第4話 お泊り

 朝、目が覚めたら誰でも時計を見たりして時間を確認すると思う。そこに加えて、社会人になってからついた癖がある。

 アラームが鳴る数分前に目が覚める。

 だから、遅刻したことは無い。

 今朝も、勝手に目が覚めた。

 他人のアラームが鳴る直前に。


 ベッドの上で目が覚めると、正面のソファに誰かがいた。

「!?」

 誰かが、眠っていた。

「あ…」

 昨夜のことを思い出す。

 高野さん、だ。

 俺…服…着てる。昨日の、出かけた時のまま。ついそんなことを確認してしまった。高野さんも、昨日着てた服のままソファに横になって眠っている。


 俺、タクシーで寝てしまったと思う。

 でもその後のことをあまり思い出せない。ということは、高野さんが、ここまで運んでくれたのかな。

 ああ、職場でも迷惑かけっぱなしなのに、やっちゃったな…と反省すると同時に、『他に何も無かっただろうな』と疑う自分もいて嫌になる。

 本当に気にし過ぎ。

 いや、でも高野さんがあんなこと言うから…。一年も経ってるけど!

 別に気まずくなる必要なんて無いのにさ。

 しかし、本当に夜のことを覚えていない。

 何かを覚えていないという経験が少ないので、精神的にちょっとパニックになった。

 思い出せ、思い出せと脳がざわついて、でも何も覚えていないのだ。

 と、その時、アラームがけたたましく鳴った。俺のじゃない音。

「わっ」

 俺は思わず声を上げ、身体を起こした。目の前の高野さんがもぞもぞ動いて、手を伸ばして、スマホを探して、アラームの音を止めた。

 止めて、こちらを見て、硬直している俺に向かって言った。

「おはよう」

 爽やかな挨拶だった。

「あ、はい、あの、おはよう…ございます…」

 高野さんはすぐに起き上がった。寝起き、サワヤカすぎるだろ!なんて、心の中でしょーもない突っ込みを入れた。

 俺がベッドから出ようとすると、高野さんが手で制してきた。

「寝てなよ、今まだ6時だから」

「あ…はい」

 そっか、まだ6時か。

「服取りにこれから帰るよ。まだ寝てて」

 にっこり笑う。高野さん、朝からいきなり男前。俺が彼女だったら惚れ直す。


 何があったか分からないけど、とにかく謝っておこう、迷惑をかけたのは間違いないし。そう思って俺が『すいません』って言ったのと同時くらいのタイミングで、高野さんがポツリと言った。

「…ごめんな」

 え?何が?

 ごめんって、何?

 小さな声だった。

 え?訊きかえす?どうしよう。一瞬迷った。俺が迷った二秒の間に、高野さんは元の様子に戻ってしまった。

「加藤、水、もらうよ」

「あ、ああ…はい」


 なんで謝る?水もらうこと?泊まったこと?朝早く起きたこと?…それとも他になんかあった?

 高野さんがキッチンで水を飲んでる。

 訊きたいけど、直球で訊けやしない。

 俺はベッドの上で座ったまま、仕方なく遠回しの質問をした。

「あの〜、昨日俺、なんかやっちゃいましたかね…」

「覚えてない?加藤、寝ちゃったんだよ。でも、タクシー降りたときはなんとか自分で歩いてたから、覚えてると思ってた」

「そ、そうですか…」

「俺、いちおう部屋の前までは見届けようと思ってついて来たんだけど、ここの部屋の鍵開いててさ」

「へ?」

 あ、かけ忘れて出かけたか。俺、たまにやっちゃう。

「ちょっとびっくりして。それでまあ一緒に入って、お前のことはベッドに転がしたんだけど、鍵の場所分かんないし、開けっ放しで帰るのも無用心な時間だったし、『鍵どこ?』って訊いでも爆睡してるし。頑張って起こそうとしたけど」

 わお!そんなことがあったとは。

「…すみません」

 謝ると、高野さんはまぶしいくらいの笑顔になった。

「いや、俺もなんか疲れてたみたいで、眠くなって、気が付いたら寝ちゃってた」

「つ、疲れさせてすみません!」

「いえいえ、こちらこそ。面白かったし」

 面白い?何が?

「加藤が酔って寝るのって珍しいなって思って。加藤って酔っ払いにはならないでしょ。飲み過ぎてても、だいたい吐いて素面に戻るし」

 高野さんが、そんなことを言いながらこっちに来て、ニコニコしながらおおきな手でまた俺の髪をぐしゃっと撫でた。


 あ…あれ?


 なんか、恥ずかしい!

 昨夜タクシーでされたときは安心感があったのに!

 …今、すごく緊張している。なんだこれ、ドキドキする。


「家を出るとき、ちゃんと鍵かけて来いよ。この辺物騒だから」

 お母さんみたいなことを言いながら、高野さんはニコニコして、俺の頭から手を離した。


 あ、寂しい。


「じゃあまた後で会社で」

 高野さんが玄関へ向かう。


「高野さん!」

 自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。

「ん?どうした?」

 特に呼び止めた理由はなかった。ただ心がモヤモヤしているだけだった。

 振り返った高野さんは、やっぱりサワヤカでいい顔をしていた。俺は話す言葉を探した。

「いえ、あの、あ、タクシー代とか…」

 そう言ったけど、そんな話をしたかったわけじゃない。

 自分に腹が立つ。なんか、もっと…謝るとか…いや、そうじゃなくて…。


 訊きたいこと、ずっと訊きたかったこと、あったじゃん。


『俺のこと、今、どう思ってますか?』って。


 ……。ははは。

 そんなの、訊けるわけがない。

 本当は、高野さんの今の気持ちや、俺と高野さんの関係を確認したい。

 でも、やっぱり、そんなの訊けない。


「タクシー代なんかいいよ、そんなの。大してかかってないし。また俺が貧乏な時に奢ってよ」

「ああ、はい、あの、本当、すいませんでした」

 俺は、それだけ言うのがやっとだった。

「謝るなよ」

「いや、本当にもう迷惑かけっぱなしで、ほんとに…すみません」

 俺がなんとかそう言って頭を下げたとき、高野さんの纏う空気が少し変わった。

「なんかお前、俺に謝ってばっか…」

 小さな、声だった。


 告白されたとき、俺は謝ることで断ったんだってことを思い出したのは、高野さんが部屋を出ていった後だった。

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