第2話 気になります


 

 まいったなあ。

 まいった…。

 酒の席で『酒、強くないんです』って言葉はあんまり意味がないな。飲めませんって言えば良いんだろうな。でも、全く飲まないわけじゃなく。そんなに強くない…って半端だな。


 新入社員には怒涛の歓迎会が待ち受けていた。

 部の歓迎会、課の歓迎会、係の歓迎会。俺の社会人初のスケジュール帳はそういったもので埋まっていった。

 職場の歓迎会は一回でいいんじゃないですかって言って逃げ出したいところだが、歓迎されている側ではそうもいかない。

 俺が会社でオトナになったら、提案しよう…。

 そんなことを思いながら、顔と名前がまだ一致しないまま参加。

 一発目の部の会で、挨拶しながら注がれるビールと日本酒をついつい全部飲んでしまい、トイレで吐いてまた場に戻るを繰り返した。

 俺は飲むと吐く。吐いたらとりあえず元に戻る。記憶を失うことも、あらぬことを口走ることもなく、周りからみれば飲ませても面白くないタイプだろう。ただし、翌日頭が痛くなる。良いとこ無し。

 大学の先輩でもあり、このたびめでたく職場でも同じ課の先輩となることが確定した例の「高野さん」は、一年目の苦労と俺の飲み方を分かってくれていて、先に飲んで盛り上げてくれたり、そっとトイレの場所を教えてくれたりする。

 うぬぬ…。やっぱり気が利くタイプだわ。話もうまい。

 社会人になって気が付いたのだが、いわゆる「ハンサム」を好きなのは女性だけではないらしい。オッサンは顔のいい若いモンが好きだ。それも年を取れば取るほど。部長などは高野さんの話が受けると「うんうん」と誇らしげに頷き、カラオケで高野さんに次々リクエストしては側にはべらしている。

 それで全然平気そう。

 まいったなぁ…。社会人って変なところ厳しい。


「4月だけだよ」

 課の歓迎会の帰り、高野さんが俺に言った。

「今は大学時代とのギャップもキツいと思うけど、新人が注目されるのもあと少しだし。ま、あんまり無理せず」

 確かに、そんなもんなのかも知れないなと思いながら礼を言う。今日も助けてもらってしまった。

「乗ってく?」

 タクシーを止めた高野さんに言われた。

「いえ、この近くなんで」

 俺はそう言って断った。

「あれ?家もっと南じゃなかったっけ」

「今、この辺りで一人暮らし中です」

「そっか。じゃあ」

 高野さんは、タクシーの窓から俺に手を振り、去っていった。

 相変わらず癖のない爽やかさ。

 …どうしたものか。

 

 一年前、卒業式前日の高野さんが後輩だった俺に言ったのだ。

『加藤のこと、好きみたいなんだ』って。

 断った。でも今考えるとあれはあまりにも一瞬の出来事で、もしかしたら俺の記憶違いじゃないかとさえ思う。就職した先で出くわした高野さんは相変わらず女子にモテるし、仕事もキチンとこなしていて上司の信頼も厚く、まあとにかく立派な社会人だ。

 職場では、去年一年間の、高野さんのやっていた仕事を引き継ぐため教えてもらいながらの毎日なのだが、高野さんは例の発言を全く感じさせない立ち居振る舞いで俺を戸惑わせる。至って普通。

 まいったなあ。

 なんか、絶対俺の方が意識してる。

 あの…高野さんって…俺のこと…違いましたっけ。

 俺のこと…。

 違います?

 違う…?

『好きみたい』だったけど、あ、違った?

 一年過ぎましたもんね、違いましたか?それならまあいいんですけど、でも。

 

 そんなこんないろいろあって、ちょっと疲れた。

 俺の癒しは、同じ総務の米原さん。三年目で先輩だけど、年齢は1コ下。優しいけどあっさりしていて、顔はかわいい系だけど性格はキリッとしている感じで、まあ…単純に言って『タイプ』なのだが、仕事以外のこと、あんまり話すこともできないまま。

 新人は仕事が先だよな。仕方が無いな。

 高野さんが言っていたみたいに、こんなに疲れるのも最初だけなんだろう。

 一人の部屋に帰って、ベッドに倒れこむ。明日は休みだ。何も考えずに眠りたい。



 ウトウトしていると、スマホが鳴った。画面を確かめずに出てしまった。

「はい」

「加藤くん?」

 女の人の声がした。誰?って思いながら画面を見ようとしたが、確認する前に相手が先に名乗った。

「吉田です。覚えてる?」

 吉田先輩!

「ああ!先輩!おはようございます!じゃないや、こんばんは!」

 俺が、いや誰もが高野さんの彼女と思いこんでいた人じゃないか。ははは。

 一年ぶり。

「もう寝てたの?早いね〜」

 え?今、時間は…。

「まだ十時過ぎなのに。仕事、疲れてるね。さては」 

「ええ…あの、今日、歓迎会で…だいぶ飲んじゃって」

「そっか、そんなのもあるよね。毎日忙しい?」

「まあまあ、かな」

 そう言ったら、吉田先輩は少しだけ、恐る恐るって感じになって訊いてきた。

「…次の日曜あいてる?」

「日曜ですか。予定無いですよ」

「やった。私、日曜日に大学に用事があるからさ、大学近辺に残ってるコに声かけてるんだけど。集まらない?」

 おお、楽しそう。

「いいですよ」

「良かった。多い方が楽しいもんね。高野にも連絡したんだけど、つながらなかった。一緒のとこ勤めてるんでしょ?今日高野も飲み会かな」

「高野さん、さっきまで一緒でしたけど…」

 タクシー乗って帰って行ったけど、高野さんも寝ちゃったかな。

「高野さんって呼んでんの?」

「職場、一緒なんで『先輩って言い方変だ』って周りから言われて」

「そっか。いろいろあるんだ」

 それから、吉田先輩がちょっと寂しそうに言った。

「…なんか、今までと同じようでいて、ちょっとずつ違ってくるね…」


 その言葉が、ちょっと心に残った。大学を卒業して、そんなに変わらないようでいて、ちょっとずつ違ってくる。大学に金払って通ってたのが、今は働いて、給料をもらう身分…とか、そんな堅苦しいことじゃなくて、感覚的に違うんだろうな。

 うん、それ。

 なんとなく疲れて、毎日感じてた違和感。

 学生時代の、マイペースを満喫していた甘えた日々から、心が簡単に抜け出せない。

 吉田先輩が「じゃあね」と電話を切った。

 

 高野さんもこの一年、いろいろあったのかな。

 日曜には高野さんも来るのかな。

 職場だと仕事の話ばかりしていて、それは意識的に俺がそうしているのもあるんだけど、学生時代の話とか、俺が一人暮らしを始めたこととか、そういうことをゆっくり話す機会がないから、全然積極的に話をしていなかった。

 もし来るんだったら、ちょっと緊張する。

 あの告白が無かったら、高野さんと一緒に働けることも、次の日曜日に遊ぶことも、きっともっと素直に楽しかったかも知れない。

 意識…し過ぎる。

 高野さんが良い人だから、いつも世話になりっぱなしだから、余計に意識し過ぎる。

 高野さんって…。

 そんなふうに、高野さんのことをぼんやり考えながら、俺は沈み込むように意識を失っていった。




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