十一の斬/9:362

 この街に滞在を始めてから四日間が経った。つまり、今日がこの街を経つ日となる。

 ここで狩りをしたのは二日だけだ。その内容は、日帰りで終わるものばかりだったため、オーガ六体から始まり、ゴブリン十体、ホワイトウルフと呼ばれる、オーガと並ぶ程の戦闘力を持つ巨大な狼型の魔獣を三体。バジリスクと呼ばれる、周囲の魔素を操り相手の周りに固定することで相手を動けなくする能力を持つ巨大な蛇を三頭、討伐に成功した。この内エルリックが倒したのはゴブリンが三体。しかもユキにかなりお膳立てをしてもらってから、だ。

 特にバジリスクに至ってはエルリックは動くことすら出来なかった。が、ユキは固定された魔素なんか知るかと動き回っていたが。というか空気を断ち切って一時的に魔素を吹き飛ばして拘束から抜け出すという荒業までやっていた。

 なんというか、頭が可笑しい戦い方としか思えなかった。

 しかしそれも普通でしょ? と可愛く小首を傾げるユキにエルリックは何も言えなかった。そしてユキはあんな弱いのを倒しただけでこんなにお金をもらっていいのかなぁ、なんてちょっと不満気……というか納得がいっていないようだった。

 それもその筈。ユキが稼いだのはエルリックが一か月かけてようやく稼げるか稼げないかというレベルの大金だったからだ。たった二日でエルリックは自身の精一杯の月収をいとも簡単に抜かされたことに、なんかもう色々と諦めていた。しかもユキは笑顔でそれを渡してくるものだからお前が持っておけとも断りづらく――というか断ったら何かしら色々と理由をつけて押し付けてくる――結局エルリックはユキに養われる形になってしまったのだった。


「俺の人生、このまま堕落していく気がする……」

「え? そんな事ないよぉ」

「でもさ、俺、全部ユキに任せっぱなしだし、俺がやってること、ただの運ちゃんだし……」

「そんな事ないよ。エルリックがいなかったら、オレはオレじゃいられなかったから。エルリックが居てくれるから、これだけ頑張れるんだよ?」


 ユキの言葉は本心だった。

 もしもこの四日間、エルリックが隣に居なかったらユキはとっくに壊れていただろう。それぐらいに、過去の喪失というのは精神的にキツい物があるのだ。そして、それは今日まで続いている。

 寝ると、記憶が徐々に消えていくのだ。最初の時のように半分以上が一気に消えるという事は無いが、それでも自分が今まで築き上げてきた物が抹消されていくという事は。自分という存在を構築する物を抹消されていくのは、いつか自分が自分で無くなるんじゃないか。自分は、ユキという名すら忘れ、空っぽな人形になってしまうのではないか。そう思ってしまう事が幾度となくあった。

 だが、それでも今まで正気でいられるのは、エルリックが自分を『ユキ』という一人の人間として見てくれているからだ。例え過去の記憶が全て消えても、彼は自分をユキとして見てくれる。そう思うだけで、気が幾分か楽になるのだ。自分の全部は、絶対に消えることはないと。そう思うだけで壊れそうな心はなんとか形を保ってくれるのだ。

 だから、その恩返し。お金も、手伝いも、エルリックとの手合わせも。全部、全部が恩返しなのだ。彼はユキという一人の人間を証明し続けてくれるから、その恩返し。


「大丈夫だよ。エルリックは心配しなくても。オレが全部やってあげるから」

「……その言い方だと、俺がガチのヒモみたいじゃん!!? っていうかなんかその言い方傷つくんだけど!? 俺がいらない子扱いされてる気分になるんだけど!?」

「エルリックはずっとオレの隣に居てくれるだけでいいから。それ以外は何もいらないから」

「それに頷いたら俺ガチのヒモになんじゃん!!?」


 そうなのかな? と首をかしげるユキ。勘弁してくれと溜め息を吐くエルリック。

 ユキとしては自分の要望を言ったつもりなのだが、どうやらそれはエルリックの男心にチクチクと細かい傷を付けていくらしい。別に、戦うことは嫌じゃないし一人じゃ生きていけないだろうから、色々な事への恩返しにお金を渡すくらい普通だと思うんだけど、と考えるユキ。しかしエルリックとしては、それを受け入れたら堕落ルートまっしぐらじゃん。流石にそんな最低な人間の鑑みたいな事は出来ないと考えている。

 エルリックはヒモになってもいいんだよ? とまぶしい笑顔で、何の裏もなく告げてくるユキを一瞬まぶしく思いながらも自分の内心を吐露する。


「……取り敢えず、俺はお前に追いつく。んでもって、お前に俺を認めさせる」

「認めさせるって?」

「隣に立つことをだ。流石に女の背中を見ているだけじゃ情けなくなるからな」


 そう。

 いつもエルリックはユキの後ろに立っていた。ゴブリンの時も、オーガの時も。そしてホワイトウルフの時もバジリスクの時も。だから、いつかユキの隣に立てるようにする。

 恐らく才能は無いが、何とかしてこの才能の暴力の権化みたいな少女の隣に立つ。そう告げる。

 ユキは一瞬ビックリしたような表情をしていたが、すぐにほにゃっとその表情を笑みに変えた。


「じゃあ、頑張らないとね。これから手合わせはスパルタで行くよ?」

「どんと来い。絶対に追いついてやる」


 そんな感じで言葉を交わし終えて、エルリックは起きて手合わせをしてからずっとやっていたバイクの簡単な手入れを終わらせる。ユキはそれをずっと後ろから見ていたのだが、ようやく手入れの終わったバイクを見て目を輝かせている。

 どうやら彼女はバイクが出すあの速度に惹かれてしまったようで、運転こそしたがらないが、エルリックの後ろにしがみついて移動することが一種の楽しみになっていた。最近はバイクであっちに行ったりこっちに行ったりしていたので、そんなユキの楽しみが、言ってもいないのに伝わるのには時間はかからなかった。

 バイクにまたがり、少しエンジンを吹かしてみれば、バイクは機嫌よさそうに魔素を含んだ煙を排出し、いつでも走れる事を告げていた。


「うし、行くか」

「うん!」


 コイツ、本当に元男なんだよな? とエルリックははしゃぐユキを見ながら思い、彼女がバイクの後ろに跨ってエルリックにしがみつくのを待つ。こうやって恥も羞恥心も感じることもなく胸を押し当てている辺り、彼女はまだ自分を男なのだと認識しているのかもしれないが、もう態度や仕草が完全に女の子のソレにしか見えないエルリックからしたら、この状況はあまり精神衛生上良くなかった。

 これ、絶対に人によってはその場で押し倒しているよなぁ。なんて思いながらなるべく背中に押し付けられる柔らかい二つの感触を楽しみながらハンドルを捻る。

 既に荷物は積んである。周りからの生暖かい視線を無視しながらエルリックはバイクを走らせる。

 この街は馬車が普通に通るような広い道なので、エルリックも普通に道のど真ん中でバイクを走らせる。勿論、スピードはバランスを崩さない程度にかなり落として、だ。


「次はどこに行くの?」

「ここから東に二日ほどの所にあるちょっと田舎の街だ。ユキ、方位磁石で常に方角だけは確認しておいてくれ」

「りょーかい。あ、でも二日間もかかるとなるとご飯とか……」

「途中で小さい街はあるからそこで補充だ。一応買い置きもあるから腹減ったり喉乾いたら教えろ。一旦バイク止めるから」

「うん、分かった。じゃあ運転お願いね」

「分かってら。ほら、そろそろスピード出すから舌噛まないように気をつけろよ?」

「だいじょぶだいじょぶ。そんな何度もきゅぺっ」

「あっ、わり。石踏んだ」


 どうにも締まらない子だよなぁ。なんて、背中にちっこい手による衝撃を感じながらバイクを走らせる。一応エルリックの剣はバイクの外装に立て掛けてあるが、ユキの剣は緊急時の時のために彼女自身が持っておいたほうがいいだろう。あとなんかストームブリンガーなんて名前付いている剣触りたくないという主に二つの理由から、バイクを走らせている間もユキが腰につるしている。なので途中から剣の柄で殴ってきた。

 が、本気じゃないので笑って謝罪し膨れっ面のユキに許しを請う。

 さて、次の街はここから東へ二日間だ。方位磁石と地図を使って街の場所は教えてもらったので迷うことはないだろう。ちゃんと街から街の間はかなりの距離こそあれど、馬車のために舗装された道がある。そこを走っていけば大抵は迷うことなく街に着ける。

 万が一のための方位磁石ではあるが、出来るなら使うような状況にはならない事を望む。

 しかし、大体一時間ほど経った辺りでずっと掴まっているだけのユキは退屈してきたのかエルリックに話しかけた。


「ねぇエルリック」

「ん?」

「あの本の英雄と邪龍の話って本当に起こったことなんだよね?」

「そうだな。創作って言い切る事が出来ないくらいには色々と残りすぎているんだ」


 邪龍による、未だ残る破壊の痕跡。英雄と邪龍が戦ったのであろう、未だ荒地と化している決戦の中心地。そして時々研究対象として出回る邪龍の鱗の破片など。あの話を伝説だ。創作だと言うには証拠が揃い過ぎているのだ。龍を。それも世界を滅ぼすような力を持った邪龍をたった一人で倒してしまった、英雄の少女なんて普通に聞けばでまかせでしかないような、そんな話が。

 当時の日記等を発見した際も、そのどれもにその少女は邪龍と一対一の決戦を挑んだと書いてある。容姿が書いてある物もあったが、それも決戦時の容姿の情報はどこも一致している。

 白交じりの黒の髪と瞳。そして、そんな彼女は二本の剣を腰に吊るしていたという。


「……俺はあの話、あんま好きじゃないんだけどな」

「そうなの?」

「なんつーんだろ……俺、あんまり龍ってのが好きじゃなくてな。あんな図体デカくて暴力の塊みたいな存在があんまり好きじゃない」


 別に両親を殺された、とか親しい人を殺された、とか。そういう訳じゃない。

 ただ、そんな暴力の権化みたいな存在が、あまり好きじゃないのだ。それこそ、殺してしまいたいくらいには。


「あと、マーガレットって英雄。アレが偽善者にしか見えないってのもな」

「ぎぜん、しゃ?」


 そして、これが最大の理由ともいえるかもしれない。

 最終的に英雄として語り継がれるようになった少女。しかし、彼女の行動が偽善にしか思えないが故に、エルリックはあの話が好きじゃなかった。


「なんでそんなギリギリで出てきたんだよって。もっと、早く出てきたら良かっただろって。そう思っちまうんだ。だから、あんまり好きじゃないし偽善者にしか見えないんだ」


 最終的に彼女は英雄として祭り上げられる程の功績を叩き出した。しかし、そこに至るまでの工程は、あまりにも犠牲を出しすぎた。立ち上がるには遅すぎた。どうしてその力をもっと早く振るわなかった。どうしてそんなギリギリでみんなのために、だなんて言って立ち上がった。

 そう思うと、マーガレットという英雄は偽善者の塊にしか見えなかった。

 それが、エルリックがあの話を。いや、マーガレットという人々に担がれた英雄を嫌う意味だった。


「……偽善でも、いいんじゃないかな」


 だけど、それにユキが反発する。

 珍しい事だった。基本的にエルリックの言葉は二つ返事で肯定する彼女がそうやって口にするのは。


「……きっと、怖かったんじゃないかな。皆の期待を背負ったりとか、世界を滅ぼすような相手に立ち向かったりする事とか。でも、やらなきゃ駄目だから。やらないと、どっちにしろ皆死んじゃうんだから。だから、やったんじゃないかな」


 何か思いつめたような。悲しいような。そんな声で自分の思ったことを口にするユキ。

 そこまで、たった一回読んだだけの本の登場人物に肩入れするのか、と驚きはしたが、ユキの言うことは分からなくもなかった。偽善者だという考えは変わらないが、しかしもしも自分がそういう立場だったらと思うと、確かに立ち上がるのは遅くなるかもしれない。幾万もの屍を見てからでないと決意できないかもしれない。


「そうなのかもな。でも、俺は考えを変えない」

「うん、それでいいと思う。偽善だけじゃないって……知ってもらいたかった」


――■■ー■■■■■■と■■ば、■は確実に■■。それが■■っ■いるのか――

――■■。でも、■う。■のために。そのための■■■■なんだ――

――そうやって……そうやって■は■■■!!――

――……■■■■。■は、絶対に■ってくるから――

――■■……うっ!?――

――……■には、■■になった■■で■■でいてほしいから――

――じゃあ■。■■■だよ、ソ■■■――


「……うん、知ってもらいたかった、だけだから」


 頭の中をノイズが走る。

 誰かもわからない。何時のかも分からないその風景は、この間のようにユキという存在を消し去るようにフラッシュバックするのではなく、まるでその光景だけでも覚えていてほしい。それだけ覚えていてもらえればいいからと。そんな、願いを込めたかのようなフラッシュバックだった。

 だから、苦しくもなかった。痛くもなかった。

 だけど、悲しかった。

 何でかわからないけど、悲しかった。

 悲しかったから、ユキの言葉は小さく。そして、エルリックの背中をちょっとだけ濡らした。


「……なんか思い出したか?」

「……何も」

「……そっか」


 果たしてそれをエルリックは気付いているのか、気付いていないのか。冷たい感触を覚えながらエルリックは少しだけ、バイクのハンドルを何時もよりも強く捻った。彼女の涙を拭う代わりに。

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