第8話 火をつけるもの


 ああ背中が痛い。

 あと、精神的に不安定。

 金曜日の仕事中、俺は昨日の高野さんのキスを思い出していた。

 振り返りざまの…。

 なんだか高野さんがごく自然にチュッと。

 それを、あの人は覚えてるのか、覚えていないのか。

 覚えていないから話題に出さないのか、覚えているからこそ黙っているのか。仕事を手伝ってもらいながら、チラチラ様子を窺うも全く不明。ダサい作業着をカッコよく着こなして、重い荷物を運び続けていた。

 はぁ。

 金曜日なのに、全然華やかな気分じゃない。筋肉痛であちこち痛むし。この土日は何の約束も無い。

 家で、寝ていよう。


 そんなことを考えて、一人ベッドの上でゴロゴロしていた金曜日の夜遅く、吉田先輩から電話がかかってきた。

「加藤くん?」

「はい、どうしたんですか?」

「ごめん、ちょっとお願いが…」

 なんでも、先週集まった時に飲み屋でライターを忘れたらしい。

「お店に電話したらあったんだけど、しばらく取りに行けそうにないから、かわりに受け取っておいてほしいの」

 なるほど。

「会社からも遠くないし、いいですよ」

「急がないし、また夏にでもそっちに遊びに行くから、それまで持ってて」

「了解」

「あと…高野には内緒ね」

「え?」

「私がタバコ吸ってるの、多分気付いてると思うけどわざわざ知らせたくない」

 ああ、…えーっと、その心は…?

「吉田先輩って…」

 高野さんのこと好きなんですか?って訊いてしまえと思ったのだが、それより先に吉田先輩がビックリなことを言った。

「へへ、実は高野には三回フラれた」

「え!?」

 そっか、そうだったんだ。

「…それは」

 やっぱ、二人は付き合ったことがなかったんだ。

「あはは、みんな付き合ってると思ってたよね」

「…はい」

「どうなの?職場では」

「まあ、会社でも、人気ありますね」

 俺がそう言ったら、吉田先輩が慌てた。

「やっぱそう?なんか…聞かなきゃ良かったな。焦る」

「大丈夫ですよ。今彼女いないみたいです。上司にも『誰にもなびかない』って言われてましたよ」

「そんなこと言われてるの?まあ…大学でもモテるくせに振りまくって、ずっと彼女作んなかったもんね。だからうっかり期待しちゃった。優しいし」

 …ずっと彼女いないんだ。そっか。

「ま、そんな訳で、他に頼める人いなくて。本当にごめんね」

「いや、お役に立てれば」



 筋肉痛に身を任せて、考え事をストップしていたのに、また頭のウネウネが始まってしまった。

 やっぱ吉田先輩は高野さんが好きだったんだな。それにしても三回もフラれたなんて。

 こないだの長い長いラリーを思い出した。吉田先輩の気持ちを考えると切ない。

 高野さんめ!アンタ周りを翻弄しすぎ!

 どうして、他人に冷たくできないのだろう。気持ちは分からなくはないけど、優しくされたら、そのほうがつらい気がする。

 もしも俺が誰かに告白して断られて、それでもあんなふうに優しくされたらキツイな。


 結局あんまり眠れず、冷蔵庫にあった缶ビールを3本、喉に流し込んで無理やり眠った。

 次の日起きてみたら十一時を過ぎていた。筋肉痛は治ってないし、なんだか半日損した気分。カーテンを開けたら、昼間の光がまぶしすぎた。

 頭痛い。…堕落しきってる感じ。


 とりあえずシャワーを浴びて、気分をスッキリさせた。コンビニへ行って、朝兼昼飯を調達。なんか最近栄養偏ってるな〜と、思わず野菜ジュースを買ってみたりする。

 変な味。

 スッキリしない、まったくダメな時ってダメ続き。

 時間もあっという間に過ぎてしまう。

 なんにも思いつかなかったので、夕方になって、吉田先輩のライターを引き取りに行くことにした。平日、仕事帰りに行こうと思っていたけど、どうせ今日は何にもできないし他にすることもない。

 ジーンズにパーカー。ラフな格好で自転車に乗って、二十分くらい。ユラユラこいで行った。

 風があったかくもなく冷たくもなく、気持ちいい。

 やっぱ、頭でウニャウニャしているより、カラダ動かした方がいい。大学を出てから運動らしい運動をしていないし、それで頭が正常に働かなくなって、負のスパイラル?ドツボにハマってるのかも。


 本屋に寄ったりCDショップに入ったり、目につく店に入ってみる。引っ越してから休日にこの辺まで来たことがなかったので新鮮だ。部屋でウダウダしているより気分転換になる。

 そうやってウロウロしていたら、あたりはだんだん暗くなってきた。


 例の店の前に自転車をとめて入った。レジのところで受け取ったライターは、なんか高価そうな細いライターだった。メタルカラーの薄いピンクにラメ?…隅っこにキラキラがついてて…。手渡された時ちょっと恥ずかしくて、慌ててパーカーのポケットに突っ込んだ。

「ありがとうございました」

 お店の人に礼を言って店を出る。自転車にまたがったとき、店の中から人が追いかけてきた。

「加藤くん!やっぱり加藤くんだ!」

 米原さんだった。

「あれ?来てたんですか?」

「そーよ、今日は同期会。加藤くんは?一人?今来たところじゃないの?」

 酔ってるみたいだ。

「俺は…忘れ物取りに来ただけで」

「忘れ物?えへへ、さっき見ちゃったよ。女物のライターよね」

 おっと。こないだの高野さんのネクタイの件といい、かわいい米原さんはかなり目ざとい。

「彼女の忘れ物取りに来てあげたの?やさしーねー」

 米原さんは俺の腕をとって、振り回した。

「いえ、彼女ってわけじゃ…大学の…友達のです」

 大学の先輩のって言おうとしたけど、やめておいた。高野さんの耳に入ったら、吉田先輩のことだとばれるかも知れない。

「ふーん。ま、いいか。それで。…ねえねえ一緒に飲もうよ」

 見上げる視線にドキッとさせられる。酔って少し頬が上気していて。

「同期会でしょ。俺、同期じゃないから浮きますって。俺なんかいいから早く戻ってあげて」

 そう言ったが、米原さんは俺の腕から手を離さない。

「いいのいいの、もう戻らなくても」

 そう言って、別な方向に歩き出そうとするけど、バッグもなにも持っていない。

「わかりました。一緒に行きますから。戻りましょう」

「わーい、加藤ちゃん」

 腕に巻きつかれた。ドキドキするなあ。俺、マジで今節操が無いな。誰が好きなんだよ。


 …どっちが好きなんだよ。


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