第17話 約束
高野さんと、米原さんと晩飯に行くことが増えた。
飲むと、高野さんがうちに泊まる。
今、高野さんのシャツとネクタイが、俺の家のクローゼットにワンセット置かれている。
…やばい、高野さんが警戒心ゼロでぐいぐい俺のいろんな領域に入ってくる。
夏がどんどん迫って来る。容赦なく。
「夏でもスーツって、悲しいですね…」
「加藤くんはいいよ、内勤なんだから。俺なんか、外回りで上着まで着て毎日毎日…」
久しぶりに田端さんと晩メシ。
「ま、多分そのうち加藤くんも営業に配属になるだろうさ」
ああ、田端さんの呪い。この人が口にすることが、次々叶う、そういう呪い。
「営業って花形だって思ってたけど、田端さんの話を色々聞いていたら、なんか嫌になってきたなぁ」
俺がそう言うと、田端さんは唇の端をゆがめて笑った。
「営業は花形じゃないさ…。ま、うまくやればオイシイこともあるんだろうけど…」
「えっ?何ですか、それ。教えてくださいよ」
俺が話に飛びつくと、田端さんは首を横に振った。
「加藤くんはうまくやるタイプじゃないよ。そこが好きだから言えないね」
ガクッ…。
「ところでどう?最近。なんかヨネさんと高野くんと、三人で飲みに行ってるそうじゃない」
「…飲んでるのは二人だけですけどね…」
「ははは。そっか、加藤くんは酒、弱いんだっけね」
「弱いって言うか…飲んでも酔えないっていうか…。ま、いいんですけどね。飲みに行くのは。二人とも、俺が一人暮らしだから気を遣って連れまわしてくれてると思うんですよ」
むしろ困るのは、その後高野さんが泊まっていくこと。
「いい先輩たちじゃないの」
「そういうことです。でもいつまでも続くとは思ってません…。あ〜あ、田端さんがいなくなったら、また一人でメシの毎日だなあ…」
ぼやいたら、田端さんは笑った。
「だから早く彼女作れば解決じゃないの?ほら、こないだ言ってた子、とか」
「だからそれフラれたんですってば」
そしてあれから、特に気になる人も現れず…。
「でもさ、ちゃんと告白してないんでしょ、加藤くん」
「そうですけど…」
言われてしまったのだ。
一年前に高野さんに告白されて断ったものの、会社で再会してから、俺の方が気になって気になって仕方がなくなってしまった。そんな矢先に『もう何とも思ってない、あの時は弱ってたゴメン』みたいなことを言われてしまったのだ。
元々男同士という高い高い壁がある。高野さんが気にするなと言った以上、もう気にしちゃいけない。
気にしちゃいけないけどさ、好きになったらなかなか引っ込みがつかない。
こういう気持ちは初めてで、どうしていいか自分の取り扱いに困っている。
高野さん、飲んだら動きが緩くなって、ネクタイ解いて俺に首筋見せながら、毎回ソファにだらりと横になってくれますが、とても困っています。
目の遣り場に困る…ほどでも無いけど、どこ見ていいか分からないし、手とか首を見てしまうし、いや、もう壁向いて寝るしか無い。
でも、なんか嬉しい。
そうだ、このまえコンビニで歯ブラシ買って、置いてったんだよな、高野さん…。
「はぁ」
思わずため息をついた。田端さんが俺の肩をトントンと叩いた。
「まだ好きなんじゃないの?その子のこと」
「…いえ、いいんです」
「断られるにしたって、はっきり言っちゃった方がいいよ。話の流れで言われただけだろ?相手もさ、お前の真剣さとか、そういうのは受け止めてないから、ちゃんと言ったら結果が変わることもあるじゃん。それに、その方が後悔しないで済むと思うけどな」
「そうなんですけどね…」
それ以上何も言えないでいると、田端さんが一本タバコを取り出しながら言った。
「じゃあさ、俺も言うから、加藤君も頑張ってよ」
え?
「俺、いずれは九州に帰るつもりでいたから、こっちで彼女作らない方がいいって思ってたんだよ。…でも、やっぱり言うだけ言っておかないと後悔するんじゃないかって、そんな気がしてきた」
そう言うと、田端さんはタバコに火をつけて、深く吸って…吐いた。
「好きな人がいるんですか」
「まあね」
びっくり。なんか、そういうの無さそうな気がしてた。
「言われる方は迷惑かも知れないけど、ま、嫌なら断ればいいんだし。…お互い大人だからね、それでいいと思うんだよ。思ったことは伝え合って、意見は尊重して、そんな感じで」
意思の強い目つきでタバコを吸っている田端さんは、そんなに年も離れていないのに、すごくオトナに見えた。
後悔、か…。確かに、しない後悔よりしちゃった後悔の方が後を引かないというけれど。
でも俺は嫌なんだ。今結構楽しくやってるのに、また気まずくなってギクシャクするのが。現状は、接近しすぎがちょっとツラくなくもないけど、それでもまあ、幸せな方じゃないかと思う。
部屋で一人で、いろいろ考えてみたけれど、やっぱり『現状維持』って結論が出てくる。できれば、現状維持から脱却して、誰か他に好きな女の子ができるとベター。なんとなく寂しいけど、それが普通?の幸せ…なんじゃないかと思う。
そんなことを考えていた時だった。
スマホの呼び出し音が鳴った。
「はい、もしもし」
『加藤くん?ちょっと、大変なのよ!』
米原さんだった。
『田端、会社辞めるんだって!』
あ、とうとう情報が。
「それ、あの、誰から聞いたんですか?」
『営業のコが、部長と課長が話してるのを聞いちゃったって……加藤くん、知ってたのね!』
や、やべ!
「し、知りませんよ!それより、なんで俺のとこに電話してくるんですか!」
『だって、誰かに話したいけどそんなにペラペラ話せる話じゃないし、そもそも田端のことを知ってる人じゃないと話せないし、加藤くんは口が堅いし、一番信用してるから…』
早口で言い訳している米原さん。泣いてる…。
「泣いて…ますか」
『泣いてない』
明らかに泣き声になってきた。
「米原さんって、田端さんのこと…」
まさかと思うけど、そうなの?
『好きじゃない』
…好きなんだ…。
『好きなわけない。あんなイヤな奴』
拗ねたその声を聞いて、急に米原さんを抱きしめたい衝動にかられた。恋愛感情じゃなくて。
「米原さん、かわいいです」
思わず、そう言っていた。
『何言ってるの?馬鹿じゃないの。こんな時に』
米原さんの声が、ちょっと笑い声に変わった。
「今、側にいたら、多分抱きしめます」
『ホント、何言ってるの』
その声はほとんど笑っていた。俺の声に、色気や下心が無いことが伝わっているのだと思う。
「俺が近くにいなくて、良かったですね」
『…そうね、でもちょっと残念かな』
「じゃあ、またの機会に。ハグしましょう」
誰かに恋をしている女の子を、励ましてあげたい気持ちって…他人事なのに…あるもんなんだな。
『加藤くんに、電話して、…良かった。ありがとう』
「いいえ、いつでも電話してください」
『…もう、しない。多分。…でも、ありがと』
それから、米原さんはちょっと元気な声で付け足した。
『明日会社で会ったら、もうこの話はナシで』
「了解」
『じゃあね』
俺も「じゃあ」と言って電話を切った。
田端さんが好きな人が米原さんだったらいいのに…。そう思った。
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