第13話 心配


「今朝は最悪だわ!!!」


 木曜日の朝、米原さんが俺に向かって言った。

「なんで加藤くんもそんなに顔色悪いの!?」

「悪い?かな」

「かな、じゃないよ!鏡見てないの?真っ白!…大丈夫?」

 最後は本当に心配そうに言ってくれた。

「二日酔い?それとも他に何か体調悪いの?」

 …ぷッ。お母さんみたい。

「何笑ってるのよ。本当に心配してるんだから。風邪だったらよく効く薬持ってるよ。さっき高野くんにもあげたの」

「高野さんに?」

 高野さん、風邪?

「そう。加藤くんの倍ほど顔色悪かったよ。咳してた。季節の変わり目って気をつけないと…」


 薬を飲んで戻ってきた高野さんの顔色は、確かに青白かった。いつものサワヤカな高野さんじゃない。

「ああ、加藤、おはよう…」

「おはようございます…って、大丈夫ですか?」

「ちょっと風邪引いた…みたい」

「ええ、米原さんから聞きましたけど」

「お前、あんまり近寄るな。伝染すといけないから」

 近寄るなってわざわざ言われると近寄りたくなるけどさ。今はやめておく。

「…はい。了解です」


 時々、チラッと隣を見る。高野さんは元々ちょっと色白だけど、今日は更に白い。透き通るように白くて、ダルさからか動きが緩慢で…。

 これって、ちょっと…。

 思わずじっと見ていたら、高野さんが顔をあげた。

「何?」

「いえ、大丈夫かなと思って」

 ちょ、ちょっと色気があるぞ。…なんて、しっかりしろ!俺。バカじゃないの?相手、病人!

「…ありがと」

 高野さんが、そう言ってふわりと微笑む。本当にしんどそう。

 昨日電話した時、もう体調悪かったのかも知れな。それなのに俺、変な電話をしてしまった。

 なんか俺、相手の気持ちも考えずに一方的な奴だな。自分さえ言いたいこと言えば良いみたいな。

 …ごめんなさい。反省します。


 その日は一日中、色っぽい高野さんを観察しつつフォローし、米原さんと二人で定時に追い出した。それで、こちらも仕事が終わって帰ろうとしたとき、ロッカールームでばったり田端さんに会った。

「加藤くん、昨日はどうも」

「あ、いえ、こちらこそ…」

「加藤くん、自転車で来てるの?」

「はい、田端さんは」

「俺?俺は歩いて。良かったらメシ食いに行く?」

「あ、はい、行きます」

 ちょっと面白そうな気がして、ついて行くことにした。『肉?魚?定食屋でいい?』とかなんとか言いながら二人で歩いていたら、会社のロビーに高野さんを見つけた。まだ帰ってなかったの!?と少しイラついたが、よく見ると桂さんと一緒だった。

 あ、今二人、ちょっと顔を近づけた。

 親密な様子。


 …ショック。俺には近づくなって言ったのにさ。

 昨日、どうぞくっついてくださいと電話したのは俺だけど、やっぱり見たくない。思っていたよりダメージでかい。


「あれ、高野くんじゃないの?」

 田端さんが小さな声で言った。

「そう…ですね」

「一緒にいるの、誰かな。かわいいコだね」  

「俺の同期の桂さんですね」

「そうなんだ。いい雰囲気じゃない。一番人気も年貢の納め時かな」

「……」

 気付いていないフリしながらこそこそ歩いていたつもりだったが、ふと顔をあげた拍子に高野さんと目が合ってしまった。

 まだ青白くて、元気がなさそう。大丈夫なのかな。早く帰らせてあげてよ。

 いろんな思いが頭の中でぐるぐる回るが、結論として『邪魔をしちゃ悪い』と判断し、挨拶はせずにそのまま通り過ぎた。無視したみたいに見えたかも知れないけど。いいや、どう思われたって。



 次の日、高野さんは熱を出して仕事を休んだが、米原さんの情報網は健在だった。ロビーでの高野さんと桂さんとの親し気な遣り取りは、少し目立っていたようだ。

「ねえねえ、加藤くんは何か聞いてないの?」

「いや、知りませんけど」

「高野くんって意外と秘密主義なのねぇ。この加藤くんにも何も言わないって」

 秘密主義…か。

 いつもニコニコしていてサワヤカで話しかけやすい反面、本当の気持ちが分かりづらい部分はあるのかも知れない。感情を表に出さない人だ。

 だから…気が付かなかったこと、いっぱいあったんだ。



 月曜日には高野さんも復活して仕事に出てきたが、相変わらず本調子でなく、不思議な暗さを纏っている。

 米原さんでさえ、例の件を突っ込んで訊けない有様だった。

 もう、俺なんて。

 でも、いつも安定の高野さんが珍しいな。元気になってほしいな。純粋に人として後輩としてそう思う。こうなったら私情を挟まず、高野さんの為だけを考えて行動しよう。

「高野さん、二人でメシ行きます?」

 思い切って声をかけたみた。高野さんが、ふんわり顔をあげた。

「え?何?」

「メシ。行きましょ」

「あ…ああ、うん。どうしたの」

「いや、別に何ってないですよ」



「高野さん、風邪以来元気なさそうですけど、大丈夫ですか?」

 思い切って、直球で訊いてみた。

「え?そうかな」

 高野さんはちょっと目を丸くして、首をかしげた。

 かわいらしく見える。

 一人暮らしの俺が時々来ている定食屋さんで、小さいテーブルに二人で向かい合って座った。

 向かい合うのって久しぶり。

「なんか、ありました?」

 突っ込んで訊いたら、高野さんは小さく首を横に振った。

「なにも」

 あ、これ、ちょっと心閉ざしてるパターンかも知れない。どうしようかな。先輩だし、そっとしておこうか…。

 逡巡していると、高野さんはふふっと笑った。

「米原さんあたりに、探り入れるように頼まれた?」

「え?」

「なんか、お前にしてはめっちゃ訊いてくるなと思って」

「頼まれてないですよ。自主的に…」

「自主的に?」

「自主的に心配してます」

 そう言ったら、高野さんが笑った。

「ありがとう。加藤の自主的な心配、有難いよ」

 笑ってる。良かった。

「で?何があったんですか?」

「ううん、なんにもないよ」

 ダメか。閉ざしてるなぁ。けど、ちょっと元気出てるのは感じる。ほら、爽やか成分が復活しているから。

「加藤、ありがと。元気出た」

 ほんと?

 じっと顔を覗き込んだら、青白い顔に赤みが差した。

「も、お前さ、タチ悪い」

 え?なに?

 訊こうとしたときに豚の生姜焼きが目の前に並べられた。 



 食べながら、久しぶりに他愛ない話をしてビールを飲み、なんだか話し足りなくて『うち来ます?』なんて声をかける。

 途中のコンビニでビールを買って、二人で家に帰って来た。

 玄関で靴を脱いだ時に一瞬、この前のキスを思い出した。

 でも、高野さんは思い出していない様子だった。当然だな、酔って記憶を失くしていたもんな。

 今日は、玄関でのハプニングも無く、普通に部屋へ通す。

「ソファ、座ってください」

「ありがとう」

 高野さんをソファに座らせ、俺は対岸のベッドに腰掛けた。

「高野さんって、元気度と爽やか度が比例してますね。弱っているとサワヤカじゃなくなる」

 そう言ったら、高野さんは『なんだ、それ』と口を尖らせた。その表情がちょっと好きで、ドキッとした。本当は、疲れと色気も比例すると思っていた。


 お互いに三缶ほど空けたころ、突然高野さんがとんでもない話を始めた。

「加藤、大学卒業するとき変なこと言ってゴメン」

「え!?」

 え、変なことって、あのこと?

 今、その話、する?!

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