第12話 内緒話

 次の日は休日で、体調万全とは言えなかったけど一日を無駄にしたくなくて、昼から自転車で出かけた。

 住み始めたのにまだ知らない街。いつもとは逆の方向へ漕ぎ出す。今まで行ったことのない方向。

 知らない街の中を30分ほど漕ぐと、ちょっと賑やかな場所に出た。駅前通り。とりあえず、本屋に入てみる。

 フラフラ歩いていたら、目の前の誰かが「あ…」と言って立ち止まった。

 顔を上げると、見たことのある顔…。

「田端さん?」

 だったっけ。

「加藤くん、だよな」 

 米原さんの同期の田端さんが、何冊か本を手に立っていた。


「ちょっとまずいところを見られちゃったかな」

 近くの喫茶店に二人で入った。

「転職、ですか?」

 田端さんは、本屋で公務員試験やら面接関係の本だのを持っていたのだ。

「うん、実家に帰ろうかと思って」

「遠いんですか?」

「九州なんだ。大学がこの辺りだったんでなんとなくこっちで就職したんだけどさ」

 九州か。そりゃ遠いや。

「親は農業やってんだけど、さすがに俺も農業一本じゃ不安だから、地元で別の仕事しながら手伝うくらいが最初は得策かなと思って、ちょっと勉強中」

 そう言いながら、タバコを咥えた。

「吸っていい?」

「ああ、どうぞ」

「俺が仕事辞める気でいること、会社の奴らには内緒だよ。特にヨネさんなんかそういう話大好きだから」

 ははは、確かに。チェックマンだもんね。

「ところでさ…」

 ちょっと田端さんは身を乗り出した。

「加藤くん、ヨネさんとどうなの?」

「え?どうって、どうもないですけど」

 田端さんはニヤリと笑った。

「そうなの?ヨネさん、加藤くんのこと気に入ってるみたいだよ、ホントに。結構いい雰囲気かと思ってたんだけど」

 …そのセリフ、高野さんにも言われたっけ。

「まあ…実は米原さんって結構タイプなんですけど、俺、今は他に気になってる人がいるんで」

 そう言うと、田端さんはちょっと残念そうな顔をした。

「なんだ、そっか」

と言いながら、乗り出していた身体を元の位置に戻した。

「残念だなぁ。ヨネさん、他人のことは色々騒ぐ割に、自分はずっとフリーみたいだしさ。加藤くんとくっついたら面白そうだと思ったんだけど」

「面白そうって」

「いつも言われっぱなしだからさ」

 米原さん、普段よっぽど周囲をからかって回っていると見える。

「それにしても加藤くんって、なんかいつも回答が的確だなあ」

「そうですか?」

「うん、さっきの答えだって、直接ヨネさんに言っても失礼の無い返事だよね」

「いや、そんな。本当のことですから。っていうか、米原さんも別に俺のこと、ちょうどいい感じの弟分だと思ってると思いますよ。いつもパッパとあしらわれてるし」

 そう言うと、田端さんはニッコリ笑った。

「そんなこと言って、加藤くん結構自分じゃ気付かないうちに誰か泣かせてそうだよね」

「いや、全くモテないですから。ホントに」

 だって、今まで告白されたのって…高野さんのあれ一件。

「これからモテるよ。加藤くんは三十過ぎたらモテるタイプだよ」

「三十過ぎって、まだ八年くらいあるじゃないですか。ひどいなぁ」

 なんだか田端さんの言葉ってどれも呪いのようだ。言われたら、叶ってしまいそうな。やめてもらいたい。

「ははは、八年もあるのか。ごめんごめん。なんか、加藤くんって新人ぽくなくて。そっかまだ二十二歳か」


 夕方になり、また俺は自転車を漕いで帰ってきた。別れ際、田端さんはもう一度

「今日のことは内密にね」

と、念を押した。

「加藤くんは、そんなにペラペラ喋って回るタイプじゃないって思ってるんだけどね。とにかくヨネさんと仲がいいから要注意なんだよね」

「大丈夫ですよ。そんなに…喋るの得意じゃありませんし」

「ふふ、それが却って危ないんだけど。まあ、頼んどくよ」

 手を振って別れた。


 転職かぁ。

 入社したばっかりでそんなの考えたこともなかったけど、数年したら、そんなことも考えるようになるのかな。

 いや、マジで考えられん。今は。

 …毎日が精一杯。

 ところで、田端さんも米原さんと俺のことを仲がいいと言ってたな…。周りから見て、そんなに良い感じなんだろうか。米原さんはどう思っているんだろう…。まさか好意を持たれているとしたら…。まずいな。いや、そんなことあるわけ無いな。

 高野さんは…桂さんのこと、ちょっとでも気になったりしてたのかな。

 桂さんは絶対、高野さん狙ってるよな。俺、邪魔をしちゃってるな。

 田端さんが俺のこと『自分でも気付かないうちに誰か泣かせてる』と言ってたけど、そういう意味じゃ当たっているのかも知れない。

 駄目だな、俺。

 みんなが、自分の思うような生き方で幸せになってもらいたいのに。



 近所のラーメン屋で一人夕飯を済ませて帰った。部屋に戻るなりスマホに手をかけた。


『もしもし』

 聞きたかった声が聞こえてきた。

「高野さん?今、ちょっといいですか?」

『いいよ、どうしたの』

 落ち着いた優しい声がする。そういえば電話で話したこと、あんまりなかったかも。新鮮。

「あの、俺、前にも言ったと思うんですけど、桂さんのことはただの同期だと思ってるんで。だから、高野さんが桂さんのこと気に入ってるなら、俺に遠慮しないでいいですから」

 本当は別の意味で遠慮して欲しいけど、やっぱり他人の恋路の邪魔はできないと思った。

 少しだけ、沈黙があった。小さな、ため息も聞こえた。

『加藤?』

「はい」

『…気、遣うなよ』

「いえ、遣ってません。ホントなんです。桂さんのことは何とも…」

『じゃあ、加藤はやっぱり米原さんと…って、それはもういいや。俺はさ、俺は加藤が…』

 そこで高野さんは言葉を切った。また少し沈黙が続いた。

「高野さん?」

 こちらから、声をかける。

『いや、なんでもないんだ。…わざわざ電話してくれてありがとう』

「変な電話ですみません」

『ううん、ありがとう』


 会話、終了。

 そっと、スマホをベッドの枕元に投げた。

 高野さんが好きですって、言えたらいいのに。

 そう思いながら、俺自身もベッドに倒れこんだ。

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