第15話 好きでもなんでもない


「なんか元気ないけど、失恋でもした?」

 ギクッ。俺が固まっていると、一緒に晩飯を食っていた田端さんがニヤリと笑った。

「図星か。それって、こないだ言ってた『気になる人』?」

 俺はため息をついた。この人って逆らえない雰囲気があるんだよな。嘘はつかないようにしよう。

「…はい。フラれました」

 素直に答えた。

「へぇ、告白したの。加藤くんって、自分からいくように見えないけどな」

「告白してないです。でも、なんか話の流れで『なんとも思ってないし』みたいな言い方されちゃって…。分かってたんですけどね、駄目って。でも分かってても、イヤなもんですね」

「ははは、イヤなもん、か。確かに気分良いものじゃないな」

 田端さんとは、一人暮らし仲間として、時々メシを食いに行く間柄になっている。

「田端さんこそ、どうなんですか?…例の件とか」

「例の件ねぇ…」

 田端さんは九州の実家に帰るつもりで、転職計画を建てている。実家の近くで事務職か何かに就くつもりなのだ。

「もしかしたら、予定より早くなるかも」

「えっ、そうなんですか?」

 田端さんはタバコに火をつけた。

「地元の農協に時期途中に空きができるらしいんだ。そっち狙いに切り替える」

「マジですか」

 ガッカリ。いなくなるって分かっていたとはいえ、せっかく晩飯仲間ができたというのに。

「ガッカリするなよ。可愛いぞ」

 可愛いぞ、は無視。

「だって、うちの会社、一人暮らしってあんまりいないんですもん。せっかく仲間ができたと思ったのに」

 そう言うと、田端さんは俺の肩をポンポンとたたいて言った。

「早く彼女作れよ…って、これ禁句か」

「ほんとに…フラれたばっかりなのに」

「ごめんごめん。加藤くんだったら、すぐに誰かみつかるよ」

「…だといいんですけど。今は無理。まだ癒えてないから」


 癒えてない。もう忘れたい。

 しかし、忘れたい相手は毎日隣のデスクで仕事をしている。駄目と分かってからも、どんどん魅かれている自分がいる。


 良いこともあった。

 あの夜以来、高野さんとはちょっと話しやすくなったのだ。探り合いがなくなったから。高野さんはゲイじゃないし、俺のことも、好きでもなんでもないって言うから。

 好きでもなんでもない。

 それが事実。


 なのに時々、俺は高野さんの唇の感触を思い出す。


「加藤くん最近なんかあった?」

 米原さんがそろりと近づいてきた。

「え?いや、ないですよ、何にも」

「ほんとに?」

 米原さんは疑惑の目。

「こういう勘は外れないんだけどなあ」

 …ははは。確かに。米原さんはいつも観察眼が鋭くてチェック厳しいし…とにかく勘も良すぎる。

「俺、最近なんか変に見えます?」

 逆に、何を根拠にチェックが入ったのか聞いてみた。

「う〜ん…。前より落ち着いた感じがする…。大人っぽくなったような。成長期?」

「じゃあ、良い方に変わってるんじゃないですか」

「え、ダメダメ、いつまでもオモチャのままでいてくれないと、私がつまんないもん」

 勝手なことを言ってる。

「あ、あれじゃない?最近加藤くん、田端とよくツルんでるでしょ。それであの可愛げの無さが伝染したのかも…」

「誰がカワイゲが無いって?」

 後ろから、田端さんがぬっと現れた。

「わっ!」

 俺はビックリしたが、

「あれ、田端っち、何の用?」

 米原さんは悪びれもしない。

「加藤くんに用だよ」

「加藤くんはうちのだから、たまにしか貸さないって言ってなかったっけ」

 俺、いつまで物品扱いなの?まあ、いいけど。

「ははは、じゃあ加藤くん一つ貸してください」

 田端さんもシャレに乗っかって喋っている。

「仕方ないなぁ。じゃあ、ハイ!」

 米原さんは俺の椅子をくるりと回転させて、椅子ごと田端さんに渡した。

「俺はモノじゃないんですから…」

 田端さんも椅子ごと俺を捕まえる。

「はい、加藤くんお借りします。で、教えて欲しいんだけど、総務の今年の予算、あといくら自由がきくの?」

「え?あ、はい、調べます」

 PCデータを確かめようとしたら、席を外していた高野さんが戻ってきて言った。

「今年はあんまり余裕ないですよ。またS研ですか?」

「そうなんだよ、S研はいつも交換条件出してくるんだよね…。総務の備品、S研のパーセンテージ、もう上がんないかな」

 高野さんが自分のデスクのPC画面を開いて、田端さんと二人で覗き込む。

「あ〜、余裕ないね、確かに」

「そうなんですよ…。来年度の確約とかじゃフォローできませんか?って、そこまで来ると俺には決定権ないんで、係長か課長に確認してもらいたいんですけどね」

 田端さんは笑顔のまま考え込んだ。

「そうだね、課長同士で話してもらおうか。…俺、うちの課長に通すから、総務も上に軽く通しておいてもらえる?」

「わかりました」

 俺以外の二人で話がついてしまった。

 田端さんが椅子ごと俺をちょっと押して、くるっと回してデスク位置へ戻してくれた。で、そのついでに後ろから耳元に囁いた。

「じゃ。…また、メシ行こうな」

 ちょ、耳!近すぎ!

「た、田端さん、くすぐったいって」

「え?耳弱い?」

 耳の下あたりにフッと息を吹きかけられて『ギャッ!』と変な声が出る。

「じゃね、加藤くん」

 あああ、気持ち悪い!

 息を吹きかけられた辺りを手で擦る。痒さが残る感じで違和感。ああもう。

 ゴシゴシとやって、身を震わせていたら、隣の席で高野さんが…ものすごく怖い顔をしているのに気付いた。

「た、高野さん…?」

 俺の仕事のデータ、何か間違ってます?…恐る恐る覗き込んだが、

「え?何」

 そう返事した声も、なんか、硬い…。

「あ、あの、ありがとうございました。予算のこと…俺、すぐ分からなくて」

 とりあえずさっきの礼を言う。するとハッとしたように高野さんの表情が和らいだ。

「あ、うん…去年俺が担当してたし、そもそも予算取りしたの、俺だから」

 俺の頭にポンポンと手を乗せてきた。

「あ、ありがとうございます」 

「うん。じゃあ、さっきの件、係長と課長への報告は加藤から、しようか」

 完全に元の高野さんに戻った。

「はい、わかりました」

 俺はそう返事をしてデスクについた。簡単に資料を出力しておくことにした。。 



 なんか一瞬怖かったぞ、高野さん。

 前にもこんなことがあった気がする。

 いつも誰にでも優しいサワヤカ高野さんなのに…。

 

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