような趣があった。
アリサはいちばん後ろの車輌に乗っていた。昨日別れたばかりの年老いたスカベンジャーがいっしょだった。彼は乗りこむとき初めて少女の姿に気づいたらしく唇の端を曲げて微笑んでみせた。チタン製のスキットルに入れたブランカ酒をなめてからこちらに勧めてきたが少女は首を振って断った。
彼は小声で云った。来るとは思わなかったよ。
あんたの話を聞いて考えが変わったんだ。少女は嘘をついた。先立つものは必要だから。
老スカベンジャーはうなずいた。
お前さんの親父さんは亡くなったと云っていたね。集落に入るとき。
ああ。
老人はアリサの父親の名前を口にした。
許可証を横から見させてもらったよ。失礼を承知で云うんだがね。本当に彼がお前さんの父親なのか。
少女は彼を横目で睨んだ。だったら何だよ。
あの人に娘がいたとはなぁ、と思ってな。
父さんを知ってるの?
――あの人の娘?
それまで横で話を聞いていた若いスカベンジャーが顔を上げてフードの奥から視線を向けてきた。差しかかる影の奥から覗いた金色の瞳は猛禽を思わせる鋭さを秘めていた。
アリサは片眉を上げた。
なに。いきなり。
驚いただけさ。以前いっしょに仕事したことがある。俺の記憶違いじゃなければね。
父さんと?
俺がまだ駆け出しのころずいぶん世話になったからな。その若いスカベンジャーは隣に座っている少年に目を向けてから答えた。――俺たち兄弟はあの人から生きる術をたくさん学んだ。そん時はお前を連れてなかったがな。
父さんと旅を始めたのは母さんが亡くなってからのことだったから……。
へえそうだったのか。あの人がいなかったら今ごろ俺たちも何をしていたことか。
弟らしき少年が微かにうなずくのが見えた。兄と同じくフードを被っていて前髪が眉を覆い目元を隠していた。枯れ枝のように痩せているのは兄と同じだったが瞳の鋭さは比べるまでもなかった。濁っていて焦点がつかみにくい。
アリサは弟から兄に視線を戻した。
父さんのこと、――何か覚えてる?
スカベンジャーとしては致命的なほどに優しい人だったね。俺はこの人のようにはなれないと思ってた。丸眼鏡の奥の瞳がやけに澄んでいていっしょにいると居心地が悪くなったよ。
何だよその云い方。
彼は少女から視線をそらして続けた。……誰かに恩を感じることと憧れることはまったく別の感情だ。今でも覚えてるんだが流賊に襲われて集落に転がってた遺体をあの人はわざわざ解体して禿鷲どもに喰わせてたんだぜ。大地に還りやすくなるようになんて云って俺たちにも手伝わせて。放っておけば好いのに香まで焚いて供養してな。村に戻ってきた生き残りが真っ二つに折られた家族の遺骨を眼にしたとき俺たちがなんて云われたか想像つくだろ。あの時は本気で殺されるかと思ったよ。こんな生き方をしてたらいつかぜったい死んじまうってな。
あの人は。老スカベンジャーが口を挟んだ。ここらの組合じゃ変わり者で通っていたな。あまりに欲がなさすぎて何を考えているのか分からなかった。
アリサは二人を睨んだ。――父さんは自分のためだけにくず鉄拾いをしていたわけじゃない。あんたたちには理解できないかもしれないけど。でも立派なことだ。立派な人だったんだよ。
ああ。俺たちやお前とは違ってな。
私だって……。
だがそれが命取りになったんだろ。お前だって分かってるはずだ。
さっきは世話になったなんて云ってた癖に。
怒るなよ。確かに感謝はしてるさ。ただ俺には真似できないと云いたかっただけだ。お前も長生きしたいなら金以外の曖昧なものを仕事の動機に据えないほうがいい。足枷になる。
あんたは弟が大事じゃないの? 弟のために食い扶持を稼ごうという気にはならないの?
若者は少年を横目で見た。弟は膝に置いた散弾槍の空薬莢をじっと見つめているばかりで反応がなかった。兄は鼻から大きく息を吸いこんで吐き出した。
……半分はイエスだな。独り立ちできるようになったら別れるつもりだ。こいつにもそれで納得させてる。スカベンジャーは家族なんて持たないほうが好いんだ。お前の父親は、――あの人は確かに尊敬すべき人間かもしれない。だからこそくず鉄拾いになんかなるべきじゃなかったんだ。
アリサは身を乗り出した。
お前……。
どうどう。
老人が二人の間に割って入り前方にあごをしゃくった。他のトロッコに座っていた男たちがこちらを見ていた。アリサは眉間にしわを寄せてにらみ返したがそれ以上は何も云わずに元の席に戻った。
◇
目的の廃駅に到着するとスカベンジャーたちはトロッコから降りて照明が喪われ瓦礫の散乱するホームを横切り階段を昇った。地名としての役割を終えてただ都市の名残を遺すばかりとなった表示板がプラスチックの椅子に寄りかかっていた。少女は天井の染みに視線を移し階段に併設された貨物用昇降機の断ち切られたチェーンを見つめた。
くず鉄拾いたちは物静かな改札を抜けてロビーに集まった。組合直属のリーダーが思い想いの格好でくつろいでいるスカベンジャーたちに向き直って云った。
……夜明け前だな。出発前に確認したが念のため繰り返す。最低でも二人一組で行動すること。そして明日の日没までにはここに戻ってくること。遅れた奴は置いていく。それと収穫の申告に抜けがないようにな。隠し持つことは許さん。好いな。――よし、開けろ。
リーダーが視線を向けると鍵持ちのスカベンジャーが術式を口にした。地下鉄の入り口を塞いでいた瓦礫の偽装が解けて蛍のような淡い光の粒子となり消え失せた。スカベンジャーたちがひと塊となって地上に続いている階段、そしてスロープを昇っていった。担がれた散弾槍がぶつかり合う音。ブーツの底が冷たい瓦礫を叩く音。鼻をすする音。そして咳払い。
アリサと老人、兄弟のスカベンジャーは最後のグループだった。崩落した瓦礫をよじ登ってその日の有明の月がもたらす最後の光を浴びた。街に差しこみ始めた朝陽が建物の上縁をなめるように照らしていた。
上空を飛び回る禿鷲たち。それはおびただしい数だった。しかし鳴き声はなく羽ばたきだけが薄暗い街の通りを渡っていった。
気の早い連中だな。
老スカベンジャーがそう云って笑った。
少女は答えた。あいつらのせいで私たちがやってきたこれ以上ない合図になってる。街の連中全員を起こしかねないよ。
そうさね。
忌々しい。
アリサは肩から提げていた散弾槍を持ち直し再生機のスイッチを入れてからまたオフにした。老人と歩きだそうとしたところで兄がリーダーを呼び止める声が背中を打った。
おいおっさん。聞きたいことがある。
なんだ。
この街にならず者はどれくらい居るんだ。
ならず者なら今しがた大勢でどやどやと歩いていった。お前らも早く行け。ここに留まるな。
茶化すなよ。質問に答えろ。
今さらびびってんのか。
俺は好い。弟をびびらせてやってくれ。
散弾槍を両手で抱きしめるように持っている少年にリーダーは視線を移した。弟の肩の筋肉が微かに震えていた。そばかすも消えていないような少年で銃口を切り詰めているにも関わらず散弾槍が非常に大きく映った。
リーダーは散弾槍の銃床を杖のように地に下ろし腰を低めて少年と視線の高さを合わせた。
坊主、――人を殺したことは?
弟は首を振った。リーダーもそれに合わせるように首を振る。
まるでぴかぴかの新兵だな。
兄が答えた。スカベンジングには何度も連れていったんだが危険が伴う場所にはこれが初めてでね。
危険が伴わない場所があると? 今まで舞踏会かどっかで拾い物をさせていたのか。
そうやって皮肉らないと何も喋れねぇのかよ。
リーダーは顎髭に指をこすりつけた。
……この領邦を任されて四年になるがここ最近は大人しいもんだ。ヘマをせん限りは大した危険はない。所詮は破片を差しこんだ鉄パイプとジップ・ガンを振り回すしか能のない連中だ。だが油断するなよ。
兄がうなずきかけたとき遠くから銃声が聴こえた。アリサは姿勢をわずかに落とした。リーダーが立ち上がった。弟は身体をいっそう激しく震わせた。ひとしきり銃火の応酬が続いたがやがて散発的になり静かになった。しばらくしてからリーダーが呟いた。
……最初に鳴った銃声。あれは散弾槍じゃないな。
兄が後を引き継いだ。あり合わせの自作品でもない。
そのようだ。
すぐにバレるような嘘なんかつくなよ。
情勢は刻々と変化するということだ。――さぁもう行け。
あんたは?
よそ者に餌場までエスコートするほど馬鹿だと思うか。いいから行け。
青年は溜め息をついた。そして弟の肩を叩いて歩き始めた。アリサと老スカベンジャーは彼らの後を追った。少女は一度だけ振り返った。リーダーがこちらをじっと見つめていた。朝陽が目元に暗い影を落としていた。二度とその場を動かないのではないかと思うほど彼は微動だにしなかった。
◇
二人が追いつくと兄のスカベンジャーは歩きながら振り返った。
――おい。ついて来るなよ。
仕方ないだろ。方向が同じなんだから。なんなら私の後ろを歩けばいい。
どこに行くんだ。
教会。……まだ建ってればの話だけど。
兄が笑った。礼拝でもやるのか。それともうまい話があるのか。
どっちでもないよ。まあ地下にシエスコくらいはあるかもね。
ああなるほど。果実酒は高く売れるんだ。
四人は人目につく大通りを避けて路地に入った。爆撃でぶちまけられた瓦礫が道を覆っていたがスカベンジャーたちはつまずくことも疲れる様子もなく足を動かし続けた。しばらくして老人が話し始めたが息づかいの乱れはない。
私はお嬢ちゃんについていくがあんたら兄弟はどうするね。二人よりは三人。そして四人のほうが好い。それ以上は多いがね。
兄が間を空けてから答えた。……あんたはこの仕事長そうだな。
悪運が強くてね。
爺さん。好かったら弟に目利きを教えてやってくれよ。俺はどうも物を教えるのが下手なんだ。
ただ働きはせんぞ。
分かってるよ。あんたらに付いていく。再生機は俺のを使う。充填の費用も俺が持つ。
話が早いな。それで好いよ。
頼んだ。
老人が少年に視線を向けると彼はぎこちない笑みを浮かべて見返した。老スカベンジャーはうなずいた。アリサがその様子を黙って見ていると老人は振り返って片目をつむってみせた。余計なお世話、と少女は唇の動きで伝えた。
一行が路地を抜けて別の通りに入ってからも銃声は続いていた。聞き慣れた散弾槍の轟音とは別に乾いた破裂音が立て続けに鳴った。蜂が毒針で獲物を刺すような小さくとも致命的な音だった。
あの野郎、何がここ最近は大人しいだ。兄が毒づく。さっきから調子よくぶっ放してるじゃねえか。
老スカベンジャーが他人事のような調子で云う。半自動式だな。軍にいたとき使っていたよ。生産コストの引き下げのためか知らんが新調される度に安っぽくなっていった。最後には鋳鉄で作られているんじゃないかと思うほど熱に弱かったな。故障も多かったがないよりはマシだった。
なんで昔の軍用銃を連中が持ってんだ。
さあね。払い下げ品を非正規に手に入れたのか。それとも街の軍施設が生き残っていたのか。徹底的に爆撃されたはずだからそれはないと思うが。
そのとき弟のスカベンジャーが兄の肩を叩いた。
――兄さん。
なんだ。
通り過ぎたよ。
おっと。でかした。
個人経営の飲食店が看板を通りに投げ出していた。入り口は焼け焦げていて物資は期待できそうになかったが兄は入っていく。アリサと老人は顔を見合わせてから青年に続いて店内に足を踏み入れた。最初に眼についたのは焼けてひからびた遺体だった。カウンターに一体。窓際の席のそばに二体。カウンターの遺骸の頭部には銃弾の痕があった。こちらの死体の方がまだ新しい。背中を投げ出して死んでいて頭が逆さになっておりこちらを向いて大口を開けている。
この店の元オーナーが集落に住んでいてね。兄が背嚢から再生機を取り出しながら云う。情報料と引き替えに教えてもらったんだ。地下室があるらしい。運が好ければまだ何か残ってるはずだ。
兄が再生機のダイヤルをいじり術式を口にする。再生された映像から在りし日の店内の様子が映し出された。カップを傾けて談笑する恋人たち。額を突き合わせて資料を確認している企業家。湯気を立てているコーヒー・サイフォン。その向こうに店主の姿があった。奥の部屋に入って床板を外し地下室に降りるのが見えた。
青年はダイヤルを早回しにした。店主の姿はない。街はすでに戦火に包まれていた。爆圧で窓ガラスが吹き飛ばされ通りにいた避難民の身体がバットで打たれたボールのように店内へ飛びこんできた。火災がおさまったのち街を占領した相手国の兵士が数人店内を物色していたが天井の瓦礫で埋まっているために地下室の存在には気づかなかった。
さらに戦後。略奪者が店に逃れてきた生き残りの頭部を撃ち抜き服や靴を奪っていった。その後は動きもなく映像は早回しされ続けた。徐々に腐り果て干からびていく死体の他は誰もコーヒーを味わうこともなく店は無事に廃墟の仲間入りを果たした。
アリサは兄と顔を見合わせた。そして四人で時間をかけて奥の部屋の瓦礫をどかしたが地下室の扉は熱で歪んでいて開かない。少女は散弾槍の弾丸を粒状のものから大口径に入れ換えゴーグルを下ろして眼を保護した。そして他の三人を下がらせたあと扉の蝶番に銃口を当てて撃ち抜いた。
地下室に保存されていたもので使えそうなのは缶詰と瓶入りの酒がほとんどだった。開け放たれた金庫の中身は空。店主が慌てて持ち出したんだなと兄が述べた。ブランカ酒が入った樽は腐食しており注ぎ口からただよう
兄が呆れたように年配のスカベンジャーを見た。
おいおい爺さん。そんな暇はないぜ。
いま下手に外をうろついたら危険だぞ。銃声がする方向に奴らが移動するまで待ったほうが賢明だな。掘り出し物を見つけても死んだら元も子もない。
兄が唇の端を曲げて笑った。爺さんが今まで生き残ってきた理由が少しずつ分かりかけてきたよ。
欲をかかずに余裕を持たんとな。
そのせいで大した儲けも出なかったってオチだろ。
まあな。
老スカベンジャーは空っぽの金庫をかえりみながら酒瓶の蓋を開け匂いを嗅いでからひとくち飲んだ。そして木箱に腰をおろして語り始めた。……まだ軍隊に取られる前の話だが戦禍が差し迫って街に暗雲が立ちこめてくると宝石が売れ出すようになった。みんな現金を貴金属に替えて持ち運びしやすくしたんだな。この店の主人もおそらくそうだろう。だがこの領邦を襲ったのはそれまで誰も経験したことがないような災厄だった。明日を生き抜くうえで宝石なんぞ何の役にも立たなくなっちまった。まさか紙幣がただの紙切れになる日がくるなんて街に生まれ育った人間の想像の範疇を超えていた。軍の宿営までやってきて雌鳥一羽のためにたいそう高価なジュエリーを差し出したご婦人のことを今でも覚えているよ。
おじさん兵隊だったんでしょ。さっきも云ってたけど。
弟が顔を上げて訊ねた。
ああそうだよ。下っ端の下っ端だったがね。
軍隊の生活ってどんな感じだったの。お腹いっぱい食べることができるんでしょ。
まさか。酒さえ満足に飲めんよ。末期になるとパンにおが屑が混ざり始めた。たまに略奪したわけでもないのに豪勢な食事が出るんだがその時は部隊の空気が手に取るように冷えこむのが分かったよ。
どうして?
兄がつぶやくように云った。――最後の晩餐だ。
老人はうなずいた。
美味い酒と食事は大攻勢の前触れなんだ。死ぬ前に好いもの食わせて士気を上げようなんて判断だろうが実際のところは逆だったな。少なくとも私は砂のような味しかしなかったよ。結局のところ死ぬような目に遭うのと引き替えにわずかな幸せを前借りするのは今も昔も変わらんね。
老スカベンジャーはそう云ってふたたび酒をあおった。
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