ちょっと待って!

石井 至

第1話 プロローグ

 一年前に、事件は起きたのだ。



「加藤のこと、好きみたい」

 生まれて初めて告白された。

「えっ!」

 驚いた。

 なんで?

 なんで俺?

 先輩モテてんじゃないの?

 っていうか、つい最近吉田先輩と仲良さそうに、くっついて歩いてるの見たんだけど。

 いや、そんなことじゃなくて…。

 頭の中をいろんな言葉が巡った。


 それで結局俺の口を突いて出たのは断りの言葉だった。

「あの、俺、すみません…」

「いや、いいよ。卒業したら会えなくなるから、最後に言っておこうと思っただけだから。こっちこそごめん」

「いや、でもあの…すみません…」

「謝るなって」

 俺よりちょっと背の高い先輩が、少しかがんで俺を覗き込んだ。

「聞いてくれて、ありがとう。…じゃあ…」


 先輩は笑顔を残し去っていった。

 すっげーサワヤカだった。

 もてるんだよな…。

 でも「男」じゃんよ。

 なんで俺のところに来たんだ。

 先輩ってそっちの人だった?

 大学3年間のことを振り返って考えてみてもさっぱり分からない。いつからそんなふうに見られていたかも全く心当たりが無く、頭の中にクエスチョンマークが溢れた。

 なんで?

 どうして?

 どこが?

 いつから?

 本気?

 でも、聞けない…。

 明日は卒業式だけど、部の送迎会もあるけれど。



 翌日の送迎会に、先輩は来てなかった。もちろん来ていたって俺から話しかけることなど恐ろしくてできる訳がないのだが。

「あれ?高野先輩は?」

 別のコが訊いているのに、思わず耳をそばだてる。

「ああ、もう今日から研修らしいよ。就職先の。北海道だって」

 吉田先輩が答えた。

「え~?卒業式出ないとか何それブラック?」

 周囲がざわめく。

「卒業式は来てたよ。そのあとサーっと消えたわ」


 てっきり、吉田先輩と高野先輩は付き合っていると思っていた。いや、この場にいるみんな、今この瞬間だってそう思っているに違いない。すごく仲が良かったから、だからこそ超がつくほどモテる高野先輩に、チャレンジしていく女子が少なかったのだ。

『吉田さんがいるからしょうがない』って。

 ねえ、そうなんでしょ?

 俺は吉田先輩をちらりと見た。背が高くて、スタイル良くて、明るいブラウンの髪、小さい顔、大きな目。

 睫毛、長い。美人。高野先輩とお似合い。

 昨日のあれ、冗談かな。俺のリアクションがマジ過ぎて嘘って言い出せなかっただけかな。

 俺、あの時笑い飛ばせば良かったのかな。


 いや…やっぱそんな雰囲気じゃなかった。最後に俺の顔を覗き込むまで、高野先輩は静かに俺の手元をじっと見つめていた。俺はパニックになりながらも、いつもの癖でそんな先輩の表情をじっと観察していた。

 思い詰めた様子。

 思い詰めていることを、俺に悟られないようにゆっくりと言葉を選んで話していた。

 あれ、演技だったら役者だよ。俺、返事に困ったもん。

 本当は…悲しませたくなかった。それぐらい好きな先輩だったから。

 でも、謝る以外に、何もできなかった。


 北海道か。じゃあ、もう会うこともないな。高野先輩、本当に昨日が最後だったんだな。『最後に言っておこう』って、やっぱ本気か。

 俺が…好きだったのか。

 世話になったんだけどな。俺だけじゃなくきっとみんな世話になってる。よく気の付く人だったから。

「今日来てくれると思って、いろいろ話すことあったのに!!!」

「挨拶させてくれないとか、意外とドS!」

 ほら、高野先輩がいないことに、ブーイングが起きてる。まあとにかくモテてたしね。

 そうなんだよ。

 すっげーモテてたんだよ。それが…なんで…。


 …いろいろ考えてしまう。複雑な気持ちだった。

 けど、はっきり断った以上、俺には関係ないんだ。

 モテる人に告られた優越感とか、実はあるけど、そういうのを感じることも許されない気がする。だって、高野先輩のこと尊敬してたし、本当は本気の笑顔で別れたかったんだから。

 それができなかった俺に、もう先輩のことをいろいろ詮索したり、勝手に想像したりする権利はないな。

 関係ない、関係ない、関係ない…!

 3回唱えた。

 忘れることにした。




 あれから一年。事件、というかその結構大きな出来事は、俺の中でギュッと抑え込まれて奥にしまわれていた。

 俺は順当に就職することができた。

 配属も決まったその一日目。

「あっ!」

 なぜか、俺が座る隣のデスクに高野先輩が座っていた。

「おはよ」

 先輩は軽く手をあげて笑った。

『なんで!?』

 思った心は口には出せず、一年間封印していた疑問の、コンクリートで固めたつもりぐらい開かないように固めていた扉が、あっさり開かれたのだった。


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