九の斬/9:364

 結局ユキとエルリックの手合わせはユキの圧勝で終わった。

 双剣術は単純に手数を増やすという訳ではなく、手数が増える代わりに様々なデメリットがあるのだが、ユキはそのデメリットを一切感じさせない動きで笑顔でエルリックを封殺してきた。

 受け流し、防御、唾競り合い、ステゴロ。その全てがエルリックの技術を凌駕していた。というか最後には恥も忍んでステゴロでの戦いを挑んだのに一方的にボコボコにされた事がエルリックの心に新しくついた傷を思いっきり抉ってきた。まさか今まで受けた拳の中で一番重い拳がユキの拳に更新されるとは思わなかった。

 彼女は体重移動と体の使い方次第だよ、とウインクしながら言っていたが、絶対にそんな事ない。彼女の服の内側は絶対にゴリラだ。見たことあるけど絶対に腕とかガッチガチのマッシブだ。そう決めつけていた。

 だからだろうか。隣を歩くユキに脛を思いっきり蹴られたのは。


「お、おおぉぉおおおぉぉぉぉぉ……」

「なんか不快な顔してた」

「エスパーかよぉ……!!」


 このメスゴリラ、今度シバく。なんて思いながら片足だけで前を歩くユキの後を追う。骨を折るか折らないかのギリギリで思いっきり蹴ってくる物だから絶妙な痛みが襲ってくる。骨から嫌な音が鳴っても折れてもないしヒビも入っていないのは彼女がかなりゴリラで、加減が上手いからか。それともエルリックが軟弱なだけなのか。恐らくどっちもだ。

 結局エルリックはギルドに着く寸前まで片足で飛び跳ねながら移動する羽目になった。


「……で、どうしてギルドに来たの?」

「昨日、ちょっと気になる事を聞いてな」


 それの確認だと彼は言う。先日は食事をした後は軽く魔物、魔獣の出現情報を聞いただけで終わったのでユキはあまり印象に残っていなかったし特に気になった事を聞いていなかったのでよく分からなかった。

 まさかお前聞こえなかったのか? と言いたげなエルリックのの脛を蹴ろうとしたが、すぐにエルリックが謝ったので黄金の右足はすぐに収まった。勘弁してくれと言いたげなエルリックをジト目で見ながら、ギルドに入っていく彼の後を追う。ギルドの喧騒に包まれてすぐにエルリックはユキにだけ聞こえる程度の声で彼女にエルリックが小耳に挟んだ気になる情報を口にした。


「ドラゴンだ。それがここへ向かって飛んできてるっていう情報を聞いたんだ」

「ど、ドラゴン?」


 ドラゴン、と言うと翼があって、四足歩行の? と聞くとエルリックはそのまま頷いた。

 ドラゴンという種族はユキも知っている。いや、知識にある。基本的に人間の雑兵相手なら無双出来るくらいには強く、そして喋れるドラゴンとそうでないドラゴンが居たり。そして、その体は大きく人間程度なら丸呑みに出来るくらいには巨大である。

 正しく地上で生まれた生物の中ではトップクラスの戦闘力を誇る。それが、ユキの中にあるドラゴンの図だ。それはどうやら合っているらしく、エルリックはユキの質問と確認を込めた言葉を是で肯定した。


「ドラゴンってのは基本的にこっちから攻撃しないと攻撃してこない温厚な種族なんだが……それが意志をもって飛んできているって情報を得たんだよ」

「え? 温厚なの?」

「基本的には自衛しかしないよ」


 そして、ドラゴンはその強大さ故に基本的に慢心し、自衛のみを行う。なので、人間がちょっかいをかけなければ巣にでも籠ってそれっきりなのだが、それがどうしてか空を飛んでいるという。しかも、最近空路を変えてこの街目掛けて一直線に。

 そんな情報を得たがためにエルリックはドラゴンがここへ何時到着するのかを聞き、今後の予定に組み込もうとしていた。万が一、バイクで走行中に上から降ってきたドラゴンと衝突、なんて真似をしないためでもあるし、確実に変な面倒ごとが降ってわいてくるためそれを回避するためだった。

 エルリックはユキを適当な席に座らせると、暇つぶしにと置いてあるギルドの備品である本の中から一つを選び取るとユキに手渡した。


「これ、読んどけ。お前の双剣に関係してるかもしれない」

「オレの双剣……? ストームブリンガー、だっけ?」

「あぁ。俺がそれを悪趣味な名前って言った意味が分かる」


 その間に俺は情報を集めてくる、とエルリックはユキを置いて歩いて行ってしまった。

 追いかけていきたかったが、それをグッと堪えてユキは椅子に座ったまま本に目を落とした。

 タイトルは『英雄マーガレットと邪龍ストームブリンガー』。


「マーガ、レット? ……っ!?」


 英雄の名を口にした瞬間、ユキの表情が歪み、同時に頭に強烈な痛みが走る。

 マーガレット。ストームブリンガー。その名前を聞き、頭の中でリフレインさせる度に頭痛が走り、同時に何か頭の中に直接手を突っ込まれて記憶を漁られているような。そんな感覚と気分を覚え、自分が消えていくような。自分という存在を上書きするように何かがペンキをぶちまけているような。そんな感覚までもを覚えた。


――■■ィー。あ■た■、■の■■の■■――

――■も■。君を■■だと■■■いるよ、■■――


 ノイズが走る。

 違う。これはオレじゃない。オレじゃない誰かの記憶。


――ご■■ね。私、■■■■みたい……――

――馬■を■■■! 君■、私が■■■!!――

――……■■。■って■から――

――あぁ! ■対に……■■? おい■■!! ■を■■てく■! ■■!!――


 誰かが、叫んでいる。

 でも、分からない。一体誰なのか。

 思い出せないのに、それが『ユキ』という存在を塗り潰し『■■』で染めようとしてくる。名前すらハッキリと思い出せないその存在に、自分を摩り替えていこうとしてくる。

 止めて。そんな事しないで。オレは、私は、■■じゃなくて、ユキ。■■は、■■はもう■■年前にもう――


「おい嬢ちゃん、大丈夫か?」

「……へ?」


 急激に意識が戻ってくる。それと同時に頭痛は引いていき、視界はようやく現実を直視する。

 どうやら親切な男性が頭を抱えたまま動かないユキに話しかけてくれたらしい。ユキは一瞬何が起こったのか理解できていなかったが、すぐに自分が頭を抱えたままずっと動いていなかったんだと気付き、自分の意識を現実に戻してくれた男性に向かって「大丈夫です、ありがとうございます」と、笑顔で告げる。

 果たして作った笑顔は上手くできていたかどうだか。少なくともこの場はどうにか出来たようで、男性は体調が悪いなら帰りなよ、と親切な言葉を残して去っていった。

 ユキはその後姿を見送ってから改めて本に視線を落とした。


「……英雄マーガレットと邪龍ストームブリンガー」


 本としての厚さ的にはあまり厚い物ではなく、実際に開いて中を見てみると、どうやら最初の方に何かしらの伝記か伝説を載せ、後ろの方でそれらの解説をする、といった本らしい。

 エルリックもすぐに戻ってくるだろうし、ユキはなるべく早く読んでしまおうと本を開き、視線を落とした。

 本の内容。いや、伝記の内容は案外アッサリとしており、すぐに読むことができた。内容は、簡単にまとめてしまえばこんな感じだった。


――昔、温厚な龍の中から強大な力を持った邪な考えを持った龍が生まれた。その名はストームブリンガー。野心に溢れた邪龍は同胞達すら殺し、そして世界を破壊し己の力を示そうとした。ストームブリンガーを止める事が出来る者は居らず、世界は滅亡寸前だった。だが、その時英雄が現れた。その名はマーガレット。凄腕の剣士として既に名を馳せていた彼女は親友だった錬金術師のバックアップを受け、一対一でストームブリンガーと戦い、ストームブリンガーを見事に討伐した。しかし、マーガレットはストームブリンガーが死に際に残した呪いによってその場で命を落としてしまった。それを一番に嘆いたのは彼女の親友の錬金術師だった。彼女によってマーガレットの遺体とストームブリンガーの死体は何処かへと運び込まれてしまい、決戦の場には破壊の跡しか残らなかった。が、マーガレットは英雄として。ストームブリンガーは邪龍として未来永劫、語り継がれるだろう――


 解説を読まず、伝記の部分だけを読んでユキは溜め息と共に本を閉じた。

 まぁ何とも、安っぽい伝説だ。そこら辺に転がってそうな物ではあるが、どうやらこれは本当に起こったものらしく、伝記の合間合間に決戦の地とやらの写真も載っていた。そして、かろうじて回収できたストームブリンガーの鱗や、マーガレットの使っていた剣。なのでこれは実際に起こったことなのだろうとは大体把握できた。


「……呪いで死んだ英雄ねぇ。情けない」


 無意識に出た言葉は英雄を愚弄する言葉だった。だが、ユキは無意識に出たその言葉を訂正する気にはならなかった。

 というか、この伝記がまず信じられなかった。どうして世界を滅亡の寸前まで追いやった災厄に対して、名前と地の文からして女なのであろうマーガレットという人物がたった一人で。錬金術師とやらのバックアップがあったとは言え、それを打倒することが出来たのか。

 たった一人で出来るのなら他の誰かでも成し遂げられた筈だ。まさかそのマーガレットが人間を超越した何かしらのフィクション的存在と言うのならまだ分かるが。そう思ってしまうからこの伝記は嘘なのではないかと――


「ち、がうゥ……!!?」


 ――いや、違う。

 これは本当だ。

 本当だが、どうしてマーガレットは一人で――


――■■■■――


 分からない。

 分からないのに分かる。頭の中に無理矢理理解させようと電極を刺されたかのような電流のような物と頭痛が走り、思わず頭を抱えて蹲る。

 まるで何かを思い出そうとしているのに、何かがそれを邪魔するかのような。それが思い出してはいけないことだから邪魔しているような。意味の分からないその状況に頭を抱えて震えるしかできない。

 助けて。声をかけて。オレを、私を、ユキを、■■を。誰が誰なのかを自分に理解させて。

 じゃないと、壊れて砕けて――


「おいユキ! 大丈夫かユキ!!」


 壊れかけた心が戻ってくる。

 そうだ。


「オレはユキ……ユキ、なんだよね」

「は? 何言ってんだよ。いや、その前にお前本当に大丈夫か!!?」


 頭を上げれば必死な顔のエルリックがそこには居た。

 あぁ、彼は今にも崩壊してしまいそうなユキ自分をちゃんと型に嵌めて保存してくれる。ユキ自分だけをしっかりと見てくれている。

 彼だけは、何があっても絶対に自分をユキとして見てくれる。

 それが分かるから。分かってしまうから、ちょっと嬉しくて頬が緩み、ほんの少しだけ顔が赤くなる。


「……うん、大丈夫。ちょっと女の子の日でね」

「え? お、女の子の日って……」

「ジョークだよジョーク。ほら、情報は集め終わったの?」


 先ほどまでの頭痛を誤魔化すように笑顔で冗談を吐き、無理矢理会話を方向転換させる。それにエルリックは若干不満を持ってはいたが、すぐにそれも無駄かと諦めたようで溜め息と共に情報を口にした。


「一週間でここに来るらしい。だから、三日間ここで金を稼いで四日目で違う街に行こう」

「おーけー。荒事なら任せてよ」

「ったく、それは俺の台詞だってのに……」

「ふふっ。だってオレ強いからね」

「あー、くそ。事実だから茶化すことも出来ねぇ。お前ちょっと弱くなれ。ってか俺に強さ分けろ」

「やーだよっ」

「だろうなちくしょー」

「まぁまぁ。手合わせなら付き合うから、ね?」

「そうだな。ご指導ご鞭撻頼んます」

「任されました!」


 さて、何とか誤魔化せた所だけど。

 自分にここまでしてくれるからだろうか。エルリックになら何でもしてあげたいなんて思うのは。

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