第16話 三人組



 七月に入った。日差しが暑い。

 自転車通勤がちょっとつらい季節だ。会社に到着したとたんに、全部着替えたくなる朝もある。

「おはよう。加藤、髪…ぬれてる?」

と、ロッカールームで高野さんに言われた。

「汗です。うちから会社まで、ダラダラゆるい長い登り坂になってて」

「坂だっけ?」

 大変だな、と言いながら、高野さんが何故だか俺の髪にすっと顔を寄せてきた。

 距離が近い!

「な、なんですか!?」

「いや、汗臭いかな〜と思って」

「臭いですよ、汗なんだから。…臭うのやめてくださいよ」

「臭いしなかった」

「知りません!とにかく暑苦しいから寄ってこないでください」

 本当は別の理由だけど。

 近づきすぎると緊張するということと、やっぱり臭いと思われたくない。もちろん、そんな俺の気持ちも知らずに、高野さんは『はーい』と言って離れていく。

 この人、よくわからん…。

 っていうか、あんまり接近しないでもらいたいんだが…。

 しかし、高野さんは疑惑が解けた気安さからか、以前よりも気楽に近づいてくる。

 意外と鈍感?…って、高野さんは悪くない…か。気付かないよな、そりゃね。

 俺、実は告っちゃったほうがいいのかな。

 そういう方法もあるっちゃある。




「ねえねえ、加藤くん、最近田端と飲みに行ってる?」

 昼休み、米原さんがそう言いながら近づいてきた。

「いいえ、最近忙しいみたいで…」

 実は田端さんは地元の農協に転職が決まって、もう準備に入っているのだ。九月には会社を辞める。でもそれを知っているのは田端さんの上司や会社の上層部と、最近仲良く一緒に飯を食ってた俺だけで…。我が社のスピーカー、米原さんにそれを言えるわけがない。

「やっぱり?なんか田端っち忙しそう。同期の間でも最近付き合いが悪いって言ってんの。呼ばれなくても、結構どこにでもヒョコヒョコ顔出してたのにさ…」

 米原さんは口をとんがらせている。そんなしぐさはやっぱりかわいいなと思う。…俺ってどっちもいけるのか?

 いかんいかん、いらんことを考えてしまった。

 と、そこへ高野さんが戻ってきた。

「なんか内緒話?」

「最近田端が付き合い悪いって話。加藤くんとも最近は飲みに行ってないんだって」

 米原さんの返事に、高野さんが面白そうな顔をした。

「米原さん、田端さんにいつも厳しいですね」

「厳しくないよ。前はもっとチェック入れてたんだから。最近ゆるいほうよ」

 へえ、そうなんだ。

「前はね、高野くんが入ってくるまではね、田端っち社内女子に人気があったの。その頃はいろいろ、ね。情報をキャッチしてはネタにしたもんよ」

 田端さん、モテてたんだ。初耳だ。でもまあ、デキる男って感じだしな。

「ま、いいんだけど…どうでも。最近老けたし」

 米原さんはなんとなくこの話題に興味を失くしたようで向こうを向いた。俺は田端さんの転職のことをぼんやり考えた。

 本当に同期にも言ってないんだな。でもまあ、時期途中に急に辞めるし、影響大きいよな。…米原さん、驚くだろうな。俺が知ってたことがバレたら、めちゃくちゃ怒られそうだ。

 なんてことを考えていると、高野さんがニコニコ笑顔で俺に寄ってきた。

 顔、近い、近い。

「加藤、次の金曜は俺とメシ行くか。田端さん誘ってくれなくて寂しいだろ」

 えッ!?そんなこと、そんなすごく良い笑顔で言う!?

 …喜んじゃうぞ。

 するとすかさず米原さんが

「あ、私も行く!」

と叫んだ。え!?


 米原さんは好みのタイプで、高野さんは…好きな…人?という意味ではハーレムなのかな、この状況…。

 居酒屋で二人に挟まれてなんとなく微妙な気持ち。

「加藤くん、彼女はできた?」

「いませんよ。いたら田端さんとばっかりご飯食べに行きません」

 そう言ったら、高野さんが変なことを言いだした。

「加藤、彼女いるだろ?こないだ部屋で見たぞ」

 え?

「な、何を見たんですか」

「え〜?何を見たの〜?」

「内緒」

 ふふっと高野さんが笑う。今日の米原さんは本物の酔っ払いだし、高野さんはずっとニコニコしていて…これも多分ちょっと酔ってるな。

「教えてよ」

「ん~…女物のライター見ちゃったかなって」

 げっ!見たの!?

「あ、あたしそれ知ってる!ラメのついた細いライターでしょ!」

 やっべー…。吉田先輩のだけど、吉田先輩のだとバレちゃいけない代物なんだ…約束したから…。

 俺があわあわしていると、二人で勝手に話を進めていく。

「なんで米原さんが知ってるの?まさか米原さんのなの?」

「違う違う。私は吸わないもん。前に居酒屋で、加藤ちゃんが忘れ物の中から返してもらってるの、見ちゃったの」

 うわ、吉田先輩のだって分からないようにしなくちゃ。

「あの、俺のじゃなくてですね、俺には彼女とかもいなくてですね、あれは友達の忘れ物で、家が近いから代わりに取りに来て、それからまだ会ってないんです」

 あたふたと説明したが、二人ともニヤニヤしている。

「友達って、女子でしょ?ふふふ、変なの。そんなの、郵送すれば済む話じゃん。」

と、米原さんが言えば、高野さんまでが、

「大事そうにテレビの上に飾ってたしね。好きなんじゃないの、その友達のこと」

なんて言う。

 さっさと送れば良かった。俺ってバカ。。吉田先輩に住所聞いて送ろう、すぐに。

 二人は機嫌良く酔っ払って、ライター話からの派生話で何やら盛り上がってる。


「高野くんが私たち見たっていうの、四月か五月頃でしょ?それ違うよ」

「二人で腕組んで居酒屋入っていくの見て、ずっと誤解してたんだけど」

「やだ、加藤ちゃんとあたしで、なんかあるわけないでしょ。同期会がお通夜状態だったところに加藤ちゃんが来たから、無理矢理巻き込んだだけ」


 高野さんに色々見つかっちゃってるな。いつの間にか誤解されて、いつの間にか誤解が解けている。

 人生、そういうもんかもね…。

 それにしても、楽しく酔える人って、羨ましい…。楽しそうなんだもん。


 俺はまた店で二回ほど吐いて、それから駅まで歩いていって米原さん見送り、なんか流れで高野さんは俺の部屋に泊めた。



 


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