第2話『誰が見ておらずとも』
人里離れた山の中。白装束の童が一人。十にも満たない童が、縛りつけられし太い柱があるのは小さなお堂。
幾日もやまぬ雨は激しさを緩めることなく打ち付けて、灯り一つないお堂は闇に包まれ閉ざされて。火の気も見えぬお堂の中で、雨に濡れた童はカチカチ、カチカチ歯の根を鳴らす。
寒い寒いと悲鳴を上げる。
恐い怖いと助けを求める。
しかし、童の口から言葉は出ない。喋れぬ童は咎人だった。
すまぬ、すまぬと詫びる父。
どうか、どうかと縋る母。
その後ろでは恐ろしい顔をした村長が、村のためだと言い放つ。
それまでよくしてくれた村人たちが、視線の一つも向けては来ない。
童は察した。自分の番がやって来たと。
村のためなら仕方ない――
そうは思っても恐ろしかった。
一体何が来るのかと、震えて待つ童の耳に、カリカリカリと小さな音が。
ビクリと震えて戸口を見やれば、古びた引き戸がガタガタ揺れて、現れし白いもの。
とうとう来たと覚悟を決めて、きつくきつく目を閉じれば、軽く温かいものが膝に乗る。
寒さと恐怖に凍えていた童が眼を開ければ、そこには白き兎が一羽。
何故こんなところにウサギが来るのか。
恐怖も忘れて戸惑えば、兎は答えた。
間に合って何よりです――恩返しに参りました。
言われて童は思い出す。
かつて仔兎が獣獲りの穴に落ちているのを救ったことを。
もしや、あの時のウサギの父様か?
言葉無きままに問うてみれば、兎は頷き、童を縛りつける縄に喰らい付く。
あなたのお陰で我が子たちは立派に所帯を持つことが叶ったと、故に今度はワタシがあなたを救いましょう。
救うと言ってもどうやって?
戸惑う間に童は自由の身。
ワタシがあなたの身代わりとなりましょう。
言うが早いか、童の目の前には瓜二つの童の姿。
兎のワタシもあなたと同様ほとんど言葉を発しません。怪しまれることはないでしょう。
何があってもこの柱の陰から出て来てはなりませぬ。
それはいけないと慌てる童に、兎は微笑む。
ワタシの寿命も後わずか。無駄に散らすよりあなたのために使いたい。
そのとき、ずるりずるりと重い物が引きずる音が。
同時に外を見やる童と兎。
さぁさ、早く柱の後ろに。
慌てた兎が童を隠し、自ら噛み切った縄を後ろで掴んで座る。
それと同時にぬっと戸口をすり抜けて来たのは巨大な蛇。
今宵の贄はまたも童か――
地面を震わす恐ろしい声に、童は柱の後ろで固まった。
ずるりずるりと躰を引きずり、放たれる威圧感。
すぐそこまでやって来たことが分かりし童。やはり身代わりには出来ぬと飛び出した。
真の贄は私だと言わんばかりに飛び出して、身代わり兎が蒼褪めた。
これはいかなることかと蛇が問えば、身代わり兎がワタシを喰らえと身を差し出すも、童は手を引き引き留める。
声なきことをもどかしいと思いながら、童は懸命に訴える。私が贄だと訴える。
互いに庇い合う童と兎。眺めし蛇は不意に笑う。
やはりそなたはあの童かと、あたかも童を知ってる口振りで目を細め、目線を合わせて頭を落とす。
私を知っているのかと、蒼褪め小首を傾げた童に、蛇は言う。
そなたは毎日山を登り、我のために貢物を運んでいたな。
他の大人が忘れ去り、こんなときばかり思い出す中、そなたは野花を摘み、森の恵みを取ってはここへ供えた――
それは父様と母様がそうしなさいと言ったから。
それでも続けたことに意味がある。村を守って欲しいと祈ったそなたの心意気、また、その気になれば生き延びられたにもかかわらず、兎の命を守らんと飛び出す勇気を気に入った。
思い掛けない蛇の言葉に戸惑う童に蛇は告げた。
そなたの勇気と献身に免じ此度は大人しく帰ってやろう。
しかしそれでは雨がやまぬと不安になれば、蛇は突如童の喉を一舐めすると、村に帰って『雨よ止め』と命じて見せよ。さすれば雨は止まるであろう。
驚く童が喉へ手を伸ばせば、そこには一枚の鱗のような硬い物。
ワタシの力を貸してやろう。そなたがいる限り村は安泰。そなたのような咎人が贄にされることもない。
俄かに信じられぬ思いを抱き蛇を見やれば、蛇は笑みを浮かべて身を翻し、再び戸口をすり抜け姿を消した。
後に残されたのは呆然自失の童と兎。ぺたりと床に座り込み、今更のように震え出す。
一体何が起きたのかと、縋る思いで兎を見れば、兎は安堵の涙を零して褒め称えた。
神に認められし方なれば、親子共々命を救われた。どうぞ何なりと言い付け下さい。
かしずく兎に慌てる童。
「そんなことはしないで」と、初めて童は己の声を耳にした。
驚きに目を丸くして喉を押さえる。
神の力が宿られた。さ、参りましょう。あなた様の村へ、その力を示すため。
その後童は兎を抱いて村へと戻り、何しに来たと怒る人々の前で声を発す。
命じられたままに止まる雨。
それを見た人々は驚愕に目を見開き地面にひれ伏す。
童は知らぬ。命じた瞬間その背後に、大蛇の幻が現れ出でて、人々を睨み付けたことを。
だが、人々は植え付けられた。童が神の力を宿したことを。逆らうことは出来ぬと言うことを。
後にその村で、欠落した童が贄にされることは二度となかった――
「終」
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