第7話 衝撃

 


 ショックだ…。

 二十二年間生きてきて、初めて感じるほどのショックだ。



 二人で飲んで、高野さんがちょっと酔った様子で、流れで俺んちに来て、部屋に入って、鍵を…内側からかけて…。

 その瞬間後ろから抱きすくめられた。


「た、高野さん!?」


 え?何?マジ!?

 酔いも一気に覚めた。

 何、やっぱそうなの?

 大慌てで高野さんを振り返る。美形のその顔がシリアスでドアップで、すうっと目を閉じて、近づいて、…わあ、わあ、わああ!

 

 唇が、重なった。

 柔らかい。

 温かい。

 あ、ちょっと吸った?

 離れた。

 いや、分析してる場合じゃないんだよ!これ、ピンチでしょ!って、…え?


 脳味噌フル回転で慌てふためている俺の、身体に回されていた腕の力が急に抜けた。

「え?…え?」

 背中にしがみついていた高野さんが一度すごく重たくなって、やがてずるずると崩れ落ちた。

 そして、俺の足元にダンゴムシみたく丸まった。

「…高野…さん?」

 寝て…る?

 しゃがんで、高野さんのことを恐る恐る観察した。


 寝てた。


 うわああああああああ! 


 なんか、俺、がっかりしなかったか?

 なんで?

 そう、俺のショックは、高野さんに抱きしめられたことでも、キスされたことでもなかった。


 

 ベッドでスヤスヤ眠っている高野さんの顔を見る。あの後、我に返って玄関から、筋肉痛に引きつる身体に鞭打って、なんとか連れてきたのだ。

 気持ち良さそうな寝顔。山本さんや桂さんや…社内の女の子たちが夢中になる顔。

 こんな顔に生まれてきたら、人生楽勝…なんてね。


 ソファに寝転んでみた。寝よう。さっきから、考えたってどうしようもないことばかり考えている気がする。眠って、切り替えないといけない。そうだ、明日は平日だぞ。まだ体力作業が残っている。身体を休めないといけないじゃないか。

 …でも、いろんなことが頭の中をグルグル廻って、すぐには眠れない。


 キス、想像していたほど違和感がなかった。もっと嫌なものだと思っていた。

 抱きしめられた時、背中のあたたかさが心地よかった。もちろんビックリしたってのが先だけど。

 二つの感触が、無理矢理眠ろうとしている俺にじわじわ襲いかかる。

 ああ…本当に考えたくないけど、『え?終わり?』って思った自分がいた。それは…事実なんだ。


 俺、もしかして高野さんのこと…。いや、そんなこと…。





 目覚ましが鳴る数秒前に気がついた。身体を起こす。

 仕事に、行かなくちゃ。

 着替えもせずに横になり考え事をしたりウトウトしたりしていた。なんだか身体がだるい。

 シャワーを浴びて、服を着替える。

 ちょっとすっきりした。あと、問題の焦点が絞れた気がして、少し振り切れた気分。

 高野さんはまだ寝ている。気持ち良さそうで起こすの申し訳ないけど、ほっとくわけにはいかないし。

 覚えているのかな。昨日のこと。それとも酒が回って全部覚えていないタイプなんだろうか。

 今まで、高野さんのぐちゃぐちゃに酔っているところ、見たことないから確認したこともない。

 それもまあ、今はどうでもいいや。


 俺は気づいてしまったのだ。俺が考えないといけないのは、高野さんが俺をどう思っているか、ではないことに。


「高野さん、おはようございます」

 声をかけて揺すると、高野さんはゆっくりと目を開けた。

「か、加藤?」

 パッと身体を起こしてキョロキョロあたりを見回した。寝起きの良さに笑ってしまう。

「俺んちです。仕事行きましょ。まだちょっと時間あるからシャワー使ってください」

「あ、ありがと…って、何笑ってんの?」

「だって、高野さん、すっげー寝起きが良いから。パッて起き上がるから。面白くって」

 そう言うと、高野さんの表情も少しやわらかくなった。

「おはよ。シャワー、借りるよ」

「…そっちの奥です」

 ほんとに高野さんは寝起きが良くて、その後すぐにベッドから出て、シャワーへ向かった。



 女の人って目ざとい。

 今日もみんなすぐに作業着に着替えたというのに、

「ねえねえ、加藤くん見た?高野くん昨日と同じネクタイだったね」

と、米原さんが言い出した。

「おっ?誰にもなびかない高野にとうとう春が?」

と、嬉しそうな係長。

「…昨日うちに泊まっただけですよ」

と、ため息混じりに言う俺。

「なんだ、残念。スクープだと思ったのに」

「すいませんね、実際は大したことなくて」

 そう言いながら、でも『うちに来て俺にチューして寝ちゃった』なんて本当のことを聞いたら、米原さんも係長も引っくり返るだろうなと思った。


「そういえば加藤くん、次の火曜日あいてる?」

 荷物のチェックをしていた米原さんが突然俺に声をかけてきた。

「え?あいてますけど…」

「係の歓迎会、予定組んじゃってもいい?ほら、水曜日祝日でしょ。休み前の方がいいと思って」

「ああ、はい。お願いします」

 高野さんと飲むのちょっと怖いな。最近、就職っていうより酒のせいで、人生が混乱を迎えている。アイデンティティの崩壊っつーか…。



 結局、俺は高野さんに昨日のことを覚えているかどうか聞かなかった。高野さんがシャワーを浴びている間に考えたんだけど、もし覚えてるって言われたら…なんて返事していいか、思いつかなかったからだ。

 俺にはもう少し考える時間が必要だ。高野さんの気持ちじゃなくて、自分の気持ちを整理しなければ。俺はどうしたい?

 俺は…俺は高野さんとどうなりたい?


 …瞬時に解決できるほど器用じゃない。


 午後から、高野さんのチームの作業が終わったらしく、地下チームの手伝いに来てくれた。男手が倍増して、作業も一気に進んだ。

 台車に荷物を乗せて押していたら、俺の知らない年上の女性社員が高野さんに声をかけた。

「高野くん、作業着も似合うわねぇ」

 高野さんは『いや、それ喜んでいいんですか?』なんて、ちょっと照れたように笑った。


 やばい。

 好き、なのかな。

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