第5話 筋肉痛

 なんとなくスッキリしない頭で出社する。

 到着するなり米原さんに作業着を手渡された。

「今週は体力勝負よ〜!さ、着替えて着替えて!」

 米原さん、俺とは対照的に元気一杯。

 そういや、金曜日に『来週は荷物運び的な行事があるから』って言ってたっけ。

 渡された作業着を手に、とりあえずロッカールームに戻る。ドアを開けたら高野さんの作業着姿が目に飛び込んできた。なんか…ドキドキするなあ。朝の別れが妙だった気がするから。

 それにしても、こんなダサい作業着すら似合ってしまうとは何者、と思いつつ、思い切って声をかけてみる。

「おはようございます。なんですか?この作業着」

 高野さんが振り返る。

「ああ、今週は書類整理があるんだよ。総務は会社中の文書整理があるから、結構大変。よろしくな」

「よろしくお願いします」

 正直、高野さんと会ったら何を話したらいいのか…などと思っていたが、この作業着問題ですんなり会話がスタートした。作業着サマサマだ。

 しかし、文書処理とかいうのをなめてかかっていたら、ものすごい作業だった。

 十年保存と書かれた段ボール箱の山。その中の、十一年目に突入したものをチェックして、トラックにじゃんじゃん積み込んでいく。半端な量ではない。重要文書も紛れ込んでおり、アルバイトを雇わず自前でやっているとのこと。

 倉庫が何箇所かあるので、二、三人組みのチームを組んで、分かれて作業をする。俺は係長と米原さんの三人組チームで地下の倉庫のチェックと運び出しをすることになった。

 主に米原さんが中身のチェックをし、係長と俺とで運び出す。台車に段ボール箱を乗っけて、ゴロゴロ転がしていく。建物の裏手の駐車場に停めてあるトラックへ。何回も何回も往復した。

 中身はほとんど書類、つまり紙だ。半端じゃない重さだった。三月の末にやった自分の引越しよりもずっとキツい。

 係長が真っ先にバテてしまい、ものの一時間で休憩することになった。

「ヨネちゃんヨネちゃん、ずっと地下でチェックばっかりしてると気が滅入るだろ。ちょっと休憩しようよ」

なんて言ってる。米原さんは俺をチラッと見てフフフと笑った。

「加藤くんも初めてだから、頑張り過ぎかもね。係長にコーヒー奢ってもらおうっか」


「総務って、毎年コレやるんですね」

「そうそう、でもこの行事が終わるとちょっと暇になるよ」

「終わったら打ち上げ兼、加藤ちゃんの歓迎会しような〜」

「係長ったら飲む算段ばっかりなんだから」

「いいじゃないの、春なんだから飲まなくちゃ」

 そっか。係の歓迎会まだだった…。なんかホント飲んでばっかだな。でもまあ、係の飲み会は楽しそう。みんな顔が分かっているし。

 一階の自販機で缶コーヒー買ってもらって、人気の無い廊下のベンチで細々と休憩した。他のチームに見つかるといけないなと言って、本当にコッソリ。

 狭いベンチで、米原さんと肩がぶつかる。

「あ、米原さんあんまり近づくと汗臭いですよ、俺」

「え?ああ、あはは。そんなの気にしないでいいのに」

「そうそう、俺のほうがよっぽど臭いよ。おっさん臭が混ざってるから」

「ああホントホント臭い臭い」

 合いの手を打った米原さんに、係長が『おやじ臭』攻撃をくらわした。

「きゃあ」

 係長は面白いし米原さんはかわいい。

 米原さんは高校を出てすぐ就職して三年目。俺よりも年下。でも、とにかくしっかりしていてお姉さんって感じ。

 …多分こういう、テキパキしたかわいい女の子って、タイプだ。昔から。

「加藤くんって仕事覚えるの速いよね」

「え?そうですか?」

 米原さんに褒めらて嬉しい。

「そうそう、高野も言ってたもんなあ。飲み込み速いのが来るって」

 係長がそんなことを言いだしてビックリ。

「え?高野さんがそんなことを?」

 米原さんのことで頭がポーッとなっていたけど、また現実に引き戻された。

「加藤が来る一週間前に、新入社員の名簿見せたんだよ。その時な。でもすっごいビックリしてたよな」

「ええ、珍しく興奮してたっていうか…慌ててたような…。加藤くん、なんか高野くんの弱みでも掴んでんの?」

 いたずらっぽい米原さんの笑顔。確かに、弱みと言えばこれ以上ないくらいの弱みを掴んでいるかもしれない。

 でも、そんなの、…それで高野さんを脅すようなことはしないよ、俺。

 そっか、俺が来ること、一週間前に知ってたのか。だから最初に会った時余裕の表情だったんだな。はは、ビックリしただろうな〜。俺も本当にビックリしたもん。

 

 その時だった。

「あ〜!係長!なに油売ってんですか〜!」

「やべっ!」

 他のチームに見つかってしまった。

 俺と米原さんは慌てて逃げたが、係長は…どうやら他の奴らの分も奢らされたらしい。



「あ〜、肩痛てぇ」

 夕方のロッカールーム。着替える肩も上がらない感じ。これが一週間続くとは。

「おつかれ〜」

 高野さんだ。

「大丈夫か?初日はきついだろ」

「すっごい重労働ですね…参りました」

「多分地下の倉庫が一番大変だと思うよ。俺、去年は地下チームだったんだよ。新人と係長は地下って決まってるのかもな」

「そうですか…それで若い女の子もセットにしてくれてるんですかね」

 なんの気無しに軽口をたたいた。

「…そう、かもね」

 高野さんの返事に、妙な間があいた。

 ……。

 女の子と一緒で嬉しい、って発言は良くないのか?

 いや、もうそれならそれでそう言ってくれ。言ってくれれば。

 いやいやいやいや、言ってくれても、何もできないだろ、俺。


 微妙な間合いのせいで、いろいろ考え始めてしまう俺の脳。今朝のこととか一年前のこととか。やっぱ、聞いてしまいたい。いろんなこと。

「あの〜、高野さん…」

「加藤ってさ…」

 二人同時に口を開いた時、ロッカールームに誰かが入ってきて俺たちは一瞬黙った。

「ん?何」

 少し間があいて、高野さんが俺の顔を覗き込む。

「いや、なんでもないです…高野さんこそ」

「いや、いいよ。俺も、なんでもないんだ」

 そんなやりとりをして、その話は終わってしまった。

 ああ、ああ、もう、もどかしい。


 自転車に乗ってアパートに帰る頃には、太ももにも筋肉痛が起こっていた。

 後で冷静になってみると、あの時ロッカールームに誰か来てくれて良かった。

 何を聞こうとしてたんだ、俺。…そりゃ気になることは山ほどあるけどさ…。

 もし高野さんがまだ俺のことを好きだったとして、それを確かめてどうする気だ。

 …どうしようもないじゃないか…。俺は受け入れられそうにもないんだから。

 でも、思い切って聞いたら、高野さん、違うって言うかもしれない。そうしたら、今よりもっと高野さんを好きになれる。勝手だけど、後輩としてもっと高野さんに甘えられる。…仕事の相談もしやすくなるんだろうな…。

 もう少し、高野さんとの距離が詰められると思うのに。

 でも…もし、違ったら。

 今でも俺が好きだと言われてしまったら。


 高野さんは、何を言おうとしたんだろう。



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