弾き語りが語ること

橘紫綺

第1話『花』が出会いし者

 その童(わらし)の名が『花(はな)』なれば、年の頃は八つ。色あせた赤い着物に切り揃えられた黒髪の、愛らしい娘なり。されど、浮かびしその表情、不安あふれ、涙が溜まり、唇かんで川面を見つめる。

 一体こんなところでどうしたと、一人の青年声を掛ければ、『花』は答える。

 父(とと)がずっと帰って来ん。

 一体いつから帰って来ないと尋ねれば、指を折々、一つ二つ。三日は帰って来ないと『花』は言う。

 父様、川を渡ってどこへ行ったと尋ねれば、『花』は答える。

 父(とと)は泣きながら川の中に潜って行った。それからずっと帰って来ん。

 それではお前、飯(まんま)はどうしているんだい?

 青年焦って問いかけた

 飯はとなりのおばさん食わせてくれる。でも、なんだかうちにはいずらくて、父が帰って来るのをずっとずっと待っている。

 鼻をすすりながら『花』は答えれば、子供ながらに感じる恨みや憎悪。疎まれていること察する『花』に、青年憐れを感じ、冷たき体を抱き寄せる。

 最初は驚き戸惑う『花』だが、やがてふつりと緊張切れて、大声あげて泣きじゃくる。

 青年優しく『花』の背撫でて、すまない、すまないと繰り返し謝れば、一体どうして兄さま謝る? と尋ねられ、青年、眼を潤ませて答えるに――

 父様帰って来ないのは、偉い人間が捕まえた、狐を知らずに逃がしてしまったせいだ。

 それで何故、父は帰って来ん? と尋ねれば、青年答える。

 狐逃がされた人間様が、怒り狂ってお触れを出した。

 狐逃がした人間を、『村八分』にせねば、村人全員処罰する。それゆえ父様『村八分』。

『村八分』とは何のこと?

『村八分』とは仲間外れのこと。

 仲間外れとは何のこと?

 誰も助けてくれないと言うこと。

 だから皆いっしょにあそんでくれなくなったのかと、『花』が涙目で問いかけて、青年は応える。

 かくも人間は残酷だ。故に『花』。お前は私と共に来ないか?

 突然の申し出に『花』は驚く。

 私は『花』の父様の知り合いだ。証拠にお前の名前を知っている。お前が嫌じゃなければ、私はお前と共に過ごしたいと思ってる。

『花』迷いて答える。

 父がオラをさがすかも……

 それは心配ないことだ――青年力強く断言すれば、『花』は申し出受け入れた。



 村から出た『花』と青年、川下に家構え、仲睦まじく時過ごす。

されど青年仕事に出れば、『花』の他、人おらず。

 ある夜『花』は呟いた。

 兄さまおらんと、オラはつまらん。誰も来ん。庭には狐が遊びに来よるが、オラが近づくとすぐ逃げる。

 少し困った青年は、それでも分かったと頷いた。

 翌日青年仕事に出れば、『花』は寂しく一人遊び。

 それすら飽きた『花』なれば、縁側に寝そべり、庭で飛び交う虫を追う。

 さやさや吹く風、庭渡り、揺られた草草囁いて、『花』は寂しいと涙を一筋。

 父に会いたい。一人はいやだ。はやく兄さま帰って来てと、何度呟いたか分からない。

 されどその声聞こえるわけなく、一つ二つと涙を流す。

 そのままうとうと微睡(まどろ)めば、どこからともなく呼ぶ声が。

 オラを呼ぶのは誰だと問えば、お友達になりに来たと、見知らぬ娘が立っていた。

 初めて見る娘に戸惑う『花』に、娘は言う。

 あなたの兄様に頼まれた。兄様戻るまで世話を見る。

『花』は暫し戸惑いて、それでもやっぱり嬉しくて、優しき娘と日々過ごす。

 来る日も来る日も娘と過ごす『花』なれば、寂しさ忘れ、父忘れ。いつしか兄さまと娘と三人で暮らしたいと望み出す。

 娘が十になるころに、読み書き勉強始まった。昼は娘が、夜は兄さま。けして三人そろうことなく。それでも『花』は楽しんだ。覚えることが楽しくて、褒められることが楽しくて、時々、父にも褒められたいと思いつつ、『花』は様々な事柄身に着けた。

 そんなある日のことだった。いつものように兄さま仕事に出かければ、入れ替わりにやって来る娘が来なかった。

 何故来ないと心配した『花』なれば、縁側飛び出し、庭横切り、薬草の勉強するために入った森へと踏み込んだ。

 そして見つける、獣罠に足を挟まれた兄さまの姿。

 一体何がどうしたと、『花』は混乱、取り乱し、その手が傷つくのも厭わずに、力任せに罠広げる。されど『花』のか弱き力で罠開かず、その内青年眼を開けた。

 呼び掛ける『花』の声で、我に返った青年の、顔に浮かぶは恐怖の表情。

 何故ここにお前がいると、震える声で問うたなら、何でもいいから早く帰ろうと『花』は言う。

 よしなさい。お前の手が血だらけだ。指が取れてしまうと説得しても『花』聞かず。

 そのとき『花』が見たものは、青年の尻から生える巨大な尾。それはまるでふさふさの狐の尾。

 それは何かと問うたなら、青年答える。

 私こそが、お前の父様が助けた狐だと。私を助けたばっかりに、命を落とす羽目になった父様に恩を返すため、お前の傍にいた。許してくれとは言えないが、お前が幸せになれるよう、今まで物を教えて来たつもりだ。

 それでも騙していたことは事実なら、煮るなり焼くなり好きにしろ。

 そう言って、狐の姿に戻る青年見下ろして、『花』は言った。

 今更そんなことはどうでもいい! 私を独りにしないでくれと。

 狐はそっと眼を開けて、掠れた声で呟いた。

 もう少しで迎えが来る。お前の新しい家族がそこに……

 それだけ言って事切れたなら、『花』は泣いた。泣きに泣いて絶望したなら、そんな『花』に声が掛かった。

 声の主は言った。

 お前が『花』だね。迎えに来たよ。

 見上げた先にいたものは、好々爺とあの娘。

『花』は娘に抱き付いて、初めて青年と出会ったように、力の限り泣いたのだった。

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