第20話 資格
「なあ、加藤…。田端さんと、なんか変な約束してるのか?」
小さい声で高野さんがそう聞いてきたのは、二週間ほど過ぎてからだった。
「え?や、約束?…してませんよ。あれは向こうが勝手に…」
本当に勝手に押し付けられた約束だった。会社を辞めて九州に帰る田端さんが、自分が好きな人に告白をするからといって、俺にも気になる相手に告白をするように言ってきたのだ。
最初は『言っちゃった方が後悔しないよ?』程度の親切なアドバイスだったのが、なんとなくそんなふうになってしまった。
で、俺の気になる相手といえば、今目の前にいる高野さんなのだ。
…やっぱ、言えない。
高野さん、ちょっと心配そうな顔をしている。
「…大丈夫です。放っておいたらいいんですから、あんなの」
俺はちょっと怒り気味で答えた。最近の田端さんは、急な退職といい、この件といい、ちょっと周りを振り回しすぎだ。…少なくとも俺は振り回されているぞ。高野さんだって、連日の残業で痩せてきたじゃないか。…そう、やつれてると言ってもいい。
「…高野さんこそ大丈夫ですか?最近痩せたんじゃないですか?」
思わずそう聞くと、高野さんはきょとんとした顔になった。
「え?俺?…そうかな…痩せたか?」
「ええ、なんとなく骨ばった感じが」
そう言って高野さんの肩を触ると、やっぱり以前より痩せた感じがする。
「…なんか、細いですよ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て…ってできてます?」
「まあ、今は忙しいけど。大丈夫だよ、また落ち着いたら元に戻る」
高野さんはそう言って、ちょっと視線を落とした。
…やばい。痩せて、色気が増した気がする。
「そんなことより、なんか困ったことあったら言えよ」
「え?」
「田端さんのこととか。あの人、人当たりいいけど結構クセモノだぜ」
…知ってます。
「ありがとうございます」
俺はニッコリ笑ってそう答えた。高野さんが、俺の先輩として俺を『変な人』から守ろうとしてくれているのが嬉しい。
そのクセモノが、仕事帰りに現れた。ロッカールームで出くわしたのだ。
「お、加藤くん久しぶり」
「あれ?今日は残業は?」
「だいたい完了。俺、最後の一週間は有給使って休むから仕事は今週一杯で終わりなんだ。それで急いで引継ぎしてたんだけど、高野くん頭良いから、だいたい終わっちゃった」
「あ、そうなんですか…」
「加藤くんこそ、残らないの?」
「ええ、今日届くはずの書類が遅れて来なかったんで、また明日ってことに」
「そうか、久しぶりにゆっくりできるじゃないの。俺も今日は早く帰って休むよ…じゃあね」
田端さんはそう言ってロッカールームを出ていこうとして…急に戻ってきて後ろから俺に抱き付いた。
「わッ」
「王子様が来たよ」
「王子様?」
「高野くんのことだよ」
見ると、ロッカールームのドアが開いて、確かに高野さんが入ってきた。
「なんでそんな内緒話みたいに言うんですか」
「ん?いや、別に…ちょっと面白がってるだけ」
高野さんがやや不機嫌そうに近付いてきた。
「じゃあね、バイバイ」
田端さんが俺からサッと離れた。
「高野くんも、お疲れ様」
ニヤニヤしながら田端さんが出ていく。高野さんが不審そうな表情で田端さんを見送って、それから俺に聞いてきた。
「何の話?」
「いや、それが俺にもよく分からないんですよ。王子様が来た、とか言ってましたけど」
「…あの人、まだそんなこと言ってるの」
「高野さんに人気ナンバーワンの座を奪われて、よっぽど悔しかったんじゃないですか?」
と俺は言った。高野さんは頭を抱え込んだ。
「いや、あの人そんなことを根にもつタイプじゃないと思うんだ…。それより、目の前の面白いことに飛びつくっていうか…」
俺にも田端さんの狙いがいまいち読めない。なんか、高野さんがいるとき、わざと俺にベタベタしてくる気がする。
「高野さん、もう帰りですか?」
「うん、今日はもう終わり」
一緒にメシ行きますか?って声をかけたかったけど、せっかくだから早く帰って休んでもらいたくて、我慢した。
帰宅。
メシもシャワーも適当に済ませ、テレビを見ながらゴロゴロしていたらスマホの呼び出し音。
着信は、米原さんからだった。
「はい、もしもし?」
何かあったのかな、と思いながら出ると、酔っ払った声が聞こえてきた。
「加藤くん?ごめんねぇ…、もう電話しないとか言って、またしちゃった」
米原さんは以前、田端さんが九州に帰るってことを知った時にべそをかきながら俺に電話をしてきて、そのときに『もう電話しない』と確かに言っていた。
それでも電話をしてきたということは…何かあった?
「いいですよ、電話してくれて。どうしたんですか?」
「加藤くんちって、この辺りかなぁ。なんかコンビニあるんだけど」
え?
「コンビニって…来てるんですか?こっちに」
「そうよー。今まで同期で飲んでたんだけど、急に加藤っちに会いたくなっちゃった」
時計を見る。十時半だ。
「一人ですか?」
「一人?うん、一人だよぉ」
ビックリだ。
「危ないですから、そのコンビニに入ってください。そこのコンビニ、市役所前店って書いてます?」
「ん?書いてる…市役所前店って書いてる」
「すぐ行きます。五分くらいで着きますから、中で待っててください!」
十時半くらい、確かに大して危なくはないかも知れないけど、やっぱり酔った女の人が一人でフラフラするもんじゃないと思う。しかも米原さんはかわいいのだ。
自転車を飛ばして迎えにいくと、米原さんは雑誌コーナーのところで立ち読みをしていた。
「米原さん!」
「あ、加藤くんだ!」
俺は米原さんの側に行って、小さい声で聞いた。
「何かあったんですか?」
すると米原さんは、しょんぼりした顔で言った。
「なんにもないの。今日さ、同期の集まりに田端っち来てなかった」
そう言ってから、俺の顔を見上げた。
「ねえ、加藤くん。私、やっぱり田端が好きみたいでさ」
うん。知ってる。
「そうですね、米原さんは田端さんのことが好きなんだと思いますよ」
俺がそう言い切ると、米原さんのしょんぼりした顔が、もっと落ち込んだ。
「どうして自分ではなかなか気付けないんだろう。好きって思いたくなかった」
泣きそうな顔でそう言われると、こっちもツラい。俺にとっては、米原さんは『なんとなく放っとけない人』なのだ。好きっていうか、好きなんだけど恋愛感情は薄くて、兄弟姉妹みたいな感じで…でも大事に思ってる。
缶コーヒーと、米原さん用にお茶をを買ってコンビニを出た。自転車を押しながら、二人でポツポツ歩く。
「どうしたらいいのかな…」
「田端さんに、言ったらどうですか?」
「うん…。でももし気持ちが伝わったとして、うまくいったとしても…九州にはついて行けない」
そっか、そうだよな…。田端さん、九州だもんな…。
俺はいい言葉が何も思いつかずに黙ってしまった。
「ついていけない私に、好きになる資格は無いなって思う」
そうかな。
「…好きになるのに資格は要らないんじゃないですか」
恋愛の資格がないとしたら、それは今の俺だ。
高野さんは、俺に好きだと言ってくれた。それを断って一年が過ぎた。お互いに別々の生活をしてきて…それぞれに感情の変化があって…今更、やっぱり好きですなんて言えない。
そして高野さんのことが好きな間は、他に誰かを好きになれる気がしないのだ。
でも、米原さんは違う。米原さんは…。
俺のところじゃなくて、田端さんの家に行けばいいのに。
…そう思ったが、とても言えなかった。
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